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ぽかぽか春庭「愛のヴィクトリアン・ジュエリー展 in 大倉集古館」

2023-07-16 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230713
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩梅雨(5)愛のヴィクトリアン・ジュエリー展  in 大倉集古館

 ぐるっとパス利用で、大倉集古館を訪問、「特別展 愛のヴィクトリアン・ジュエリー ~華麗なる英国のライフスタイル~ 」を見てきました。
 昨年、八王子夢美術館で見た「愛のヴィクトリアンジュエリー華麗なる英国のライフスタイル 」と重なる内容でしたが、1階2階地階の展示室があり、大倉集古館のほうが点数が多かった。大倉集古館のいいところ。用紙に名前住所を書き込んで申し込むと単眼鏡を貸し出してくれる。細かい宝飾の技をつぶさに見ることができました。

 館内撮影禁止なので、図録を購入。図録は本展のために編集されたものではなく、2010年に編集されたものなので、図録に載っていないものも展示されていましたし、図録には写真があるのに、展示がない、というものもありました。 
会期:2023年04月04日-06月25日

 大倉集古館、いつもは、日本や東洋美術が中心の展示ですが、この「ヴィクトリアン・ジュエリー」の企画は「穐葉アンティークジュウリー美術館 」が同一の展示を各地の美術館で開催しているものです。私が2022年に見た八王子夢美術館の展示と同じようなラインナップだと感じたのも道理。コレクションの出どころはいっしょでした。八王子夢にはレースの展示がなかったので、地階に別展示になっていたのは、穐葉とは別のコレクションなのかと思ったら、レースも穐葉所蔵品でした。
 穐葉美術館は、那須にあった展示館を閉館し、現在はコレクションの所蔵だけ。全国各地の美術館で展示を行っています。

 展示室内


 大倉集古館の口上
 1837 年、18 歳の若き女性が大英帝国の王位を継承し、栄華を極めた時代の幕が開きました。この繁栄期に 64 年間王位にあったのがヴィクトリア女王(在位:1837~1901 年)その人です。植民地を世界各地に築き、圧 倒的な工業力や軍事力によって「太陽の沈まない帝国」と呼ばれたこの時期のイギリスは、ヴィクトリア時代と 呼ばれます。 本展では、大英帝国がもっとも繁栄したヴィクトリア女王の治世、英国王室にまつわる宝飾品をはじめ、当 時台頭してきた資本家層など、多くの人々を魅了したヨーロッパのアンティークジュエリーを中心に、英国上 流階級のライフスタイルを彩ったドレスやレース、銀食器など、華やかで優雅な世界をご紹介いたします。

プロローグ ヴィクトリア女王の愛 
 ヴィクトリア女王(1819-1901 在位1877-1901)は、18歳で即位、1840年21歳同士で母方のいとこにあたるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の公子アルバートと結婚。4男5女の母となる。アルバートは王配として政治にもかかわるが、1861年12月14日に満42歳 で死去。
 治世の間、宝飾品を贈答に用いたり身を飾って社交の場に出ることがそのまま「政治」であったことがうかがえる展示でありました。

 アフタヌーンティの習慣など、ヴィクトリアが英国文化に与えた影響は大きなものだったことが感じられました。
 額縁の上に王冠をのせた大きなヴィクトリア女王の肖像が展示され、下にはアフタヌーンティセット。銀が光るポットやカトラリー、カップ&ソーサ―。

1 アンティーク・ジュエリー 1830 
ピンクトパーズとゴールド

エメラルドとゴールド



穐葉美術館の解説 
 アルバート公に長年仕え、また女王の奉仕官でもあったフランシス卿は1869年、56歳の時に聖職者の娘アグネス・オースティンと結婚し、準男爵に任命された。翌年、長女が誕生し、女王一家と強い絆で結ばれていたことからヴィクトリア女王が名付け親となり、女王の名にちなんでアルバータ・ヴィクトリアと命名された。このセットは洗礼式にヴィクトリア女王から贈られたもので、王冠とイニシャル、日付が刻印されている

パールのティアラ

 金のマフ(手を入れる防寒具)チェーン 
  



2 歓びのウエディングから哀しみのモーニング 
 ウェディングドレスをに白一色にしたのも、ヴィクトリア女王の時代から。喪服につけるジェット(黒い化石宝飾)を身に着けて暮らしたのもビクトリア。
 ヴィクトリア様式のウェディングドレス、ケープ。髪飾りのオレンジティアラ



 42歳で夫を失ったヴィクトリア女王は喪服を着用し続け、装身具は黒いジェット。


3 優雅なひととき―アフタヌーンティー 
 大倉集古館の解説
 17 世紀に宮廷に広まった喫茶の習慣は、ヴィクトリア時代に一つのセレモニーとして完成しまし た。マナーにしたがって行われるアフタヌーンティーは、上流階級の社交の重要な要素となりまし た。 そして、「銀の茶道具一式を所有すること」は、イギリスの貴族、上流階級のステイタスシンボル となります。高品質の銀を使った銀器は、威信財として大切にされました。

 お茶の輸入はイギリスによってインドが併合されビクトリア女王がインド皇帝を兼ねるようになると、貴族の間でお茶の時間を楽しむことは儀礼化され、銀製の「アフタヌーンティーセット」をそろえて披露しあうことが社交の一つになりました。お茶一杯飲むのもたいへんなものいり。
  
 地階にはレースが展示されていました。繊細な手仕事に驚嘆。


 大倉集古館の内外には、伊東忠太の好きな怪物がぞろぞろいますが、1階から地階へ階段をおりたところに展示してあったのは忠太怪物かと思ったら、中国古代の獅子でした。お高そうな銀食器や宝飾品を見たあとだと、なぜかほっとする獅子の顔です。


 2階ベランダでのんびり。

<つづく> 
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