まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

ベルリン交響楽団を聞きに行く。

2023-06-26 20:19:51 | 日常

令和5年6月24日
今日は待望のベルリン交響楽団の演奏会が開催される日だ。
10年振りの来日公演が決まり、全国12か所で演奏会が開かれます。
曲目もよく知られた「未完成」、「皇帝」、「運命」だったので是非とも行こうと3か月も前の3月26日にチケットを購入しました。
皆さん、私が気に入ったのと同様の考えか直ぐに完売となりました。
会場の広島国際会議場フェニックスホールは平和公園内にある施設ですが、私は初めてです。
定員は1504名。会場は3階まであり、両サイドにはおしゃれなバルコニー席もありました。
席もゆったりとして、段差がありどこからもよく見えるようになっていました。
私の席は、S席、2階の1列目ですから快適でした。
指揮者はハンスイェルク ・シェレンベルガー氏、オーボエ奏者の方が新たに指揮者となられました。
ピアノはピョートル・アレクセイヴィチ氏、ポーランドの23歳、若手有望な奏者です。見ていても身も毛がよだつような素早い指の動きに圧倒されました。
上品な、行き届いた演奏会でした。
圧倒的な音量に、メリハリの利いた演奏に心がひきこまれました。
アンコールも2曲演奏していただきました。
拍手で手がいたくなりました。
このような後に自画像の写真を撮っておけば良い表情の写真が取れたのでしょうに‥・気がまわりませんでした。
(荷物の運送トラックの写真をバックに記念写真、何でも記念になります。)
お隣の広島文化学園HBGホールでロックバンド「DISH」の演奏会があり大勢の若い女性の方々が列をなしておられました。
16時30分開場、17時30分開演のようです。
私は知りませんでしたが知る人、フアンは知っている。すごい人気なのですね。
行くときの開場3時間前から、13時過ぎにも長蛇の列で並んでおられた。
我々が終了した17時にもまだ次々と入場しておられ熱気むんむんでした。
クラッシックは年配者、ロックは若者たち。それぞれ熱中するものがあり結構でした。
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大万木山(1218m)から琴引山(1014m)縦走す。

2023-06-25 22:18:55 | 日常
(大万木山山頂にて、虫がたくさん群がりネットを被りました)
令和5年6月18日
この夏の八ヶ岳縦走の訓練山行として実施しました。
八ヶ岳縦走は10時間以上要するので今回の縦走により自信をもって行うことができました。
今朝の天気は曇っていますが昼前から晴れの予想。最適な空模様、これも観音様のお陰でしょうか。
今回の計画は午前6時、琴引山スキー場に車を1台置いて、大万木山の井出谷パーキングが出発点。
2㌔余りの急登の続く権現コース。マイペースでゆっくり休まず登りました。
樹林帯ですから日陰が続き快調でした。
登山道はきれいに両側の笹や樹木が伐採されていました。

縦走路は1218mの大万木山から1014mの琴引山に下るので楽かと思いましたが渓谷ルート出会いの先の大階段が304段もあり、急降下しますので帳消し、あとは1000m前後の稜線を上り下りを繰り返し、5時間ばかり歩くと琴引山頂に到着、夏の炎天下で大変だと予想していましたが大半がブナ等の樹林帯で快適でした。下りに1時間。琴引フォレストパークスキー場に到着、
YAMAPの記録では所要時間9時間23分、距離13,9キロ。登り1320m,下り1460m、速度110から130でした。
お花を見たり、ゆっくり歩いた割には意外と速い速度でした。
私の記録では34500歩でした。
八ヶ岳縦走ではもう1から2時間余分にかかると思いますがその分早く午前4時には出発しますので同時刻の午後4時ころには夏沢鉱泉に到着できるのではと思います。
帰りに麓の「頓原ラムネ銀泉」にゆっくりと1時間の長湯、疲れを癒やして帰宅しました。
秋の紅葉は素晴らしいとのことなのでまた来たいと思います。
琴引山と大万木山の間の縦走路は10キロ余りです。)
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初めてキリスト教の葬儀に参列する。

2023-06-10 20:25:33 | 日常

令和5年6月10日
今日初めてキリスト教徒のご親戚の方の葬儀があり参列してきました。
私より10歳年上の方でしたが親戚の方の中でも馬が合うといいますかご厚誼にしていただいていました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
私の妻がなくなったのが2003年ですからこのような葬儀を催し、一堂に会したのは実に20年振り、親戚の方々と久しぶりに会い親交を深めました。
大人たちは昔とあまり違いませんが孫たちが新たに加わりました。

キリスト教とは香典袋が違います。
表書きも「ご香典」でなく「お花料」となります。
コンビニや小さな文具店にはありませんのであちこち探しました。

告別式は教会の200人余り入れる大きなホール、礼拝場でありました。
祭壇は簡素で美しいお花の飾られた中央に遺影写真が飾られていました。
お花も白い花が多くひときわ白百合の美しさが際立ちました。
白百合は聖母マリアのシンボル、教会を代表する花ですから当然です。
遺影写真が本人にうってつけで実に素晴らしいものでした。
演奏会の後の集合写真からとったといわれました。
広島交響楽団にも関係されていましたから名演奏を聞いて大感激されたときの写真だったのでしょう。実に人柄がにじみ出たようないい写真です。
顔の表情は修正できませんから最高の満足した写真を残したいものです
私も同様に、山に登り感激した時の嬉しそうな表情の写真を遺影写真として残そうと思いました。
そのつもりで撮影するよう心掛けましょう。

告別式は13時、牧師さんの司会で開始。
荘厳なオルガンの演奏で始まりました。
何回も聖書の一節を引用。浄土真宗でいえば長い読経はなくいきなり御文書朗読のような感じです。
賛美歌を5曲あまり歌う。多く歌うことにより普段の例会や音楽祭の様に盛り上がりました。
献花の時にはご本人がリクエストされていたベートーベンのレクイエムのような荘厳な曲が流されました。
ご本人も心から希望したリクエスト曲が流され、天上から最後の自己主張が理解され満足して眺めておられることでしょう。
私なら何の曲を流してほしいかな。
山の歌「穂高よさらば」か、私が好きな万葉集・大伴家持の長歌に由来する「海行かば」に決めている。
戦時中よく流された信時潔氏作曲の荘重な曲です。
「海行かば水ずくかばね、山行かば草生すかばね、大君の辺にこそ死なめ、かヘリ見はせじ」
娘によく言い残しておきましょう。
牧師さんも親しみを込めてか兄弟と呼びかけられ、本人の功績として「何を残したか」について述べられました。
私も「福原不二雄、この世に存在した証として何を後世のために残したか」を真剣に考え、小さなことしかできないが生きた証を残してゆきたいと思います。
告別式は1時間で終了。短いながらも温かい式典でした。
高天原に移動。
16時30分にはすべてが終わりました。
親鸞聖人の御文書の言葉。
「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」
世の無常を感じるとともに、人間の力ではあがなうことができないたゆみない時の流れを痛感しました。 

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比婆山スカイライン後始末と牛曳山登山

2023-06-05 00:16:23 | 日常
(雨が上がり素晴らしい青空がまぶしい。)
令和5年6月3日
今日はスカイランの後始末。
体育館の2階に装備品等すべてを格納します。
屋根裏の中2階ですから階段がありませんから全て梯子や吊り上げます。
参加者は11名。最後までお手伝いしてくださるのはいつものこのメンバーです。
午前10時からの予定でしたが皆さんいつもの開始時間、9時前に到着。
すぐに開始しました。
いつものことですから手慣れたもので2時間余りですべて完了しました。
でも何となくこれで最後かと思うと寂しい気持ちになります。

女性の会員さんがいつものイチゴジュースを作っていただきそれで乾杯し、終了しました。
1週間前とは違い今日は実にさわやか、青空が空いっぱいに広がりスキー場の緑が雨に洗われ,ひときわ鮮やかです。

天気は良し。
早く終了したので久しぶりに牛曳山(1144m)に登りました。
今までここ県民の森に来た時、登る山は毛無山以外にありません。
5から6年毛無山の登山道整備に明け暮れていましたからほかの山に行ったことはありませんでいた。
一段落したので久しぶりに牛曳山に登りました。
いつもの癖で山に登るときは登山道整備用品は持参します。

登山口の標識「牛曳山」の文字が薄くなっていたので白ペンキを入れました。
神戸から高齢者の登山クラブ御一行様が登って行かれました。
「遠くからよくお越しいただきました。ありがとうございます、」

ほどなくすると白樺林。ここで見れるとはいいですね。

倒木があり、切断し撤去。
このコースはせせらぎの音、小鳥の声を聴きながら登ります。

見事な牛曳の滝があります。
ヨメナロードが始まります。頂上まで、更に伊良谷山まで続いています。実に見事です。本当にうれしくなります。咲いてくれてありがとう。
(上部に排水路、下の方に倒木で階段を4段設置しました)
頂上近くの1050mあたりの登山道。雨水により片側が抉られ黒土が露出し滑り易く、登るのに苦労された痕跡がありました。
雨水が登山道を流れ土砂を流れないようにするため、上部に排水路を設け、下方の滑り易い箇所は4か所倒木を利用して階段を設置しました。
たちまちはこれでスリップすることはないでしょう。
将来は角材の段木を持参し安全な登山道となるよう整備したいと思います。
作業中は虫が群がりあちこち刺されました。
私は虫に弱いです。
オニヤンマ君を帽子につけていましたが効果なしです。
やはり防虫ネットのものです。

牛曳山山頂の標識、時間がないので「伊良谷山」方面のみに白ペンキを入れました。
早速に、日帰り登山した方の記事にこの看板が掲載されていました。
名前が表示されての看板ですから、見えなければ写真にとられませんね。
役立ってよかった。
伊良谷別れから、またヨメナロードを通り、8つのカーブを数えながら17時ちょうど公園センター到着。車は数台しか残っていませんでした。
帰りは庄原の「元簡保」のお風呂につかりさっぱりとして帰りました。
私が差し上げたラッキーお裾分けのカープ戦チケット。天候に恵まれ、観戦でき、しかも快勝したとのこと。まことにおめでとうございました。
すべてが順調良かったですね。
これもまた観音様のお陰でしょうね。
ありがとうございます。
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第30回比婆山国際スカイラン記念大会開催す

2023-06-02 12:36:09 | 日常
(素晴らしきかな「ヨメナロード」この美しい花の道を駆け抜けるさぞ快感でしょう。)

令和5年5月27日から28日
いよいよ比婆山国際スカイランの大会が始まりました。
広島での10回の実行委員会を開催し議論を重ね、先週、現地での準備も終え、すべての準備は完了した。
「段取り8分」というがあとは実施するばかりで成功は間違いない。
なんといっても今年で30回。よく続いたもので役員の高齢化に伴い今大会をもって一段とし,以降は不参加の役員もおられるので来年からは新方針により検討していただこうという一区切りとすべき大会なので記念大会という冠を付けました。
(大会プログラムと記念品のTシャツ)
大会を継続するため組織刷新を唱えながらが後継者が決まったのは我が福山山岳会のみで、他の部署はすべて今まで通りの陣容ですから先はありません。
今回から私は補佐に回り,副リーダーが新リーダーとなり、指揮をとられ、立派に任務を遂行され、役割を継承できたことに安堵しています。
レットブルも960本と多くの商品を提供していただきました。
先方様の信頼を得て次回の時にも商品提供していただけるように真摯に宣伝に努めたいと思います。
「山開き」用にレットブルをお裾分けする県民の森の担当者にもお会いして、これをご縁にしてレットブルとの関係を深めるようにお願いいたしました。

午前5時、自宅出発。
午前8時過ぎ、県民の森到着。出雲峠手前に架橋する材木をキャンプ場前に残置。
午前9時、受付を済ませ開始式後各部署に別れ出発。
第一ブロックの担当は
私が担当する全コース隊、広島山稜会3名と我が会の3名の6名。出雲峠隊が6名、毛無山給水隊は毛無山山頂に直登する。
400名分のお水、テント、タープ、木ぐい等を多くの設営資材を1144mの毛無山頂まで運搬する大変な作業である。
人数が動員できる我会だから出来る仕事です。
以前は烏帽子岳の第2ブロックにも第2給水所があったが人手不足のため廃止された。
我々は応援標識を設置 、走路の赤白ロープを張り、走路に生えた笹枝を刈り、間違った標識は修正しながら歩きました。
(毛無山山頂の標識、古くなり文字が消えてわかりませんので、白ペンキで書きました。お陰で記念撮影する人が増えました。)
毛無山頂給水所も準備完了。
出雲峠の分岐地点も完了。
普段は川の水をひいている自噴水もほとんど出ていない。
トイレも閉鎖中。


途中の板1枚の狭く危うい橋のところに広島から持参した柱材を補強のため設置しFSK橋と命名する。
これで大丈夫です。
すべては準備完了です。

午後5時、体育館にて懇親会開催。
各会の紹介等で懇親を深める。役員135名中我会が35名。存在感がありました。
広島山稜会の方々との話で「内黒峠避難小屋」を修繕し使えるようにしましょうということになりました。青春時代。懐かしい内黒峠越えで苦労したことに話が盛り上がりました。小屋復活させよう、次の仕事目標です。
多くの会で協力してやればよいですね。
(景品獲得者の4番目、ラッキーでした。)
最後のお楽しみ抽選会で私が「6月3日カープ交流戦」のペアチケットをゲットしました。
あとでこの日はスカイラン大会の後片づけ・整理日が4日から3日に変更になり、残念ながらいけなくなりましたので知人に幸運をお裾分けしました。
テント場に帰り二次会を開催。
9時に消灯。久しぶりに朝まで8時間熟睡しました。

大会2日目
朝5時過ぎ、鳥の鳴き声に目覚める。黒瀬町に住んでいた時以来の朝の心地よい鳥の声を聞く覚めだ。
今回から朝食も駅弁。昼食の弁当を受取、毛無山頂に向かう。
天候は昼間は雲、夜になると雨の予報。雨が降らないだけでもありがたい。
山頂は風があり少し寒い。
(毛無山第一給水所。風が強いので日除けのタープはやめました。大山もかすかに見えました。ぺッとボトルを飲用に配りました。)
10時、Aコース、スタート。ここ毛無山給水所はスタートから5,2キロ。
30分余りにトップが到着。給水は取られず通過。招待選手ではなかった。わが会の選手も8番くらいで通過。みんなで声を上げ声援す。続々と選手が通過してゆく。最近はそれぞれの選手がバックを背負い、必要な装備を持参する選手が多く、水分を補給して行く選手が多くみられた。新しいレースの方向性を示しているように思いました。
最後のBコースのラストランナーが到着されたのが12時15分。スタートから1時間45分要している。ほとんど初めから歩かれたようでした。
頭からシャワーしましょうかというと寒いくらいですと断られた。
スイパーの方の話では出雲峠で救護班からスプレー治療されたら以降はゴールまで走ってゴールされたとのこと。よかったね。昼食後みんなで撤収。いっぱいの装備を背負い下山。
私たち4名は走路のロープや看板等を回収しながら下山。
新緑のブナ林、素晴しい『ヨメナロード」に心を癒されながら名残おしい道を下りました。
来年はレースはなくともこの美しい自然を見に来ます。

今後は『比婆の森を守る会」などが発足するようなのでその活動に参加して比婆山の保護活動に携わるりたいと思います。




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