「ぷらっとウオーク」 情報プラットフォーム、No.239、8(2007)
{自然遺産、マデイラ島の照葉樹林}
リスボンの南西約1000km、モロッコの東600kmの大西洋上に、総面積797km2 のマデイラ諸島がある。ポルトガルの自治領であり、首都のフンシャルは本島のマデイラ島にある。
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高知県香美郡土佐山田町植718 Tel 0887-52-5154
鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次
(出典:ポルトガル・マディラ諸島観光情報)
観光案内は「海に浮かぶ庭園の島」、「大西洋の真珠」と宣伝している。「温暖な気候と豊かな自然、火山島ならではの特異な景観、青い海と輝く太陽、年間を通じてのカラフルな花やフルーツ、そして、マデイラワインと新鮮なシーフード料理」と聞けば行きたくなる。そして、1999年にはマデイラ島の照葉樹林が世界自然遺産に指定された。島全体の20%弱の面積である。真の自然豊かな南の楽園とは何かを考えよう。
今から600年ほど前の1420年にポルトガル人がこの無人島を発見した。これが大航海時代の幕開けである。大西洋に船出する際の補給基地として、大きな役割を演じたのである。コロンブスの西インド諸島到達(アメリカ発見)は1492年、パスコ・ダ・ガマのインド西岸到達が1498年、マゼランの世界一周は1519-1522年、種子島への鉄砲伝来は1543年へと続くことになる。
この島の発見当時の記録には「巨大な樹木がいたるところに生い茂っており、足の踏み場もないほどであった」、「木が摩天楼のように林立していた」とある。
マデイラ(Madeira、木材)の命名は、この鬱蒼たる高木・巨木が金を生む木材としか見ることが出来なかった紛れもない証拠である。定住者は水に恵まれたこの土地でサトウキビ栽培を始めた。動力源の水車、搾什器などの機械類、樽や箱の容器材料、液汁濃縮の燃料などは現地の調達である。サトウキビ畑が増え、樹木は木材へと変わり果て、製糖工場が栄えた。
また、豊富な、良質の木材は大西洋を航海できる大型船の建造を可能にした。新造船のメインマストはより遠くまで見通せるように高くなっていった。コロンブスはそのような大型船でカリブ海の島々を発見したのである。
航海日誌には「千種類の樹木が一面に育っており、その聳え立つ様はまさに天まで届きそうである」と記されている。スペインはここ西インド諸島を含む北米で、ポルトガルは南米のブラジルで、サトウキビ栽培を始めることになる。そして、これらの地域では、原生林が破壊されてからは「汲めども尽きない泉が涸れ、川の氾濫が破壊的被害を及ぼし始めた」、「激しい嵐の後、サトウキビ畑一面が『走り去る』ように滑り落ちた」となるのは当然の帰結であろう。
世界自然遺産の照葉樹林には昔の面影が残っているのだろうか。垂直分布の植生の中の手の届かない高山帯に広葉樹と針葉樹の複合林が幸いにも残ったと想像できる。ホテルの並ぶ海岸付近にはどのような樹種が茂っていたのだろうか。「アトラスシーダー、ニセアカシアは豊富で大型材に最適である」、「薪や樽材となった木はシナノキである」の記述から想像するしかない。ほんまもの「大西洋の真珠」はすでに消滅しているのだろう。
マデイラは、「砂糖、木材、ラム酒、毛皮など」、「工業製品など」、「黒人奴隷など」の大西洋の三角貿易、そして植民地支配の原点となったことを忘れてはならない。
「森と文明」、ジョン・バーリン著、安田喜憲ら訳、晶文社(1994,9)を参照
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