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ぽかぽか春庭「2019年11月目次」

2019-11-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


ぽかぽか春庭2019年11月目次

1102 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記秋深し(1)シルバーパス旅行
1103 2019十九文屋日記秋深し(2)コートールド美術館展・ネバーモアを見た
1105 2019十九文屋日記秋深し(3)観劇・3度目のバリャガンガーラ
1107 2019十九文屋日記秋深し(4)娘とカフェめぐりスィーツ
1119 2020十九文屋日記秋深し(5)娘と横浜クルーズ
1110 2019十九文屋日記秋深し(6)横浜でハロウィーンスイーツ

1114 ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽん語教師日誌>再録・日本語教師日誌(19)Show & Tell南太平洋のアウ二マコ
1117 再録・日本語教師日誌(20)Show & Tell(2)グアダルーペのマリア
1119 再録・日本語教師日誌(21)今期の文化発表氷河とくす玉
1121 再録・日本語教師日誌(22)今期の文化発表ソロバンと料理とギター
1123 再録・日本語教師日誌(23)教員研修生日本語で研究発表する
1124 再録・日本語教師日誌(24)教員研修生日本語で研究発表するその2お菓子で化学
1126 再録・日本語教師日誌(25)反比例の箱
1128 再録・日本語教師日誌(26)数学教師ジョーの発表
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ぽかぽか春庭「数学教師ジョーの発表・数学教授法」

2019-11-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191126
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(32)数学教師ジョーの発表

 春庭コラムから、日本語教師日誌を再録しています。
~~~~~~~~~~~

2007/02/24 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(7)ジョーの数学教授法

 2007年2月9日のジョーの研究発表。
 ジョーの「研究の目的」を引用します。
====================
 「数学は学校教育における主要な教科の1つである。さまざまな学問分野における多くの問題解決に数学の概念をしようすることができることから、数学を学習することはたいせつであり、価値があると考えられます。したがって、数学の指導プログラムを改善することでより効果的に数学を教えることができると考えられる。」
====================

 おお、立派な日本語になっているじゃありませんか。
 ただし、数学の研究授業報告部分では、ジョーはいくつかの誤記誤変換を見のがし、そのままプリントしてしまいました。
=====================
「本研究では、中学校一年生に対して次の問題をもいて授業を実践していただいた。
(注:「次の問題をもちいて授業を実践させていただいた」の誤りと思われます。)
(ジョーの例題)
[問題]2人の男性と2人の少年が皮の反対側に、できるだけ少ない回数で渡りたい。彼らは泳ぐことができませんが、カヌーが一台だけあります。全員カヌーをこぐことはできますが、カヌーは1人の男性化2人の少年しかのることができません。全員が反対側に移るには、川を何回渡ればよいでしょう。ただし、一方の岸から他方の岸へ移動するときに、一回数えます。(注:皮→川 カヌー一台→一艘 男性化→男性か)
==================== 
 ジョーは「G.Polyaの問題解決方法」という教授法を用いた授業を実践し、生徒の反応をアンケートによって分析しました。

 ジョーの研究結果によると
==================
「G.Polyaの問題解決の方法を取り入れた授業を受けた生徒の多くは、問題解決の過程に沿って、問題を理解し、計画を立て、計画を実行し、解決策を振り返ることが数学の問題解決に役立つと述べた 」
==================
 
 ジョーは、日本語でけんめいに発表をし、質疑応答もこなしていました。
 質問は同じ教員研修生による「仕込み」でしたが、「カヌーで、岸を渡る問題の答えを教えてください。カヌーの行き来は何回なんですか」というもの。
 ジョーは自信たっぷりに「9回です」と答えました。

 解答 1回目 少年2人a bが向こう岸へ。2回目少年aがこちら側へ戻る。3回目男性Aが向こう岸へ。4回目少年bがこちら側へ戻る。5回目。少年a bが向こう岸へ 6回目少年aがこちら側へもどる。7回目男性Bが向こう岸へ。8回目少年bがこちら側へもどる。9回目少年a bが向こう岸へ。

 ジョーは結論の「提言」として
===============
 日本の学校において実施された学習指導は、我が諸島の学校でも適用することができると考えられ、その際、問題解決のための表現を用いたり、ヒントカードを工夫したりすることをより強調するべきである。
===============
と、結んでいます。

 南の島に帰ったのち、ジョーはきっと日本での数学授業研究の成果を生かして、立派な数学教師として生徒たちの指導にあたっていくことと思います。
 いつか、島のこどもたちに数学を指導するジョーの授業を参観してみたいなあ

 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「教員研修生の研究発表反比例の箱積分の箱」

2019-11-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191124
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(32)反比例の箱

 春庭コラムから、日本語教師日誌を再録しています。
~~~~~~~~~~~

2007/02/22 木
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(5)反比例の箱

 休憩をはさんで、パキスタンのフミの数学教授法の研究発表。
 フミさんは、日本で開発されたさまざまな教具を調べ、分析していました。

 日本語で書かれたフミの数学教育研究報告書は、次のような書き出し。
====================

 「 数学は教育の重要な内容の一つで、すべての科学の基礎として万人賞賛されてきた。それによって数学は、重要な教科となった。生徒は数学を学ぶことに寄って世界を理科史成長して幾多のに方法を見につけることができるこれらの方法としては、推論、問題解決力、および思考力がある。数学は化学や技術に応用されている。私たちはそれによって自然科学について探求することができ、私たちの環境をコントロールし、そして社会の期待および生活水準の変化を促す技術を開発することができる。」
=====================

 フミが紹介した教具の例。箱の中を二つの可動式板で区切ることのできる透明なプラスチック箱、二つに区切られた一方に粉を入れます。真ん中の区切り板を移動していくと、中に入っている粉の体積と高さが変化します。

 区切られた板を何センチ移動すると、粉の高さは何センチ変化するか?この教具をつかって、生徒に予想をたてさせたあと、実際に計量する。
 図表を作ってみると、区切り板と粉の高さは、連動して変化していることがわかってくる。結果、反比例の関係であることがわかる。

 ただ、数の羅列や、図表で納得させるより、自分で区切り板を移動させて計測することにより、反比例ということが、どういう現象なのかということを実体験として感じることができる。
 実際の生活のなかで、反比例関係がどのように現れるのかを、自分の目と身体で知ることができる。

 このプラスチック箱の実験をするには、計測の時間が必要になり、時間がかかる。先生が教科書の数値をみながら説明したほうが手っ取り早い。しかし、ただ数を並べて、反比例の式や計算方法を暗記し練習するよりも、はるかにものの考え方が身につくように思えました。

 フミが実施した実験授業案と生徒アンケートや研究授業参加者の反応を分析したところによると、「生徒たちに論理的な思考を的確に促すことができた」と、報告されていました。

 数学教具は、ひとつの教具を様々な内容の学習に活用できるものが望ましいのだとフミは説明しています。
 反比例の授業に使用した透明プラスチックの箱を立方体の体積概念、一次方程式などの授業でも使うことができるのだという。

<つづく>
2007/02/23 金
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(6)積分の箱

 私が子供のころ、教室にあった数学用教具といえば、大きな先生用のコンパスや三角定規、大きなそろばん、くらいしか覚えていません。
 個人用には、おはじきなどがはいった「算数セット」を購入しました。算数セットは、今でも小学校では購入が続いているのだろうと思います。

 しかし、中学校や高校では、教具の工夫など記憶がない。ひたすら教科書と数字で計算練習をやらされたような気がします。
 なぜマイナスとマイナスをかけると+になるのかもわからないまま、計算だけしていました。
 中学国語教師になって、数学の先生から水道方式の教授法をきいてようやく「なぜプラスになるのか」がわかった。

 私は中学で数学が苦手になってきて、高校では微分積分あたりからわからなくなりました。
 完全文科系の頭なのに、数Ⅰ、数Ⅱはおろか数Ⅲまでやらなければならず、数Ⅲなんか、教師の説明を宇宙語のように聞いていました。

 私が何年か前にきいた微積分の面白い授業。
 生徒に長方形の折り紙を一枚わたす。
 生徒は税として米を納めなければならない国民です。先生は税を受け取る王様の役。

 この紙の四辺をおり畳んで、箱をつくる。縦横何センチの箱でもよいが、出来あがった箱にすりきりで入るだけ、砂金を与えると、王様が約束した。

 ただし、いちばんたくさん入る箱を作り上げたひとりだけに砂金をあげる。それよりも小さい箱になってしまったら、その箱に入るだけの米を王様に献上しなければならない。
 さて、容量がいちばん大きくなるように、長方形を折り畳んで箱にするには、いったいふちの高さを何センチにすればよいのか。

 金をもらえるのか、米を献上するのか、えらい違いになる。
 積分の考え方で縦横の長さ、ふちの高さを決められるのだそうだ。
 紙を折り曲げてそれぞれが苦心してから、先生から「この紙一枚を使って、最大の体積を得られる計算方法」を聞き出せれば、興味津々で聞けたかも。

 こんな授業なら、微積分の学習にも身が入ったのに、私はさっぱり興味をもてない教え方をされたから(と、自分の数学的頭脳のなさを、工夫のない先生のせいにする)未だに微積分ってなんのことやらわかっちゃいない。数学への適応度ゼロです。

 ジョーは、南島のゆったりした生活からめまぐるしい日本の生活になって、なかなか適応できなかった。ホームシックになり、日本語授業でつまづき、クラスメートの進度についていけませんでした。

 日本語が上達しないジョーを、「あんなにできない留学生、初めて受け持った」と、あからさまに言う先生もいました。
 ジョーは頭の悪い人ではありません。島では数少ない高学歴者であり、近隣をたばねる役目も兼ねてきた指導力のある人です。日本語でつまづいたからと言って、「できない」などとレッテルを貼るべきではないと思いました。

 私がしたことは、日本語の補講ではなく、数学をジョーに説明してもらうことでした。
 私は数学が苦手。数学教師の話すことばが宇宙語にきこえ、何も理解できない教室にいる苦しさを、私は知っています。

 ジョーは数学ができる。数学ができる人を私は「尊敬すべき人」と思う。ときどき数学の式などを黒板に書いて、ジョーに解いてもらいました。
 日本語の説明がたどたどしくても、数学を並べていけば、解が出る問題。ジョーの得意の分野です。

 自分の得意なことを人に教えることは、きっと心によい影響をもたらすと信じました。「他の人より日本語ができない」と、萎縮している気持ちをほどき、昼休みにいっしょに学ぶ一題の数学の式が、ジョーの気持ちにゆとりと自信を与えると思いました。
 そして、たどたどしくても「日本語で説明しよう」と思う気持ちが、日本語学習に向ってくれればバンバンザイです。

 文化発表の授業で、島の伝統楽器アウニマコを演奏し、日本語で説明したジョーの顔は、ふるさとの文化への誇りで輝いていました。
 同じ島から日本へきた人と知り合えたこともあって、ジョーはなんとか「もう島へ帰りたい」という状況を脱して、最後まで日本での「教員研修プログラム」をこなすことができました。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「教員研修生日本語で研究発表するその2お菓子で化学」

2019-11-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191123
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(30)教員研修生日本語で研究発表するその2お菓子で化学」

 春庭コラムから日本語教師日誌を再録しています。
~~~~~~~~~~~~~

2007/02/21 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(4)楽しい英語

 発表二番手は、タイのハイスクールで英語を教えてきたナーン。
 ナーンは、日本の中学校英語教育について分析をしたレポートを発表しました。

 ナーンのアンケート分析によると、日本の中学生は、なんらかの形で、学校の授業のほか、英語塾、会話教室など英語を学んでいる割合が高い。また、中学校に入学前に英語学習を始めていた生徒は54%、中学校で初めて英語にふれた生徒は48%、と報告している。
 実情として、中学生の半数以上が小学校時代に何らかの形で英語に触れてから中学英語授業を受け始めているのだという。

 日本の英語授業は、アクティビティ(教室活動)が工夫され、適切な教授法が計画されているが、英語に関して、ほとんどの生徒は外国人と会話したいと望んでいるのに、その機会はあまりない。
 英語が将来必要になるだろうと予測している中学生は88%もいるのに、一方12%は将来英語に関わる仕事をしたくない、と思っている。

 ナーンの結論部分の日本語を一部引用します。
=====================
 「 日本の中学校英語授業では、英語と日本語の両方が使われていた。しかし、教師はできるだけ英語を使用するのが望ましいと思われた。
 また、生徒たちはクラス全体のディスカッションに参加していない姿が見られたが、これも、今日した楽しく面白い教室活動を準備することで解決できるのではないかと思われた。」
====================

 質疑応答では、タイの英語教育との比較などが出されました。
 ナーンは「タイでは、小学校から英語教育がはじまるので、中学校では英語の基礎ができあがった状態で学習をはじめます。
 したがって、日本の中学生とタイの中学生を同レベルで比較することはできませんが、今後、日本の小学校で英語教育を始めたあと、日本の中学校での英語教育がどのように行われていくのか、研究を深めていきたい。」
と、希望を述べていました。

 韓国の英語教師ヒョソンさんの報告では、韓国は1997年に小学校3年生(8歳)から英語教育を始めており、まもなく、小学校1年生からの英語教育が導入されことになっているそうです。

 小学校英語教育を受けた世代とそうでない世代を比べると、同じ英語テストをおこなったときに、800点満点で45~50点の差がでて、小学校から英語教育を受けた世代のほうが成績がよかった。
 単純に点数だけで英語教育の成果ははかれないが、早く英語をはじめたほうが、圧倒的に有利との考えをヒョソンさんは持っています。

 ただし、韓国では、ネイティブの教師が正式な小学校教師として英語を担当していることにより、効果がある程度だせたのだ、という話をききました。

 日本の英語教育は、韓国とは事情が異なりますが、小学校から英語教育を導入することに、タイのナーンも韓国のヒョソンさんも賛成で、できれば小学校1年生から英語のことばあそびや歌などをいれて、「楽しい英語」を教えるべきと考えていました。

 私は、中学校や高校の「英語を話すことも英語で論文を書くことも自在にはできない先生が教科書を教えることもあり、たまにネイティブのALT(英語指導助手)が会話を受け持つという現行のカリキュラム」のまま授業を続け、なおかつ「受験英語で勝ち残らなければ、評価されないという現状」のままにしておいて、小学校英語教育を拙速で導入することに反対する意見を述べたことがあります。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200612A

 「母語と異なる言語を楽しむ」という喜びを子供たちに与えられない授業をするなら、英語ぎらいの子供をふやす結果になるだけで、塾で英語学習をしていける層とそうでない層の格差を生むだけだろうと思います。

 ナーンさんの発表をきいて、せっかく小学校英語教育導入するなら、やはりしっかりした児童英語指導者の養成と、中学高校を含めた9年間12年間の全体を見通したカリキュラムをきちんとたてないと、結局母語も英語もダメという中途半端な言語能力しか持てない子供に育ってしまう、という感を強くしました。

<つづく>

2007/02/20 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(3)風船で分子構造、お菓子で化学

 クリスは分子モデルを細長いゴム風船、丸い風船をつかって、示し、赤い色の風船は油分子、水色は水の分子など、目で分子がどのようにくっついたり離れたりするのか、わかりやすく示していました。

 その上で、日常生活で毎日行う「シャンプーで髪を洗う」「石鹸でくつ下を洗う」などが、どのような化学反応によっているのか、生徒に理解させる授業案を示し、生徒が授業を理解できたか、興味をもてたか、などのアンケート結果を分析していました。

 日本でも、「化学記号を覚えるのもたいへん」「化学式の計算方法が面倒だから、大学入試に化学がある学部はさける」など、化学嫌いが増えているようです。

 クリスが身近な事例から化学の実験を行った授業はとても興味深いものでした。
 「日本と同じ化学の単元のあるインでネシアでも、実際に授業を行って検証していきたい」と、レポートをまとめていました。

 風船を使って分子構造を視覚的に理解させていくクリスの授業報告を聞いて、私の娘が単位制高校で受けた化学の授業を思い出しました。
 娘は高校で、「生涯教育開講科目」になっていた「お菓子と化学」という授業を履修しました。

 定年をあと1年後にひかえた化学の先生が、「教員生活の最後に、自分の思いどおりの楽しい化学授業を行ってみたい」という決意で、趣味のお菓子づくりを生かした「日常生活に密着した化学教育」をすることになりました。

 都の「生涯教育」として「お菓子づくりをしながら、日常生活に関わる化学を学ぶ」というカリキュラムを組み、応募した都民が参加します。同時に、在籍している現役高校生もこの授業を履修すれば化学の単位がもらえるのです。

 小学校のころからお菓子づくりが大好きだった娘は、「理科は生物と地学だけ履修すれば、卒業単位は足りるから、化学はパスのつもりだったけれど、お菓子づくりならがんばれるかも」と、科目登録しました。

 100分授業の前半はみなで楽しくお菓子を作ります。砂糖を混ぜるのも、粉がふくらむのも、化学が応用されています。粉や卵やバターの化学反応を引き出すのがお菓子づくりなのです。

 たとえば、重曹の正式名は炭酸水素ナトリウム。酸性物質(ヨーグルトやレモンなどのすっぱい材料)といっしょにすると、化学反応を起こして炭酸ガスを発生し、お菓子がふくらみます。

 また、ベーキングパウダーは、でんぷんのなかに数種類の化学膨張材が混ぜ込まれています。水分を加えると室温で反応し、炭酸ガスを発生します。パン生地がオーブンの中で加熱されるともう一度炭酸ガスを発生し、生地の膨らみを助けます。

 授業後半は、お菓子やパンを作る過程で見た化学反応を化学式で確認したり、計算したり。日常生活のなかにたくさんの化学反応があることを学びました。

 娘はついに元素記号を全部は覚えませんでしたし、化学ペーパーテストの成績はまあまあという程度でしたが、お菓子づくりの手際は抜群だし、熱心に受講したので、化学の成績は5段階評価で「5」でした。
 「化学なんて不得意に決まっている」と毛嫌いしていた娘ですから、うれしい誤算でした。また成績以上に嬉しかったのは、毎週娘が作ったケーキやクッキーの「おみやげ」を食べられたこと。おいしかったです。

 小学校や中学校の科学教育でも「まず興味をもたせる」「日常生活はさまざまな化学や物理を応用してなりたっている」ということから始めれば、楽しく科学教育が行えるだろうと思います。

 クリスはインドネシアに帰って、きっとよい科学指導者になれることでしょう。

<つづく>


2007/02/21 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(4)楽しい英語

 発表二番手は、タイのハイスクールで英語を教えてきたナーン。
 ナーンは、日本の中学校英語教育について分析をしたレポートを発表しました。

 ナーンのアンケート分析によると、日本の中学生は、なんらかの形で、学校の授業のほか、英語塾、会話教室など英語を学んでいる割合が高い。また、中学校に入学前に英語学習を始めていた生徒は54%、中学校で初めて英語にふれた生徒は48%、と報告している。
 実情として、中学生の半数以上が小学校時代に何らかの形で英語に触れてから中学英語授業を受け始めているのだという。

 日本の英語授業は、アクティビティ(教室活動)が工夫され、適切な教授法が計画されているが、英語に関して、ほとんどの生徒は外国人と会話したいと望んでいるのに、その機会はあまりない。
 英語が将来必要になるだろうと予測している中学生は88%もいるのに、一方12%は将来英語に関わる仕事をしたくない、と思っている。

 ナーンの結論部分の日本語を一部引用します。
=====================
 「 日本の中学校英語授業では、英語と日本語の両方が使われていた。しかし、教師はできるだけ英語を使用するのが望ましいと思われた。
 また、生徒たちはクラス全体のディスカッションに参加していない姿が見られたが、これも、今日した楽しく面白い教室活動を準備することで解決できるのではないかと思われた。」
====================

 質疑応答では、タイの英語教育との比較などが出されました。
 ナーンは「タイでは、小学校から英語教育がはじまるので、中学校では英語の基礎ができあがった状態で学習をはじめます。
 したがって、日本の中学生とタイの中学生を同レベルで比較することはできませんが、今後、日本の小学校で英語教育を始めたあと、日本の中学校での英語教育がどのように行われていくのか、研究を深めていきたい。」
と、希望を述べていました。

 韓国の英語教師ヒョソンさんの報告では、韓国は1997年に小学校3年生(8歳)から英語教育を始めており、まもなく、小学校1年生からの英語教育が導入されことになっているそうです。

 小学校英語教育を受けた世代とそうでない世代を比べると、同じ英語テストをおこなったときに、800点満点で45~50点の差がでて、小学校から英語教育を受けた世代のほうが成績がよかった。
 単純に点数だけで英語教育の成果ははかれないが、早く英語をはじめたほうが、圧倒的に有利との考えをヒョソンさんは持っています。

 ただし、韓国では、ネイティブの教師が正式な小学校教師として英語を担当していることにより、効果がある程度だせたのだ、という話をききました。

 日本の英語教育は、韓国とは事情が異なりますが、小学校から英語教育を導入することに、タイのナーンも韓国のヒョソンさんも賛成で、できれば小学校1年生から英語のことばあそびや歌などをいれて、「楽しい英語」を教えるべきと考えていました。

 私は、中学校や高校の「英語を話すことも英語で論文を書くことも自在にはできない先生が教科書を教えることもあり、たまにネイティブのALT(英語指導助手)が会話を受け持つという現行のカリキュラム」のまま授業を続け、なおかつ「受験英語で勝ち残らなければ、評価されないという現状」のままにしておいて、小学校英語教育を拙速で導入することに反対する意見を述べたことがあります。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200612A

 「母語と異なる言語を楽しむ」という喜びを子供たちに与えられない授業をするなら、英語ぎらいの子供をふやす結果になるだけで、塾で英語学習をしていける層とそうでない層の格差を生むだけだろうと思います。

 ナーンさんの発表をきいて、せっかく小学校英語教育導入するなら、やはりしっかりした児童英語指導者の養成と、中学高校を含めた9年間12年間の全体を見通したカリキュラムをきちんとたてないと、結局母語も英語もダメという中途半端な言語能力しか持てない子供に育ってしまう、という感を強くしました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「教員研修生日本語で研究発表する」

2019-11-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191121
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(28)教員研修生日本語で研究発表する

 春庭の日本語教室だよりを再録しています。
~~~~~~~~~~

2007/02/18 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生研究発表会(1)教員研修生の研究

 現在日本語研修コースに在籍している13人のうち、6名は理系大学院へ進学、7名は教員研修コースへの進学予定者です。
 2月9日金曜日、3月に研修を終える留学生の研究レポート最終発表会があり、今教えている7名の教員研修コース留学生を発表会場の会議室へ連れて行きました。
 1年後、2008年の2月には、今、必死に初級日本語を学習している留学生たちが研究発表を行う番です。

 博士課程へ進学する残りの6人は、残って文法の授業。
 H先生の文法授業をパスできた教員研修生たち、「ラッキ~」って顔しています。

 発表の日本語は難しい専門用語もあるので、初級日本語コースの学生には、聞き取りが無理なことはわかっていますが、発表の形式や雰囲気を知るだけでも効果があります。
 発表のイメージを今から持たせ、モチベーションを与えるために、先輩の発表をきかせることにしているのです。

 発表するのは、去年私が初級日本語を受け持った学生たち。
 2005年10月から2006年2月まで初級日本語を学び、2006年4月から1年間、教育学部で中級上級の日本語を学びつつ、教育学の研究を続けてきました。
 教育研究、教授法指導法の研究の成果をまとめた留学生が、日本語で発表するのです。

 2005年10月、彼らは「こんにちは」「ありがとう」を知っているくらいで来日しました。私は彼らの日本語授業を5ヶ月間担当し、「あいうえお」「はじめまして」から教えはじめ、初級日本語の文法や会話、漢字などを教えました。
 初級日本語学習を終えたあとは、教育学部大学院の日本語研修と、美術教育専攻、数学教育専攻、科学教育繊巧などの専門分野指導教官におまかせすることになります。

 「わたしはジョーです。どうぞよろしく」さえも、たどたどしく、口がまわらなかった留学生が、堂々と日本語で自分の研究成果を発表する、晴れの日です。
 発表する留学生もドキドキですけれど、わたしも「この1年間で、どれだけ日本語が上達しているでしょうか」と、ドキドキしながら発表をききました。

 9日の発表を行ったのは、南の島の族長兼ハイスクール数学教師のジョー、タイの英語教師ナーン、パキスタンのパンジャブ地方出身のフミ、インドネシアのクリス。
 カフェ日記2006年3月16日~20日と、本宅HP『話しことばの通い路』の「留学生文化交流発表会」に彼らの紹介を書きました。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200603A

http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nippongoai0608a.htm

 ホームシックにかかって元気をなくしたジョーが紹介した南島の竹の打楽器アウニマコ、フミが紹介したパンジャブの絞り染め、クリスが紹介したジャワ島の影絵ワヤン。ナーンが紹介したタイ古典舞踊の衣装、去年の文化発表会、楽しかった時間がよみがえります。
 みんな日本語はまだまだヘタでしたが、とても楽しく互いの文化を紹介しあいました。

 あれから1年、今日は、「研究成果の発表」です。日本語での質疑応答もあります。ジョーの顔は緊張ではちきれそうです。
 始まる前に、「がんばってね」と、ジョーに声をかけました。「あ、センセー」と、ジョーはにこにこしました。

<つづく>

2007/02/19 月
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(2)日常経験と化学

 今うけもっている初級日本語コース在籍の教員研修生たちは、先輩の発表をきいたあと、「先生、私は、もう明日、荷物をもって帰国します」と、言い出しました。
 「1年間で、とてもあんなにじょうずに発表できないと思います。あきらめて、今、帰国したほうがいいかも」

 逃げ帰るなんてとんでもない。今年じょうずに発表した研修生たちも1年前、「あいうえお」から初めて、専門的な発表ができるまでになったのです。
 発表原稿は、日本語の先生や専門教育の指導教官たちがアドバイスをし、日本人学生がチューターとして留学生にひとりずつ付き添って手助けし、アシスト完璧の状態で発表に至ったのですから、いま心配している初級の学生たちも、大丈夫。

 各国から選ばれて日本に研究にやってきた優秀な教員たちですから、努力を続ければ大きな力を発揮できるのです。
 「だいじょうぶ、あなた達も、来年は立派な発表ができますから、心配しないで」

 今回発表した教員研修生たちに引用の許可を得たので、1年半でこのような研究を発表できるようになる、という例として、日本語での発表レポートの一部を紹介しましょう。

 発表トップバッターはインドネシアのクリス。パソコンのパワーポイントを駆使し、化学の実験風景や手作りの化学教材を聴衆に見せながらの日本語説明です。

 「化学実験の授業を通して、日常生活の中で実際にみることのできる化学反応を生徒が理解し、興味をもてるようにする」というのが、授業案に示されている「授業の目的」です。

 1年半前は、私に「ほら、この『しんふんをよみます』とかいてあるところ、点々わすれてますよ。『しんぶん』ですよね」なんて、注意を受けていた留学生が、化学教育についての研究を堂々と発表しています。

 「問題と背景」に書かれているクリスの日本語を、引用します。
=======================
「 化学は日常生活の中にあふれている。残念ながら、ほとんどの化学の授業では、実用的な内容は重要視しされていない。インドネシアや日本のような国では、学生は基本的な概念を理解せずに、答えを導くための経験方法を学習するような状況に置かれている。化学は、知識として覚えるというよりは、実用的であるべきものである。」
======================
 立派な日本語です。

 クリスは、洗剤と水の化学反応の親水性・疎水性、油分子と石鹸分子の混和性などの理解を、教える授業実践をしました。
 実験授業を通して、生徒が自ら興味を持って取り組める授業案をしめし、日本の高校で実際に授業を実施したあとのアンケート分析を発表していました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「今期の文化発表ソロバンと料理とギター」

2019-11-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191116
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(20)今期の文化発表ソロバンと料理とギター

 春庭の日本語教室だよりを続けています。
~~~~~~~~~

2006/07/23 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>前期もめでたくこれにておひらき(1)今期の文化発表ソロバンと料理とギター

 日本語教師の「役得」として、私が毎期楽しみにしている授業、会話クラスでの「自国の文化発表」があります。
 毎回、学生たちは、はりきって自分たちの文化をクラスメートに紹介します。観客はクラスメートのほかは、担当教師の私だけなので、日本語をまちがえても平気、ときには英語まじりで、楽しく発表をしています。

 今期の「10人のうち6人がスペイン語母語話者」という陽気なクラスでも、にぎやかに文化発表会を行いました。
 前週に、私が「そろばんでの計算方法」と「百人一首」を紹介しておきました。それをお手本にして、「説明する」というパフォーマンスを行うのです。

 私の見本の次に、パキスタンのシャーさん、「わたしは、今日説明します」と、手をあげました。
 ちょうどこの日、パキスタンの民族衣装をきて登校していたので「パキスタンの男性の伝統衣裳について」という発表をしたい、というのです。

 パキスタンの民族衣装はシャルワールカミーズという、ひざ丈のワンピースのような上着とズボン。男性用は無地。女性用は花柄などもあります。
 男性用上着の丈が短いとき、ズボンの裾が広い、ズボンの裾が細いほど、上着の丈が長くなる。

 新婚4ヶ月目のシャーさん、婚結婚式のときは、上着の前部分に花の刺繍を縫い込んだものを着る、などの説明を、しました。
 一生懸命説明したのですが、日本語でことばにつまると、英語で説明をはじめ、それを私が日本語にしたあと、リピートする、というやり方になってしまいました。

 やはり、準備なしにいきなりでは、日本語での説明はむずかしいということになりました。それぞれ準備をして、次週発表しましょう、と宿題にしました。

 文化発表の話を「日本語教員養成クラス」でしたところ、日本人女子学生が「ぜひ、見学させてください」と申し込んできました。発表の当日の授業が休講になっているので、時間があるというのです。
 「日本の文化のなかで、簡単で楽しいものをえらんで、あなた自身も発表すること」という条件で、見てもらうことにしました。

 文化発表会当日。
 はじめに、自己紹介。先生以外の日本人が教室に来たのは初めてなので、みな最初はちょっぴり緊張して、それぞれ自己紹介をしました。
 ホームビジットの前に何度も練習した日本語の自己紹介なので、じょうずに言えます。緊張もほぐれました。
 日本人学生サヤさんは日本語教師になりたいと、がんばっているところです。
 
 最初は女性3人がそれぞれの「お国料理」の作り方を発表しました。
 メモを見ながら、ときどき「センセー、手伝ってください」と、教師に助けを求めながらでしたが、インドネシアのリルは「ピサン・ゴレン(揚げバナナ)」、ペルーのアナは魚料理「セビチェ」を、イランのサラはペルシャ風デザートを紹介しました。

 料理の説明はたどたどしい部分もありましたが、授業が始まる前に、前もって黒板にレシピをに書き込んでいたので、材料や作り方がよくわかり、どれもおいしそうな料理と思えました。

 コスタリカのホセは、ギターが得意。13歳からクラシックギターの練習を始めたのだそうです。彼が披露した曲は、ブラジル人の作曲家の現代クラシック曲でした。
 すばらしい音色で、しばしクラシックギターコンサートに聴き惚れました。

<つづく>

2006/07/24 月
ニッポニアニッポン語教師日誌>前期もめでたくこれにておひらき(2)今期の文化発表、サルサのあゆみと牛追い祭り

 キューバのフリオは、「今日、みなさんに、サルサの歩みを教えます」と、説明を始めました。「サルサのあゆみ?サルサの伝統についての歴史的な紹介かしら」と、思ったら、「How to dance SALSA」をする、というのです。
 「あ、それなら、サルサのあゆみ、じゃなくて、サルサのステップを教える、と言うほうがいいですね」

 フリオが辞書で「step」を調べたら「歩み」という名詞がでていたので、これだ!と思って「Salsa step=サルサの歩み」と表現したのでしょう。私の手持ちの英和も、stepの一番最初の和訳は「歩み」です。

 日本語で「~の歩み」と表現したときとき、赤ちゃんとか馬とか、実際に一歩一歩歩く姿が問題になるような場合のほかは、「~の歩み」は「~の歴史」のニュアンスになることまでは、英和辞典にも西和辞書にも載っていません。

 文脈ごとの語の意味範囲まで的確に教えるには、もう少し学習がすすんで、初級を終え中級に進んでからにしたほうがいい、初級では「今の場合は、ステップがいいですよ」と言うにとどめておきます。

 フリオが自分で持ってきたスピーカーに、ICレコーダーを接続すると、サルサミュージックがかかりました。
 金曜日午後の国際教育棟、授業をしている教室は、私のクラスだけなので、どれほど大きな音を鳴らしても、他の教室から苦情が出ることもないのが、ありがたい。

 フリオが「いちにさん、ウノ・ドス・トレス」と、リズムをとってステップを踏むのをマネして、日本人女子学生のサヤさんも、イランのサリさんもステップを踏んでみました。

 もちろん私もノリノリで。でも、私のステップをみて、フリオは「あ、これはサルサではありません。メレンゲです。サルサとメレンゲは、ちがいます」と、教えてくれました。
 はい、覚えました。サルサとメレンゲは、べつのダンスです。

 スペインのファンは、「バスク地方の牛追い祭り」を紹介しました。彼自身はバスクの出身ではないのですが、私がバスク語とバスク文化に興味を持っていることを知って、発表テーマに選びました。

 「サン・フェルミン(San Fermin)の祭り」
 スペイン語で「パンプロナ(Pamplona)」、バスク語では「イルーニャ(Irun~a)」と呼ばれる町で行われます。
 人と牛がおいかけっこをする「エンシエロEncierro(牛追い)」が、7月の初旬に行われるのだそうです。

 ファンは、小さな町の街路を牛と人とが走りぬけるようすを説明してくれました。
 私が俳句の話をしたとき、ファンは即座に「あ、知っています」と、日本語で「なつくさや つわものどもが ゆめのあと」と、一句をクラスメートに披露しました。日本文化通のファンですが、日本語会話力はクラスで一番弱いのです。

 ファンの日本語説明の足りないところは、実演でカバーです。
 わたしが指を頭の上にたてて角にみたて、牛の役をして、ファンが牛に追いかけられて走る人の役をして、教室をふたりで走りまわりました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「今期の文化発表氷河とくす玉」

2019-11-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
201911014
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(21)今期の文化発表氷河とくす玉

 春庭の日本語教室だよりを続けています。
~~~~~~~~~
2006/07/25 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>前期もめでたくこれにておひらき(3)今期の文化発表、氷河とくす玉

 バスクは、スペインのピレネー山脈側、フランスに近い地方で、独得のバスク語を話します。バスク語は、インドヨーロッパ語族ではないので、ヨーロッパのどの国のどの地方の言語とも異なっており、言語系統がわからない言葉です。

 バスク地方出身者で、日本で一番有名な人は、フランシスコ・ザビエル。
 「ポルトガルから鉄砲とキリスト教がもたらされた」と、歴史の時間に教わったのみだったので、ポルトガル人だと思っていたザビエルがバスク人だと知ったときは、「へぇ、へぇ」と思ったものでした。

 ザビエルは、バスク地方のナバラ王国(バスク語ではナファロア王国)の総理大臣の息子でした。
 ザビエル(Xavier)は、バスク語とナバール語を話して育ったそうです。19歳でパリ大学へ進学。当時の学問修得での使用言語はラテン語でした。

 Xavierの、ポルトガル語での発音はシャヴィエル。現代スペイン語ではハビエル Javierに相当する名です。
 今期のクラスにもハビエル君がいます。アルゼンチン出身。

 ハビエルは、アルゼンチン・パタゴニア地方のペリトモレノ氷河を紹介しました。パソコン持参で、去年パタゴニア地方を旅行したときの写真をスライドショウにして見せました。
 ロスグレシャス国立公園(Los Glaciares National Park)の 真っ白な氷の大きな固まりをみて、雪や氷がめずらしいインドネシアのリルは、大感激。「氷の上を歩けますか」など、質問をしました。ならったばかりの可能形、ちゃんと会話に使えました。

 ハビエルの説明によると、氷河トレッキングツアーがあり、ガイドの案内で、クレバスをさけながら氷の上を歩いていけるそうです。

 氷河をかこむアルヘンティーノ湖を船ですすみ、氷河に近づいていくところ、氷河の大きさや厚さなどは、黒板に図を書いて、なかなか興味深い説明ができました。
 毎年、氷河の一部が崩落して湖に流れ落ちる。一日10cmから1mも氷河は移動しているのだそう。

 エルサルバドルのアリーが発表したトピックは「子供のパーティに欠かせないもの」
 何が欠かせないかというと、それは、キャンディがいっぱいつまったくす玉。名前は「ピニャタ」
 アリーは、手作りのくす玉を作って持ってきました。

 子どもたちがパーティをしている写真の紹介と説明のあと、ファンが手伝って、手作りくす玉を割りました。
 教室の床にキャンディが散らばりました。節分豆まきのあとのようです。学生たちは子供時代にかえったようすで、楽しそうにキャンディをひろいました。

 「キャンディをなめながら、あとの授業を受けていいよ」、ということにしました。普段は、「語学授業は口を動かして発音するのだから、食べ物を口に入れてはだめ。のどがからからになると困るから、飲み物は許可するけれど」と、釘をさしているのですが、今日は特別。

<つづく>
2006/07/26 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>前期もめでたくこれにておひらき(4)今期の文化発表、お手玉と折り紙かぶと

 サヤさんのお礼の「日本の文化発表」は、「お手玉」。
 学生たちは、キャンディを舐めながら、サヤさんの発表に見入ります。
 「日本の子供の伝統的な遊びです」というごく簡単な説明だけにして、あとは実演。

 わたしも、サヤさんもお手玉ふたつでしか遊べません。かわりにホセとファンがお手玉三つをつかったジャグリングをしてみせました。
 興味を持った学生からサヤさんに「お手玉はどこで買えますか」という質問がでました。またまた可能形での質問。日本人相手にちゃんと可能形が使えたので、日本語教師、教えがいがありました。

 サヤさんは、「これは、百円ショップで買いました」と、答えました。小さなお手玉が5個、きれいな紙製の箱に入って100円。
 「わあ、これで百円は安い、国へのいいおみやげになる」と、学生は買いたいようすです。
 この値段、百円ショップの仕入れ先を考えると、メイドインチャイナか、ベトナムか、という製品と思いますが、ま、そこは気にしない。「日本的なおみやげ」として、国元では喜ばれることでしょう。

 サヤさんの発表のつぎは、私の授業。
 「教科書の89ページをひらいてください」と言うと、学生達「ええっ、こんなに楽しくすごしたあとなのに、まだ、教科書の勉強をするの」と、不満そうな顔で教科書をだしました。

 88ページには「手順を説明する」という文例がのっています。料理の手順、ワープロの使い方の説明など。
 89ページは、「折り紙かぶとの作り方説明」です。

 教科書の勉強といっても、文法の復習やドリルではなく、「おりがみ」の実習だったので、みんな「ホッ」という顔で、私が配った四角い紙を手にしました。
 最初に小さい白い紙で手順を説明しました。「はじめに、三角に折ります。もう一度三角に折ります。つぎに、、、、」という手順を守って、みなじょうずに折れました。

 次に新聞を広げた大きさの広告チラシを真四角に切ったものを渡します。小さい紙で折った通りに繰り返し、自分の頭にちょうどいい大きさのカブトが出来上がり。

 ファンは、カブトをかぶって、すっかりサムライ気分。教室にある指事棒を竹刀のようにふりかぶって、チャンバラのマネをします。日本文化に強い興味を持つファン、きっとクロサワ映画か何かで、チャンバラシーンを見たのでしょう。

 最後にサヤさんを囲んで、それぞれカブトをかぶって写真をとりました。日本で買ったケータイで、はい、カシャリ。

<つづく>

2006/07/27 木
ニッポニアニッポン語教師日誌>前期もめでたくこれにておひらき(5)日本語教師教えられたり教えたり

 講師室にもどって、サヤさんとはなしました。

 「日本語教師の仕事、楽じゃありません。日本では、英語を教える教師になるほうが就職先をみつけやすいかも。収入だって、他の職業に比べて高いわけじゃないのに、勉強しなければならないことは、日本語学、日本語教育学のほか、他の語学も日本文化や歴史の勉強も、山ほどあります。

 でもね、とても楽しい仕事です。今日のように、学生と一体となって文化を紹介しあったり、お互いのことばのニュアンスのちがいを知って、世界がひろがったりします。
 収入は少なくても、それ以上にたくさんの心の豊かさを得られる仕事と思って、私は20年間つづけてきました」
 わたしはサヤさんに「日本語教師は楽しい仕事です」と、せいいっぱいアピールしました。

 サヤさんは、
「私は卒業したら、ぜったいに日本語教師になりたいです。
 大学を選ぶときも、日本語教員養成コースがある大学を選んで受験したんです」
と、たいへん意欲的でした。

 授業もまじめに熱心に受講しているサヤさん。きっとよい日本語教師になれるだろうと思います。がんばってね。

 いつも、学生発表から多くのことを学ばせてもらっています。留学生の作文や文化発表はもちろん、日本人学生からもいろんなことを知ることができました。

 日本語教員養成コースの学生には、今期「日本語トリビアの発表」を教室活動のひとつとして義務づけました。
 日本語への関心を深める目的と、教員志望者が教壇に立って、他の学生に向かって発表する機会を設けるためです。

 毎回「人前に出るのが苦手でしたが、何度か発表をしたあと、わりあいに楽に人前で話せるようになってきました」という感想がでてきます。

 日本語トリビアに関しては、私が知らないこと、「ヘェッ」と感じたことを発表した学生が「高ポイント」を獲得できます。また、他の学生が授業コメントに「知らなかった」「はじめて知った」などの感想を書き込んであると高ポイント。

 「今日の発表で聞いた話は、前から知っていたので、へぇと思わなかった」となると、へぇポイントが下がります。
 今期も、わたしが知らなかったことを発表してくれた学生が、何人かいました。

 ひとりは、「語源探索」の発表で「ビビる」の語源について。
 なんとなく「おそれおののくようす」の擬態語からきているのではないか、と、感じていましたが、語源は知りませんでした。
<つづく>
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ぽかぽか春庭「グアダルーペのマリア」

2019-11-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191110
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(26)日本語能力試験1級合格メール

 春庭の日本語教室だよりを再録しています。
~~~~~~~~~~

2007/02/16 金
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生による文化発表Show & Tell(2)グアダルーペのマリア

 毎期の最後に、それまでに習った日本語の仕上げとして、スピーチ発表をしてきた春庭の初級日本語のクラス。みな一生懸命、自国の文化を発表してきました。

 ベトナムのタウさん、メキシコのアニーさんは、ノートパソコンを駆使して自国の風景や名物を紹介しました。

 タウの紹介したメコン川で暮らす水上民族の話はよくわかりました。川のボートで一生をすごし、食事もトイレもすべての生活が水上という人々の暮らし。
 「ボートで荷物を運ぶ仕事をしたり、ボートに果物や野菜を積んで売ります」タウの日本語説明にうなずく留学生たち。

 「子供たちの学校は?」というクラスメートから出た質問に、タウは「学校の近くまでボートで送っていって、子供はボートを下りて学校へいきます」と、答えていました。

 アニーは、クラスで一番日本語が弱い。楽しそうにクラスになじんで漢字学習もいやがらずに取り組んでいるのだけれど、なかなか日本語が身につきません。
 アニーは発表のことばをメモしてきて、いっしょうけんめい説明しました。しかし、アニーがメキシコのマリア信仰について話すことば、私にもよくわからない部分がありました。

 ひととおり日本語で話した後、学生たち、アニーの日本語説明を理解しようとするのをあきらめて、英語でもう一度教えて欲しいと頼みました。
 教室共通語の英語に切り替えて説明。

 キリスト教カソリックには、ローマカソリック本山バチカンの法王から「真のマリア出現」と認定をうけている存在があり、「世界三大聖母マリア」として、熱心な信仰を集めています。

 ひとつは、1917年5月13日にポルトガルのファティマに出現したマリア、もうひとつは、1858年2月22日にフランスのルルドに出現した聖母マリア。ルルドのマリアは、私も聞いたことがあります。

 三大聖母のなかで、新大陸に出現した聖母がいちばん古く、1531年12月9日、メキシコに聖母マリアが姿を現しました。
 マリアはインディオ男性の前に姿を見せ、「私をグアダルーペのマリアとよび、教会を建てなさい」と告げました。

 ローマ法王はこのマリア出現を奇蹟と正式に認め、12月12日をグアダルーペのマリア祝日としました。
 メキシコ人は、今もなおこのグアダルーペのマリアを民族の象徴として深く敬愛し、メキシコ人統一の精神的シンボルにしています。
 毎年12月12日のマリア祝日には、大勢の人が集まって、信仰のあかしをたてます。

 「ああ、そういうことだったのか!」
 皆、パソコンに表示された宗教画やマリア像の意味がわかって、納得。
 アニーのつかう日本語がなぜわかりにくかったのか。それは。

<つづく>

2007/02/17 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生による文化発表Show & Tell(3)サクラメントは秘蹟

(文化発表のつづき)
 なぜ、アニーの日本語はわからなかったのか。
 彼は母語のスペイン語で説明を考え、ひとつひとつの単語を辞書でひいて日本語に翻訳しました。
 初級の日本語学習者には難しい単語を並べたので、日本語らしきことばで説明しているようなのに、クラスメートにはその単語の意味が正確に伝わりません。
 辞書をひいて調べたはずの本人も、その単語の正確な発音はできず、私にも意味がわからなかったのです。

 たとえば「メキシコはひーせき、じゅようです」と、アニー流の発音で説明されても、私にも何が言いたいのかわかりませんでした。
 「え?ヒーセキ、ジュヨウ?宝石の需要があるのですか?メキシコ人は宝石が好きなの?」なんて、話がとんちんかんになってしまった。

 「秘蹟sacrament」というまだ習ったことのない単語を出して「メキシコ人にとって秘蹟は重要です」と、言いたかったのです。

 初級の日本語表現にとって、無理矢理単語を翻訳するよりは、今知っているやさしい日本語の単語と文型を組み合わせて、どれだけ自分の考え思いを表現できるか、そのアレンジ力が重要となります。

 初級クラスで今までに習った文型だけで「メキシコ人はキリスト教を信じています。特に、マリア様が大切です。毎年12月12日はマリア様の祝日です」と表現すれば、十分に他のクラスメートにも理解できる日本語になるのに、やたら難しい宗教説明になってしまったのでした。

 母語や英語では研究の専門的なことも、高度な宗教談義も表現できるのに、日本語となると「小学生のような表現」になってしまうことが、彼らにはもどかしいのです。それでつい、難しい単語を使ってしまう。

 難しい単語や専門用語は、あと1年するとたっぷり使うチャンスがあります。
 クラスの半数の「教員研修生」は、1年後に教育研究の成果を日本語で論文にまとめて発表することになっているのです。

 う~ん、アニーさん、母語のスペイン語はもちろんのこと英語も上手ですけれど、もっと日本語学習がんばりましょうね。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「Show & Tell南太平洋のアウ二マコ」

2019-11-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191104
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(19)Show & Tell南太平洋のアウ二マコ

 春庭の日本語教室だよりを再録しています。
~~~~~~~~~

2006/03/19  日
ニッポニアニッポン語教師日誌>文化を知らせ合うShow & Tell(3)バンジャブの絞り染め

 初級クラスの音声表現発表は、学生自身が「日本語で発表しよう」という意欲をもって、発表のために自分から積極的に辞書をひいて単語をしらべたり、発音の練習をする自発性が大事。
 「完全な日本語で、まちがいなく発表しよう」として緊張するよりは、ときどき英語まじり、クラスメートが和気藹々に日本語を口にしてみるという機会なのです。

 今期の初級日本語クラスの学生達、初級文法を超特急でならったものの、まだまだ日本語会話は一人前とはいえません。
 しかし、自国では中学高校の先生をしている人たちですから、立派に発表ができました。

 パキスタンのフミは、頭にまいていたスカーフをはずし、「これは、私のふるさとのスカーフです。バンジャブの布です」と、絞り染めの過程について説明しました。

 「はじめに、ビーズをひとつ布の上におきます」「次に、ビーズを包みます。We wrap it. そして tie,? bind? します?」
 教師の助太刀。「tie and bind、日本語は、しばります、結びます。でも、今は「くくります」がいいですね。ビーズをくるみ、糸でくくります」

 「イトで、くくります」と、フミは説明を続けます。
 教卓に、調べてきた単語ノートを置いてありますが、ノートを見るより、教師に頼ってしまう。ま、いいか。

 「ビーズ、もうひとつ。もうひとつ。たくさん。たくさんビーズをつかいます。次に、dye。せんせー、ダイ?忘れました」
 「dictionary form 染める。masu form染めます」「OK! つぎに、そめます」

 フミの説明を要約すると、「染色液の中に布を入れると、糸でくくったところは染まらず、白い輪が残ります。最後に布を洗ってかわかすと、スカーフにビーズの大きさに合わせた大きな輪、小さな輪を組み合わせたきれいな模様が出来上がります」。

 バンジャブ地方の女の人のスカーフの巻き方と、イスラマバードやカラチでの巻き方はそれぞれ違うと言って、いろんな巻き方を見せてくれました。

 南太平洋の島からきたジョー。島では数学の先生です。
近隣の住民を束ねる族長の責任も果たして、島では重要人物として暮らしてきました。妻子を島に残して単身での留学です。

 島から離れたことがなく、一人暮らしもはじめてのことだったので、最初はホームシックにかかってたいへんでした。
 ゆったりした島の暮らしから、目がまわるような日本の生活にスムースに移行できずに、すっかり自信をなくして、落ち込む一方でした。

 島では高学歴者、有能な教師として尊敬されていたのに、日本語ではカタコトの日本語すら話せず、授業についていけない落ちこぼれになってしまったのですから、たいへんなショックだったと思います。

<つづく>

2006/03/20  月
ニッポニアニッポン語教師日誌>Show & Tell(4)南太平洋の楽器アウニマコ演奏

 語学の習得には、学習方法の慣れも大切。
 たとえば、パキスタンのフミは、家ではバンジャブ語で生活しますが、小学校ではウルドゥ語、ハイスクールや大学では英語を習ってきて、母語以外のことばの習得に慣れています。

 しかしジョーは、家ではピジンイングリッシュ、学校ではクイーンズイングリッシュ。どちらも「学習」ではなく、自然に身につけてきました。英語以外のことばを習うのは初めてのことで、語学学習方法に慣れていません。

 単語カードをつくって単語を覚えるとか、母語の文法と比較しながら単語の並べ方を覚えたり、動詞の活用を覚えたりという「語学習得方法」につまずいて、すっかり混乱してしまっていたのでした。

 3ヶ月たって、ジョーはようやく日本語の生活になれてきましたが、最後まで日本語は、あまりうまくなりませんでした。
 でも、彼は日本がだんだん好きになって、クラスにもなじんできました。Show &Tellのために、ジョーもはりきって準備をしてきました。

 ジョーは、バックから丸いつつを何本も取り出しました。
 「これ、おなひと、がきです」
 クラス一同、???

教師が「ジョーのニホンゴ」を日本語に翻訳。「This is instruments played by women .これは、女の人の楽器です。ジョーさん、もう一度紹介してください」
 「これは、おんなのひと、がっきです」ちょっとは、よくなったから、ま、いいか。次へ進みましょう。

 ジョーは、にこにこして、アウニマコという珍しい竹の楽器を披露してくれました。私もはじめて聞く音色です。

 長短の竹の筒が、何本もある。それを片手に2本、または3本、まとめて握る。
 握った2本の音が和音になるように、組み合わせは決まっている。
 床に平に筒の底があたるようにしてポンとうちつけると、共鳴して、とてもよい響きをだす。一人が規則的なリズムで右手と左手を交互に鳴らし、もうひとりは、複雑なリズムを打って、楽しい合奏ができる。

 最初は私が規則正しいリズムをとって、ジョーさんが複雑なリズムを担当。あと次々にクラスメートが演奏に挑戦してみました。
 竹の美しい響きが心地よいリズムをきざんで教室に広がりました。

 「きれいな音ですね」「いい楽器です」と感想をいいつつクラスメートが楽しそうに演奏しています。そのようすを見ているジョーの顔には、ふるさとの音楽文化への誇りが浮かんでいました。
 
 バングラディシュの「ベンガル虎」の紹介、フィリピンの棚田の紹介、インドネシアの影絵の紹介など、それぞれの留学生が、一生懸命自国の文化を紹介し、今期の「Show & Tell」も、とても楽しくすごすことができました。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「Show & Tell タイの踊り」

2019-11-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191114
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(9)Show & Tellタイの踊り

 2003年から続けてきた「春庭の日本語教室だより」を再録しています。1988年~2019年の30年間の日本語授業のなかで起きたさまざまな留学生とのふれあいを記録しています。
~~~~~~~~~
2006/03/17 金
ニッポニアニッポン語教師日誌>文化を知らせ合うShow & Tell(1)タイの伝統舞踊首飾り

 受け持っているクラス、さまざまな学生に出会います。
 
 ある大学の日本語研修コースの場合。
 4月からの前期クラスは、医学部工学部などの大学院進学予定の学生が多く、日本語コースの成績は直接進学には影響しません。大学院教育を英語だけで行う分野も多く、英語ができれば研究にはさしつかえないという先生もいる。日本語は「日本での生活していければよし」という程度を要求されるだけです。

 英語による専門分野の試験成績のほうが重要視されることを知っている学生の中には、「日本語?ノープロブレム!」と、あやしげな日本語でも気にしない学生もいます。
 ノープロブレム?もうちょっとちゃんと勉強しなさいよ。こうやって熱心な教師が手取り足取り教えているのだから。

 10月からの後期クラス。大学院進学クラスは、各国の優秀な教師が選抜された「教員研修生」が多い。教育学部大学院での研修を1年続けた最後には、日本語による論文発表があるので、日本語力は重要です。

 日本語研修コースの仕上げとして、初級クラスの留学生たちに「自分の文化やことばをクラスメートに日本語で説明する」という授業を行っています。
 いろんな文化やことばに出会えて、毎年わたしも楽しみにしている授業のひとつです。

 「あいうえお」から習いはじめて、半年で日本語発表ができるまで、留学生はいっしょうけんめい日本語を学んできました。日本語のスピーチはまだおぼつかない留学生もいますが、ジェスチャーもまじえて、表現しようとがんばります。
 
 日本語初級会話の教室で。
 タイのナーンは、タイ舞踊に使う銀の首飾りとタイ舞踊の衣裳をつけた踊り手たちの写真を見せました。
 「この写真。写っている、、、、They are my students、えー、あー、My students、、、、、」
 教師からの助け船「私の教え子たちです」

 「あー、私の、おしえごたちです。卒業式のパーティで踊りました。せんせい、パーティ、いいですか?」「ええ、日本語でもパーティですよ」
 「はじめに、伝統のメーキャップします。それからドレスを着ます。ドレスは、タイシルクです。そして、首に銀の飾りをつけます」

 写真に写っている10人のかわいい踊り子たちのうち、4人は男子高校生という発表に、みんな、「わあ、きれい!女の子よりも女らしい」と、驚きました。

  タイのナーンは、自国では英語の先生をしています。教育学部で英語教育法の研究をする予定です。

<つづく>

2006/03/18  土
ニッポニアニッポン語教師日誌>文化を知らせ合うShow & Tell(2)折り紙のカブト作り

 2006年2月。もう日本語コースも終わりに近づいたある日の練習。
 「はじめに、次に、それから」という「順番を追って手順を説明する」という表現の練習で、折り紙の兜を作りました。
 折り紙のカブト作り、デモンストレーションとして、私が「はじめに~」「次に~」と、順をおって折り方を説明し、学生は私の説明通りに折っていくのですが、途中で教えるほうが「あれっ、おかしいな」なんて、間違えたりして。
 ホームステイで、おばあちゃんから折り方を習ったというパキスタンの学生にヘルプしてもらいました。

 日本では国費留学生(日本国文部科学省奨学金給費生)という立場ですが、自国では、中学校・高校、大学などの先生をしていた人たちです。ヘルプも慣れたもの。
 折り紙、私がまちがえちゃっても、皆寛大に、「大丈夫、ノープロブレム」と言ってくれます。

 最初は普通の折り紙を使います。折り方を順に説明して、練習。
 次は大きなチラシ広告を四角に切って、頭にかぶれる大きなかぶとに挑戦し、「ジャパニーズ・サムライ・ヘルメット」のできあがり。
 みんな自分の頭にカブトをかぶって、嬉しそうでした。

 教師の折り紙紹介のデモンストレーションの次の週は、学生による「自国文化」の紹介Show & Tellをしました。

 「こんにちは」「はじめまして」の練習から始まった会話の授業、4ヶ月間で初級レベルの文法事項を「新幹線授業」でひととおり習ったとはいえ、まだまだうまく口がまわらないクラスです。
 4ヶ月の「仕上げ発表」のひとつとして、私は「Show & Tell」を楽しみにしています。自国の文化をクラスメートに日本語で説明する、という口語表現発表、上手にこなす学生もいるし、まだまだ日本語が不十分な学生もいます。

 文化紹介。
 かって、ブラジルの男性が見せてくれた「カポイエラ」。武術と踊りが合体した興味深い動きでした。
 韓国の女性が演奏してくれた「短笛タンソ」。インドネシアの竹の楽器アンクルンの演奏もすてきな音色でした。
 ネパールの絵はがきによる名所案内。ヒマラヤの雪に覆われた高峰、美しかった。
 子供の頃から習ってきたというタイ女性によるムエタイ(キックボクシング)の型紹介、、、、、、。

 どの学生も一生懸命説明します。みな、自国の文化を誇りに思っているからです。
 「自国の文化発表Show & Tell」は、教師冥利につきるとても楽しい授業です。日本に居ながらにして、世界中のさまざまな文化を知ることができるのですから。
 毎年、音楽発表あり、「こどもの遊び」紹介あり、学生の個性が発揮されます。

 どんなことでもいいので、自分の得意なこと好きなものについての発表を、日本語で行うことになっているのですが、ときには日本語につまってしまい、英語での説明がはさまることもあります。それでもかまいません。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「クロノトリガーゲーム音楽コンサート&フィギュアスケートカナダ大会」

2019-11-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
2019105
ぽかぽか春庭日常茶飯事典2019十九文屋日記秋深し(7)クロノトリガーゲーム音楽コンサート&フィギュアスケートカナダ大会

 娘のお供で出かけるコンサート。秋一番は、ゲーム音楽のコンサートです。
 時を渡る翼 CHRONO TRIGGER & CHRONO CROSS

とき:10月27日日曜日 開演:13:30~ (開場 12:30~)
場所:パシフィコ横浜 国立大ホール
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
指揮:指揮:佐々木新平
トークゲスト:光田康典(プロキオン・スタジオ)

 開演前


 娘はドラゴンクエストもファイナルファンタジー(FF)もゼルダの伝説も、おおよそ世に流行ったゲームはだいたいやりつくしているのですが、私がやったことがあるのはマリオシリーズの中のいくつかだけ。音楽はドラクエのすぎやまこういち作品やFFを聞きかじっている程度。クロノトリガーシリーズは全く知りません。

 今回のコンサートではクロノの作曲者光田康典が出演するというので、ファンの間ではチケット争奪戦がすごかったのだそう。そんなファンの中に、「娘のお供ですから、途中で寝ちゃうかも」の私は、どうしましょう。娘は「抽選にはずれてチケットとれなかった大ファンがたくさんいるのに、寝ちゃったら、その人たちに悪いでしょ。居眠り禁止」とくぎを刺されました。

 2011-12シーズンに、カナダのフィギュアスケート選手、ケヴィン・レイノルズ(Kevin Reynolds)がクロノ・トリガー/クロノ・クロスの曲によってフリーを滑っています。フィギュアは欠かさず見ているので曲も聞いているはずですが、まるで覚えていません。

 娘と私のチケットは、「クロノシート・クロノトリガー25周年記念のオルゴールつき」というスペシャルチケット。13,800円×2
 2曲入りの小さな箱のオルゴールが2つ。娘は売られている曲全部欲しいからと、チケットについていたオルゴールのほか、4曲分を買いました。娘が買ったプログラムもとても立派な作りで、ストーリーもキャラクターも知らない私に「これ読んで復習しておきなさい」と貸してくれました。

 クロノトリガーは、1995年発売以降、累計出荷・ダウンロード販売本数550万本以上を記録している家庭用ゲームソフトです。『クロノ』シリーズ(『クロノ・トリガー』/『クロノ・クロス』)は、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーに比べると一般的な知名度は劣りますが、その分コアなファンが多く、とくにクロノクロスは「私はなぜに私であるのか」という哲学的な内容を含んでおり、「ゲームにして哲学思想」という人気を誇ってきたのだそうです。

 キャラクターデザインは鳥山明。ゲームクリエーターは、坂口博信(FFの人)、堀井雄二(ドラクエの人)という豪華版。

 作曲者光田康典(1972~)が最初にクロノトリガーの曲を作ったときは弱冠21歳。高校生のころから作曲を始めており、音楽専門学校を卒業したのち、1992年にスクウェアに入社。1995年の『クロノトリガー』が作曲家デビューとなります。『ガンハザード』『ゼノギアス』などの作曲を担当したのち1998年6月に退社。「プロキオン・スタジオ」を立ち上げてゲームやアニメの曲を作っています。

 クロノトリガー。クロノは「時」。トリガー(trigger)は、引き金(を引く)、引き起こす、起動装置、作動させる。IT分野では、きっかけになる出来事が起こったら自動的に特定の処理を起動するソフトウェアの仕組みをさします。
 このゲームでは、クロノトリガーは「時の卵」とされています。
 主人公クロノが現代から時空を超えて、原始時代では恐竜人とたたかい、古代や中世の魔王などと関わりながら、滅んでしまった自分たちの未来を救おうとするストーリー。

 「クロノトリガー」が発売された1995年、娘は6年生息子は1年生。スーパーファミコン用のソフトは1万数千円。当時のおこずかいは、学年千円なので、息子は一ヶ月千円、娘はやっと6千円になったのですが、1万以上するソフトは買えませんでした。
 周囲の友達が夢中になってこのゲームをやっているのをながめ、数年たって流行がおわるころ、公園のフリマで500円という中古ソフトを見つけました。「もしかして、作動しないソフトかも」と心配しながらも、ふたりでこずかいを出し合って買いました。ダメで元々で包装の箱などはなかったものの、ソフトはちゃんと使えるものでした。息子は夢中になってさまざまなエンディングに挑戦。ゲームの運び用によって、エンディングが変わってしまうのだそうです。

 娘は中学で1年半、息子は高校で3年間の不登校生でしたから、ゲームにつかう時間はたっぷりあり、母が生活費稼ぎに行っている間、ゲームがお友達。
 そんな思い出のあるゲームでしたから、娘は息子といっしょにコンサートを聞き、子どものころ夢中になったゲームの思い出話をしたくて、高いコンサートチケットに申し込み、抽選でオルゴールつきチケットを手に入れたのです。
 しかし、息子は体調不全。聴覚過敏の症状もあり、物音がするところは苦手です。体調のいいときは何でもない音なのに、とつぜん物音が、頭の神経細胞が壊れてしまうくらいの音に聞こえたりするのだそうで、現在のところは有効な治療法はなく、薬を飲めば治るという症状ではないのです。

 音楽を聴くと、自分がクロノの世界に入り込んで旅をしたときのことをひとつひとつ思い出すと、娘は言います。ホールに集まった5千人のクロノファンの想いも同じでしょう。  ゲームしたこともない婆さんが1席をしめちゃって、抽選に外れた人、ごめんね。でも、婆さんは、ゲーム音楽の価値を再認識しました。最初に認識したのはいつかというと。
 娘が不登校になり昼夜逆転で一晩中ゲームをしていたとき、夜中にふっと目覚めるとFFの音楽が聞こえてきました。中学生の娘にはヘッドホンを買うおこずかいがなかったので、テレビから小さな音が聞こえてきました。ゲーム音楽を聴いた最初です。息子がゲームをしているときは、ヘッドホンで聞いていたので、私には届かなかったけれど。

 クロノトリガーのキャラクター(ファンが描いた2次イラストのひとつ)


 私にはなじみのなかったクロノトリガーの音楽でしたが、作曲家光田康典さんが舞台上で繰り広げたトークも興味深かったし、フルオーケストラアレンジされた曲も美しく、ゲームをやったことのない私にも楽しめました。

 私が聞いた東京フィルハーモニー交響楽団のCDも発売されていますが、youtubeで無料で聞けるのはコスモスカイオーケストラの演奏

 交響組曲「クロノトリガー」
https://www.youtube.com/watch?v=220Q8C9QVLg

 「クロノクロス」
https://www.youtube.com/watch?v=RC31xi_hTnE

 ご用とお急ぎではない方に。ゲーム音楽版2時間をどうぞ(Chrono Trigger - Full OST in HQ )
https://www.youtube.com/watch?v=mEoN_Xe-B-s

 30年前、25年前くらいには、まだゲーム音楽は「芸大などの音大作曲科を出た人なら手掛けない分野」であり、キワモノ扱いでした。
 今では、CD売り上げでトップを占める「人々に愛される音楽」になっています。芸大出た現代音楽の曲はまるでわからない私。でも、ドラクエの曲もFFの曲も「いい曲だなあ」と感じるわかりやすさがあります。

 クロノトリガー・クロノクロスの曲も「わかりやすいことは低級なこと」と思っている人には「おゲージツ」扱いされてこなかったことと思いますが、こうしてフルオーケストラコンサートを開けば、5千席のホールが満杯になるのもわかります。
 私はクラシックオーケストラのコンサートによく出かけますが、クラシック曲では、1000席でも空席が目立ちます。人がいっぱい集まればよい、ということではないですが、25年前に発表された作品、音楽でも小説でも映画でも、そのファンだった人たちが、5千席を埋めて集まることがあるでしょうか。ゲームの力は大きいなあと思います。

 今回「ゲーム音楽」という私にはなじみのなかった分野の音楽を聴きました。私がなじんできた「映画音楽」と同じように、ゲーム世代にとっては「一生心に残る名曲」として未来へと続くのだろうと思います。

 娘が「天才」と評した光田康典さん、まだ40代です。すぎやまこういちさんが88歳の現在も活躍しているのを見れば、あと30年40年は活躍してくれることでしょう。

 ゲームの未来はどうなっていくのか。現在65歳の堀井雄一は今後どんなことをしていくでしょう。堀井はゲームファンと「2042年8月27日にJRお茶の水駅前に集合する」という約束を交わしているそうです。この日付は、堀井が執筆者のひとりであるゲーム雑誌発売日の60年後です。89歳になった堀井が高齢者になったゲームファンと交歓する現場を、93歳の私が見届ける。堀井はこのとき、文化勲章とか国民栄誉賞とかの受賞者になっているんじゃないかな。93歳まで生きているつもりの私もおめでたいが、堀井や坂口が文化勲章もらう日がきたらめでたい。

 ドラクエ発売1986年から33年。クロノトリガーから25年。ゲーム文化は多様に花開いていますが、クロノトリガーが描き出した未来社会のひとつ「人間社会が滅亡している世界」になっていきそうな現代です。ゲームをせずに成長した世代の責任かもしれず、ゲームに没頭している間に、地球温暖化も世界経済破綻も進んできたのかもしれず、、、、



 コンサートのあと、大急ぎで帰りました。なぜなら、フィギュアスケートを見たかったから。羽生結弦出演を見逃してなるものか。

 みなとみらい駅からの帰りの電車は、ウェールズのTシャツを着たラグビーファンがいっぱい。でも騒いでいないので、ウェールズ負けたのだと思いました。スマホのネットニュースで確認すると、南アフリカが決勝進出。
 ラグビーファンの意気消沈を前に、私と娘は、スマホワンセグですでに始まっていた女子フリーのフィギュアスケートを見ながら帰りました。

 土曜日に作っておいたビーフシチューを温めなおして食べながら、テレビ観戦。夫はいっしょに食べる予定もフィギュアスケートをいっしょに見る予定もなかったのですが、諸般の事情で「フィギュアスケートになんの思い入れもないけれど」いっしょに見ることに。
 夫は「フィギュアスケートなんて見たこともなかったけれど、羽生がほかの選手と別格だってことは素人目にもよくわかった」という感想でした。

 ユヅ君、夫にもわかるくらいのすごい演技。ショートもよかったですが、フリーでは4回転からの連続ジャンプは、出来栄え点が少々不足したもののほぼ完璧に決めました。フリーの点数自己最高の212.99、ショートプログラムとの合計は322.59と、自己ベストを大きく更新しました。よかったよかった。

 娘と私は「私たちが応援したから、時空を超えてユヅくんに届いた」と思うことにしました。(生中継ではなかった)
 合計点ではアメリカのネイサン・チェン選手の持つ世界最高得点に0.83届かなかったけれど、ユヅ君は最高点をめざしてさらに練習を重ねることでしょう。どうかケガしませんように。田中刑事も3位に入って、グランプリファイナルをめざせる位置。

 午後は横浜港クルーズ。夕方おいしいスイーツもたらふく食べて、夜はクロノトリガーコンサート聞いて、テレビでフィギュアスケート見て。なんと盛りだくさんな一日。疲れたけれど、楽しいことたくさんして、きっと免疫力UPしたに違いない。
 
<おわり>
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ぽかぽか春庭「横浜でハロウィーンスイーツ」

2019-11-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191110
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記秋深し(6)横浜でハロウィーンスイーツ

 横浜港一周クルージングを楽しんだあとは、ホテルに戻ってハロウィーンスイーツのお楽しみ。

 クルージング船から見たインターコンチネンタルホテル


 インターコンチネンタルホテル海側外観


 ホテル内のショップもハロウィーンディスプレイ


 ハロウィーンアフタヌーンティは、ドリンク飲み放題つきプランひとり5千円。サービス料消費税入れて、ひとり6000円になりました。まあ、お高い!私など、ふだんは2000円のランチコースだって高いと思うのに。娘の「楽しいことやおいしいもの食べ歩きを毎週いれる」という方針におつきあいしています。

 ラウンジ「マリンブルー」の前では、ピアノの演奏。


 ホテルロビーは、ラグビー関係者でいっぱいでした。
 準々決勝で日本に勝った南アフリカは27日夜、横浜国際総合競技場で行われた準決勝でウェールズと対戦しました。赤白に赤いドラゴン模様のウェールズ関係者がほとんどで、ロビーにいた緑色の南アフリカ関係者は一組だけでした。

 私としたら、南アフリカを応援したい気分。だって、日本に勝って準決勝進出した南アフリカですから、決勝に進み、できるなら優勝してほしい。そうしたら、日本は、事実上の2位ということになるかもしれず。世界ランキング8位だってすごいことなんですから、そう欲張らなくてもいいですけれど。第一、イングランド対ウェールズだったら、世界大会というより、イギリス国内大会みたいじゃありませんか。

 ビールで気炎があがるウェールズ組に対して、わたしは最初にサービスのシャンパンを飲んだ後は、紅茶やコーヒーで、ハロウィーン仕様のお菓子を食べ続けました。

 ぷかり桟橋が見える席で


 ソフトドリンクは飲み放題です。
 私は、紅茶などは一杯ずつのサービスかと思って、いろんな種類のお茶を飲み比べてみようと思ったのですが、紅茶はポットでの提供で、4杯分くらいの量があります。それでもアッサム、モルゲンダウを飲み比べ。モルゲンダウというのは初めて飲みました。中国緑茶にローズペタル、矢車菊、マンゴーアロマをブレンドしたお茶。おいしかったけど、この次2度目に飲んで「あ、これはモルゲンダウだね」とわかるほど、舌がおりこうじゃないのが残念。

 最初に出てきたのは、スコーンとクローンテッドクリーム&ジャム

 スイーツタワー ハロウィーン仕立てなので、コップからドライアイスの煙がもくもく。

 1段目 セロリラブのムーストマト風味ウズラのボイルエッグ添え かぼちゃとリコッタチーズ サラミのブラックバーガー キッシュ

 2段目 スパイダーネットのかぼちゃモンブラン 青りんごムース ウィッチハットの紫芋モンブラン おばけの紅茶ムース チョコケーキ


 3段目 ぶどうとアセロラのゼリー コウモリのブラックシュークリーム ラズベリーチョコタルト ラズベリーマカロン


 おいしいもの食べているときのしあわせ顔

 
 最後はコーヒーでしめて、お菓子を残さず食べました。かなりおなかいっぱいになりました。
 このあとゲーム音楽コンサートに行き、帰宅後もすぐには晩御飯を食べなくてもいいくらいのお菓子腹でした。そうそう、ダイエットは来月から。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「娘と横浜クルーズ」

2019-11-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200119
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記秋深し(5)娘と横浜クルーズ

 娘と楽しむ休日、10月27日は、横浜へ出かけました。
 娘が予約したのは、ホテルインターコンチネンタルが営業する横浜港クルーズ。ホテル宿泊者またはレストラン利用者だけが予約できるというクルーズです。

 娘はまず、インターコンチネンタルのロビー&バー「マリンブルー」のハロウィーンアフタヌーンティに予約を入れました。そして、ホテル利用者として、港クルージングの予約をしました。

 みなとみらいの海


 前に娘息子と横浜観光をしたときは、横浜の山下公園から横浜桟橋までのシーバスに乗りました。夜だったこともあり、かなり混んでいました。10月27日日曜日も、ぷかり桟橋からシーバスに乗り込んだ客は大勢いました。
 でも、ホテルの港クルーズに乗り込んだのは、3組だけ。

 ぷかり桟橋へ


 ぷかり桟橋の建物


 赤い灯台は、横浜最古の灯台。修復済で、今ではLEDライトが使用されています。

 赤レンガ倉庫とランドマークタワー

 港を守る巡視船

 横浜ベイブリッジはあまりよく見えませんでした。背景が雲だったので。

 橋の下をくぐっていく

 ランドマークタワーと総帆展帆(そうはんてんぱん)中の帆船日本丸。はじめて総帆展帆を見ることができました。


 クルーズの船からみなとみらいを眺める


 操舵室


 小さな船での港クルーズ。お客は3組だけですから、船内のテーブル席も外のデッキも移動が自由で、いろいろな角度の眺めを楽しめました。
 青空、白い雲、海風もおだやかで、絶好のクルーズ日和になりました。

 ホテル専用の小さなみなとクルーズ船


<つづく>
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ぽかぽか春庭「娘とカフェめぐりスィーツ」

2019-11-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191107
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記(4)娘とカフェめぐりスィーツ

 娘と待ち合わせて、アフタヌーンティを楽しむカフェめぐり。
 今回は、目黒区緑が丘駅前の「Numero5 Paris ヌメロサンク,パリ」というカフェ

 東急線の自由が丘は、近年スイーツの街として若い女性が押し寄せる町になっています。スイーツの店をめぐるなら、自由が丘で下車してひとめぐりすれば、いろいろなタイプのスイーツを楽しめることは確実なのですが、そこをあえての緑ヶ丘に出店したのはどうしてなのか、興味がわきました。

 情報は、東急沿線駅で無料配布している沿線の飲食店紹介の3×4cmほどの小さな記事。店の名で検索をしてみると、

https://www.numero5-mp.com/

 店の名前「Numero5 Paris ヌメロサンク,パリ」とは、オーナーシェフのフランス人パティシエ・ショコラティエであるマチュー パンソンさんが子供のころに住んでいた住所。ここで育ったマシューさんの週末の楽しみは、お母さんが作ってくれるさまざまなお菓子でした。いつしかマシューさんもお菓子作りが好きになりました。

 マシューさんが日本で立ち上げたのが、スイーツプロデュースカンパニー。お菓子の販売だけでなく、お菓子作り教室運営など、総合的なスイーツの会社です。

焼き菓子がならんでいる店内


 平日は製菓学校の講師などもしていて、忙しいマシューさんなので、緑が丘駅前のショップでケーキを作るのは週末だけ。
 娘と訪れた土曜日夕方には、マシューさんのお菓子作りをガラス越しに眺められるカウンター席で、おいしいパフェをいただきながら、ケーキつくりの過程を見ることができました。




 お店で食べたパフェのほか、夜のデザート用ケーキ、翌日のお楽しみのマカロン、翌々日のフィナンシエまで、買い込んで、合計金額は7000円を超えました。超お高い!
 マカロンは直径3cmくらいでひとつ320円。カシスとピスタッシュ。フィナンシェ280円×2ノワゼットとフランボワーズ。カヌレナチュレ400円
 「普段使いにはできないけど、たまにイベントとして買うなら、コージーコーナーの350円のケーキを2度買うのをやめて、 ヌメロサンク,パリでひとつ650円のケーキを食べるのも悪くないかな」と、おいしいものに目がない娘が言います。

娘と私のパフェ。タルトタタンとモンブラン1380円×2 コーヒー350円


 合計6490円で、持ち帰り分は8%、店内飲食分は10%の税で7080円。バターとか、質のよいものをつかっていることはわかるし、生クリームは今まで食べたどこのものよりおいしかったのですが、なんせ私には、お高い。娘はまた近々来たいと言いますが。

 シェフがイケメン。写真をとってもいい、とお店の人に許可を受けたので、バチバチ取りました。ガラス越しに厨房がすべて見えるようす、おいしさ倍増です。



 昨年の開店だということですが、そのうち人気が高まったら、緑ヶ丘から自由が丘に出店するつもりなのかどうか。
 「なぜ、緑ヶ丘」にショップを開いたのですか」と尋ねたら、シェフの回答は「緑が丘駅前には何もなかったから」
 確かに、スイーツ戦国地帯の自由が丘のひとつ隣の駅なのに、焼き鳥屋があるくらいで、なにもない駅です。「都内唯一」というフレンチトースト専門店というのが、線路わきにありますが。あとは焼き鳥屋と八百屋、パン屋。

  この通りのビル2階にケーキ屋があるとは気づかないロケーション。


 通りに出ているこの看板を見ても、見逃してしまうかも。


 店は階段を上がった2階。ウィンドーからおいしそうなケーキが見えてこそのケーキ屋さんと思うので、もうかってきたら、ぜひ1階に店をだしてほしい&自由が丘にはいかないで。

 イケメンパティシエ、応援します。あまり頻繁には買いに行けないと思うけれど。すみません。普段はコージーコーナーの1割引きセールを利用しちゃうので。

 10月26日土曜日は。午後アフタヌーンティ。5時から歯医者。6時から娘とスーパーで海鮮鍋の材料仕入れ。ほたて、生鮭、はもつみれ、鳥団子、豆腐、野菜も白菜ネギきのこたっぷり。

 7時からフィギュアスケート見ながら海鮮鍋。結弦くん、トップになったし、おいしくておなかいっぱいの土曜日。デザートは、モンブランケーキでした。当然、ダイエットは来月から。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「観劇・3度目のバリャガンガーラ」

2019-11-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191107
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記(3)観劇・3度目のバリャガンガーラ

 東京青山の表参道からちょっと入ったところにある東京ウィメンズプラザで、友人が演劇の公演を行ったので、見にいきました。表参道の国連大学のわきを入っていきます。

 友人のK子さんは、1970年に出会って以来50年間のお友達。12年前に60歳で定年退職しました。(国家公務員キャリアですが、ガラスの天井が厚かった世代)
 以後は「若いころにちょこっとだけやったことのある演劇」をライフワークにすごしてきました。

 K子さんが所属して活動してきたのは、「東京ノーヴイ・レパートリーシアター付属スタニスラフスキー・スタジオ」という長い名前のスタジオ。演劇ワークショップから発展し、今もスタニスラフスキーシステムを中心に演劇を学び続けている集団です。

 K子さんが出演しているときやスタッフとして活動するとき、本拠地下北沢のミニシアターへ見にいったり、両国のシアターカイに見に行ったりしてきました。招待していただいたり、スタッフ割引をしてもらったり。K子さんは、『鼬』「古事記」などに出演しました。

 今回は「東京ウィメンズプラザフォーラム」のイベントのひとつとして第2視聴覚室で18:00-20:00の公演。東京都のイベントで、無料です。

 K子さんが出演するトマス・マーフィ作『バリャガンガーラ笑いのない町』を見るのは3度目です。1度目はひとりで、2度目はミサイルママと。3度目の今回は、ダンスサークルの仲間4人が集まりました。

 K子さんは、孫娘メアリーの介護を受けている認知症のおばあさんの役です。普段はとても70代には見えない若々しいK子さんですが、役のために髪を白くし、昔の出来事を繰り返し語り続ける役になりきっています。

 介護に疲れ切っているメアリー。看護師の職を辞して祖母の介護を担うことになったのは、自分自身を見失い、自分をとりもどすための方向転換でした。
 メアリーの名も思い出そうとしないおばあちゃんは、メアリーの献身にもつらくあたります。
 メアリーが看護師をやめてふるさとに戻るまでおばあちゃんの世話をしていたのは、メアリーの妹のドリー。メアリーの恋人を奪う形で結婚したものの、今では不仲になっています。

 ドリーはひさしぶりにおばあちゃんを訪ねてきますが、行き詰っている二人は険悪になってしまいます。メアリーは「もう、こんな家出ていく」とスーツケースに服を詰め込もうとしますが、ドリーは「そうやってスーツケース出すの、何度目?」と、取り合わない。

 メアリーは、うんざりしていた「最後まで行きつかないおばあちゃんの昔話ーなぜ、この町から笑いが消えたのか」を、最後まで話させようと考えます。繰り返し同じ話をして、またはじめに戻る、無限ループのおばあちゃんの話をやめさせようとしていたのですが、さいごまで話を思い出させたら、何かが変わるかもしれない、と思いついたのです。

 おばあちゃんを励ましながら、話を最後まで思い出すと、、、、、。メアリーとドリーには、火事の晩行方不明になってしまったトムという兄弟がいたことが判明します。あまりにつらい思い出を封印してきたのですが、おばあちゃんの話を最後まで続けた結果、一家にとって封印されてきたトムの存在があきらかになります。

 つらい過去ですが、それを思い出すことで、メアリーの心が外に開かれます。

 前に2度見たときは、下北沢の自前の劇場で2時間の上演でしたが、今回は会場の使用演時間制限のため、90分短縮版になっていました。枝葉をはしょった結果、ストーリー自体は簡明になって伝わりやすくなったと思います。
 しかし、おばあちゃんがぶつぶつとつぶやく昔話が短縮されて、メアリーやおばあちゃんの心情のきめこまやかな表現がカットされたように感じました。以下、K子さんへ送ったメール感想文抜粋。

 私の感じたこと。ストーリーは、90分になってわかりやすくなったと思います。ただ、おばあちゃんがぶつぶつと繰り返すようすが前に比べて少なくなったように思いました。カットされて、おばあちゃんとメアリーのかかわりがはしょられたように感じ。あの長くぶつぶつと果てしなくつづく昔話があってこそのメアリーのうんざり感であり、最後まで語ることでの希望への再生と思うからです
 ボケたくてボケてしまう人もいないでしょうが、ダンスや演劇を続けることでボケ防止になっているんじゃないかと思います。
 私は、10月に開校した学校で日本語教育がんばっています。老骨に鞭うって、老骨が骨折しないよう、がんばります。K子さんも健康第一で活動を続けてください。。


 ミサイルママのお母さんも認知症を患い、毎日世話をしているミサイルママの妹さんのことは名前も分からなくなっている、という状態だったそうです。たまに実家に帰るミサイルママを思い出すのに、毎日世話をしている妹さんの名前はわからなくなっている。
 介護をめぐる家族の話に、2度目も深く心打たれたようす。
 芝居が跳ねたあと、表参道の牛タン屋でおそい晩御飯を食べながら感想を話し合いました。

 K子さんの演技は、ますます磨きがかかって、確かにそこにひとりの人間像がえがきだされていました。
 演劇をエネルギーにして、ますますしなやかに美しく退職後の人生を歩んでいってほしい、大切な友人です。

 今回の「バリャガンガーラ」ではなく、以前の上演時のK子さん。おばあさんの役になりきっていましたが、ふだんはとっても若々しくておしゃれな人です。


<つづく>
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