「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

奥州市羽田火防祭

2019-03-31 18:20:37 | 郷土芸能

夫婦共々、仕事の一区切りがついたことから、昨晩は時々愛妻と外飲みでした。

今年の冬、家では熱燗で通してきたこともあり、一軒目から三軒目まで熱燗。

歩いて帰ると云ってきかない時々愛妻の手を引っ張って雪の中を帰宅。今朝、腕が痛いのはそのせいだと確信。笑

 

と云う事で、積雪の今日は、お昼近くに、奥州市水沢は羽田へ!

 

釜石自動車を江刺田瀬インターで降り、遠野から40分ほどで現地到着。

本当に便利になったものです。

 

火防祭の全容を事前に掴んでいた訳ではなく、これがメイン。

 

一本の通りをお祭りの会場にして、其々の厄年連がお振る舞いやら出店やらを運営

通り中央付近の郵便局前では、ちょうど鋳物太鼓さんが出演、子供たちがメイン。

 

周辺を少し散策しようと思っていたところで、お菓子撒きのアナウンス

中には本当に豪華景品が当たるものも含まれているようで、老若男女、全員、本気モードです。

側にいたおばあさんは、道路に座ったままで戦闘態勢

どの辺に来るのか把握しているようで、ばらばらと降ってきたのをビニール袋へ入れていました。笑

 

一息ついたところで、消防団が出てきました。

最初に木遣を唄い、

 

まとい振りです。

以前観た水沢日高火防祭でも、同じようなまとい振りがありました。

北上市綾内、花巻市東和町などでは火伏の神楽ですが、ところ変わればですね!

 

まとい振りがお祭りステージ前でUターンした後ろから、剣ばやしの山車が登場

その前に並んだ33歳厄年連が音頭上げ?

こちらの方では、厄年連がよくお祭りに登場するようで、地域の仲間意識醸成にはもってこいなのでしょう。

 

三味線、笛と太鼓の子供たちを載せ、ゆっくり移動

奏でられるのは、剣ばやしということのようです。

ちなみに、この火防祭、昭和初期の大火がきっかけになり、始められたとのこと。

 

日高火防祭の山車のように段組された席、

 

また同様に笛は金色、提灯は鋳物のようです。

 

提灯だけではなく、彫物なども一様に鋳物

流石に鋳物の町です。

 

 

遠野市仲町の南部ばやしで使用されている内ばやしは、水沢のどこかの山車のお下がりだと聞いていますが、

屋根の形状や山車の幅などを見ていると、ここのものかもしれない

と云いように想像する笛吹です!笑

 

通りの中央付近でまできた辺りから、雨雪がだんだんと凄い状況となり、

 

カメラもダウンもずぶ濡れ、撮影どころでは無くなってきたところで撤収となりました。

ここで、今回メインの剣ばやしについて

メロディーは遠野市綾織町の南部ばやしの剣ばやしと同じです。

気仙沼方面にもあり、そちらでは、

大漁だ 満作だ お前百まで わしゃ九十九まで 共に白髪の生ゆるまで 稲穂を拾うて来なさんせ

と唄っているそうです。

遠野では、豊年だ 満作だ という出だしだったと思います。

この剣ばやし、「けん」という字は、様々な字があてられて、各地にあるようです。

民謡からきた流行歌として広まったものなのでしょうか?

そうだとしても、発端となる地域があるはずですが、詳細はわかりませんが、気になります。笑

さて、

今日で平成30年度も最後、明日から一ヶ月だけの平成31年度、そして改元。

公共関係の書類がひと月で一斉に変わるんでしょうね~!

間違って平成31年5月と書くと、出し直しかな?笑

 

 


釜石うみやま郷土芸能大競演会 其の四

2019-03-28 22:35:39 | 郷土芸能

今朝、通勤途中で見た雪景色はとてもきれいでした。残念ながらカメラを持っていなかったので撮影できず。

えてしてこんなものです。笑

さて、うみやま郷土芸能も今回が最後です。

 

大トリは、外山鹿踊さんです。

 

100年ほど前、砂子畑鹿踊から教えられて始まったようで、これまた房州起源。

 

鵜住居町には鵜住居川と長内川の二つの川があり、長内川の上流にあるのが外山集落。

私の隣にいたご夫婦が、外山はとても小さな集落で、鹿踊を頑張って伝えていると教えてくれました。

その奥様が、この太刀ふりの女性を大変、誉めていました。

 

他団体が雌鹿狂いをメインにしていましたが、こちらは綱の準備がされました。

 

太刀ふりの後方では、シシが幕を上げて踊っています。

震災の翌年、東京銀座から御神輿が奉納された時にも、この演目を観ましたが、

顔を出しているシーンは記憶にありません。(何を観てたんだか・・・・)

 

二匹のシシが綱に近づいてきます。

 

 

用心深く綱を触っていましたが、最後の方では、綱引きのようなしぐさ

綱がかりとい演目なそうです。

遠野では綱切(注連縄切)はありますが、綱がかりはありません。

 

鵜住居の他のシシ踊りと同じように一本の棒を持って踊る子供たち

澤田鹿踊りさんの他、出演されたシシ踊りの方々にこの棒は何と云うのか?お聞きしたところ、

「きんこ棒:、または単純に「きんこ」と呼ぶとのこと。

ネット確認すると孫悟空の如意棒は如意金箍棒(にょいきんこぼう)と呼ぶようで、

それが語源なのでしょうか?

遠野では二本の棒を持つ役を中太鼓と云います。

山ひとつ越えただけでも、シシ踊りの構成が変わり、面白いものです。

今やメジャーな太鼓系シシ踊りだけではなく、県内には、様々なシシ踊りがあるようなので、

遠野のお祭りにも招聘してみては如何でしょうか?

 

強風と低温の中、最後まで観ていたお客さんへのご褒美は、ちょうど到着した列車。

宮古~釜石間の旧山田線の復旧、おめでとうございます!

 

 

 


釜石うみやま郷土芸能大競演会 其の参

2019-03-27 21:14:08 | 郷土芸能

釜石の郷土芸能と聞いて、一般の方々にお馴染みなのは虎舞なのかもしれませんが、

意外な事に、かつては12団体ほどのシシ踊りがあったようです。

起源はというと何度も出てくる房州と隣り町遠野からの二系統になるようです。

 

田郷鹿子踊さん

こちらも房州起源となるようです。

 

釜石では珍しく「鹿子踊」と表記されます。

刀を担ぐ動作と腰の低い動きの連続で、なかな見応えのある踊りです。

 

雌獅子狂い

 

紋の入った太鼓も、シシ踊りでは珍しいのではないでしょうか。

 

ところで、ここまでこの競演会に出演した中で澤田とこの田郷にはご覧のような棒をもった手踊りが附いていました。

遠野では両手に棒を持つ団体が多いですが、こちらは一本。

 

この棒が気になります。笑

 

さて、競演会の虎舞も最後

栗林虎舞さん

聞かない名前だと思っていたところ、澤田虎舞と砂子畑虎舞が一緒に出演する際に使用する名称とのことです。

 

子虎も登場

 

とても上手に操り、一人前の表情をしていました。

 

子虎の役が終わると、ヤリを持ち、虎退治に加わります。

まごつくこともなく、踊っていたところを見ると、相当練習しているのでしょう。

 

後半に和藤内の登場

女性でしたが、とてもかっこよかったです!

同じ虎舞でも、このように和藤内が出る団体と出ない団体、その違いが生じたのはなぜ?

普通の人には、どうでもよいことが気になる性分です。笑

 

 

 


釜石うみやま郷土芸能大競演祭 其の弐

2019-03-26 10:53:20 | 郷土芸能

今回は、一度に鵜住居・栗林周辺の芸能が見られ、尚且つ、三陸道・釜石道がつながったことで

30分ほどで遠野から鵜住居まで行けることから、迷わず、出発。

このような場合は便利この上ないのですが、カットされる地域の今後が心配です。

さて、大競演会の其の弐ということで、

 

鵜住居虎舞さん

袢纏と顔ぶれを見ると他の虎舞関係者も応援に来ていたようです。

 

今回出演されませんでしたが、震災で娘さんを亡くされたここの笛吹さんとは震災直後に知り合い、

それ以来、気になる団体のひとつです。

 

また、この日、笛を吹いていた中に、小川しし踊り、遠野の板沢しし踊り、白浜虎舞にも参加している若者がおり、

嬉しい再会でした!笑

 

甚句

 

午前10時30分スタートで、ここまで4団体が出演し、15分の休憩

寒さをしのぎついでに、オープンしたばかりの鵜の郷交流館で月見蕎麦を2,3分で食し、

 

12時過ぎ、砂子畑鹿踊さん

 

この地域周辺と遠野のシシ踊りで云うところの腰ざしが、異なります。

 

こちらの団体は刀かけが男性一人

 

頭と幕の違いで雌獅子と雄獅子の違いが明確なのも、鵜住居以北のシシ踊りと同様です。

 

午前中に出演した澤田鹿踊さんと同様の創始となっており、房州起源。

 

演目も同様の構成でした。

 

鹿踊が終わる頃、ちょうど遠野人が云うところの汽車が到着。

汽車でも電車でも無いので、何と呼べばいいのか、いまだにわかりません・・・笑

後で知りましたが、この線路の反対側では中学生をはじめ、大勢の人が歓迎の旗を振っていたようです。

 

両石虎舞さん

江戸時代中期から踊られていたと言い伝えられています。

 

最初は手踊りで、聞き覚えのある唄・・・

うさぎ、うさぎ、何見て跳ねる、十五夜お月さん、見て跳ねる ♪

あのうさぎです。

遠野南部ばやしの裏舞で、現在は綾織町、小友町、宮守町の南部ばやしで演じられており、

遠野太神楽でも演じられるうさぎ舞いです。

以前、鵜住居虎舞の笛吹さんとこの件について話したのですが、流行した唄に振りをつけて、

太神楽の余興舞から広まったのでは?と考えています。

 

両石虎舞さんの特徴か、この日だけがそうだったのかわかりませんが、

虎の頭をあまり被らず、操る所作が記憶に残りました。

 

 

 


釜石うみやま郷土芸能大競演祭 其の壱

2019-03-25 19:24:27 | 郷土芸能

昨日、釜石市鵜住居町へ行ったことに触れました。

先の震災では釜石の悲劇、釜石の奇跡とふたつの例えで紹介される地域です。(詳細はネットで確認を)

今回はタイトルのとおり、まとまった数の団体が出演するとの情報により、出撃!

現地で生で観るのは震災の翌年以来となります。(その時の様子は拙ブログ2012.9.30参照)


写真に見える施設のオープニングセレモニーが終わり、10時30分、郷土芸能の始まりです。


トップを飾ったのは砂子畑丹内神楽さん、栗林の芸能です。


初めにショシャ舞

明治15年に修験廃止となり、それまで司っていた山伏が帰農し、山伏神楽から里神楽に衣替えとなり、

栗林町沢田、神の前の川崎小六が黒森神楽の同行だった明延法師を師匠として習うとともに、黒森神楽に参籠し修得。

また、早池峰へも赴き研究を深め、自らが同行頭となり丹内神楽を組織したものが現在も栗林の人々に継承される。

ということのようです。


二柱の権現様にて権現舞


始めのうちにお客さんの頭をカミカミして歩きます。

が、地元の方々と女性優先だったようで、噛んで頂けませんでした!笑


清払いの舞


黒森神楽を師匠としたことが頷ける演目でした。


続いて、箱崎虎舞、昭和46年頃創始。


震災直後に泥の中から衣装・道具を拾い上げ、虎の頭は神社の鳥居にまとわりついていたとのことです。


強風で笹が倒れる中での熱演でした!


釜石以北の沿岸地域と云えば、やはり、押さえておきたい郷土芸能と云ったところでしょうか。


澤田鹿踊

こちらも生では初めてです。


袴着用は、鵜住居以北のシシ踊りに共通


刀かけ?太刀ふり?の腰の低い所作は、この辺りの特徴だと感じます。


元禄年間に房州生まれの唯善伝冶と云う人が栗林町沢田の善右衛門且助家に草鞋を脱ぎ、享保2年没。

この方がの若者たちにシシ踊りを伝授したのが始まりとのことです。


メインの演目は遠野で云うところの雌獅子狂いのようでした。

元禄年間は中期以後、凶作が続き、富士山の噴火、紀伊半島での地震、そして土佐では津波と

現在同様に自然災害の多い時代でもありました。