まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

第27回比婆山国際スカイラン開催す

2019-05-29 15:37:54 | 日常

令和元年5月25日から26日

今年で27回目の大会も参加協力する各山岳会の解散や高齢化等の事情により役員参加者が減少し厳しいものがありました。今年は私が念願とした給水所が出雲峠から毛無山山頂に移ることになり多くの人数が必要なので例年以上の37名の会員が参加してくれました。今までの出雲峠はトップカーで運搬できましたが今年はすべて人力により1144mの山頂まで標高差350mを荷揚げしなければなりません。5月25日、水160㍑(20㍑缶8ケース)、テーブル3脚、テント、タープ、バケツ、紙コップ(1,000個)など相当な荷物でしたが我会の若手会員の協力を得て無事に成し遂げました。出雲峠班はA,Bコース分岐点ですからわかりやすいよう配置を考え、走路の草刈り、選手の頭を冷却するためのシャワーを準備、さらに近くにあるトイレや避難小屋の清掃もしてくれました。大会当日26日ははじめは曇りの絶好の天気でしたが昼前には猛烈な夏の暑さとなりました。8時に麓を出発、9時から準備、担当は記録係、通信係各1名、走路5名、給水8名の陣容。水、OS-1とポカリ、コーラそれに塩分チャージャ・塩飴を準備しました。10時30分ごろ韓国の招待選手が1位通過、後はみな声を挙げて応援したり、飲み物の呼び込み・案内をして精いっぱい頑張りました。今回はタープを張り日陰を作りました。係員はもとよりリタイアした選手や負傷した選手の待機所になったり、お昼の弁当の食べる場所にと有効でした。私の考案したごみ箱セットも有効で選手はみなその中に入れてくれました。今までは紙コップを散らかしてその回収に時間をとられたといわれていましたが、そのようなことは全くありませんでした。防寒用に準備したエアーマットも待機した選手の敷物になりました。ねん挫した選手がありました。頂上から50mばかり下ったところでした。くだり初めは道幅が狭いので溝に石を敷き詰めて道幅を広くしていましたが残念ながら発生場所はその先でした。特に危険なところではありませんでしたがベテランの選手がテーピングされ・負傷者の靴紐の締め方が最後まで締めてなく緩んでぐらぐらしていたので踏ん張れなかったのではと言われました。再度怪我のすることがないように今一度現場を調査して対策を取りたいと思います。今回の大会では我会の活躍が光りました。一番多くの37名が参加し各所で活躍してくれました。懇親会では我会の100周年記念のビデオが上映されました。副会長のハモニカ演奏もよかった。多くの装備を運んだり、負傷者に付き添い下山したり、ベストを尽くしました。私も新たに韓国選手や一番遠方から参加された千葉県の選手の応援ボードを作成・応援しました。参加者の方々から「ありがとう。また来年も参加します」のお言葉をいただき苦労が報われた思いです。来年もまた会いましょう。

(写真は毛無山山頂の給水所。タープが涼しくて有効でした。)

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドクダミの季節到来

2019-05-22 15:00:33 | 日常

令和元年5月22日

梅雨の季節到来を前にしてドクダミ草の白い花が咲きました。いよいよ花の季節到来です。うすくらい木陰に咲く真っ白な十字の花は清楚という感じがぴったりです。この花の時期に収穫すると一番薬効があるといわれていますので、[いまか、いまか」とこの日を待っていました。私のところはまぅたく薬品を使用しないので安全できれいと期待されています。刈り取れば姉のところでお茶や消毒剤に加工してくれます。ドクダミは「毒を止める」ことから名付けられ「十薬」ともいわれるようにいろいろな薬の効用があります。臭いも独特なものがあり悪臭という人もおられますが私は嫌いではありません。ゴミ箱に入れ消臭剤として使用したり、花瓶に入れ一輪挿しとして部屋に飾って利用しています。最近気付いたことですがこの草が生えると他の植物はダメになります。強烈に根を張り巡らせ他の植物の生育を妨害するのです。今は庭一面にドクダミ草に覆われています。ですから花を植えるところは根こそぎ撤去しようと思います。それとこれから蚊の季節になりますから殺虫剤をまかねばなりませんから・・・花の咲く日を心待ちにしていました。

追記・ 5月23日

関心があればちょっとした小さなことでも心に、いや耳に届きます。翌朝6時20分のNHK番組で北海道のレポーターの方からドクダミの話題がありました。「通常4弁のライラックの花にも5弁のものがありそれは「ラッキーライラック」といわれるそうです。それに準ずれば、5弁のドクダミも「ラッキードクダミ」と呼ばれるべきとか。」「 ラッキー」とはいいですね。「4っ葉のクローバー」のように幸運が舞い込むかも。刈り取るときに5弁が見つけられるか楽しみにして探してみましょうか。放送内容が不明なところがありましたのでNHK広島に照会し調べていただきました。さすがNHKですね親切丁寧な調査していただきました。ありがとうございました。不明なことがあれば照会されたらよいですね。調べていると5弁のものや八重の種類もありました。たかがドクダミとはいえ奥が深いですね。さらによい句も見つけました。

     どくだみや  真昼の闇に  白十字  (茅舎)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本周五郎 「日本婦道記」を読む

2019-05-17 17:04:38 | 日常

令和元年5月17日

車の運転中ラジオから流れてくる山本周五郎氏の朗読作品に感銘を受け、この本を購入して読みました。短編小説ですから短時間で読め、仕事の合間や待ち時間、寝る前にも手軽に読み、続けてきました。この本は昭和17年6月から昭和21年1月までに書かれた31篇の作品で文芸春秋や婦人クラブに掲載されました。昭和18年には直木賞に推されましたが辞退され、以降すべての賞を辞退されています。今から77年前の戦時中に書かれた作品ですが違和感なく読めます。武士の時代であり、時節柄か主君への忠誠心が根底にあります。初めは「名婦伝」という題名でしたが、次第に興にのってか「婦道記」となった。特別なことをなした烈女伝のように受け取られがちだが普通の女性の物語であり、その中にしっかりとした生活観、美しい日本女性の姿が描かれている。

「松の花」  死んだ妻の手を握ったとき、ひどく荒れた手から千石取りの武家としての体面を保つため如何につつましい生活ぶりかを知った夫の感動の物語。最初の作品です。

「箭竹(やだけ)」  弓の矢に「大願」の文字を記し、良質の良い矢を作り殿様に認めてもらえるように励んだ未亡人の物語。

「梅の花」  歌、茶道,武道と上達すれど最後まで上り詰める前に辞めさせる姑の話は二兎を追うもの一兎を得ず、武家の主婦の仕事はお家第一であり上達、専念すれば油断が生ずるというもの。「君子は器ならず」に通じる話です。

「不断草」  訳あって離縁されたが、その後も身分を隠し、姑に尽くす嫁の物語。

「風鈴」  妹たちを良家に嫁がせ豊かな生活をさせるが、自分の夫は立身出世を望まず、農民たちの生活向上に尽力し貧しい生活に甘んずる生きざまに希望をなくす。「美食、富貴な生活の追及には際限がない。いかに生きてきたか。世の役にたてたか、意義ある人生であったか、いかなる権勢も、富も人間を死から救うことはできない。出世して暖衣飽食して満足して死ねるでしょうか。死ぬときには少なくとも惜しまれる人間になるだけの仕事をしてゆきたい。」という夫の話を聞き妻は生きがいとは何かをはっきりと認識した。私も斯くありたいと思っています。

「23年」  わけあって白痴、啞者の真似をして主家につかえているうち、本当に話せなくなった下女の話。

山本周五郎氏は昭和42年、63歳死亡。「樅の木は残った」、「長い坂」等、数々の名作を残してくださいました。今後も読んでゆきます。

感動は心を奮い立たせ、勇気をもたらしてくれる。私の座右の書となりました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

66年振りに「ニシン」戻ってきた。

2019-05-14 13:34:16 | 日常

令和元年5月14日

海猫(ごめ)が鳴くから、ニシンが来ると、赤い筒袖(つっぽ)の、ヤン衆が騒ぐ 、雪に埋もれた、番屋の隅で、わたしゃ夜通し、飯を炊く・・・(石狩挽歌)

今朝のラジオ深夜便を聞いていると地元のレポーターの方が66年ぶりに礼文島にニシンが戻って来て群来(くき)ができたと話しておられました。66年振りのことですから多くの人にとっては初体験の出来事で驚かれたことでしょう。群来(くき)とは産卵のため海岸に押し寄せるニシンの大群で海が盛り上がりその卵の白子で海が白濁する状態をいいます。平成最後の4月28日と令和初めの5月13日の2回観測されました。ニシンは明治から大正にかけて北海道日本海沿岸の全盛期には「一越こし千両、万両」と言われ浜は大盛況で莫大の利益を上げ、海岸沿いの立派な番屋は「鰊御殿」と呼ばれ繁栄の象徴でした。私もかって旅行した時見物しました。ニシンは春が近づくと群来(くき)が来ることから「春告魚」と呼ばれDHAが豊富で栄養価の高い魚です。乱獲のため絶滅したものが66年の年月を経て復活するとはまさに奇跡ですね。このような椿事が令和新時代に起きるとは幸先良い、おめでたい兆候だと思います。浜が盛り上がり賑わえばよいですね。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「骨盤低筋体操」 知ってますか

2019-05-13 13:32:40 | 日常

令和元年5月12日

車も古くなり耐用年数まじかとなればあちこちが故障して動かなくなる。昨日まで無事に動いていたのに何故急に止まるのだ。人間も同様で加齢ともにあちこちが痛くなり,病気や怪我等により更に筋肉量が減少し動きが鈍くなり、次第に運動することも億劫となる。その予兆も目、歯、耳に現れ、さらに頻尿となって現れる。男性の7人に一人はこの尿問題に出くわす。高価ですが「ノコギリヤシ」が効果ありとのことで飲んでもあまり変わらない。病院を受診したとき掲示板に「骨盤低筋体操」のことが記してありました。その内容は頻尿や尿漏れは骨盤底筋が弱って緩んで起きるので筋力をきたえなさい。そうすると臓器の下がるのを防ぐことができる。尿道を締めることで尿漏れ症状を改善できる・また過活動膀胱や腹圧性尿失禁にも効果ありとのこと。その方法とは肛門をきゅっと3秒から10秒締めてから、緩める。この繰り返しで1日、10分から20分続ければよい。簡単ですし場所も取りませんしどこでもできます。車を運転するとき、テレビを見るときどこでもできますからぜひお試しください。下腹部の筋トレですから便秘解消にも効果があるのではとお思います。私も10日間実践いますが少しは効果があったように感じています。お金もかかりませんからこれからも継続して鍛錬するつもりです。皆様も、ぜひとも試してみてください。効果があったらうれしいご報告をください。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10連休の過ごし方

2019-05-06 16:12:22 | 日常

令和元年5月6日

今日で史上初の10連休も終わります。過ぎてみれば仕事も遊びもあっという間でしたがやがて来るだろう「毎日が日曜日」の時代の参考になる過ごし方の予行演習になるのかも・・・

岩屋の観音さん登山道整備もほぼ完了しました。水分峡から本道分岐点まで760m余りの水分峡登山道。280段の階段のうち連休中に工事した12段を含め94段の新方式の工事が完了しました。「塵もたまれば山となる」の言葉通り日々の工事の積み重ねで大きな成果となりました。あとはその都度修理を継続して全階段の修復更新を目指します。

広島フラワーフェスティバルを見物しました。今までは連休中は登山に出掛けていましたので今年43回と言いますがほとんど見物した記憶がありませんでした。今回3日間、晴天に見舞われたおかげでしょうか過去4番目の170万人の多くの見物客がありました。いろいろな企画,ステ―ジがあり多彩な出演者で大変にぎやかでした。おそらく1000近いステージがあったのでは。最終日のパレードを見物しました。40団体2600人が参加したとのこと。保育園、学生、職場の応援者等を考えるとその何十倍もの人が見物したことでしょう。色とりどりの衣装を纏いいろいろなパフォマンスで楽しめました。若者のグループは激しいダンス、年配や企業の出し物は盆踊り風に感じました。「パレード大賞」をとられた「幾田バトンスタジオ YOSKOIチーム」キレのあるきびきびした動きは鍛えられ訓練の成果でしょう。その若さに元気さをもらいました。備後地区からも5から6団体が参加しておられました。バラ祭りなど地域の活性化にも役立つことでしょう。街中を歩くのもいろいろな変化を感じ刺激になります。

断捨離しました。夏物衣服に切り替えるついでに着ないものの廃棄処分をしました。まだまだですが少しでも減らしたいと思います。老人ホーム人入居するお客様の荷物を見ればたいてい6畳一間の荷持のみ。我が家の家財はその何倍もあります。今のうちにすっきりとなるように頑張ります…

今日6日、午後から1時間あまり激しい雷雨がありました。三次地区では雹が降ったとのこと。寒冷前線が通過したための様です。前線の速度を考えれば納得です。昨日のパレ―ド中でなくてよかったですね。しっかりと充電して明日からの仕事に備えましょう。

(写真は熱演する「備後新選組」 受賞できなかつたがよかったですよ。福山を盛り上げて来年も是非ともお越しください。待っています。)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成最後の日を比婆山で過ごす。

2019-05-01 22:28:47 | 日常

平成31年4月30日

平成も今日が最後の日、私は5月26日に開催される比婆山国際スカイラン大会準備のため比婆山に行きます。午前5時30分,山野町を出発、途中、小奴可の要害桜を見物に立ち寄りました。道中咲いている桜もあり、期待していましたがここはすでに葉桜でした。水田には水がはられ鏡の様子、県民の森にちかずくにつれ季節は逆戻り、新緑は浅く、方々に桜が残っています。まだ雨が残っているが回復基調ですから何とか天候は大丈夫で持つのでは・・・・・。今日で3回目、ほぼ走路整備は完了したが手を入れれば入れるほどよくなります。今日の予定は走路の斜面から石が落ちてきて走路に散らばるのを防ぐため竹材で柵を設けること。車両の通行で傷んだ登山道を整備すること。出雲峠付近の走路は水がたまりやすいので排水路を設けること。午前8時前、広島から積んできた竹材5本を担いで出雲峠に向かう。予報は雨のため登山者も少ない。出会ったのは1団体と単独者1名のみ。まして試走のランナーは期待できない。竹材の柵を2か所設置。走路の石を並び替えて整地する。ただ雨のため火山灰の黒土がカッパを汚す。16時30分、予定したことはほぼ完了。大会当日の応援スタッフの会員も前回並みの35名確保。今回より毛無山山頂に給水所を設置するため飲用水や用具を運び上げるボッカ要員も確保できました。皆の協力にただ感謝。あとは心のこもった対応して参加者の皆様に喜んでいただけるよう応援ボード等、アイデァを工夫しよう。平成最後、記念すべき日となりました。

(写真のように走路に落石が散らばらないようにするため竹材で柵を設けました。)

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福山山岳会創立100周年記念祝賀会を開催

2019-05-01 14:48:10 | 日常

平成31年4月29日

福山山岳会は大正8年(1919年)2月に草創され、今年で100年を迎え広島県で最も古い山岳会です。会員数は現在288名です。メンバーも小学生から90歳以上の高齢者まで老若男女が毎週例会山行を活発に行っている日本でも稀有な山岳会であり、模範的な山岳団体と思っています。

今日の記念式典は、福山市北部、山野町の山野中学校体育館で午後2時から約150名あまりが参加して盛大に開催されました。100周年記念記念事業の中心をなすものであり、企画から会場設営まで多くの役員が役割分担し立派にできました。当日会場でワインやこんにゃく等地元の農産品も販売されました。開演前に江種事務局長の俳句付きの山岳写真のスライドショーがあり雰囲気を盛り上げてくれました。式典の司会はプロでもある柴本会員により順調に進行。来賓は福山市の副市長や体協会長、県会、市会議員が6名、県岳連からは会長、理事長さんら10名あまり、岳友ともいえる広島山岳会の亀井氏も参加していただきました。来賓祝辞の後、歴代会長8名の表彰もありました。私も例のクラッシックスタイルの勝負服で出席しました。おおむね好評でしたよ。「福山山岳会100年の歴史を振り返える」スライドョーでは、日本を代表するサンポーニャ・ケーナ奏者の瀬木貴将氏と会員の高松さんのピアノ演奏で行われ見事な生演奏BGMに感動しました。映画会では「ふたりの桃源郷」を鑑賞し感動に包まれて閉会となりました。第二部の交流会では天候が悪いのと大人数のため公民館を貸し切って行われました。無事に終了した安堵感からかにぎやかに盛り上がりました。食べきれないほどの手料理に感謝・準備が大変でしたでしょう。女性陣のパワーにただ感謝。東京から来られた瀬木さんが「コンドルは飛ぶ」を生演奏していただき又盛り上がりました。本当に何もかも充実した1日でした。衰退する山岳会が多い中、発展する会の秘密を見た思いです。明日は記念登山が予定されていますが私はスカイラン準備のため比婆山に行きます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする