札幌でフォトグラファーとして、精力的な発表活動をつづけているウリュウさんは、以前仙台に住んでいたことは聞いていたが、生まれが長野市だということは、今回の個展について話を聞くまで知らなかった。まあ、北海道の人間にとっては、だれがどこの出身だろうと、基本的にどうでもよいことなのだが。
今回は、個展の初日に30歳の誕生日を迎えたウリュウさんが、じぶんの生まれた土地を写真に撮り、展示している。
個展のタイトルはウリュウさんの誕生日を表している。
30歳という区切りを前に、自分の原点みたいなものをたしかめたくなったのだろう。
写っているのは、古い商店の軒先、公園、アパート、道路など。
当時の産婦人科医院の跡は駐車場になってしまっているが、門柱だけのこっているのが写っている1枚はちょっと感動的だが、だいたいは、ごくありふれたものばかりだ。
でも、それでいいのだと思う。
もし、ウリュウさんの生まれた土地が、海辺の村とか、わらぶき屋根の家のならぶ山あいの集落とかだったりしたら、それはそれで、「故郷への旅」として感動的なものになったかもしれない。
けれども、今回の旅は、そういう、回帰していく行為ではなく、たぶん、再出発のためのささやかな儀式みたいなものではないかと思う。
それに、農漁村から都市への人口移動が一段落し、かつてのように、都市住民の大半が郡部にふるさとを持つ時代ではなくなってしまった。
日本の近代文学のかなりの部分は、大都市に出てきた人間の故郷への思いを題材にしているけれど、現代は「都市二世・三世」が増え、「わかりやすい郷愁」は、姿を消しつつある。
わたしたちが立ち返る場所は、凡庸な都市の風景なのだ。
「でも、それでいい」と、筆者は先ほど書いた。
傍目にはいくら平凡でも、当人にとってみれば、かけがえのない風景なのだから。
ほとんどの場合、人生はハリウッド映画ではないし、わたしたちは大スターにはなれない。
近年多く聞かれる「個性が大事」「夢をあきらめないで」「誰にだって可能性はある」といった言い回しには、ついにスポットライトを浴びることのない一般の大多数の人間に対する敬意のようなものが欠落しているような気がしてならない。この社会を支えているのは、凡庸さに価値を見出している、そういう一般の人なのだが。
ウリュウさんの写真は
「ありふれているけど、たいせつなこと」
をいとおしむ気持ちを、再確認させてくれるように思う。
深読みのしすぎかもしれないが。
さて、今回の個展のもうひとつのテーマは
「モノクロ銀塩写真よ、永遠に」
ということだと思う。
机上には、銀塩の危機を特集したアサヒカメラや、フィルムを入れる缶が置かれていた。
かく言う筆者も、最近はデジタルカメラばかり使っているのだが…。
大きく伸ばしたときの質感は、デジタルはまだフィルムに太刀打ちできない。
フィルムには生き延びてほしいと切に願う。
10月12日(木)-20日(金)12:00-21:00
micro.(中央区南5東3)
□ウリュウさんのサイト「day's clip」
□ウリュウさんのblog「豊平橋停留所」
■his life, her life, this life -まちの記憶と記録展
■二番街de ddd ART
今回は、個展の初日に30歳の誕生日を迎えたウリュウさんが、じぶんの生まれた土地を写真に撮り、展示している。
個展のタイトルはウリュウさんの誕生日を表している。
30歳という区切りを前に、自分の原点みたいなものをたしかめたくなったのだろう。
写っているのは、古い商店の軒先、公園、アパート、道路など。
当時の産婦人科医院の跡は駐車場になってしまっているが、門柱だけのこっているのが写っている1枚はちょっと感動的だが、だいたいは、ごくありふれたものばかりだ。
でも、それでいいのだと思う。
もし、ウリュウさんの生まれた土地が、海辺の村とか、わらぶき屋根の家のならぶ山あいの集落とかだったりしたら、それはそれで、「故郷への旅」として感動的なものになったかもしれない。
けれども、今回の旅は、そういう、回帰していく行為ではなく、たぶん、再出発のためのささやかな儀式みたいなものではないかと思う。
それに、農漁村から都市への人口移動が一段落し、かつてのように、都市住民の大半が郡部にふるさとを持つ時代ではなくなってしまった。
日本の近代文学のかなりの部分は、大都市に出てきた人間の故郷への思いを題材にしているけれど、現代は「都市二世・三世」が増え、「わかりやすい郷愁」は、姿を消しつつある。
わたしたちが立ち返る場所は、凡庸な都市の風景なのだ。
「でも、それでいい」と、筆者は先ほど書いた。
傍目にはいくら平凡でも、当人にとってみれば、かけがえのない風景なのだから。
ほとんどの場合、人生はハリウッド映画ではないし、わたしたちは大スターにはなれない。
近年多く聞かれる「個性が大事」「夢をあきらめないで」「誰にだって可能性はある」といった言い回しには、ついにスポットライトを浴びることのない一般の大多数の人間に対する敬意のようなものが欠落しているような気がしてならない。この社会を支えているのは、凡庸さに価値を見出している、そういう一般の人なのだが。
ウリュウさんの写真は
「ありふれているけど、たいせつなこと」
をいとおしむ気持ちを、再確認させてくれるように思う。
深読みのしすぎかもしれないが。
さて、今回の個展のもうひとつのテーマは
「モノクロ銀塩写真よ、永遠に」
ということだと思う。
机上には、銀塩の危機を特集したアサヒカメラや、フィルムを入れる缶が置かれていた。
かく言う筆者も、最近はデジタルカメラばかり使っているのだが…。
大きく伸ばしたときの質感は、デジタルはまだフィルムに太刀打ちできない。
フィルムには生き延びてほしいと切に願う。
10月12日(木)-20日(金)12:00-21:00
micro.(中央区南5東3)
□ウリュウさんのサイト「day's clip」
□ウリュウさんのblog「豊平橋停留所」
■his life, her life, this life -まちの記憶と記録展
■二番街de ddd ART
30歳の節目にあたって、先に歩みを進めていくために、今の自分の足元に確たる根はあるか?と改めて問う旅であり、そして両親からよく聞かせてもらった、生まれた日のことや場所をこの眼と心で実感する、ミッシング・リンクを結び直すための旅でもありました。
僕の私写真ではあるのですが、ご覧くださる方々にも、この普通の光景の中に自分の原点があってもらえたら、と思っています。前へ進むための原点が。
銀塩写真といえば、東京では平間至さんはじめ4人の写真家がひとつのネガを各々の観点で焼いて展示する『ゼラチン・シルバー・セッション』というのが行われるそうです。
僕の個展の拙作からも、モノクロの深さや広さを感じていただけた方がたくさんいらっしゃいまして、本当にうれしい限りです。
僕たちが写真を焼き続ける限り銀塩写真はなくさない、それくらいの意気で、これからも作っていくつもりです。
生まれた日の新聞が会場にあったけど、ご両親が取っておかれたのですね。いいアイデアですね(ヤナイ家では、もう遅いけど)。
それはそうと、今晩think gardenに行きました。
どうもニアミスが続きますね。
ブログ1周年おめでとうございます!
たしかに、micro.の界隈は、ススキノのはずれで、ちょっと女性一人では歩きづらい雰囲気かもしれないですねー。
micro.は載ってないのですが、その他のギャラリーの多くは、gallery mapに場所が出ています。ご活用ください。
今後とも当blogをよろしくお願いします。