まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

来年度の年賀状です。

2019-12-31 00:17:25 | 日常
令和元年12月31日
これが私の年賀状です。表題の歌は元号「令和」由来の大伴旅人宅で行われた梅花の宴の32首の歌、最初に記載された主客の大弐紀卿の「正月立ち春の着たらば・・・」の歌を載せました。
内容は例年通り、今年の活動内容を記しました。詳細はその時々のブログに掲載していますのでご覧ください。作成は12月23日まで数日にわたる大規模な引越作業のため時間が取れず、遅れて12月28日の投函となり、残念ながら元旦の配達には間に合いませんでした。送る相手の中には「高齢のため新年のご挨拶はご遠慮する。」とのお葉書をいただいていましたが、年賀状は頂かなくても、貰えればうれしいのではと思いいつも通りお送りしました。このような時には果たしてどのようにすべきなのでしょうか。迷惑にならないのかな。後日時間があれば調べてみましょう。
今年は事故もなく順調でしたが、仕事の方では取引先も厳しい状況でした。来年は少しでも景気が上向くことを期待して全力を尽すとともに、山にも登り元気をもらいましょう。
今年1年ありがとうございました。来年もまたよろしくお願いいたします。
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「人生会議」していますか

2019-12-30 22:15:42 | 日常
令和元年12月30日
最近介護の仕事に従事する人から聞いた言葉の中に「人生会議」という言葉がありました。
厚生労働省が普及、啓発のためポスターを作り公表したところ、反対の方から抗議がありネットでも炎上する騒ぎとなり掲載停止に追い込まれた事件がありました。
「人生会議」とはもしもの時のため、あなたが望む医療やケアについて前もって考え家族や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有しておこうというものです。私も当然行われてしかるべきだと思いますが何故問題となったかというとポスターの表現内容がどぎつすぎるからではないでしょうか。鼻や口にパイプホースが付けられ苦しそうな暗いイメージが強すぎる。健康寿命の年齢を超え数年間はベットの上で手厚い介護を受ける。その間の終末治療費用の削減のため無駄な悪あがきはやめなさいと厚生労働省が打ち上げたアドバルンだなと思いました。現在の日本人の生存年齢が高いのはベットに括り付けて死なないようにしているから高いのである。昔は死期がちかずくと食事の量も減り、枯れ木の様にやせ細り死を迎えるのが当然でしたが、今は点滴等により十分な栄養補給がなされるので丸々と太り健康な体形のように見えます。延命治療に胃ろうという治療法があります。海外では行われないようで日本でも最近は少ないようですが、食物が喉が通らなくなるとパイプで直接胃の中に食べ物を流し込むものです。一旦始めると撤去は困難なようです。食べれない、水も飲めないのですから意識のある人にとっては大変な苦痛で苦しさのあまりパイプをひき抜くこともありその防止のため拘束することもあるようです。ベットに動かないように括り付けられ、そのような状態でも生きたいのでしょうか。本人は死にたくてもご家族の生きてほしいという願いからこのようなことになるのでしょう。撤去すれば死ぬことになるから外せない。ひいては植物人間の状態になった方もおられます。私はこのような状態になってまで生きようとは思いません。人間の寿命は有限です。人はいつかは必ず死ぬ。人間らしい穏やかな最期を迎えるためどのような終末治療を望むのか家族で話し合う必要があると思います。
私の祖母も今年百歳を越えました。今は娘の介護のもと穏やかな老後を過ごしています。その時が来れば延命治療は必要なく痛みを軽減する緩和治療で静かな最期を迎えることを望んでおります。
見事な生き方に敬服しております。この正月にはいつもの様にグリーンピア安浦で祖母とともに家族で水入らずの時を過ごしたいと思っています。
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「鞆・一口町方衆」に応募す

2019-12-26 15:23:28 | 日常
令和元年12月25日
今、広島県は11月28日、鞆の浦の景観、街並み保護等のための「鞆・一口町方衆」という制度を作り基金を募集しています。鞆の浦を愛する私もさっそく、わずかですが協力して寄付しました。鞆の浦の景観保護については前の福山市長の「架橋に協力しなければ町整備等、一切の公共投資しない」とのことで法的整備がされず、長らく放置されたままでした。架橋の是非を争点とした鞆の浦裁判において「鞆の浦の景観は歴史的、文化的な価値を有する景観として国民の財産というべきものである。」として公益性を認定し架橋は認めないとの画期的な判決により架橋ができなくなり、以後、山側にトンネルを作ることが決まりました。その後、法的な整備が進み、景観保護事業が進行しています。港周辺の鞆の浦の古い町並みは現在重要伝統的建造物群保存地区に指定され保存に向けた取り組みが進行中です。壊れたり、簡易に修復された建物も当初たてられたような風情のある江戸時代風の建物に復元して、かっての歴史を感じるような街並み復元を目指しています。「波止」「雁木」「常夜燈」は国内最大級です。船を修理する「焚場跡」、出入りする船を見張る「船番所跡」近世港湾に必要とされる5つの施設がそろっているのは今や国内では鞆の浦だけです。「船番所」もこの基金で再建してほしいものです。
世界遺産認定審査する「イコモス」においても鞆の浦はその資格があると認定されております。あとはその後ろ盾となる国内の環境保護の法整備が進行すれば将来的には、世界中の多くの人々に鞆の浦の魅力を伝えるため世界遺産への登録が可能になります。この基金はそれを目指し更なる環境の整備に協力、推進するものです。世界遺産とのなれば街並みだけでなく駐車場やトイレ等の多くの施設整備も必要になるでしょう。周辺の倉敷、尾道、しまなみ海道の島々にもその効果は波及し繁栄することでしょう。鞆の浦の魅力は私的には海からの景観にあると思います。長い航海に疲れた船乗りたちが、背後の山々に囲まれ母の懐に抱かれたような静かな円形の鞆港を見たとき、本当に安らぎと安心を感じたことでょう。観光客の皆様にもこの海からの景観を味わっていただきたいものです。声高らかにナポリ民謡の「サンタルチア」でも歌いたい心境です。鞆の浦は本当に素晴らしい。募金目標総額は6億円、現在ははじまったばかりでまだ442万円、個人99名、企業、団体は64団体とのこと。多くの人々にご協力いただきたい。そして鞆の浦にお越しください。お魚もおいしいですよ。
この制度は「ふるさと納税制度」が適用され一部が所得控除されます。広島県のホームページにその詳細が記載されています。ぜひとも基金募集にご協力のほどお願いいたします。
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アイゼン尾根と墓場尾根

2019-12-15 22:48:12 | 日常
令和元年12月15日
今日は山仲間に天応烏帽子岩山のアイゼン尾根に連れて行ってもらいました。天応の岩場は何百回も行っているがこの横にあるアイゼン尾根は初めてです。名前の由来はアイゼンの練習に登られるのでこの名前が付いたようです。岩場に行く道の途中から分かれて取り付きますが急坂です。5か所余り小さな岩場もあり初心者がいればザイルを使用した方がよいと思います。経験者であれば楽に登れますからその必要ありません。登りながら瀬戸の海が眼下に広がり展望もよく、南面しているので温かく気持よく登攀できました。頂上の烏帽子岩山の標高は410m。下山には同じコースで下る練習をしてもよいのですが左の尾根の墓場尾根コースも行ったことがなかったのでそれを利用して下山しました。岩場はありませんがアイゼン尾根と同様で急坂、おまけに花崗岩が風化した真砂土なのでよく滑ります。これも下りの練習になりました。降りたところが出発点の墓所ですからこの名前が付けられたのでしょう。一周する所要時間は2時間余りでしたが内容も充実した密度の濃い山行でした。人数が多く、ザイルを使用すればもうすこし時間も要するでしょう。初心者を連れて北アルプスの岩稜に行くときには最適な訓練場だと思いました。
(写真の中央の岩峰、谷間が天応の岩場、右の尾根がアイゼン尾根、左の尾根が墓場尾根です。)
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偉大なる日本人、中村哲さん そして八田與一(はったよいち)さん

2019-12-10 23:17:24 | 日常
令和元年12月10日
12月4日、アフガニスタン東部、ジャラーラーバードで武装集団に襲撃されなくなった中村哲さん(73歳)が今日で1週間、日本に無言の帰国を果たされ家族のもとに帰られました。人生の半分を海外の人道支援に費やされ家族の心情はは察するに余りあります。襲撃事件以来その功績をたたえる声が国の内外に広がり改めてその功績に対し賛美の声が沸き上がっています。病気の治療より用水路を建設する方が国民の生活向上に寄与するとして10年かけて砂漠に水を引き、砂漠を緑の大地に変身させました。10万人の農民が帰還を果たし生活の安定にも貢献しております。多くの国民がその死を悼み日本とアフガニスタン、友好の懸け橋となられました。アフガニスタンの人々も中村さんの功績により日本に対し良い印象を持っていただけるのではないでしょうか。
中村さんは現地の活動について「武器を使用しないで平和を実現する日本国憲法第9条の精神が身を守ってくれていると実感したと述べておられました。丸腰で支援活動をするから現地の人もわかってくれる。ある時は米軍が来て医薬品の提供の申し入れがあつたが断った。米国にかかわりがあるとみられるのがいやだったからである。中立の姿勢で国民の生活向上に努めてくれる。それがあるから政府側も反政府側も、タリバンも手を出さない。むしろ守ってくれている。海外で銃を撃たない。憲法9条が本当の日本の強みだと語っておられた。
このことがあつて私は台湾旅行の時知った、最も台湾で尊敬されている日本人、「八田與一」氏のことが思い浮かんだ。
いまだに台湾の人々が親日的であるのは彼の功績ではないかと思います。彼は台南市周辺に広がる広大な曠野に灌漑施設を作り、肥沃な穀倉地帯に変えました。当時は東洋一と称される「鳥山頭ダム」を1920年着工、10年の歳月をかけて完成、その間作業員のため学校、病院も作りました。総延長1万6000㌔に及ぶ灌漑用水路をめぐらし、15万ヘクタールにわたる広大な農地を生み出しました。
彼は大戦中フイリッピンに移動中乗っていた船が魚雷攻撃を受け沈没、享年56歳で亡くなりました。
ともに相手の国民の為になされた行為が尊敬を集めることになりました。ありがとうございました。
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アイゼン祭り

2019-12-08 13:35:15 | 日常
令和元年12月7日
今日、福山の蔵王岩場において恒例のアイゼン祭りが行われました。9時からの開始予定でしたが取り付き場所のじゅうたんを新しいものを設置するため早く行って工事しました。
それから岩場広場の土留めやベンチにするための日本鋼管から頂いた枕木を運搬しました。50キロ余りと重い枕木、足場の悪いを急坂を運搬するのは大変でした。ゲレンデを吊り降ろすので普段使用しない上腕や背筋の筋肉を使うので筋肉痛になりました。今までこのようなところに痛みを感じたことはありませんでした。やはり年齢を感じます。
久しぶりに岩壁を登り、12時から神事に入ります。岩場に祭壇を設け、お祓いしていただく登山用具を奉納。神主役の会員が祝詞を奏上、お祓いを受け、参加者が玉ぐしをささげ、今年1年の安全登山を祈願いたしました。
式典終了後、日本鋼管の枕木を使用して広場の土留め工事、ベンチを2か所設置しました。来年はこの場所で全日本級の講習会が予定されています。ゲレンデを拡張するため左側の岩場の立木を伐採、新ルートも作られることでしょう。
帰路には、松永に立ち寄り、6500万年前の白亜紀の花崗岩からろ過し汲出されているというありがたいお水「厳聖水」を20ℓ400円で購入。東広島の「賀茂の湯」にゆっくりとつかり、マッサージをして帰宅しました。
これで筋肉痛が治るのでしょうか。
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傘山(649m)・行者山(314m)例会山行

2019-12-02 21:16:47 | 日常
令和元年12月1日
今回の例会山行は里山の登山であったが内容的には私の登山人生57年間においても記憶に残る素晴らしく、かつ充実した満足すべき登山であった。
会員の進歩、充実ぶりは26名という大人数にも拘らず、6~7時間要するコースを5時間35分余りで一人の落伍者もなく踏破したことに表れています。
朝は晴れていたが午後、夕方には雨の予報でしたが私、いや参加者の日頃の行いが良い為か、福山の会員も帰宅するまで雨は降らなかったようです。
9時48分玖波駅に到着、準備体操をして10時出発。駅からは大岩壁を要する行者山がよく見える。メープルヒル病院が登山口。この山はかっては石鎚山信仰で栄えた山でその名残の○○合目と刻まれた石柱が残っているが参道は荒れて痛んでいます。水場や鎖場も現存しています。展望の良いところで瀬戸内の島々の景観を説明する。左の宮島、中央には養殖の盛んな阿多田島、江田島、能美島の横には大黒神島、この島は瀬戸内海で一番大きな無人島である。広さが7、3平方キロ。ちなみに先日沖縄に駐留する米空母の離着陸訓練の候補地として買収した鹿児島県沖の馬毛島も8平方キロと同様の広さながら当初の査定額45億円が160億円に跳ね上がるとは。この小さな島がそれほどの価値があるとは米軍の騒音対策の為とはいえ高くついたものです。一言付け加えました。皆さん快調で頂上着は予定より早く10時。ここで私は全体を見るため後ろに下がり、後輩に先頭を任せる。尖った玖波槍を過ぎ、40分余りで谷和への舗装道路に出る。ここで10分休憩、この間に行動食を食べる。ここから傘山山頂まで標高差380m。途中休憩を含め1時間20分余りを10分早く登りました。この間は本日の課題である「地図で現在地を確認して登る」を実践してもらうためリーダーに標高、地形を声出しして教えてもらい,各人地図で現在地を確認しながら登りました。展望の良い西峰に到着後、急登で疲れた身体を癒すためストレッチをしてから休息・食事をとり、後は磁石を手にして山座同定を行い、方位を読み上げ中国山地の峰々を確認してもらいました。その間20分余りで13時25分下山開始。危険で滑りやすい真砂土の急坂を標高差で150mも下り、尾根道との分岐点の鞍部で谷筋の道を下る。落葉の積もった下り道は柔らかく快適でした。次の最後の谷筋の下山道は前半はシダでおおわれていましたが、私が2回にわたり下見して伐採していましたから迷うことなく予定どうりの時間で新幹線下の登山口まで無事に下山できました。あとは舗装道路を歩くこと20分、15時35分玖波駅に到着。本日の行動時間は途中の休憩11回を含め5時間35分。大人数でこの時間。みなさんよく歩きました、大満足です。予定通り15時59分発の列車で福山に帰られました。充実した山行で車中よく眠られたのでは、また思い出話に花が咲いたのかも。

行程は以上の様子でしたが私が充実した山行といったのは別な理由があります。ベテランの会員も多数参加されそれぞれがリーダーの経験があり何をすべきかよく理解されていた。一般会員の参加者も各自の実力をいかんなく発揮され、自分のできること、気が付いたこと即実行され、この山行のため、仲間のためつくされました。
1、参加申込書のこと。我会では参加者にその趣旨に賛同して署名してもらうことになっています。私が事前に学習してもらうため地図を郵送したが、こちらに来る途中車中で署名していただくための申込書を同封するのを忘れていました。そのため本来であれば車で来るところですが向洋駅で同乗して署名してもらうつもりでしたが、福山参加者組の方が申込書を準備され、すでに署名されていたので、駅到着後すぐに出発することが出来ました。
2、負傷者の対応。東峰直下で足に痙攣が来た会員がおられました。治療薬を与え、マッサージをし、荷物を代わりに背負い、負荷を少なくした適切な対応であまり遅れることなく最後まで歩くことができました。
3、最後の谷筋コース。シダが生い茂り列が長くなった時、後続が迷わないようにそこにとどまり道案内をしてくれた会員がおりました。古株の会員ではありませんがよく気が付き、指導が行き届いていることをうれしく思いました。
4、危険なところの声出し。「足元注意」「浮石注意」「頭注意」危険予知はみんなに徹底して行えば、安全だけでなく、一体感を強め、仲間意識の高揚にもつながります。
5、事前準備、現地地図の配布については参加者、各人が用意すべきであるとは正論だと思います。
ベテランであれば当然事前にコースを研究してきます。新人もそのうち先輩を見習って勉強してくれることでしょう。私が後半を任せた後輩には、当日、その場で指名したにも拘らず、期待にたがわず自分の地図を作成しコースを熟知して参加してくれ、立派に任務を果たしてくれました。いつでもリーダーができる事前の準備があったからでしょう。
万葉集にも同じような記述がありました。万葉集の名歌と言われる歌、個人の歌はその感動した感情を歌に詠まれます。当時の貴族、上級役人の仕事は歌を詠むことです。宴会や歌の会などに出席すれば、各人歌を読み披露することがあります。主催者の出される課題をあらかじめ予想して、歌を考えているからこそよい歌ができるのです。突然の準備なしではよい歌はできません。いかなる時にも良い歌が読める準備をしていればこそ才能・能力があると認められ出世できるのです。「備えあれば憂いなし」です。

ベテラン、新人を問わずベストを尽くしたことに満足された山行であったと感じています。
私もよい仲間と登山できたことを幸せに感じています。

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