まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

台風12号無事に過ぎる。

2018-07-29 15:50:12 | 日常

平成30年7月29日(日)

台風12号は奇妙な台風、不気味な台風です。予測できずそれだけに悪い予感がしていました。山陽自動車道も道路上の土砂が除かれただけで崩落地の状態は手つかずですから雨が降れば土砂が流れ込み、再び通行止めになることでしょう。豪雨の震災地も雨が降れば再び土砂に埋もれる心配があり多くの人が前夜からの避難勧告で避難されたようです。台風の進路が西に向かうとは初めてのことで未経験なことです。強力な高気圧と寒冷渦のために西向になったとのこと。このようなことがあるのですね。自宅の周囲を整理しました。甚大な被害が予想され息をひそめて無事な通過を祈りました。前夜は明るい月が見れました。午前6時、無風ながら曇っています。雲も北から南に流れています。進行方向が西向きと逆だからでしょう。交通機関は動いているのは新幹線のみ。短距離の宮島航路も欠航。暴風圏がなくなった。あとは雨だけですからちょっと安心。午前9時、雨が降り始める。しとしととした降り方。13時、広島市を通過。992hPa、時速35キロ、普通の低気圧になった。午後15時、雨もやみ、東の空には青空さえ見える。いつもは西から晴れますからこれも逆です。15時25分府中町が避難勧告解除。宮島航路も回復。豪雨災害の被災地の方も一安心されたことでしょう。この先台風は九州の方に向かいますが被害のなきことを祈るばかりです。北陸地方は台風の南風のフェーン現象により39度以上になったとのこと。先日の研修会どうりの現象でした。理論どうりもあれば今回の台風のように西向きに進む異常なこともある。これもよい経験というべきでしょうか。

 (写真は台風通過後東空から晴れる。いつもは西から晴れるのに・・・・)

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天気に関する研修会

2018-07-27 13:45:24 | 日常

平成30年7月26日

今日午後6時30分から福山市民参画センターで標記の研修会が開催され講師を務めました。参加者は17名でした。猛暑で出にくいなかよく参加されたほうではないかと思います。内容は今はやりの気象予報士のことや山岳遭難の概要について説明しました。救助要請は携帯電話等でなされることが多いいが通話範囲が限定的であること、電源がすぐに消耗するので必ず予備電源を所持することを要請しました。雨の降る仕組みや低気圧や前線の構造等も説明しました。天気図等の資料に基づき判断を自らのすることの大切さ、巻雲、富士山の傘雲、悪天の兆候等についても勉強しました。前線の通過により天候がどのように変化するか体験が楽しみです。的中すればますます天気に関心を持ってくれることでしょう。今年の暑さの原因、特徴について私なりに解説しました。かんかん照りのため雲が少なく、入道雲もあまりできないのは巨大で、強力な高気圧のため雲のもととなる水蒸気が蒸発して発達しないので夕立がないことを付け加えました。観天望気よく空を見て変化に気を付け雲と友達になるようお願いしました。空を見ていれば気が付くことも多いいですから。。。最後に蔵王山整備のご支援と交通事故がないよう注意をお願いし終了しました。みなさんよく聞いてくれました。ありがとうございました。

 

 

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異常な出来事・・・酷暑と交通死亡事故

2018-07-21 22:33:21 | 日常

平成30年7月21日(土)

集中豪雨以降一滴の雨も降らず異常な酷暑が続いています。まだ7月で真夏の8月ではないのに連日35度の猛暑日が続き夜になっても気温が下がりません。今までは夜は寝るときには少し気温も下がり、窓を開けっぱなしにしてクーラーをかけることなく過ごしていたが今年は暑く、朝までクーラーをかけることが多くあります。体が冷えるためか疲れが取れません。異常なことに気が付きました。今までは強烈な夏の太陽の日射があれば上昇気流が起こり、もくもくと入道雲が沸き上がり、夕方になれば夕立がありました。今年は雲自体が少なくカンカン照りです。まるで砂漠のような感じです。ここ数日は特に気温が高く、被災地の土砂のほこりとも思えませんが空を見ても靄か黄砂に包まれているようで山もかすんで見えます。上空に何か温室のビニールでも張られたような水蒸気の蓋でもされているように感じます。一昨日は夕方にも拘らず、東の空が夕焼けのように明るく輝いていました。初めての体験です。夕日が異常にたまった空気層の屈折によるものでしょうか。気温28度が熱中症の発生気温と言われますが連日の猛暑で死亡者が続出し「命にかかわる危険な気温」として警報が出されています。気象庁では例を見ない強力な2層の高気圧のためと説明しています、上空5000mの太平洋高気圧の上にさらに15000m上空にチベット高気圧が停滞した強力な高気圧帯に覆われています。そのため台風も日本列島に近寄れず直進して中国大陸に進行しています。このまま8月初めまで続くとの予報です。私も職業柄荷下ろし等の作業も多く全身汗だくになり熱中症の危険も感じますが汗をかかないことも体に熱がこもつても熱中症になりやすくなると思い水分と塩分を十分にとり、仕事に汗を流しています。私は今日、ちょっとした気候の変化を感じました。今朝は午前3時過ぎにはクーラーを切り、自然の外気を入れました。日中の酷暑は変わりませんが空気は入れ替わったようにさわやかで山も鮮やかに見えました。入道雲はありませんが空も青空に積雲がぽっかり浮かび、多くの雲が見れました。昨日までのもやもや感がなくなり通常の暑い夏に帰った気がしました。

突然で信じられないことですが友人が死亡事故を起こしました。17日午後5時過ぎ、広島市佐伯区の市道で横断中の小学校2年生の児童を乗用車ではねて死亡させたというものでした。ともにクライミングをした山仲間であり、親孝行であり、誠実な人物であり、なんで死亡事故を起こしたのか信じられません。慎重な人柄でしたから魔がさしたのでしょうが悔いても悔いきれません。人の一生を失わせるとはなんということでしょうか。その責任の重さ、突然にかわいい愛児を失った被害者のご家族、また本人の年老いた母親の悲嘆さを思えばかける言葉がありません。我々も運転を職業としておりいつ同様なことを起こすかもしれませんので身がしまる思いで他人事とはおもえません。絶対に事故は起こさない、いま、この運転する一瞬にも違反はしない。防衛運転を厳守することを再認識し深く心に刻み込みました。社員全員にも周知徹底を図ります。ドライブレコーダー等により事故の原因は明らかになることでしょう。昨日朝の交通啓発の番組でこの事故を例に児童の飛び出し注意について話されていました。本人も土建業を職業とされていましたから連日、豪雨災害復旧に従事され疲れもあったのでしょうか。原因はいろいろありますが全ては本人の不注意。交通法規を順守していれば事故は起きません。他人を不幸にすることもなかった。一瞬の過ちにより、これからの人生、社会的制裁も大変で、大きな重荷を背負うことになりますが、私にとっては大切な友人であることには変わりありません。このような時にこそ、すこしでも力になりたいと思います。

後記    事故の件で何も連絡しないのも仲間としてどうかと思い佐伯署に面会出来るか照会したところ今はいない。釈放されたのならと思い切って25日、本人に電話した。気休めか、慰めか、かける言葉もないが声を聴くだけでもと電話・・・・私にも申し訳ないと謝っておられた。通夜、告別式、初七日と相手方を訪問されたようだが厳しく、つらいと嘆いておられ文字どうり「針のむしろ」で私にはそのつらさは想像できないが,ことの深刻さを痛感れているようでした。人には言えないつらい気持ちを少しでも聞いてあげられてよかったと思います。一瞬のミスにより車で人を殺めることがある。一層安全運転に努めなければと思いました。

 

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府中の町を守ってくれた砂防ダム・ありがとう

2018-07-12 19:00:00 | 日常

平成30年7月11日

水分峡に行ってきました。土石流の災害といいますから大変な状況だろうと予想していましたが土石流の規模は想定内で河川内を流れ、堤防を越えることはありませんでした。数か所,橋の部分や流れの変わるカーブのところで堤防が壊れたところもありましたが周囲の住宅地に流れ込むことはありませんでした。上流にある水分神社、森林公園も霊園も以前のままで被害はありませんでした。砂防ダムが土石砂流失、暴走をせき止めてくれたのです。以前は砂防ダムの低い部分から2mくらい下が水面でありその池で子供たちが飛び込みをしたり、泳いでいました。その低い部分からさらに2mくらい上に土石流の水位示す泥水の跡が残っています。この高さまでのすごい容量の泥水をせき止め、水量、勢いを減少させて下流にながしてくれたのです。現在その砂防ダムはすべて埋め尽くされ平らな砂礫の浜となっていました。もう土砂を止めるダムとして機能は果たせません.役目を全うし機能を停止した。死をもって町を守ってくれたのです。近くまで道路はありますがダンプトラック数千台分の大量の堆積された土砂を取り除くのは困難ですからまた新たな砂防ダムを築造することになるのでしょう。土石流はこの砂防ダムから2キロ余り住宅地を流れ下り傾斜が緩くなり、カーブしたところで流木が橋にせき止められてダムになり泥水が堤を超えて、住宅地に流れ込んだのですがけが人がなくて幸いでした。上流部分は川幅も高さ深さもありましたが下流部分では川幅も狭く、高さも低くなり、川の断面積もかなり小さくなって排斥できなくなったのでしょう。既存の住宅地であり改修できなかったのでしょう。あと1キロもすれば府中大川に合流し被害はなかったのに残念でした。50年に一度の豪雨でしたが今回の出来事を参考にして将来的には河川の改修も必要なのではないでしょうか。万一三角州の頂点に位置するこの砂防ダム(高さ10m、幅5~60m)が決壊していれば今回の数倍の土砂が堤防を破壊し、乗り越えて市街地の大部分を押し流し,壊滅的な被害を受けていたことでしょう。かって山津波により壊滅的な被害があったことがありその教訓が少しはいかされたのでしょう。府中の街を守ってくれた砂防ダムに感謝します。本当にありがとうございます。

(写真は泥に埋まった砂防ダム。擁壁の部分に最大水量の泥の跡が残っている。ものすごい泥水だったのですね。よく耐えてくれました。本当にありがとう。

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府中町で川氾濫

2018-07-11 13:14:06 | 日常

平成30年7月10日

広島市内で仕事をしていると昼前、府中町で川が氾濫し住民に避難するようにとの警報が出された。この晴れの天気に 洪水とは信じられません。文字通り青天の霹靂です。事務所が水没してもいけないので急いで会社に帰るが町内放送、取材のヘリの騒音 がやかましい。この小さな川に「榎川」という名前があるとは知りませんでした。役場の前から水分峡まで4キロ余りの川です。この豪雨で役場の前の護岸が崩れ通行止になっています。河口から写真を撮りましたが水はありません。心配した人からお見舞いのお電話をいただきましたが特に変わったこともありません。 水分峡はキャンプや水遊びの場所として多くの町民がおとずれています。私もここから岩谷観音さんに登山しています。今回は土石流が発生したとのことです。このあたりで雨が降ったのは7月6日でした。それ以降はあまり降っておらず昨日、梅雨明けになったばかりなのに、4日後に土石流とはね。雨が降ったのに川に水がないとはせき止められていると考えるべきですが経験がなくわからなかったのでしょう。水分峡はかつて土石流のため大きな災害となったため水分神社のうえに10mあまりの大きな砂防バムの堰堤が構築されています。7月1日に岩谷観音さんに上りました。その上流側は大きなため池となり子供たちが高さ3㎜くらいの落差を飛び込んでいましたから収容力はかなり余裕がありました。土石流でも崩壊せず多くの土石を引き留めてその役目を果たしました。どのように変わったのか近いうち見てきます。

(写真はせき止められた榎川の下流部分、この上流900mで川が氾濫しました。)

 

 

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梅雨明け

2018-07-11 00:57:04 | 日常

平成30年7月9日

今朝起きて外を見ると久しぶりに明るい青空見える。雨続きの昨日までとはがらりと違う景色です。お昼のニュースで梅雨が明けたといっていた。昨年より4日、平年より12日も早い梅雨明けでした。もう数日早かったらあのような惨状なかったのに…梅雨末期には大雨が降ると早かったよく言われることですが・・・・残念。この暑さでは復旧作業も大変でしょう。天気になると被害の大きさに驚かされる。広島から東は三原あたりまで2号線は8か所以上破壊された。瀬野では国道が半分流されています。山陽道もダメ。鉄道の復旧にも何か月もかかる。福山に行くにも中国道を迂回しなければならない。帰りは一般道の下道で帰るので毎日午前様になる。疲労がたまり寝不足で大変だなー。特に出るルートは安芸バイパスと熊野道路しかない。両者が集う海田あたりは大渋滞。何とかしてほしいね。物流が動けないので商品が渋滞してみんなが困る。役人はわかっているのだろうか。熊野料金所いまは旧道が不通のためこの1本しかないのに入口は1ヶ所のみ。有料の時は2か所で料金を徴収していたのになぜ1か所しか開けないのかお陰で山の上から海岸まで7キロ以上の大渋滞。困ったものです。ねーえ…悲鳴が出そうです。

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私の豪雨災害体験

2018-07-08 15:26:18 | 日常

平成30年7月7日

今日は七夕というのち広島地方は記録的な豪雨災害に見舞われて死亡、行方不明者が60名あまりと大変な被害となっています。私もその被害に遭遇、体験しました。昨日は午後3時30分より大崎下島の大長で作業の応援依頼がありました。雨天であり警報も出ており早めに現地の行きましたが早く到着したのでお隣の御手洗の古い街並みを見物しました。観光案内所にたちよりますと今日初めての訪問者だといわれました。大雨のなかの合羽を着用しての1時間余りの作業でした。普段はきれいな海も泥水が流れ込み茶色ににごつています。帰路、黒瀬の姉の家が心配で立寄りまいた。黒瀬川が増水したのかいたるところで国道が水没し迂回を強いられました。姉の家は裏側に呉道路がありますが被害はないようです。近所の友人の為に非常食をつくつているとのことでおにぎりを頂いて帰りました。これも虫の知らせでしょうか翌朝の食料となり助かりました。午後7時、いつものように熊野に向かいますがズートと渋滞しています。1時間に1キロ余りしか走れませんがどうしようもありません。この先、人家は少ないのに、対向車も来ますのでどうして渋滞するのか疑問に思いました。暗くなりました。午後10過ぎると民放の特別番組で交通情報、視聴者からの情報を流してくれ各地の混雑、被害情報を知ることが出来き助かりました。救急車や消防車も追い越してゆきました。「この先で道路が陥没し、車両が落ち込んで通行できません。Uタンしてください」 どうするか。郷原から焼山への峠越えの道・呉環状道がありその方に行く。暗く水につかった道を溝にはまらないよう注意しながら行くと峠の手前で消防車が停止している。「この先土砂崩れの為通行出来ません。」また引き返す。狭い山道では通行止めの可能性もあり広い道路は呉市に出るか国道2号線。2号線は多くの個所で通行止めがあるとのことなので、2号線に並行して走る瀬野ー熊野線が走る阿戸に向かう。西条の馬木の交差点で警官が交通規制をしているので八本松まで通行可能か聞いてもいけるかどうか不明とのこと。出来るだけ緩やかな道を選んで吉川工業団地を前を通り、やっとのことで町境の急坂の峠を無事下り安堵すると渋滞中。2号線からこちらに迂回した車も多いのでしょう。自宅まで20キロ余りあるのに遅々として進まない。一体何時に帰れるのか。雨も激しくなる。道路を激流のごとく流れる。途中で停車して寝ている車もあります。コンビニには多くの車両でいっぱいです。対向車線側には道路が陥没しさかさまになった車両もある。雨で先行きが不明突然落ちたらさぞびっくりしたことでしょう。しばらく行くと道路が流水と倒木の為通行できないとのこと。幸い軽トラックなので狭い道を注意して迂回する。道路を流れる水量は激しい、エンジンが停止しなければよいがと心配しながらできるだけ水没ヶ所を避けながら熊野の街を抜けるとまた渋滞中、周辺のコンビニは車で満杯。土砂崩れや水没の危険ない場所を選んで仮眠しました。この近くの住宅団地で家が流され数人の人が行方不明とのことです。渋滞は朝でも解消せず増えるばかりです。あれでもと焼山に下り、絵下山の麓を通り昭和入り口に行ける山道がありそれに行っても流木と泥で通行できません。再び熊野に帰り渋滞の列に並ぶが一向に進まない。車を置いて歩いて帰ろうと思い熊野のお客さんのところに車を置かしていただくよう電話すると快諾していただいた。雨具、飲料水の軽装でトンネルの前に来ると消防団の人が「トンネルは自動車専用であり歩行者は通行できない。旧道も土砂崩れの為通行できない」、それならば山越えでもと思い旧道をゆくと峠を越えたところで電柱が倒れ大型トラックにおいかぶさっている、これが停電の原因らしい。後で聞いた話であるが電気工事の方が来ておられたが人数と機材が集まらないので電柱の復旧にはしばらく時間を要すると言っておられた。その現場の前には土砂や倒木につぶされた3台余りの車両が埋まっている。ここはまだ序の口で先には多くの泥と倒木があり数台の車が埋まっているとのこと。トンネルに引き返すと下山する歩行者が数人おられた。下から登ってきる人も数人あるのに下るのはダメ。登ってきた人はトンネル出口で土砂崩れに遭遇した人らしい。無視して数人が行こうとしたが制止された。この熊野トンネルは天井からの流水と道路の土砂崩れが原因で通行停止されているようですが緊急車両や救急車は走行していますからまもなく通行できるのではと期待する。数人の人と午後になるなら山越えしようと思っていたが午前11時には通行可能にするとのこと。やれやれ長い渋滞の車列が生き生きと動き出した。やっと帰れる。黒瀬から自宅まで30キロ余りですが18時間要しました。下山した矢野や坂町は土砂に襲われ大変な状況でした。バス道路は今でも急流の有様でした。50年ぶりの豪雨、九州から長野まで11県を巻き込んだ幅広い大型の線状降水帯、これ以上に被害をもたらさないよう祈るばかりです。それにしても情報がないので右往左往するばかりでした。情報の入手、食料と燃料の確保等、いい教訓になりました。

(写真は峠の電柱が倒れトラックにのしかかつた所、これらの倒れた電柱が停電の原因です。ほかにもまだ数本あるようです。

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あなたのお名前なんですか

2018-07-04 17:01:48 | 日常

平成30年7月4日

我家の小さな庭先は緑が一杯生い茂っております。この前までドクダミ草の花が咲き乱れ、大部分刈り取ってお茶にしました。すぐに別の花が次々と咲き出しました。なんという名前の花かわかりません。近所の人の尋ねてみれば「カンゾウ」とか「おいらんそう」とのことで調べてもちょっと違うようです。でも我家の庭に生えてくれた花の名前も知らないのもどうかと思い佐伯区に行った折に市の植物園に立ち寄り教えてもらいました。「オオバギボウシ」はすぐにわかりましたが、同じような花で穂先で八方に広がった花は「アガパンサス」という名前でした。(写真の右端の花)、初めて聞く名前です。今まで咲いたことがなかったのか,私に関心がなく気付かなかったのか・・・南アフリカ産,半耐寒性多年草で日本では「ムラサキクンシラン」が多いとのこと。赤い、橙色の花は「モンテブレチャ」という名前、(写真の真ん中の花)、名前の由来はギリシャ語の「サフランの香り」、あやめ科の花で和名は「ひめひおうぎすいせん」とのこと。いつ植えたのかこれもわかりませんが、今までは花が咲く前に生い茂るので刈り取っていたのかもしれません。あまり手入れをしなかったので時節柄いろいろな花を見ることが出来ます。「あやめ」「つゆくさ」も咲いています。今まではその時期の花を買い、植えて楽しんでいましたが1年でおしまい。最近は手入れ不足か横着して植えていませんでした。多年草の草花は良いですね、多少日当たりが悪くても、放任しておいても,人間が関与しなくても咲くべき時期が来れば、どの植物も生き残るためには必ず花を咲かせるのだということがわかりました。自然はたくましいですね。次はどのような発見があるのか、どのような花が咲くのか楽しみです。

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この夏初の入道雲

2018-07-02 20:20:54 | 日常

平成30年7月2日

今日の午後、広島市の西部、佐伯区の高台で引っ越し作業を行いました。最高気温32度、蒸し暑い天候でしたので汗びっしょりになりました。登山の訓練と思えば少しも苦になりません。午後2時過ぎになると青空が広がりまるで梅雨明けのごとき良い天候になりました。高台から南方を見れば真夏の象徴。入道雲が見えるではありませんか。ちょっと小ぶりですが初夏ですから我慢しましょうか。1時間余り後会社に帰るころになると空が暗くなり、ちょっと夕立となり、慌てて干していた引越用の養生布団等を取りいたれましたました。天気予報では北上する台風7号の影響で明日は大雨、週末まで天気は良くないとのこと。今日の晴れ間は関東地方に梅雨明けをもたらした太平洋高気圧が張り出し、その縁がたまたま広島地方まで広がった束の間の晴れ間とのことでした。束の間の好天、偽りの晴れ間は時には遭難の原因とされます。気象配置が頭に入っていれば騙されることはありません。月末の天候研修会の講習材料になりますかね。関心があればいろいろなことが心に引っかかることも多いということでしょうね。

 

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