「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・人口密度、50人/km2

2010-11-24 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                 情報プラットフォーム、No.238、9(2007)
{人口密度、50人/km2}


  大陸から3,000kmも離れた太平洋上に、面積163.6km2、小豆島はどの小さな島、イースター島がある。1722年の復活祭の日に発見された。極めて原始的な暮らしの中で、戦闘に明け暮れる島民が住んでいた。「ヨーロッパからの最初の訪問者を驚かせたのは、みじめな未開状態であるにもかかわらず、かってはこの島に進んだ文明が繁栄していたらしいことである。そのことは島の中に散在する600体以上、高さは6mを超えるモアイ像、巨大な石像群が物語っていた」とある。

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鈴木朝夫  s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

 高知県香美郡土佐山田町植718   Tel 0887-52-5154

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次 

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  イースター島にポリネシア人が移住してきたのは5世紀頃、20~30人程と推定されている。食料の種類は豊富とは言えないが、サツマイモと持ち込んだ鶏が主体だった。大家族が社会の基本単位となり、祭祀と戦闘に明け暮れていた。最盛期の人口は7,000~10,000人と推定され、人口密度は約50人/km2程に達している。


 像は石切場で、黒曜石製の石鑿(いしのみ)だけを用いて彫り上げられた。高度に様式化されたそのデザインは、男の頭と胴を象ったものである。頭の上には赤色の石の「髪飾り」が載せられているが、それだけで10tもある。


 重さ数十トンの石像を、如何にして運び、祭祠場で引き起こしたかは謎である。丸太をコロにしたとか、浮かべた丸太の下に吊して海中を運んだなどの説を実証する実験も行われた。


 人口が増えるに従って、開墾道具、生活用具、武器、家屋、船などを造るために、豊富にあった森林が伐採された。絶頂期を迎えると同時に、その文明は突然に崩壊し始める。300以上の未完成の石像が石切場に残されていることがその証拠である。森林破壊による裸地の増加によって、土壌の流出が起こり、作物の収量の低下を招いたと想像される。


 「1600年を過ぎるとイースター島は衰退期に入り、次第に未開状態へと逆戻りしていった。木をなくし、したがってカヌーも作れない中で、島民は自ら招いた環境破壊から逃れることもできず、遠く隔絶した島に閉じこめられた」、「奴隷使役が普通になり、さらに蛋白源が少なくなるに及んで喰人が始まった。戦争の目的の一つは、敵対する氏族の石像を倒すことであった」とある。モアイ倒し戦争である。


  初めてヨーロッパ人が訪れたときには、死火山ラノカオの一番深い火口の底に一握りの茂みがあるだけで、一本の木も見いだせなかった。土壌の中の花粉分析から、移住が始まった5世紀頃のイースター島は、高木を含む豊かな植生に覆われていたことが証明できる。


 「他の世界から隔絶されていることを知っている島民であれば、小さな島の有限の資源に依存していることは百も承知していたのに違いない。にもかかわらず、彼らは環境と間で適切な均衡を維持するシステムを作ることが出来なかった。必須の資源を完全に枯渇させるまで消費し続けたのである」と記されている。


  地球上の陸地面積は1億5千万km2、5年後の人口は70億人に達すると予測していうる。人口密度は約50人/km2になる。人類はこの数字に気付いているのだろうか。今の森ではなく、古代の森(化石燃料)を浪費し、モアイ倒し戦争を繰り返している。
 *「緑の世界史、上」、クライブ・ポンティング著、石 弘之ら訳、朝日選書(1994,6)を   参考



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