モノクロ銀塩にこだわり精力的に写真を発表している札幌のウリュウさん。
写真という枠にとどまらず、他の媒体もふくめて一種のインスタレーション空間に挑んだ、初の個展です。
テーマは札幌・中央区に1路線だけが残る市電。会場のpraha2 + deep sapporo「9J」の近くを走っています。
個展タイトルは、会場の住所にあわせて、架空の停留所名をつくったものです。
会場には、路線のさまざまな場所や電車をとらえたモノクロ写真が天井からつるされ、白い床いっぱいに、西4丁目-すすきの間の略地図がポスターカラーで書かれています。
沿線にある東急ハンズや「理容の公園軒」、Dinner Bell(24時間スーパーマーケット)、郵便局、札幌銀行などが、ロゴで記入されています。ウリュウさん、レタリングが好きなんですね。
中空の写真の撮影位置は、ほぼこの地図に対応しています(つまり、4プラ前で撮った写真は、地図の4プラの上にきています)。
さらに、数種類のビデオ作品が、モニターで常時流れています。
「やってみて、じぶんはつくづく『まちマニア』なんだなーと思いましたよ」
とウリュウさんは笑います。
写真を宙に浮かせたのは、この市電が、観光地を走ったりするわけでもなく、生活の足として空気のような存在に感じられるからだそうです。
やや細かい話になりますが、透明なテグス糸を使っているので、写真がほんとうに浮かんでいるように見えます。
写真自体は、地表ぎりぎりの低いカメラ位置からポイント附近の軌条(レール)をとらえたり、電車事業所に近い生活道路を写したり、叙情性をすこしたたえた、いつものウリュウ調。
建物が取り壊しにあった跡も見逃していません。
ウリュウさんのサイトにあった文章です。
会場でも
「電車に乗ることも旅なんです」
と話していました。
「映像、音…。写真以外にじぶんがやりたかったことを、レールがつないでくれたような気がします」
単なる鉄道写真とはちょっとちがう作品の根底に流れるウリュウさんなりの考えが、そこにあるようです。
最後に、私事にわたることをお許しください。
筆者は小学4年生まで北1西12に住んでおり、また、中学のころは市電で通学していました。
麻生や豊平まで路線がのびていた黄金時代もぎりぎりで記憶があります。幼稚園の時、貸し切りの電車で円山公園まで遠足に行ったこともあります。教育大学前(いまは中央図書館前)のあたりを、藻岩山を背景に、アカシアの白い花がまき散らす芳香の中を走る電車のイメージは、いまも脳裡に焼き付いています。
なので、ウリュウさんが、中島公園通や行啓通のあたりに商店街がある-ということを、肯定的な口調で語られると、つい
「いや、昔はもっといい雰囲気だったんだよ。行啓通には高層住宅なんてほとんどなかったし、新通市場はにぎやかだったし」
と反論したくなる自分がいることに気づきます。
しかし、それは言ってもしかたのないことなんですよね。それぞれの世代、それぞれの人に、それぞれの思いと記憶があるわけですから。
願わくば、沿線の風景が、これ以上味気ないものになりませんように。
08年5月23日(金)-25日(日)11:00-19:00
PRAHA2+deep sapporo(中央区南11西13 地図F)
□ウリュウさんのサイト day's clip http://www.yuukiuryu.com/index.html
□ウリュウさんのブログ 豊平橋停留所 http://blog.yuukiuryu.com/
■ウリュウユウキ写真展「春を迎えに行く」chapter 1-夜を越えて(08年4月)
■『カナコ雪造カンパニー』~除雪原風景へのオマージュ~(08年1月)
■「旅をするフィルム-LIKE A ROAD MOVIE-」ウリュウユウキ写真展 (07年11月)
■Railway Story 衣斐隆・ウリュウユウキ写真2人展(07年7月)
■個展「思いは旅をする」 (07年5-6月)
■春展(07年4月)
■“SAPPORO”PHOTOS... (07年2月)
■kanecho party(06年12月)
■写真展19761012(06年10月)
■二番街de ddd ART(06年9月)
■小樽鉄路写真展(06年8-9月)
■his life,her life,this life -まちの記憶と記録展-(06年7月)
■04年3月の写真展
写真という枠にとどまらず、他の媒体もふくめて一種のインスタレーション空間に挑んだ、初の個展です。
テーマは札幌・中央区に1路線だけが残る市電。会場のpraha2 + deep sapporo「9J」の近くを走っています。
個展タイトルは、会場の住所にあわせて、架空の停留所名をつくったものです。
会場には、路線のさまざまな場所や電車をとらえたモノクロ写真が天井からつるされ、白い床いっぱいに、西4丁目-すすきの間の略地図がポスターカラーで書かれています。
沿線にある東急ハンズや「理容の公園軒」、Dinner Bell(24時間スーパーマーケット)、郵便局、札幌銀行などが、ロゴで記入されています。ウリュウさん、レタリングが好きなんですね。
中空の写真の撮影位置は、ほぼこの地図に対応しています(つまり、4プラ前で撮った写真は、地図の4プラの上にきています)。
さらに、数種類のビデオ作品が、モニターで常時流れています。
「やってみて、じぶんはつくづく『まちマニア』なんだなーと思いましたよ」
とウリュウさんは笑います。
写真を宙に浮かせたのは、この市電が、観光地を走ったりするわけでもなく、生活の足として空気のような存在に感じられるからだそうです。
やや細かい話になりますが、透明なテグス糸を使っているので、写真がほんとうに浮かんでいるように見えます。
写真自体は、地表ぎりぎりの低いカメラ位置からポイント附近の軌条(レール)をとらえたり、電車事業所に近い生活道路を写したり、叙情性をすこしたたえた、いつものウリュウ調。
建物が取り壊しにあった跡も見逃していません。
この街には、いくつもの"停留所"があります。
電車を、バスを待つ。乗る。降りる。
毎日の行為だけじゃないものが、そこにはあります。
ここへはないどこかへと動く自由を、私たちは持っています。
移動手段としての、旅の道具としての。
そんな公共交通というものに、私はどこか愛しさを感じます。
ウリュウさんのサイトにあった文章です。
会場でも
「電車に乗ることも旅なんです」
と話していました。
「映像、音…。写真以外にじぶんがやりたかったことを、レールがつないでくれたような気がします」
単なる鉄道写真とはちょっとちがう作品の根底に流れるウリュウさんなりの考えが、そこにあるようです。
最後に、私事にわたることをお許しください。
筆者は小学4年生まで北1西12に住んでおり、また、中学のころは市電で通学していました。
麻生や豊平まで路線がのびていた黄金時代もぎりぎりで記憶があります。幼稚園の時、貸し切りの電車で円山公園まで遠足に行ったこともあります。教育大学前(いまは中央図書館前)のあたりを、藻岩山を背景に、アカシアの白い花がまき散らす芳香の中を走る電車のイメージは、いまも脳裡に焼き付いています。
なので、ウリュウさんが、中島公園通や行啓通のあたりに商店街がある-ということを、肯定的な口調で語られると、つい
「いや、昔はもっといい雰囲気だったんだよ。行啓通には高層住宅なんてほとんどなかったし、新通市場はにぎやかだったし」
と反論したくなる自分がいることに気づきます。
しかし、それは言ってもしかたのないことなんですよね。それぞれの世代、それぞれの人に、それぞれの思いと記憶があるわけですから。
願わくば、沿線の風景が、これ以上味気ないものになりませんように。
08年5月23日(金)-25日(日)11:00-19:00
PRAHA2+deep sapporo(中央区南11西13 地図F)
□ウリュウさんのサイト day's clip http://www.yuukiuryu.com/index.html
□ウリュウさんのブログ 豊平橋停留所 http://blog.yuukiuryu.com/
■ウリュウユウキ写真展「春を迎えに行く」chapter 1-夜を越えて(08年4月)
■『カナコ雪造カンパニー』~除雪原風景へのオマージュ~(08年1月)
■「旅をするフィルム-LIKE A ROAD MOVIE-」ウリュウユウキ写真展 (07年11月)
■Railway Story 衣斐隆・ウリュウユウキ写真2人展(07年7月)
■個展「思いは旅をする」 (07年5-6月)
■春展(07年4月)
■“SAPPORO”PHOTOS... (07年2月)
■kanecho party(06年12月)
■写真展19761012(06年10月)
■二番街de ddd ART(06年9月)
■小樽鉄路写真展(06年8-9月)
■his life,her life,this life -まちの記憶と記録展-(06年7月)
■04年3月の写真展
火星堂という模型店がありました。店の中に模型のレーシングカーのコースがあってたまに遊びに行ったものです。
そして北1西12といえば、近くに市立図書館があって試験勉強に行く場所でした。ということは案外ヤナイ少年とすれ違っていたかもね。(笑)
児童書の部屋を出て、一般の本が並んでいる部屋に入ると、すごくじぶんがおとなになったような気がしたものでした。