まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

針ノ木大雪渓を登る。

2022-07-31 10:04:11 | 日常

(針ノ木雪渓を望む。雪の多い時はこの辺りから始まるのでしょうが、今年は雪が少なく、画面中央の上のあたりが末端でした)
令和4年7月24日から27日
今回は白馬、劒岳とともに日本三大雪渓の一つに数えられる針ノ木大雪渓に行きました。
コースは大町市・扇沢を起点に針ノ木大雪渓・・針ノ木峠・・針ノ木岳(2821m)・・針ノ木小屋・・蓮華岳(2799m)・・船窪小屋・・七倉山荘に下る3泊4日の行程です。
今まで若い時には夜行で着て朝出発していたから1日短縮出来ました。年を経れば現地到着に1日要しますからこのような日程になりました。

(天気予報では雨の予報でしたが幸運にも外れて、最終日の七倉尾根の下りに少し降っただけした。何故ですかね。)
天気予報では初日晴れ、2日目は降水確率80%、以降2日は降水確率100%。天気図から判断しても仕方ないと考えていました。
しかし、実際に雨になったのは最終日だけでした。
現地では携帯電話が通じずその好天の原因は不明でしたが観音様の思し召しと感じています。
その為か、3日間で3回雷鳥を見ることができました。
雪渓とお花畑、白色のコマクサ、展望のすばらしさ、コーヒータイム、ゆとりある山行の楽しさを満喫した山行でした。

第1日目
午前5時 福山発、車両の回送を依頼し14:20扇沢発、15:50、大沢小屋泊

(扇沢の登山口の案内板です。)
針ノ木小屋と同じ経営者の2階建ての小さな小屋 2階に3室のみ、他に宿泊者は1名のみ。このような小規模な小屋では儲けにはならないでしょうが高齢者にとってはありがたい小屋です。

第2日目
午前5:30 大沢小屋発 雪渓取付き6:45・7:55雪渓終了・・9:30針ノ木峠(2536m)着・・針ノ木岳(2821m)・・針ノ木小屋泊

(待望の雪渓い歩きが始まりました。雪質も適当な硬さで快調に歩けました。本来なら上部の急斜面を登ることになったのでしょうが今回はその手前で終了したようです。この先、時間がたてば雪渓も消えて夏道の迂回路を歩けなければならないようです。幸運でした)
お花畑を見物しながら登る。地図では雪渓取付き地点1752⒨となっていたが実際雪渓が現れたのは1856m地点、終了点は2240mでした。距離は約1100⒨位です。
我々は6本と10本のアイゼンでしたから快適に登れましたが6月の記録では凍結してスリップ、転落者が続出、引き返したとの記載もありましたからこの上方の急斜面まで雪渓があったのでしょう。
パトロールの方が夏道の準備のためかピンクテープを設置しておられました。
この上の2270⒨地点に最終水場がありました。

(雪渓の最上部付近で雪渓をトラバースするところがありました。安全を期してか深く掘り下げられていました。雪質は氷結しており、この急斜面でこの硬さ,ピッケルがなければスリップしたらとまりません。雪渓の危険さの一端がわかります)

(針ノ木小屋。よくこの狭い鞍部に建てられたものです。南北方向とも最高の展望できる位置にあります。人手不足のためなかなか開業するかどうか決まりませんでした。)
急斜面にジクザクにつけられた登山道を登ると針ノ木峠、そこに小屋が建てられています。
まだ9時30分です。小屋に針ノ木岳往復2時間と記してありました。身軽で行くため小さなザックを持参すべきでした。

(お花畑と雷鳥。多くの花々と3日間毎日雷鳥に出会えました。画面中央の岩の上におります。将に保護色なのです。)

(針ノ木岳を望む。近くから見ると丸い山に見えますが遠方から見ると文字通り針のごとく尖って見えます。見る角度によるものです。)
登山道の足場がよくありませんがともかくお花を見物、雷鳥のお出迎えもありすばらしい展望を楽しみました。

(針ノ木小屋から南方を望む。左が北葛岳、右の三角形が船窪岳、その中央の丸い山が唐沢岳、遠方遥か右から槍ヶ岳,穂高岳、前穂高岳、大天井岳が望めます。)
小屋に帰り、このような思い出の山々を眺めながら香り高いコーヒーを飲むのはまさに至福の時です。
かって1584年、戦国武将の富山城主,佐々成政氏が浜松の徳川家康に面会するため、厳冬期にサラサラ越えの折、この針ノ木峠を越えたとのいわれがありますがこの目の前の深い渓谷を越えたはとてもも信じ固いことで何という意志の強さか感無量です。
今は人手不足で登山道整備まではとても手が回らないと聞いていましたがご年配の方が整備用具を背負い準備をされていました。公的な財政的な支援もすくなく大変苦労していることをお聞きしました。
ここまでの登山道整備でも石の組替え等の整備ヶ所はありましたが材木を使用しての本格的な整備は行われていません。資材がないのです。資材がなければ安全な整備はできません。私も地元で登山道整備をしておりお手伝いしたい心境でした。ご苦労が理解できるので、感謝の意を込め、お礼に1万円を小屋に寄付しました。

(針ノ木小屋の夕食。ビールを飲んだので最後になり、いそいで食べたので味わう暇もなくどこにはいったのかよくわかりません。)
小屋に入る時からマスク着用を強く言われました。夕食時は無言で、ビールを飲んでもおしゃべり禁止、早々に済ませ退室することを言われました。お客に対し何をそこまで言わなくてもと思いました。
後で涸沢ヒュッテ、燕山荘、唐松岳頂上山荘等多くの小屋でコロナ感染が発生したことを知りました。定員を半減し、感染防止策を施しても 発生すれば一巻の終わり。経営の危機です、厳しくしなければなりませんね。
納得です。

第3日目
針ノ木小屋6:30・・蓮華岳(2799m)・・北葛岳(2551m)・・七倉岳(2508m)・・14:40 船窪小屋泊
夜半 夜空を見上げると素晴らしい満天の星空でした。

(蓮華岳頂上付近の広大な砂礫の原。この砂礫にコマクサが生えています。すごい生命力ですね。)
急坂を上り広い砂礫の原一帯にはコマクサがいっぱい生えていました。かってみた燕岳では砂礫の細かい砂地でしたが、こちらでは人の拳よりも大きな岩礫の原から生えているのです。ここまで大きくなるには数年は要したであろうに先ずそのたくましさに感動しました。

(斜面をピンクに染めるコマクサ群生。このような光景は初めてです)
所によっては斜面がピンクになるほど無数に生えています。貴重なコマクサがこれほど生息していようとは本当に感動しました。日本一ではないでしょうか。
更に下りはコマクサが生えている砂礫の中に登山道が付けられています。当然道端の砂礫は段差があり崩れます。それにつれてコマクサも道端に流されます。砂礫で流されないように周囲を岩で包み込みましただどうにもなりません。そのところになんと大株の白色のコマクサが生えていました。

(この無限、無尽蔵のコマクサ群の中から、ただ1本の白色のコマクサを探し当てるなんて・・・信じられません。奇跡ですね。思いは通じる。)
この広大な砂礫原の中、沢山のコマクサの中、このようなところで一株の白色のコマクサに出会えるなんて何たる僥倖でしょうか。よくぞ現れてくれたものだ。これこそ観音様のお恵みに他ならないと感じました。
貴重なコマクサを守るためには登山道を移動するか、砂礫の移動、流失を防止するため段木を設置する必要があります。

(最後の岩場を北葛岳の登り口からのぞむ。上からでは下るルートがよく見えない。初めは真ん中のがれ場を下り、断崖の上に至り、行きづまり、左側の斜面に鎖場がありました。下からではよく径路がわかります。)
核心部の「蓮華の大下り」は「北葛乗越」まで524m下ります。後半の岩場の下りが要注意です。径路はかっての登山道整備に使用された古い段木に従えばよい。最後の岩場の下降では上からでは下山ルートがわかりにくい。まっすぐ下り、崖の上で浮き止まり。右側に鎖場がありました。
次の北葛岳を乗り越えてホットしたのも一瞬。目の前に急峻で高くそびえる七倉岳が現れました。威圧するような迫力があります。高度感があり、左斜面は深くけずられ切り落ちています。その稜線上に登山道があります、崩れたり踏み外して、万一落ちれば命はないでしょう。
やっとのことで乗り越えたときには本当に安堵しました。小屋はもうすぐです。

(船窪小屋。丘を下ると霧の中から突如として目の前に現れました。万国旗が懐かしい。鐘をならせば遠くでもわかります。無事到着です。)
緑の霧の中から突然に表れたのが船窪小屋。早速温かい茶を頂きました。
針ノ木雪渓であったパトロールの方に「蓮華の大下り」が核心部ですかと尋ねたとき「全部が核心部です」と言われた意味が理解できました。厳しいコースでした。

(船窪小屋のいろり。店主の人柄同様あったかいです)

(船窪小屋の夕食、ごはんもお汁もお代わりできます。)
囲炉裏のある温かい小屋です。心のこもった料理はいつも通りです。
2人用を一人で使用できるのでゆったりできました。
ただ水がなく、今まではチベットから来たアルバイトの方が遠方の谷からの水汲みや登山道の整備をしておられたのですが今年も来日ゼロ。天水を煮沸して使用しているとのことでお水は貴重品です。
その為、飲用や体をふいたり歯磨き用にも水を購入しなければなりません。
2㍑ 800円でした。

第4日目
船窪小屋 5:50発 11:30 七倉山荘着
夜中、時折、雷鳴が光る。
明け方から雨になりました。雨支度をして外に出る。ご夫妻と記念写真を撮り再会を約して出立。
いつもの通り鐘を鳴らして見送っていただきました。
小雨の中、ながい尾根道を下る。標高差約1400⒨。多くの梯子や滑り易い岩や木の根に注意して下る。階段の横木が半丸ですから特に下りは滑りやすい。岩場や木の根が張り込みまともに歩けるところがない感じです。一足ごとに滑らないよう注意して足を置いてもそれでも3回あまりスリップした。
今まで登ったことがありましたがこんなに下りで苦労するとは思いませんでした。悪路でした。

(長い、ながい下り道。この標識に勇気づけられました)
道中につけられた行程距離標識に勇気づけられました。
七倉山荘の温泉気持よかった。いいお湯でした。ゆっくりと裸で寝ころび森林浴で身を癒やしたい心境でした。最高でした。
高齢者登山、今回はゆったりとした行程で登山を楽しめました。
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海見山に標識設置す。

2022-07-17 22:38:12 | 日常

(生い茂る笹原を切り開いた山頂の三角点と設置した山頂標識です。)
令和4年7月17日
今日は前回6月19日海見山に登った時お約束した標識ができたので持参し設置してきました。好
あの日以来 山頂標識「海見山」と「海見山登山口」の2枚の標識を作成し,いつ届けられる好天気を待っていました。
戻り梅雨のような天候が続いていましたが明日から又雨の日が続く予報でしたので思い切っていきました。
鈴張の急坂を上っていると美しい秀麗が見えてきます、急坂を登った先端にあるのですから前方には美しい瀬戸の海が見えると期待しますが、実際は深い樹林帯で全く展望が効かないなんて信じられません。

(入り口から3000m 、林道分岐点にある登山口、前回見落としたのでわかり易くするため設置しました。
入り口段木にも一言書いて設置しました。めったに登山者は来ないでしょう。「よう来たね」この気持ちご理解いただけますか。)
前回の時標識がなかったので今回持参し、設置して帰りました。
これでお約束が果たせて一段落、課題がひとつ達成できました。
来週末には針の木岳、日本三大雪渓と船窪小屋に行く予定です。
アルプスに行くにしてはちょっと訓練が物足りない気がして帰りに府中町の体育館に立ち寄り、ストレッチ、バイクやランニングマシンのトレーニングに1時間あまり汗を流し、さっぱりして帰りました。
来週も雨の日が多いようですから、その時にはここに来て更にトレーニングを行うつもりです。
週末、土曜日には本格的な梅雨明けとなりますように観音様にお願いしましょうか
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奥穂高岳訓練山行第2弾

2022-07-10 22:21:40 | 日常

(左側のピークが烏帽子岩、その下がクライミングのゲレンデ。その右側、中央の岩稜がアイゼン尾根、アイゼンの訓練に登ったのでこの名称がついています。)
令和4年7月10日
今日、奥穂高岳訓練山行の2回目を行いました。
前回は5月19日でしたが今回もまた同じ天応の烏帽子岩山のアイゼン尾根で行いました。
同じ時刻の9時集合でしたがこの時期の天応では岩場訓練は午前中しかできないこと失念していました。
午後からは岩が焼けて熱くなり鉄板焼きのようなものですからとても登れないのです。
私は集合前に登山道整備のため8時前墓場前の駐車場に着くと大勢の中高年の登山者がおられました。
どこに行くのかと尋ねると「なめら」ということでした。
初歩的な講習会でもされるのでしょうか。
早速、3か所に段木を設置しました。
8時30分、恒例となりましたコンビニの駐車場で今日の訓練の内容、目的を説明し道路の縁石を使用しての集中力の訓練をおこないいました。
集中力の訓練は安全登山を行うための基本です。一挙手一投足、一手、一足の手順を考え、気を抜かない。集中力を切らさなかった。その証拠に滑り易いごろ石や砂地の急な坂道にも拘らず誰もスリップ・転倒することがなかった。今まで何回も訓練山行に登つたけれど初めてのことです。
炎天下、5時間30分余りの行動時間であったが緊張感を持って行動できたことは素晴らしい成果です。
今回の訓練は気合が入っていました。
というのは数日前。誰か先輩たちから言われたのでしょう。「私たちの実力では前穂高岳から岳沢に下る重太郎新道は危険で無理です。登りに使ったザイデングラードを往復する方が安全ではないか、変更してほしい。」との申し入れがありました。
初心者がワンランク上のクラスを計画するときにはよく言われるご意見で過去にも何回もありました。
彼らは一般論で実情は知らない。私は参加者にその場所に行ける実力があるか。そのためには何が必要か。そのための技術を訓練している。その実力があれば実現可能である。
必要な能力はゆっくりでも30キロ、10時間歩行できること、岩稜を安全に上り下りできる能力。実際には今まで神島一周訓練も行い。今回、天応、烏帽子岩山のアイゼン尾根を2回、安全に上り下りできた。その他必要な現地の山岳情報はリーダーである私が所持している。
プラン実施に支障はない。
その回答にいつものことながら私のブログ、2014年6月3日「山岳会だからできる山行」を見て判断するように回答した。
おって、「リーダーを信頼します。訓練しますから連れて行ってください。」との回答がありました。
このような次第ですから今日の訓練は真剣に行いました。。

(懸垂下降は安全で楽です。)
訓練中に「私が登るように登りなさいと指示しているのに立ち木を持って自己流に登るものがありました。」
「結果オーライではいけません。私が教えたいことは、クラックをアンダーでもって登るやり方を体験、学んでほしいから教えている。」
今回の山行に必要な技術ではないけれどもワンランクアップの環付カラビナを使用しての懸垂下降や、トップを確保するためのイタリアンノット(半マスト)を実際に行ってもらい、安全にまた楽に下降できることを体験してもらいました。
熱中症が懸念される状況でしたが頻繁な水分補給とエネルギー補給に努め、炎天下対策を施したので無事に終えることができました。

(炎天下、冷えたスイカはたまりません。塩が利いて最高です。)
途中の休憩時にスイカを食していただいたこと。昼食時用にアイゼン尾根は炎天下の為日陰がないので山頂先の樹林帯の中に日陰の広場を設けていたので昼食中も快適に過ごせました。
参加者にとっては自己の実力アップを体験した充実した訓練山行となったことでしょう。
私も冷房の効いた室内に避難することではなく、しっかりと汗を流すことが熱中症に打ち勝つ方法であることを再認識しました。

追記
7月13日に神島一周訓練をしたとの報告がありました。朝5時30分出発、10時間30分要したとのこと。炎天下よく頑張りました。この訓練をする気概が大切です。必ず成功させましょう。)
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初めてハンドボール(女子)の試合を見る。

2022-07-03 20:51:55 | 日常

(1等賞で選手と2ショットの記念写真、ラッキーのひとことにつきます。
令和4年7月2日
今日、13時からサンプラザ(西区商工センター)で開催された日本ハンドボール(女子)リーグ開幕戦「イズミメイプルレッズ」対「飛騨高山ブラックブルズ岐阜」を初観戦してきました。
私が通院している病院にポスターが張ってあるのを見て行きました。この病院の方がこのチームのトレーナーをされているようです。
この会場はバレーボールとかバスケットなどいろいろなスポーツ会場として使われているところです。
プロスポーツの真剣勝負の迫力のある動作が見たくて観戦に来ました。
初めてなので1時間前に来ました。入場料は自由席で1800円です。1回は特別席で役員や選手の堰で観客は2階から観戦するようです。

(始めてきてこの商品、びっくりです。)
入場してガラポンの抽選がありました。ガラガラ回すと赤い球「パンパカパンー」おめでとうございます1等賞です。内容は「メイプル選手と2ショット撮影券です。
試合後に2ショット撮影したのは私を含め3組でした。かなりの希少価値のあるものでした。私が指名したのは近藤万春選手センターバックで世界選手権に出場経験のあるスター選手です。
試合は前後半30分。ゴールキーパを含め7人。自由に交代できます。「走る、投げる,跳ぶ」の迫力あるものです。100キロ近いボールを6⒨のゴールライン近くから投げ込むのですから迫力あります。キーパーを交代しての7人の全員攻撃の時にはたいてい得点しましたが時には阻止されたときにはゴールキーパーがいないので逆襲して得点される場合もありました。
この試合は28対26でメイプルレッズが勝利しましたがよく得点するので飽きることがありませんでした。

(開幕戦でこの観客、まだまだマイナーですね。頑張ってください。応援します。)
観客になかには中高学校でクラブ活動でやっているような若い生徒たちも大勢観戦に来ていましたが地元の応援団が大部分1000人程度ではないでしょうか。
今シーズンの試合数は20試合程度、ホームゲームは10試合、せっかく1等賞をもらったのがご縁で又応援にに行きたいと思います。
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生涯現役と年齢制限

2022-07-01 18:22:16 | 日常

(この表は最盛期と55歳から59歳の劣化の比較ですから78歳ともならがさらにその差は大きくなります。)
令和4年6月30日
私も今年で78歳。男性の平均年齢は81,41歳、日常生活において支障なく暮らせる健康年齢は72,68歳。
あらためて顧みれば、かなりの高年齢になりながら今だに現役で働いていることに一抹の戸惑いも感じています。
先日赤帽組合から呉市内の工場で3名の作業依頼がありました。
氏名、住所、血液型、既往症の有無とともに年齢を聞かれました。
年齢ときて一瞬「ギクー」としました。
高齢者だからだめかもしれないと思いました。
昨年、高齢者の労災死亡事故が増加しているとの報道の直後、大手工場内で作業予定の従業員が年齢を聞かれ高齢者ということのためでしょうかキャンセルになったことがありました。
今回は工場内新規入場者に対する安全教育を施すための処置と分かり、予定通り従事することが出来ました。
組合の事務員さんからは「福原さん、お年は78歳ですか、とてもそのような年齢とは思いませんでした。」
この頃、コロナ禍の為平素は帽子をかぶり、マスクをしていますから顔の表情はわかりません。
また、人の嫌がる体力勝負の仕事も登山のための訓練と心得、一生懸命にやっていましたから高齢とは思わなかったのでしょう。

「人生100年時代」の到来とともに元気な人は生涯現役として働き続けることが求められる時代です。
年金生活者も物価上昇にもかかわらず年金額は減額され財源も枯渇がいわれ、支給開始年齢も引き揚げられ、将来の支給に赤信号がともり少しでも収入額を増やすには働かざるを得ないのが実情です。
その為00年度には870万人の高齢者就業者が昨年度には1430万人を超え、全就労者数の21%にもなっています。
それに伴い高齢者の労災死亡事故も増え2021年度の死亡者は360名、全体の43%の高率となっています。
高齢になるほど事故が増えています。
この事故防止のため中央労災防止協会が発行した生涯現役社会実現のため高齢労働者の安全と健康確保のために職場改善をいかに進めるかを記した「エイジアクション100」が高齢者の行動の特質について詳しく述べているので参考になりました。
高齢者の年齢が高くなるほど個人差が大きいということ。暦年齢(生年月日)と「生理的年齢」(運動機能テストから判定した生理的年齢)です。
暦年齢が25歳の時には生理的年齢は4歳程度のばらつきですが、75歳では66歳から84歳までの18歳という大きな差が付きます。
生理的機能(視力、聴力、バランス機能)は早い段階から低下する。
体の下部から劣化が始まる.脚力から始まり指先が最も遅い。
私は今まで筋力は25歳を境に年1%づつ減少すると理解していましたが体の各部位により異なることもわかりました。
個人差が大きいということは平素の努力の差が大きいということ。
各々が自分の体の状態をよく知り無理をしないこと。今までできたのだから今回もできるだろうと思うと間違いです。今は筋力が低下してオーバーワークとなり痛めるのです。
痛みは故障の前兆です。すぐにやめましょう。

若い時の挑戦は高みをめざし、技術、体力の極限を目指すものでした。
これからの挑戦はいかに現状を維持するか、気力の低下、トレーニングを回避したり、楽を求める弱い心にいかに打ち勝つかというささやかのものです。
大きな目標もまずは手身近かな一歩から確実にこなし、日々の努力、トレーニングを継続し、少しでも前進してゆきましょう。
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