◇なによりも、重要だと思うのは、県民が琉球・沖縄に誇りをもつ、愛着をもつ、島が好きだということ。
それは、豊かな自然、琉球以来の歴史もあるし、芸能や文化、なにより人と人のつながりの深さ、そしてのんびりした県民性、「ゆっくりずむ」というか、それが県民の生活スタイルであり、それが沖縄暮らしにはあっている。
井のなかのカワズにならないように、一度は県外に出たい、大都市にあこがれる若者もいるが、できれば島で暮らしたいという若者が多い。
だから、就職難で若者の失業率は本土の2倍あるが、家族の支えあいのなかで、生きる道を見つけたり、収入が少なくても島で仕事を探し、暮らしている。
それに、一度進学や就職で県外に出た人も、そのうち沖縄に帰ってくる人が大半だ。
タクシー運転手などでも、一度は県外で働いていたが帰ってきたという人が多い。
この点は、本土の地方の県とはかなり違うのではないか。
◇「島を愛する」気持ちは、島唄の中にも、現れている。石
垣島出身の「bgin」の歌はその代表格だ。
「オジー自慢のオリオンビール」という曲は、「島のつくモノなんでも好きで、酒にマース(塩)に草履まで」「不景気続きでちゃ―ならん(どうにもならない)、内地で仕事を探そうかね。
金がないなら海にが行くさ。魚があれば生きられる。なんくるないさ、やってみれ」。
「このなんくるないさ」精神がある。
「島人(しまんちゅ)ぬ宝」(島の人にとっての宝物という意味)という曲は、「僕が生まれたこの島のことをどれくらい知っているだろう」、この青い空、海、そしてこの島の唄を。「大切なものがきっとここにあるはずさ、それが島人ぬ宝」と歌う。
島のすべてをとっても宝物のように愛する気持ちが込められている。
若い人が作る曲でもこうして歌われる。古い民謡でも、わが「生まれ島」をたたえた歌がたくさんある。
島の美しさ、人の心(肝という)の美しさ、豊作に恵まれた島だと歌う。
「世果報」という言葉がある。「ゆがふう」と読む。豊作の世、恵まれた世、幸せな世の中を言う言葉である。
歌では「世果報」を願うとともに、すでに「果報の島」であることが歌われる。自分の生まれた島をこれだけ好きになれるということは、とっても大事なことだろう。
◇といっても、沖縄は島ではあっても閉鎖的ではない。
島は海で世界とつながっている。
だから、琉球王朝時代から、中国はもちろん東南アジア、朝鮮、日本と活発に交易し交流してきた。
そこから、経済、政治、文化はじめたくさんのことを取り入れてきた。
サツマイモや豚、三線も中国から入ってきた。泡盛はタイが源流だといわれる。それを沖縄流にアレンジして、沖縄独自のものもつくってきた。
「チャンプルー文化」ともいわれる。
古い時代には、中国皇帝が技術、技能、知識をもった集団を沖縄に派遣して中国と冊封関係(これは中国の臣下になること)を続けてきた。
中国人は沖縄に定住し、那覇市内には久米村という中国系の人々の居住地域が作られていたし今もある。
中国系の子孫がたくさんいて、王府の重要は役職にもついた。いまでも、中国とのいわば華僑的なつながり、ネットワークもある。
沖縄人自身が、日本、中国、南方系などの人々がまじりあって形成されている。
戦後はアメリカからの多くの影響を受けたし、さらに戦前から南米やハワイ、北米、南洋諸島、満州へとたくさんの移民が出ていった。
世界中に沖縄移民と子孫がいる。そこから南米の食べ物や文化なども取り入れている。
いま逆に南米から二世、三世が沖縄に帰っている。4年に1回ほど「世界のウチナーンチュ大会」を開いて、世界中から移民の関係者が集まり交流もしている。
そういう意味では、沖縄は世界に大きく飛躍して広がりをつくりだし、交流している。そういう「チャンプルー」的なものがたえず発展し活性化する要素の一つにもなっている。
書き出すと、いろんな事があり、果てしない。
直接に人口増とは関係ないことですが、いろんな事が相互関係にあります。これらのことは、沖縄の素顔の一端ですが、住んでみるとよくわかることです。
それぞれの県はそれぞれの事情があっていまがあるので、沖縄のこれらが他県でも参考になるというようなことはないかもしれません。
沖縄はそれ特有の事情があっていまがあるので。でも、何かを考える参考になれば幸いです。確かなことは、本土では失われた大切なものが沖縄にあるということでしょうか。
HN:沢村
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