令和3年10月26日
今日,秋篠宮家の長女眞子さまと大学時代の同級生、小室圭さんが4年間の時を経てついに結婚された。
皇族の結婚に際し今回のように国民の間で賛否両論があるのは異例なことである。
反対する人の多くは『彼のような地位も財産もなく胡散臭い家庭事情のある男と結婚しても、愛だけでは幸せになれない。」と心配しているからです。
秋篠宮殿下も結婚を思いとどまるように説得された様だが眞子さまの意思は固く「日本国憲法にも結婚は両性の合意により成立する。」として二人が結婚することを認められた。
個人ならいざ知らず国民の総意により特別な特権、待遇が認められ、国民の税金により生活が保障されている皇族の方にこのような個人的な自由が認められるだろうか。国家安泰、国民の幸せのため献身すべきではないのか
日本の天皇家は世界最古の王朝でありその歴史をさかのぼれば神武天皇が即位された西暦紀元前660年以来今日まで2681年という特別な歴史がある。第2位がデンマーク王朝で1100年余り、英国が950年であるからその歴史は格別である
先の天皇の即位式であったような豪華で可憐な衣装や神々しい儀式は歴史の重みを感じさせ、国民もそれを誇りとしている。皇室は日本文化と伝統の継承者である。天皇陛下は毎年皇居内で田植えをされ、お米を作られ、蚕をかい、生糸を作られている。
古式豊に鴨猟の伝統的作法も継承されています。
かっては現人神とあがめられたが戦後は象徴天皇として国民の生活により沿い、信頼感の育成に努め、戦没者の慰霊や全国各地の視察や災害等のお見舞いの駆け付けられ、国民を励まされ、信頼関係を築かれ国民にも尊敬されてきました。
眞子さまは皇族の生活に嫌気がさし、なんとしてもその生活から抜けだしたいとのお気持ちが強かったと聞きます。皇族としての義務、責任等の帝王学など学ばれなかったのでしょうか。今回の結婚に際しても適切な助言する人はいなかったなんとしても
女性皇族にも高円宮妃久子さまのように国内外においてご活躍され日本の国威高揚に貢献されすばらしい人生を送っている方がおられるのになぜお手本とされないのでしょうか。
今上天皇陛下はその即位式において次のように述べられました。
「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添い、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての務めを果たすことを誓います」
今回の結婚は今までの天皇の努力に水を差すものに他ならない。秋篠宮家はそれをどのように感じているのでしょうか、子供のしつけがなされていないように思います。皇族としての責任の放棄に他ならない。秋篠宮自身は皇嗣であり、その長男は皇位継承者第2位という重責にある。その責任は重要である。行先を思えばこの人物で国民の信頼は得られるのか不安に思います。女系天皇容認論が出てくるわけです。
とはいえ今回の結婚に際しては異例づくめです。一連の追放に等しい冷たい仕打ち、おそらく結婚に反対する勢力のせいでしょうが
皇室離脱の一時金何故支払われないのですか。皇室典範に定められた本人の当然の権利ではありませんか。本人が辞退したことになっていますが貧乏人のところに嫁ぐのに持参金は必要なはずですが。
またそれに伴う「納采の儀」等の公的行事等何故行わないのですか。私的ではなく決まったことですから祝福して送り出すべきではないのですか。
結婚後の記者会見、文章で回答という異例の形式で行われました。無礼な質問で混乱する。本人のこころが病んでいるからとのことでしたが
眞子さまのお言葉で話されれば国民にその真意が伝わったのにと残念です。
お見受けしたところこれしきの事で病気になるようなやわな性格のようには見えません。4年間主張を貫いた方ですから力強く生きて行かれることでしょう。
発言させない異例の会見、これも誰かの策略なのでしょうね。
今回の結婚騒動に際して、次女の佳子様、ご長男の悠仁様も大変なご苦労をされたことでしょう。行く末が案じられます。安らかにお過ごされますようにお祈りします。
諸悪の混乱の根源は小室圭氏、身分不相応な下賤の身でありながら皇女と結婚するとは許せない。
正常な神経の持ち主なら相手の立場、幸せを考えて辞退してしかるべきではありませんが。
一体何の目的で結婚するのか。
不幸にしたら絶対許さないぞ。
書いていて「愛する者を失う親の悲しみ」このことをと思うとき、ふと「泣いて馬謖を斬る」という故事が浮かんだ。
中国の三国時代、蜀の諸葛亮が日頃重用していた配下の馬謖が命令にしたがわず魏に大敗したため、泣いて斬罪に処したという故事である。
規律を守るため、たとえ愛する者であっても違反者は厳しく処分しなければ組織は保てないとの例え。
今回の場合、優柔不断な態度に原因がある。早期に親の言いつけを聞かない娘を「追認」でなく「勘当」にしていたのなら、天皇家に対するけじめもつけられ、苦しい決断に国民の同情、理解が得られ、秋篠宮家の立場も変わってきたことでしょう。
諸葛亮の判断、考察力の確かさに改めて敬意を表したい。
こう考える私は古い男ですかね。