福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

先ほど正眼僧堂師家、山川宗玄老大師のお話をNHK心の時間で拝聴しました。

2020-07-25 | 法話
先ほど正眼僧堂師家、山川宗玄老大師のお話をNHK心の時間で拝聴しました。
私の大変尊敬する老師様です。
昨年も夏に世田谷・龍雲寺の東京禅センターで直接老大師の謦咳に接する幸運に恵まれ、その時は「座禅していてどういう境地に達するか」というお話を具体的に伺い新鮮でした。密教では手法の細かい解説は伝授されてもその奥にある「以心伝心」の境地のことは触れられることはないのでとりわけ羨ましく感じました。
最近ではコロナで東京禅センターで直接老大師の謦咳に接する機会も途切れていましたが、今日久しぶりに尊敬申しあげる老大師のお姿をテレビで拝し本当に嬉しくなりました。
今日のお話の中で自分なりに印象に残ったのは
1、「拈華微笑」の公案を和歌山の興国寺にいるときに本当に解けた気がした、という所でした。「興国寺のご本尊も金波羅華を掲げられているお釈迦様でここを訪問客に案内している時に、ハッと気が付いた。『咲い』で自分と華とお釈迦様が一つとなった。自分も霊鷲山にいると思えた。」とおしゃっていたところです。「自分も霊鷲山にいる」とはすごい言葉です。私も毎朝修法をしていますがとてもそういう実感は沸きません。境涯の違いは天地の隔りです。
2、もう一つは「体露金風」の公案の話です。これは『碧巌録』第二十七則にある話で
「僧、雲門に問う、『樹凋み葉落つる時如何いかん』。門云く『体露金風』」というもののようです。「年取ってヨレヨレになり人生の黄昏時になった時如何?」といわれて「すばらしい黄金の風が吹き渡っているぞ」と答えたというところでしょうか。この公案を英語で見たロスチャイルドが年取って猶金風が吹いているなどとどうしていえるのか自分に引き比べても不思議で仕方なく、ついに日本にきて梶浦逸外老師に尋ねたといいます。すると老師、答えて曰く、「そんなものは座禅せにゃわからん」。そして一炷の座禅をさせたのち、老師が「分かったか」と尋ねると、ロスチャイルドは「分かりません」と答えた。その時、老師はわはははは、と破顔一笑された。それを見たロスチャイルドもいい顔になった。其の後集合写真を撮ったがロスチャイルドは中央で破顔一笑していた。(実際に写真を見るとその通りの顔でした。)
これなども大変心に残りました。

とくに昨日ALS患者嘱託殺人のニュースがあったばかりでしたから、本来『樹凋み葉落つる時・・・体露金風』なのに惜しいことを・・と思わぜるを得ませんでした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「観音の霊験」中根環堂その3 | トップ | 今日は一粒万倍日です。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事