令和元年12月1日
今回の例会山行は里山の登山であったが内容的には私の登山人生57年間においても記憶に残る素晴らしく、かつ充実した満足すべき登山であった。
会員の進歩、充実ぶりは26名という大人数にも拘らず、6~7時間要するコースを5時間35分余りで一人の落伍者もなく踏破したことに表れています。
朝は晴れていたが午後、夕方には雨の予報でしたが私、いや参加者の日頃の行いが良い為か、福山の会員も帰宅するまで雨は降らなかったようです。
9時48分玖波駅に到着、準備体操をして10時出発。駅からは大岩壁を要する行者山がよく見える。メープルヒル病院が登山口。この山はかっては石鎚山信仰で栄えた山でその名残の○○合目と刻まれた石柱が残っているが参道は荒れて痛んでいます。水場や鎖場も現存しています。展望の良いところで瀬戸内の島々の景観を説明する。左の宮島、中央には養殖の盛んな阿多田島、江田島、能美島の横には大黒神島、この島は瀬戸内海で一番大きな無人島である。広さが7、3平方キロ。ちなみに先日沖縄に駐留する米空母の離着陸訓練の候補地として買収した鹿児島県沖の馬毛島も8平方キロと同様の広さながら当初の査定額45億円が160億円に跳ね上がるとは。この小さな島がそれほどの価値があるとは米軍の騒音対策の為とはいえ高くついたものです。一言付け加えました。皆さん快調で頂上着は予定より早く10時。ここで私は全体を見るため後ろに下がり、後輩に先頭を任せる。尖った玖波槍を過ぎ、40分余りで谷和への舗装道路に出る。ここで10分休憩、この間に行動食を食べる。ここから傘山山頂まで標高差380m。途中休憩を含め1時間20分余りを10分早く登りました。この間は本日の課題である「地図で現在地を確認して登る」を実践してもらうためリーダーに標高、地形を声出しして教えてもらい,各人地図で現在地を確認しながら登りました。展望の良い西峰に到着後、急登で疲れた身体を癒すためストレッチをしてから休息・食事をとり、後は磁石を手にして山座同定を行い、方位を読み上げ中国山地の峰々を確認してもらいました。その間20分余りで13時25分下山開始。危険で滑りやすい真砂土の急坂を標高差で150mも下り、尾根道との分岐点の鞍部で谷筋の道を下る。落葉の積もった下り道は柔らかく快適でした。次の最後の谷筋の下山道は前半はシダでおおわれていましたが、私が2回にわたり下見して伐採していましたから迷うことなく予定どうりの時間で新幹線下の登山口まで無事に下山できました。あとは舗装道路を歩くこと20分、15時35分玖波駅に到着。本日の行動時間は途中の休憩11回を含め5時間35分。大人数でこの時間。みなさんよく歩きました、大満足です。予定通り15時59分発の列車で福山に帰られました。充実した山行で車中よく眠られたのでは、また思い出話に花が咲いたのかも。
行程は以上の様子でしたが私が充実した山行といったのは別な理由があります。ベテランの会員も多数参加されそれぞれがリーダーの経験があり何をすべきかよく理解されていた。一般会員の参加者も各自の実力をいかんなく発揮され、自分のできること、気が付いたこと即実行され、この山行のため、仲間のためつくされました。
1、参加申込書のこと。我会では参加者にその趣旨に賛同して署名してもらうことになっています。私が事前に学習してもらうため地図を郵送したが、こちらに来る途中車中で署名していただくための申込書を同封するのを忘れていました。そのため本来であれば車で来るところですが向洋駅で同乗して署名してもらうつもりでしたが、福山参加者組の方が申込書を準備され、すでに署名されていたので、駅到着後すぐに出発することが出来ました。
2、負傷者の対応。東峰直下で足に痙攣が来た会員がおられました。治療薬を与え、マッサージをし、荷物を代わりに背負い、負荷を少なくした適切な対応であまり遅れることなく最後まで歩くことができました。
3、最後の谷筋コース。シダが生い茂り列が長くなった時、後続が迷わないようにそこにとどまり道案内をしてくれた会員がおりました。古株の会員ではありませんがよく気が付き、指導が行き届いていることをうれしく思いました。
4、危険なところの声出し。「足元注意」「浮石注意」「頭注意」危険予知はみんなに徹底して行えば、安全だけでなく、一体感を強め、仲間意識の高揚にもつながります。
5、事前準備、現地地図の配布については参加者、各人が用意すべきであるとは正論だと思います。
ベテランであれば当然事前にコースを研究してきます。新人もそのうち先輩を見習って勉強してくれることでしょう。私が後半を任せた後輩には、当日、その場で指名したにも拘らず、期待にたがわず自分の地図を作成しコースを熟知して参加してくれ、立派に任務を果たしてくれました。いつでもリーダーができる事前の準備があったからでしょう。
万葉集にも同じような記述がありました。万葉集の名歌と言われる歌、個人の歌はその感動した感情を歌に詠まれます。当時の貴族、上級役人の仕事は歌を詠むことです。宴会や歌の会などに出席すれば、各人歌を読み披露することがあります。主催者の出される課題をあらかじめ予想して、歌を考えているからこそよい歌ができるのです。突然の準備なしではよい歌はできません。いかなる時にも良い歌が読める準備をしていればこそ才能・能力があると認められ出世できるのです。「備えあれば憂いなし」です。
ベテラン、新人を問わずベストを尽くしたことに満足された山行であったと感じています。
私もよい仲間と登山できたことを幸せに感じています。