福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんの江戸33観音東京10社巡拝記」4/5

2015-11-22 | 開催報告/巡礼記録
4、11月8日午前11時40分、雨は、まだ降り続いています。地下鉄・早稲田駅から地下鉄に乗り、この日、第4札所で最後の安養寺に行きます。神楽坂で下車。これまでの町並みと違って、若い二人連れのカップルが、研を競うかのように、行き交い闊歩する「神楽坂」の町にやってきました。
江戸第十六番札所 天台宗 医光山長寿院 安養寺(東京都新宿区神楽坂6-2)
札所本尊 十一面観世音菩薩 宗派 天台宗
居酒屋、小料理店、雑貨屋などが林立する街中の角地に、辛うじて弧塁を守りぬくような境内を、高い土塀で取り囲まれてひっそりと佇むお寺です。入口の門柱に黒色の石版に「大聖歓喜天王 安養寺」と鋭く刻まれた寺名が、目を引きます。
由緒によれば、天台宗第四世、慈覚大師の創建に係り、往古は、江戸城内にありましたが、徳川家康が、江戸城入府の際、平川口より、当地に移されたといいます。爾来、300余年、同寺の周囲環境は、激変して、今では、往時の半分以下の寺域に狭まりましたが、寺の位置は、古地図と変わりなく、歴史の古さを物語っています。本堂の裏にさらに建物があり、そこでは住職のご母堂様が、案内され、同寺の縁起にまつわる寶物などや写真をみせられ、ご丁寧な説明をしていただきました。札所本尊は十一面観世音菩薩ですが、本堂のご本尊 薬師如来は、丈六坐像(2メートル余)の金銅仏で、厄除薬師として、江戸時代から、人びとから、親しまれ尊ばれてきました。第二次大戦の際、空襲で寺院は、全焼しましたが、薬師様のお顔、薬壷、手首は、奇跡的に無傷で残られました。これらを、京都の大仏師が、元通りのお姿に復元しました。お尊顔は、金色に光り輝いています。仰ぎ見る信者達には、自ずと渇仰の念が起きてきて、難病苦厄から救われるといいます。
大聖歓喜天・聖天さまは、近代の稀有の名僧といわれる第二三四代天台座主・大椙覚寶大僧正が拝まれていた霊天で、十一面観世音菩薩の尊像共に、比叡山から勧請された霊仏といわれています。その十一面観世音菩薩は、同寺の住職が、比叡山で回峰行を修行された時、叡南祖賢大行満から賜った霊仏といいます。聖天信仰の歴史の中には、政界、財界、武将などのあらゆる分野の著名人の名を見ることが出来、同寺内陣にある天蓋は、東武財閥・根津嘉一郎が奉納したものです。中陣には、文化功労者・豊道春海翁の額や、日展審査員・江守若菜氏の奉納、花樹草木図があります。(同寺の栞より)
御詠歌 「聖天と 身をあらわして 福聚海 無量の誓い たのもしきかな 」


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