まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

何と、「似島にホタルがいる。」

2024-04-28 22:57:17 | 日常

令和6年4月27日
瀬戸内海、広島湾の似島にホタルがいる。
ホタルといえばきれいな清流の代名詞ですがなんと川のない似島にもいるのです。
「似島にホタル?]
今年2月、例会山行でこの島を40人で訪れ「安芸の小富士」登山をした時、観光案内のパンフレットに書いてあり,ホタルがいることを知りました。
3月、南区広報誌に「ニノシマホタルを育てる里人の会」で参加者募集の記事があり、すぐに申込ました。
そして今日、初参加・草刈り作業等してきました。
参加者は19名、南区の地域おこし推進課の方、似島の公民館の方など役所の方が9名、一般は私など高齢者が5名、子供さん連れのご家族が5名という内容で若い方はおられませんでした。
今日、似島に渡るフェリーは超満員で座る席がないほどの盛況、若い方や子供さん達でいっぱい。いつもはガラガラなのに初めてのことです。皆さんホタルの作業に参加されるのかと驚きました。同じく似島学園前で下船されましたが新しくリニューアルオープンした「ユーハイム似島歓迎交流センター」利用者の方達でした。


わたしたちは19名のみです。
私達の作業場所はその施設から約500m位先にある竹林のホタル池と称される場所です。
作業はホタルの生育環境を維持するため、草刈りや竹藪の整理等の作業です。

(竹藪の伐採、草取り作業中です。)
私はホタル池といわれる湿地帯、かつては田んぼがあったところで小川から竹筒で綺麗な水がいれられています。そこの草刈りをしました。
長靴を履いていますが底なし沼の様ですっぽりと埋り抜けません。だから埋らないように何枚も足場板を敷いて作業をします。
できるだけ草をひき抜きましたができにくい所は草刈り機で刈り取りました。
ひき抜くのも足元が悪いので力がいります。
かなり腰にきます。
泥だらけになりながら作業をしました。
(作業前のホタル池。草がよく茂っています。周囲の草は抜き取りましたが内側は刈り取りました。)
(作業後の写真。綺麗に刈り取りました。足元が柔らかく埋るので足場板を敷いて作業しています。)

南区の担当課の方々もよく頑張っておられます。
毎年発行されている「似島ホタルの里通信」は今年で18号を数えます。
長年にわたり広報活動も行い、広く周知し多くの市民に参加を求めておられますがなかなか参加者が集まらないようです。
私が知ったのも今年ですから、多くの市民は知らないでしょう。
テレビや新聞で取り上げられれば知名度も上り、参加者も増えるのですがなかなかうまくゆかないようです。
何か良い方法はないものでしょうか。
例によって中國新聞に投稿しましょうか。
広告の重要さ、広告費が高い理由がわかります。

にも
(新品のコテージ、他にも食堂棟、炊飯施設も作られ、日帰りレジャーにも便利になっています。)
しかし、今チャンスが訪れようとしています。
今朝 大勢の訪問者を見たではありませんか
今年4月、「似島臨海少年自然の家」を建て替え、立派な「ユーハイム似島歓迎交流センター」にリニューアルオープンしました。観光客・町内会・子供会や企業研修等で多くの人が訪れています。ホタル観賞もプログラムに取り入れていただければきっと見れば感動していただき保護活動に関心を持ち参加する人もあるのではないでしょうか。
施設側にも「ホタル」という見どころが増え、メリットあるのではないでしょうか。宿泊施設も10棟ものコテージが用意され、次回のホタル鑑賞会は以前の施設しか空いていないといわれました。人気があるようです。
登山、海洋レジャー、自然観察等この施設は新しい似島の起爆剤となりうる。
私は新鮮な地魚料理を食べる為,遠路、岡山の真鍋島まで出かけています。
似島なら宇品港からわずか20分。手近かな距離ですからすぐ来れます。
「やればできる」 これを逃せば似島の繁栄はないでしょう。

ニノシマホタルはヒメホタルの一種で「森のホタル」と呼ばれています。
主に山岳地帯で標高1000mくらいの林間に生育しているようです。
それが似島のような平地に近い場所に生息しているのですから不思議ですね。何か条件にあったところがあったのでしょうか。
これもご縁というものでしょうか。
身近なところにあり、希少なものですからいとおしくなります。
大切に守り育てたいと思います。
5月25日に早速にヒメホタルの鑑賞会があるとのこと楽しみにしています。
また6月23日にはヘイケホタルの鑑賞会も予定されています。
両方見れるとはすごいですね。楽しみです。


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情熱のピアニスト、中村紘子

2024-04-24 22:57:24 | 日常

令和6年4月20日
今日のNHKの「おとなのEテレタイムマシン」という番組で、43年前の1981年、第848回N響定期演奏会の様子を放送していました。曲名はチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」ピアノ奏者は有名な中村紘子さん37歳の時の演奏会でした。
タイムマシンで再放送されるということは人気のある映像ということでしょう。
音だけで聞くよりこの映像で鑑賞すると一味違うものがあるということを感じられたからではないでしょうか。
43年前の先達に叡智に感謝します。

【自由自在に演奏します)
驚きというか、迫力あふれるすごい演奏会に圧倒されました。クラッシック音楽は静かに耳を傾けるものです。演奏会に行っても会場から静かに聞いています。一段低い位置からや離れた位置からの鑑賞ですから手先等の細かい動きはわかりません。今回は映像ですから各方向から演奏者の手の動きが克明に写されています。今回のこの演奏会の場面は「耳で音を聞く」「目で奏者が打ち出す手先が醸し出す音を見る」という立体的な感覚を味わえた演奏会でした。
(これで力を込めて フィニッシュ)
これを見て「もやもや」とした脳内がすっきりと一掃され、実にさわやかな気持ちにしてくれました。クラッシック音楽が認知症治療に効果があるのではと疑わせるような気持にさせてくれた演奏。静かな、かすかに聞こえるような小さな音の時は穏やかにピアノに向かい、激しい場面にはしっかり指を点て鍵盤にたたきつける激げしい動き、その迫力に圧倒されました。40分余りの演奏ですが譜面はありません。全て暗記されていました。
ピアノの演奏場面は初めから終わりまですべてが収録されていました。時間を感じさせない素晴らしい演奏会でした。
(演奏を終えて笑顔がはじける。)
ある人が言っていましたが「ピアニストは体操選手と同じような筋肉量を持っている。」と。太い二の腕、がっちりとした肩、長時間激しい演奏をするにはこの体でなければできないと納得しました。
感激への感謝とお礼を込めてしっかりと拍手を送りました。
「ブラボー、有難う」大きな拍手はいつまでも鳴りやみませんでした。
ありがとう。本当にありがとうございました。
ご苦労様でした。
この演奏会を再び見るため「NHKプラス」に加入しました。
放送から1週間は見れます。
何回も見ることでしょうがしっかりと音と場面を目に焼き付きたいと思います。
良い音楽は心を元気に活力をもたらしてくれることを再認識しました。
中村紘子さんは2016年72歳でお亡くなりになりました。
素晴らしい音楽をありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りします。
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来年の大和路探訪は・・・吉野山に行きます

2024-04-19 22:56:33 | 日常
令和6年4月19日
今年の大和路は又兵衛桜に代表されたように桜、桜のシリーズでした。
次を考えると私の一番行きたいところは吉野の喜佐谷の象の小川である。
  わが命常にあらぬか昔みし象の小川を行きてみむため(3-335)
大伴旅人が大宰府に赴任していた時、もう一度象の小川を見て死にたいと恋焦がれた清流です。
2年後,上京の時鞆の浦でむろの木の歌、3首を残しています。
我妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき(3-449)

私も前回、平成9年4月、いまから27年前に同様の例会山行を行いました。
その時見た象の小川の神秘的な情景を思い出し、また行きたいと思い企画しました。
吉野山は今は桜で有名ですが万葉時代には「水の吉野」が有名でした。
都の飛鳥川は小さな小川のような川でしたが、吉野川は水量も多く岩を砕いでながるる激流は都人にとっては驚きいがい何物でもありません。
持統天皇は在位10年間に31回も訪れておられます。
今回は頂上の青根ヶ峰まで登りいろいろな桜を堪能しましょう。

いまNHKの朝ドラで「虎に翼」を放送していますが元祖はこちら「虎に翼をつけて放てるなり」という言葉があります。
671年天智天皇が病床に就き、弟の大海人皇子に譲位しようとしたが、彼は「ご子息の大友皇子に譲られるのが良い、私は病気平癒のため出家してご祈念する」といって辞退。直ちに剃髪し頭を丸め出家、武器も返納し吉野に旅立った。
この様を見て世間の人はこのように噂したのです。虎は大海人皇子、翼とは妻の鵜野皇女(後の持統天皇)のこと。本来なら家族は人質として都に残し監禁しておくところですが策を誤りました。吉野逃亡行は無防備ですから襲われたらひとたまりもありません。必死な思いで人目につかぬように山越えしたことでしょう。半年後に兵を起こし近江朝廷を倒し天下を取りました。
今回はその吉野への山越えの道を歩き足跡を偲びたいと思います。
いろいろ調査し来年4月に実施したいと思います。
ご期待ください。

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予期せぬ出来事

2024-04-15 14:59:15 | 日常
(熊本産のお肉でした。量も多いので3から4回に分けていただきます。)

令和6年4月12日
今日宅配便で覚えのない荷物が届きました。
冷凍品でした。開けてみてびっくり沢山なステーキ肉のパットでした。
先月の住宅設備展示場に訪れた時アンケートを書いたときの当選商品でした。
こんな抽選会で当たるとは初めてのことです。
「ラッキー」の一言です。
昨年末に住宅をリフォームした時の業者さんから招待状をいただいていたものです。
すでにリフォーム済みでしたので今更見学する必要はなかったのですが、会社の近所のクスノキプラザで開催されたので軽い気持ちで訪れました。
住宅の耐震構造への改造,断熱工事、二重窓や給水設備、太陽光発電等、各種の補助金制度等、関心のある内容、展示がなされていました。
それらに関する質問事項がありそれに対するアンケートに回答を記して提出するものでした。
そのアンケートのお礼として、景品商品としていろいろなものがありましたが私はお肉希望として提出していたのが当たったのです。
どのくらいの当選確率だったのでしょうか。
私は山に行く前には必ずスタミナ源としてお肉を食べて行きます。
今回も2日間しっかり食べて行きました。
今回は後になりましたが美味しいお肉を食べて元気を取りもどしたいと思います。
本当にありがとうございます。
ラッキーでした。
ご褒美でしょうか。
ありがたく頂きます。

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例会山行「高見山(1248m・音羽山(851m)・長谷寺」

2024-04-09 21:21:22 | 日常
(又兵衛桜)
令和6年4月6日から7日
このコースの山行は2000年にも実施しました。
当時のNHK大河ドラマ「葵三代」のタイトルバックに又兵衛桜の雄姿が採用され評判になりました。
あれから24年、年齢・体力の衰えとともに登山のありようを考えるようになりました。年配の仲間から「山に登れなくなったが福原さんから万葉集を教わったお陰で日本の各地の歌枕を旅して楽しんでおります。」といわれました。
植物や花鑑賞と同様に万葉集も山を楽しむレパートリーになると考えました、
〈旧伊勢南街道の石畳)
今回のぼる高見山には麓を通る旧伊勢南街道があり、私の好きな大伯皇女と大津皇子の物語に登場する場所です。
この山道は大津皇子が死を目前にして伊勢にいる姉に会いに行くため秘かに越えた山道である。
「二人行けど行きすぎがたき秋山をいかでか君が一人越ゆらむ」(巻2-106)

(アセビの花言葉は「清純な心」「献身」漢字では「馬酔木」と書き、馬が葉を食べると足が痺れて酔ったようにふらつくことからきています。皇女にふさわしいお花です。)
弟が処刑され、大伯皇女も伊勢神宮斎主を解任され、都に帰る時この峠まで来ると多くの馬酔木が咲いていた。それを見て詠う。
「磯の上に生うる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りといわなくに」(巻2-166)
こうなるとこの山道は何もない普通の山道ではありませんね。心揺さぶる熱き道です。ありがたき山道です。

(2日目は雨の予報で低体温症の予防策をメールしました。直前の予報であり疑いませんでした。雨の準備し覚悟していました)

もうひとつ。初めの天気予報では2日目は雨でした。
雨の時には長谷寺行は中止、冷えた体を温めるため風呂に入って帰れるよう予定変更も考慮していました。
このような訳で4月3日、参加者には雨で低体温症にならぬよう衣類に注意するようメールを発しました。
ところが当日は良い登山日和でした。すべてが順調でした。
観音様が見守ってくださったのでしょう。天気でした。
いつも一緒に行く仲間は観音様のお陰と感じられていることでしょう。
知らない人は単に「ラッキー」と捉えられてことでしょうが・・・

第1日目
参加者16名(男女各8名)午前5時30分福山出発。「2024年問題」で運送関係は労働時間が制約され運転時間も規制されています。
吉備、三木、かつらぎで休憩、渋滞も加わり30分余り遅延し高見山登山口着。
高見山は「和製マッターホルン」呼ばれている秀峰で冬の霧氷が有名です。
登山口から標高差約800mありましたが皆足調をそろえて、4時間20分余りで往復しました。時折残る石畳に往時をしのび歩きました。旧伊勢南街道の小峠では万葉和歌を朗詠しました。

(阿騎野の朝の壁画鑑賞)
中央公民館には渋滞の為到着が遅れ、職員の方は残業になるにもかかわらず、時間を延長して『阿騎野の朝」の壁画を鑑賞させていただきました。
本当にありがとうございました。
それから旅館の風呂が小さい為時間を要するので大宇陀温泉「あきのの湯」に入浴して汗を流し今夜の宿「今阪屋旅館」に入りました。18時15分でした。予定通りすべて順調でした。
ちいさな宿ですから今日は我会の貸切です。
今夜の夕食は薬草御膳のフルコースです。
この宇陀は薬草で有名な土地なのです。
不老不死の妙薬と信じられている水銀の産出地であり狩猟、薬狩りの地として薬の町の伝統を今に引き継いでいます。

(料理のお品書きです。)
(焼肴  さわら香草焼・バジル・チャービル・青じそ・せり・ディル
胃腸改善効果・リラックス効果ありとのこと)
吉野葛など体に良いものがふんだんに調理されています。
見た眼もきれいでおしゃれでした。
天ぷらも当帰・ヨモギ・エゴマは当然としてユキノシタやドクダミもありました。
フルーツほうずきや豆粒のようなトマトも珍しい。
昨年好評の鴨鍋も追加しました。
皆さん大満足の様でした。
食後は恒例の二次会で和気あいあいに自分の考えを述べ、夢を語り、楽しい時を過ごし、親睦を深めました。

第2日目
今日のコース、これを見るため参加したという方があり、3者3様の格別な思いがありました。「又兵衛桜をもう一度見たい。」「音羽山のワンちゃんに会いたい。」「単独行動でも長谷寺に立ち寄る。」という期待のコースです。

6時30分食事、7時出発。
最初の向かったところは「かぎろいの丘」、昨日公民館でみたとおりの風景が今ここにあります。

「ひむがしの野にかぎろいの立つ見えて、返りみすれば月傾きぬ」(巻1-48)

厳寒期の早朝、今から狩が始まるという緊張感、情景を思い出し、その場所に今立っていると思えば心が高ぶる。実地体験の緊張感である。
毎年末、この地で同じ光景の見える日にちに大焚火を焚いて同様の風景を見る「かぎろいを見る会」が開催されています。
里道を15分余り歩くと桜の風景が前面に広がる。多くの人が向かっている。早朝なのにすでに駐車場がいっぱいです。すごい人気ですね。見物の協賛金一人100円を支払う。桜並木の中央に堂々とした枝垂れ桜の又兵衛桜がそびえたつ。しばしたたずみ写真を撮る。
ひとまずは前面にそびえる経ヶ塚山を目指す。谷川沿いの山道を歩き尾根道に移る地点が竜王神社です。ここからよく手入れされた杉林の尾根道だ。心地よく歩きやすい道だ。
(滑り易い坂道に安全ロープを設置する)
頂上近くの巻き道の分岐地に着く。下見の時、直接頂上に直登する道が急で滑りやすいので安全のため、50mばかりロープを設置するよう準備してきました。
登りはまだしも下りでは大いに役立つことでしょう。
経ヶ塚山、音羽山は尾根の道、有名な山なのでしょうか多くの登山者にも出会いました。
(テレビで有名な音羽山観音寺、大勢の方が登ってこられました。)
念願の音羽山観音寺に到着しました。元気な声で犬のオサム君に出迎えてもらいました。テレビで見たとおりの庭先のたたずまいでした。
大きなイチョウもありました。
この参拝道、舗装してありますが急すぎて転びそうですお手伝いの方は毎日この急坂を上り下りされるのですね。ご苦労様です。
下居(おりい)にてバスに乗車。長谷寺に向かいました。お寺の近くの駐車場がありすぐに参拝できました。

(国宝の本堂にある舞台造、よい眺めでした。)
長谷寺は真言宗豊山派総本山の寺院。天武天皇の勅願により686年に創建された古いお寺ですが国宝の本堂を始め荘厳な13寺社によりなる寺院です。お花のお寺としても有名ですが京都の清水寺のような舞台造の展望台もあり、見どころも多くとにかく立派な奈良を代表する寺院でした。
入口の仁王門から本堂まで399段の登廊がありました。段差がなく広くてとても登りやすい石段でした。女性に人気のあるお寺の配慮が感じられました。
1時間30分ゆっくりと見物しました。



15時30分に出発、19時には全員無事に福山に帰りました。
天候にも恵まれ、事故もなく、予定したことはすべてやり遂げました。
CL,SL,会計係、記録係の皆さん本当にお世話になりました。
次回をお楽しみに、また会いましょう。
今回の山行で万葉集が好きになっていただければこれに勝る喜びはありません。
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