まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

私の巻頭言と菅首相の所信表明演説

2020-10-30 23:21:58 | 日常
令和2年10月30日
令和2年11月号巻頭言として「単独行のこころ」という一文を寄稿しました。10月26日の菅首相の所信表明演説の中においても同様の「自助論」的な内容であり興味を持ったので掲載してみました。皆さんどのように思われますか。

令和2年11月号 会報巻頭言  「単独行のこころ」
単独行。文字通り一人で登山すること。単独登山では、ちょっとしたミスが大きな遭難事故につながる危険があり、安全登山を目指す我山岳会としては容認できないところもあります。
 かって、広島を代表する岳人、名ガイドでもあった広島山岳会の名越実氏も吹雪の横尾尾根で雪庇を踏み抜くという初歩的なミスが原因で遭難されました。確保する仲間がいれば何でもない行動であった。ベテラン、新人を問わずミスすれば遭難する。
単独行とは、何故単独で登るのか。孤独に耐え、厳しい自然、危険と対峙する世界です。
豊富な知識、卓越した技術、強靭な体力、数々の修羅場を乗り越えた経験があって初めてなせるものである。
未知、未経験なことに挑戦する緊張感、数々の障害を乗り越えた達成感、厳しい環境に身をおき自己の無力さを知れば、何が必要かを知り、しっかりと学習する。
小さなミスが死を招くことを知っているので慎重な行動となる。
先の9月、北海道の利尻山(1721m)に登りました。新型コロナウイルス感染、第二波拡大のため仲間3人が辞退され単独登山になりました。
行程、計画内容はすべて自分の判断で決めました。悪天候も一つ原因であったが、あと290mの地点で時間切れのため引き返し登頂できませんでした。何故か、はじめから予報では台風の影響で厳しい気象情報なので登れないだろうとの気持ちがあった。必ず登るとの意識をもって準備、対策を立て、厳しい現地の状況に遭遇して、可能かどうか判断するのであれば、おそらく登れたことでしょう。「ほどほど」という気持ちではなく、登りきるという強い意欲がなければ山は登れない。
 いま日常の生活に戻り、母を介護し、自らの老後の行末を思うとき、必要な時には助け合うことも大切であるが、大切なことは「単独行の強い心」、人に頼らず自らの力で生き抜くとの強い意志ではないかと気付かされました。
 単独行であれば里山においてもスリップしただけでも捻挫、骨折、悪ければ頭部負傷で動けなくなり、遭難事故になりかねない。だから慎重になり、不用意な行動はしない。
老後の生活においても、加齢による体力低下も障害と捉え乗り越えましょう。山に登るために生活の細かい部分においても気を配り、手は抜かない。怠けずに体を鍛える。脳を鍛える。体に悪いものは食べない。規則正しい生活をする。山に登るために必要なことを継続、やり抜く気概「単独行のこころ」が必要です。
何より楽しい夢を持つこと。楽しい山に登りましょう。
以上。

菅首相の所信表明での自助論
私が先の「単独行のこころ」を書いたのは他人に頼らない自立心、それをやり抜くには日々地道な努力が必要であることを言いたかったにすぎません。
時を同じくして、菅首相は所信表明演説の終わりに於いて持論の自助論を述べて終わられました。

「私の目指す社会像は、「自助、共助、共助」そして「絆」です。自分でできることは、まず、自分でやってみる。
そして、家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りする。
そうした国民から信頼できる政府を目指します」
まず自助でやり、それがだめなら共助で助け合い、それでもだめなら公助でお守りするとの考えです。
庶民派の出身、努力して今の地位まで登りあがった苦労人としてはやればできるとの自負があったのでしょう。
しかしこのサクセスストーリーはだれしもできることではありません。
出来ないには努力が足りないからだとの自己責任論につながります。
自助は当然のことと思いますが肉体的、精神的ハンディのある弱者はどのような努力が求められるのでしょうか。
そのためには実現させるための道程、どのようにするのかその仕組み、システムは政府が考えるべきではないでしょうか。
その目標を実現するための自助努力を求めるのなら理解できます。
今、新型コロナウイルス感染拡大の時代を迎え、自助では克服できません。
政府の公助、援助システムなくしては生活の継続、事業の継続は困難です。高齢化社会の課題として健康な体を作ることは自助努力としてできますがそれから先の生活は家族制度の変化により単身世帯が増加、した現代社会においては共助、公助としてそれに見合う制度でカバーするしかないように思います。

わたしがかいたことは「頑張ります」というささやかな自助努力、決意の表明でしかないようです。


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来年の「比婆山国際スカイラン」 秋に延期。

2020-10-29 21:56:19 | 日常
令和2年10月28日
今日、西区民文化センターで県岳連の全員協議会が開催され,来年5月実施予定であつた「第29回比婆山国際スカイラン大会」の秋への延期が発表されました。
理由は新型コロナウイルス感染拡大の終息の見通しが立たないこと。ホテルを含め比婆山を管理していた「比婆の森」が破産、後を引き継ぐ管理者が未定であるためどのようになるか不明であるためです。
本来であれば、今月実行委員会を立ち上げ進めるところですがどのようになるかお先真っ暗な状態です。コロナ感染の状態によっては開催も危ういかもしれません。
参加者は例年800名くらいありますが人数が少なければ赤字になる可能性もあります。簡素化して役員の人員、経費や計画の見直しも必要になるでしょう。
今年は雪が降らなかったのでスキー場も閉鎖、更にコロナが追い打ちをかけ経営破綻、破産ですから多くの方にご迷惑、損害を与えたことになりました。公的な支援がなければ再建は困難ではないでしょうか。近くにある吾妻山ロッジの閉鎖も決まっています。生き残り策はないものでしょうか。
どちらの施設もホテルとしての宿泊施設として目を向けられがちですが観光や登山の拠点としての案内所、休憩所としての役割も果たしておりなくてはならない施設です。
是非とも残してほしいものです。
情報によれば登山道もかなり荒廃しているとのこと。近いうち一度訪れてみたいと思います。
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堂床山(860m)から可部冠山(736m)縦走する。

2020-10-27 21:58:43 | 

(写真は可部冠山頂上から広島・可部方面を見たところです)
令和2年10月25日
このところ急に寒くなり秋が進行中、昨日は石油ストーブを出しました。恒例の干し柿も作りました。出来が悪いのでしょうか今年は小振りです。また、インフルエンザ予防接種も打ちました。新型コロナの影響もあり万全の態勢です。
先日、可部に行った折『南原峡」の標識を見て懐かしくなり折あらば行ってみようと思っていました。両方の山とも「広島百名山」に掲載された山です。可部冠山は736m、烏帽子の形をした山で、若いころには何回も登っていました。堂床山は860m、三角形の頂を持つ山で見るからに厳しそうな山で行ったことはありません。よく訓練に使われる白木山にも匹敵する高さがあります。
今日は天気が良いのにつられて出かけました。
8時10分、南原峡・竜頭ヶ原園地の駐車場発、10分ばかり歩いた美しい加賀津の滝から頂上まで標高差約650mの急登が始まります。初めは岩稜でそれを過ぎれば樹林帯の急登が頂上まで80分続きます。頂上も全く展望はありません。ここから可部冠山までの尾根道を歩きますが最初は急坂で滑らないように慎重に下ります。単独行ですから怪我の無いよう、より慎重に下ります。この尾根道は「可部連山トレイルラン」のコースの一部であり、草も刈られ、わかりやすく整備されていました。頂上を出発して50分はじめて明神ダムの堰堤が見えました。それまでズート森の中で全く展望はありません。これから先も展望があったのは冠山の頂上のみ、下りは谷道となり杉林の道であり展望はありません。こんなに展望がない山は初めてです。森が深いというか静かな山で、無口な私のような山でした。堂床山でも出会った人はトレイルランの2人、冠山の頂上でも1パーティ5人、下山中に1家族4人に出会ったのみ、本当に静かな山行でした。下山道の可部峠を下る道はかっては岩見街道として利用されていたようですがそれらしき痕跡もなく、現在はかなり傷んでいました。登山道の両側の森林はマッタケでも取れるのでしょうか留山の印のピンクのテープが張られて入山禁止となっています。

(川沿いの道でキャンプ・バーべキュウをするファミリー)
下界は多くのキャンパーがおられにぎやかでした。登山道が舗装道路になり快適な川沿いの道のかたわらには2キロ余りの間に14か所余りテントを張り、テーブルや椅子を並べた家族連れとおぼしき人々がバーべキュウ等をしておられました。どれも立派な料理道具で今や登山道具店ではファミリーキャンプ用品がよく販売されているのを見ますがこれだけ需要があれば当然でしょうね。今はキャンプがブームを実感しました。家族そろって自然と親しむのは良いことですね。13時23分、駐車場に帰還しました。歩いた距離約7キロ。歩数21,000歩、所要時間5時間15分、正味時間4時間30分でした。私はアナログ人間で高度計、磁石、地図で歩いていますがスマホに熟達して正確なの記録を残せればよいですね。勉強します。もうひとつ私の娘はスマホで私の行動はすべてお見通し、子供の現在地を知るためのシェアリングの位置情報で把握しているようです。
良いのか、悪いのか、」お釈迦様の手のひらの上で転がされているようで複雑な心境です。
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ついに念願の「金江の大ムロノキ」を訪れる。

2020-10-20 22:57:06 | 日常
人の
令和2年10月20日(下の写真は「大池」の堰堤から撮影したものです。遠くからでも大きくて、立派で枝葉が茂っていればよく目立ったことでしょう。)
     我妹子が見し鞆の浦のむろの木は 常世にあれど見し人ぞなき(万葉集 巻3-449)
     鞆の浦の磯のむろの木見むごとに 相見し妹は忘らえめやも(巻3-450)
     磯の上に根延ふむろの木見し人を いづらと問わば語り告げむか(巻3-451)
鞆の浦のむろのきは当時も有名な樹木で特筆すべき存在だったのでしょう。多くの歌人にも読まれています。
天平2年(730年)大納言となって都に帰る大伴旅人が鞆の浦のむろのきを詠んだ歌が万葉集に残っています。
むろのきが問う「大宰府に行くときに一緒に眺めた人がいまは姿が見えないがどうしたの」
旅人「・・・・」何というべきか言葉に詰まる。
旅人と同様、愛する妻を亡くした私には彼の気持ち、歌の意味が心にしみます。
当時ここに生えていたむろのきは旅する人にとっても印象深く、よくめだつ存在、巨木だったのだったのでしょう。写真を見てもわかります。
むろのきは今では「ネズ、ムロ,モロキ」と呼ばれ西日本の海岸沿いに良く生えている針葉樹林で木肌は杉のようですが枝葉は多く,木姿はこんもりとしています。通常の高さは3m程度であまり目立つ存在ではありません。
近くの金江町に、当時存在したであろう大木のむろのきがあると聞いてはいましたが山中でその所在はよくわかりませんでした。
このまま放置しておくのも心のもやもやが晴れません。
今日、仕事で福山に行く機会があり、資料を手に探しに出かけました。
現地に至るアクセスは記載してありましたがどうも私の描くイメージに合わず3回も迷い、やっとのことで到着しました。
要は農免道路、金江小学校裏の川添の道を入り、「弥勒の里」方面に向かいます。
本谷地区に至る小さな川をさかのぼるとそのどん突きに「大池」と呼ばれるため池があります。その手前、左斜面に立っていました。後ろを振り向けば1キロ先に『弥勒の里」にある大きな観覧車が見えます。メイン道路から入った道のすぐそばにありますから簡単に行けます。
ここの「金江の大ムロノキ」は幹回り4,3m、高さ8m、樹齢1000年、残念ながら枯れて白骨化していますが固い木質なのでしょう朽ちずに白い幹が四方八方に枝を伸ばしています。実に堂々たる王者のような姿です。うれしいことに側枝からは緑の枝葉が伸びています。代替わりできるのではと期待しています。昭和43年、福山市天然記念物に指定されています。
この巨木が鞆の浦の磯辺に立っている姿を想像するだけでワクワクと興奮します。その雄姿は感動もので多くの人を感激させ、多くの歌に残されているのです。
鞆の浦の最後の課題・宿題を終えたような気持ち、肩の荷が降りた心地です。
主幹の下部あたりにスズメバチと思われる大きな蜂が盛んに巣づくりしていました。見物に来た人にとって危険なので、帰路、福山市役所松永支所に立ち寄り、撤去を依頼して帰りました。
追伸
10月23日、福山市役所文化振興課から駆除の件、了解したとのお電話をいただきました。
迅速な対応ありがとうございます。
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薔薇は3度咲く。

2020-10-19 22:30:24 | 日常
令和2年10月19日
   バラが咲いた バラが咲いた まっかなバラが
          淋しかった僕の庭に バラが咲いた。

私の誕生日を祝うがごとく小さな赤い薔薇が咲いてくれました。
この時期に咲いてくれるとは予想だにしていませんでした
今年、春、夏に続き三回目の開花ですから。
初めは立派な大輪の薔薇の花でしたが今回は少し小さめですが色はたがわず真っ赤な色です。
10日たった今朝、見ると5輪咲いていました。一輪切り取って食卓テーブルに飾りました。
小さな赤色ですが、食堂もすっかり明るい雰囲気に変わりました。
美しいものは心も明るく変えてくれます。
良いですね。
つられて、そのテーブル周囲や、洗い場も清掃、さっぱりとし、綺麗になりました。
追伸
最初の薔薇は大輪でした。今年5月7日のブログに掲載しています。見比べてみてください。
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薔薇は3度咲く。

2020-10-19 22:30:24 | 日常
令和2年10月19日
   バラが咲いた バラが咲いた まっかなバラが
          淋しかった僕の庭に バラが咲いた。

私の誕生日を祝うがごとく小さな赤い薔薇が咲いてくれました。
この時期に咲いてくれるとは予想だにしていませんでした
今年、春、夏に続き三回目の開花ですから。
初めは立派な大輪の薔薇の花でしたが今回は少し小さめですが色はたがわず真っ赤な色です。
今朝、見ると5輪咲いていましたから、一輪切り取って食卓テーブルに飾りました。
小さな赤色でしたが、食堂もすっかり明るい雰囲気に変わりました。
美しいものは良いですね。
つられて、そのテーブル周囲や、洗い場も清掃、さっぱりとし、綺麗になりました。
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いよいよ秋来る

2020-10-14 23:24:05 | 日常
令和2年10月14日

高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
(万葉集 巻2-231)

季節はめぐる、夏から秋へ足早に過ぎゆく,昨日,今日と快晴の天気で汗ばむような陽気、過ごしやすい時は一瞬ですね。今夜は少し寒い、火の気が欲しいような気温です。昨日は郊外の黒瀬の山道で萩の花を見つけた。あまりに目立たず静かな風情なのに目に飛び込んできておどろきました。めだたない存在なのになぜか私の目に飛び込んできて、秋の到来を訴えているようで、思わず写真にとりました。秋の花といえば華やかなコスモスの花、あちこちに咲き乱れているのになぜか地味な萩の方に気が採られるとは不思議ですね。どのような心境なのでしょうか。萩の花といえば思い出されるのは奈良・高円の百毫寺の萩の花。石段の両脇にあふれかえらんばかりに咲いていました。今はどのような風景でしょうか。また見に行きたい。こころ静かに目を閉じて思い返してると庭先から「チリチリ」と虫の音が聞こえてきます。思わず声にひかれて外に出れば漆黒の闇、月の季節は過ぎ、あと3日で新月か。そしてまもなく「霜降」を迎え、紅葉の季節となる。本当に過ごしやすい時期は短いです。
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登山後にも楽しみはある。

2020-10-10 10:32:50 | 日常
令和2年10月9日
今日は私の76回目の誕生日です。ジョン・レノンもこの日が誕生日とは初めて知りました。娘たちが「登山バック」や「もつ鍋セット」をプレゼントしてくれました。
登山後の仕事は記録や写真の整理、次に行く仲間のためにコースタイムや山行状況、会計報告書,注意事項等登山の記録を書き残し次回に行く仲間に送りました。
妙な癖、たぶん私だけの楽しみでしょうが登山後にも登頂と同様な秘かな楽しみがもうひとつあります。それは使用した装備を洗濯した後、点検・整備することです。この時間は私にとってはまさに至福の時間です。そしてそれら装備を元の場所に収め、次の山行に備える。。装備の悪いところ、壊れたところを修理する。靴底は大丈夫か。靴紐が穴に入らず困った。この傷はあの時ついたものだ。この雨具の傷はあの時のものか。どのように修理するか考える。そのような時には再び楽しかった登山の様子が思い出され、微笑みが浮かんできます。
今回の修理すべきところは3か所。一つは登山ズボンの右ポケットのファスナーが壊れていました。自分では直せないので専門店に修理を依頼しました。ファスナーは物を落とさない、なくさないようにするには必要です。それから登山靴。雨のため登山道が川のようになっておりその中を長時間歩いたため水が浸みて右側の靴下がひどく濡れていました。防水剤を塗り,革部分との縫い目を接着剤で補修しました。また、靴紐の先がほつれて穴に入れにくくなっていたので先端に糸を巻き絞め接着剤で固めました。これで今回の登山行動はすべて完了です。次回の準備は整っています。いつでも出発できます。また次の頂を目指しましょう。
追記
登山道が良く整備されていました。そのお礼に利尻富士町の「ふるさと納税」の手続きをしました。
直接役場に申し込むよりインターネットの「JTBふるぽ」で申し込みする方が有利でした。
民間の方が事務効率も良い為の様です。すぐに手続き完了の報告がありました。
時代は変わったのですね。
追記 2
ふるさと納税の返礼品、ホッケを頼みましたが10月18日に届きました。
お土産に送ったホッケ、先様より「こんなにおいしいホッケは初めてです。」とのお礼のお言葉を頂きました。
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