福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

丙申逆打ミニ遍路報告・・14

2016-05-28 | 開催報告/巡礼記録

三角寺参拝の翌日は電車で伊予西条までいき、前神寺からお参りします
64番札所 前神寺。ここは石鎚大権現の遥拝所でした。真念「四国徧禮道指南」には「六十四番「里前神寺」・・本尊阿弥陀如来」とあり。悔焉房澄禅「四国辺路日記」でも、「夫(吉祥寺)より一里斗行て前神寺とて札所在り、 是は石槌山の里坊也」とあります。「和漢三才図会」巻七十九にも「里前神寺(六十四) 在同郡[新居郡] 山上東向、本尊 阿弥陀(秘仏)本札所は石槌山と号して麓より十二里甚高山也、 毎六月三日可登、 其余不能登故に里前神寺に於て納札す・・」とあります。このあたりの消息をまとめて、ウイキぺヂアには「前神寺は里前神寺と称されることもあるが、これは海抜1500mあたりにある前神寺の出張所を奥前神寺と呼び区分するためでもある。奥前神寺は本来、現在の成就社であったが、本寺の神社部門が、明治の神仏分離令により分離独立し、奥前神寺と里前神寺ともに石鎚神社となり、当寺は廃寺となる。その後、1878年(明治11年)に現在地に里前神寺が再興され、さらにロープウエイ山上駅の上に奥前神寺ができて現在に至る。」と書かれています。
何度もお参りしていますが、ここでは以前愚息の就職を祈願してその通りにならなかったことがあります。しかし結果はその通りにならなくてよかったのです。祈願したとおりになっていたら愚息は今頃退社していたかもしれません。神仏は愚かな衆生の願いのその先まで見通しておられると、ここへ来るといつも感謝申し上げるのです。本堂の阿弥陀様をお参りするとすぐ横の石段の上に一段高く石鉄権現様のお堂があります。下のお堂においていた荷持を背負い石段を登って心経秘鍵と心経をあげました。いつもは心経だけですが今回からは神社では秘鍵も上げることにしています。石段を降りると、本堂前のお守り売り場の役僧さんが「お遍路さん」と呼び止めます。いままでは「ご住職」と呼ばれることが多かったのですがあらためて「お遍路さん」と呼ばれると自分も遍路になりきっているのだとうれしい気持ちと、僧侶とは見られないのだな、というさみしいきもちがないまぜになります。何用かと振り向くと、「笠を忘れていますよ」と注意されました。笠だけおいて行こうとしていたのです。72番曼荼羅寺参道には同行が傘を忘れて出立したのを見た西行さんが「笠はあり、その身はいかになりぬらん、 あわれはかなきあめが下かな」と詠んだという歌碑が建っていますがまさにそうなるところでした。恥ずかしい限りです。
このあと、この役僧さんが、車でまわっている老遍路に「横峯はまだ10時過ぎだからお参りできますよ。今シャクヤクがさかりだからお参りしてきた方がいいですよ」と言っているのを聞いて、自分も今日中に横峰寺へお参りしようと急遽思い立ちました。


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