「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

2018 宮守町砥森神社 例祭 前編

2018-09-30 15:02:28 | 郷土芸能

台風24号の予報進路にバッチリ当たっていそうですが、今のところ、静かに雨降る遠野です。

さて、今回は昨日行なわれた宮守町砥森神社例祭からです。

 

以前は神輿渡御と還御が二日間に亘ってに開催されていましたが、何年か前から一日で済ませるようになり、

翌日は郷土芸能が角かけに歩くだけになりました。

昨日はちょうど神事が始まったばかりのところに到着。

 

打ち鳴らしに参加していた鹿込神楽さんの奉納から始まり、新町(旧表記:粡町)南部ばやしさん、下郷さんさ踊りさん、

若者たちの御輿と続き、宮守町中心部を御神輿と共に、練り歩きます。

 

今年は鹿込神楽の権現様はこの若手二人で扱うようです。

 

昭和初期まで上宮守神楽と一緒に行い、昭和4年旧8月15日の鹿込小澤八幡のお祭りで袂が分かれ、

昭和5年正月、江刺の簗川村野手崎の早池峰神楽を師匠に頼み、原形が成立。

昭和13年神楽道具焼失後、地区民の協力で再興、現在に至る。

と、「遠野の郷土芸能」には、あります。

 

新町南部ばやしさん

 

旧遠野町内の南部ばやしでは内ばやしに太鼓、三味線が載りますが、

宮守では山車に太鼓をセットし、立って叩きます。

 

笛は仲町同様に明笛

 

舞手の頭の飾りが他と異なります。

 

下郷さんさ踊りさん

今年の遠野まつりでは、例年以上に多いカメラマンが撮影しており、関係者の話では、

変な人もいたとかで、素性がわからない方は警戒しているとのことです。

皆さん気を付けましょうね!

 

 

老人ホームでは、楽しみに待っていた利用者の方々の頭をカミカミ

 

一行は新町の町中を練り歩き、集会所でお昼

 

その後、通りの西はずれまで行き、戻ります。

背景の建物は米穀商として財を成し、昭和17年に建てられたものですが、なかなかの趣です。

 

はずれから駅前に戻り、

 

休憩前に其々、ひと踊り

 

 つづく

 

 

 

 

 

 


六角牛神社 宵宮

2018-09-28 08:43:01 | 郷土芸能

六神石神社ではなく、六角牛神社

前回までは六神石神社で、今回は六角牛神社、どちらも「ろっこうしじんじゃ」です。

ややっこしい話ですね!笑

以前何かの文章で見た時に、六角牛神社の方が先に神社登録したとのことで山の名前そのものの「六角牛」となり、

遅れて登録した中沢の方が「六神石」とした。と記憶していたのですが、どうやら違うようです。

中沢が明治5年で、糠前が明治13年となっており、六神石神社前宮司の文章に当初登録する時に

六角牛山善応寺の「六角牛」の文字はお寺の文字なので神社には相応しくないとして却下され、

「六神石」の文字で登録したとありました。その8年後に、どういう経緯で糠前の方が「六角牛」で登録できたのかは、

定かでありませんが、糠前の六角牛神社は江戸時代に神楽大権現と称されていたことは知られています。

 

前置きが長くなりましたが、その六角牛神社です。

23日(日)中沢の六神石神社例祭が終わった後、青笹しし踊りさんの門掛けを見た訳ですが、

そこで、この後、糠前の六角牛神社の宵宮へ行くとの情報を得て、こちらへとなりました。

 

六角牛神社の例祭そのものを見たこともなく、無論、宵宮も始めてです。

社殿では、六角牛神楽さんが打ち鳴らしをし、地元自治会の役員さんと一緒に拝礼をして

神事としていました。

 

境内では自治会が焼き鳥やフランクフルトを準備し、周辺の子供たちは神楽の衣装を着て遊んでいます。

 

六角牛神楽

「遠野の郷土芸能」によると、1841年生まれの土淵町飯豊の甚太が婿養子に来て

20代の頃から踊り始めたと云われ、その後、ある時期から八幡神楽も学び取り入れ現在の踊りになった

と、あります。

 

六角牛神楽のシンガクの奉納です。

例年、遠野まつりに参加しシンガクを披露していますが、今年は関係者に不幸があったということで不参加。

 

まさか、ここで六角牛神楽が観られるとは思ってもみませんでした。

 

今まで、この神楽の写真は一度しか収めていなかったので感激!笑

 

中沢にも神楽があったと聞いていますが、現在は無く、こちらの糠前では神楽大権現と称して

この神社が成立しており、周辺には神楽田の地名もあることから、

古い時代には神楽が行なわれていたのではと云われています。

良いものを観させて頂きました!

 

そして、

 

暗闇の中から青笹しし踊りさんの登場です。

 

社殿で踊ります。

 

薄明りで見るしし踊りは何ともすばらしく、

 

中太鼓の彼の踊りもまた、抜群でした!

 

柱掛かりです。

種ふくべはベテランさん

 

なんだか皆さん、楽しんでいる雰囲気でした。

 

先ほどまでの門掛けでは姿が見えなかったK兄の姿も

 

緑の苔のじゅうたんと木立、そして若干の灯り

 

何だか病みつきになりそうな境内での踊りでした。

 

 


2018 六神石神社例祭 青笹しし踊りのその後

2018-09-27 00:19:23 | 郷土芸能

板澤しし踊りさんは門掛けが終わると、残っていた白浜虎舞いの方数人と、雑談?でもするのだろうと

勝手に解釈し、その場から離れました。

コップを交わしても話をすれば雑談、実に都合の良い言葉です。笑

 

昨年同様に、門掛けをした家脇の道路に立ち耳を澄ませると、遠くから太鼓の音が聞こえます。

青笹しし踊りさんが門掛けをしている音

それにつられて行くと、ちょうどシシが菊を持ち位牌誉めをするところでした。

 

子供たちも元気です

 

先代も青笹しし踊りに参加し、その息子さんもまた現役で参加しているこの家では、雌獅子狂いが演じられました。

 

この日は、板澤 さんと同じく、準若手中心で参加しており、関係者の家だということもあり、

この演目にしたようです。

 

短縮バージョンでしたが、踊った後は・・・

 

キノコの入った汁物とあんこ餅・胡麻餅が振る舞われ、一緒に行ったまっとさん共々御馳走になりました。

午前9時から午後5時少し前までで、口にしたのはペットボトルのお茶少々

(六神石神社例祭では境内にいる間は、芸能披露が続くので撮っていると食べる時間無し)

ありがとうございました!

(だからといって、来年、押しかけてはダメですよ!)

 

元気が出たところで次へ向かいます。

 

板澤さんと同じお宅です。

明治に荻野酒造さんの家を建てる為に日頃市から移ってきた気仙大工「金野兼作」が棟梁とのこと。

遠野では、この棟梁の家から多くの気仙系大工が輩出されたそうです。

 

余談はさておき、ここでもシシが菊を持ち位牌誉め

 

青笹の良さのひとつは、ふくべ、中太鼓、刀かけの人数がいつも揃っていることですが、

出演前には練習の回数を重ねている成果なのかもしれません。

 

こちらでは、柱掛かり

雌獅子狂いと同じ準若手が種ふくべ

 

6時少し前、やっと終わりました。

 

 

撮っているだけでヘトヘトになった長い一日でした。

ちょうど、ガラ系から、何時頃帰るの?・・・カラスは鳴いていませんでしたが・・・。


2018 六神石神社例祭 板澤しし踊りのその後

2018-09-26 00:01:27 | 地域

彼岸の中日でもある秋分の日、我が家の庭に咲いたかどうか覚えのない彼岸花

 

六神石神社を後にして向かった先の庭に咲いていました。

 

既に白浜虎舞いさんは終わっており、板澤しし踊りさんが間もなく門掛けにやってきました。

 

大正6年に上棟したという大きな曲り家です。

 

誉め唄の後に草入れ?

 

入端

 

御礼口上

 

小友系、駒木では御礼の投げ草の唄が入りますが、その他では刀かけが扇子を、シシは頂き物を持って踊ります。

 

化粧踊り

 

メインの演目は、四つ掛かり

手前の男の子はジャンプシーンがいつなのかわかっているようで、遊んでいても、ここでは合せます。

こうして、ふくべ振り、中太鼓、刀掛け、シシと成長していくのでしょう。

 

六角牛の文字のあるシシ頭は青笹、板澤、佐比内、細越の4団体ですが、

例祭には、ここ数年は青笹と板澤だけの奉納となっています。

 

この日は遠野まつりに参加された重鎮方の姿は無く、準若手?以下で構成されていたようです。笑

 

違い鎌のシシのあとすがりで終わりとなりました。

 


2018 六神石神社例祭 

2018-09-25 16:28:35 | 郷土芸能

9月23日秋分の日は遠野市内の青笹町中沢の六神石神社と松崎町金ケ沢(村兵)稲荷神社の例祭。

六神石神社は往古より住吉大明神を祀っていたことから地域では住吉と呼ばれ、

中沢川の向い、石洞の地には六角牛新山宮があり、その新山宮と住吉が合祀され、現在に至ります。

その折、廃社となった六角牛新山宮の建物を移築したものが今の金ケ沢稲荷の社殿です。

合祀と移築時期から六神石、金ケ沢稲荷神社のお祭りが似た時期になっているのではないでしょうか?笑

と云う事で、六神石神社例祭へ

 

例年より早く家を出たのですが、神社までの川沿いの道には既にカメラマンの姿があり、

私の前を走る車は岐阜ナンバー、境内にも大勢の人が来ていました。

遠野まつり初日の日中の部の人出が減少したぶん、こちらに来ているのでは?と思うほど。笑

おそらく天気の良い三連休に当たったせいかもしれません。

 

9時半過ぎ、今年は子供みこしが先頭でやって来て、続いて白浜虎舞いさんに囃したてられながら、

改修された六神石神社の御神輿が戻ってきました。

飾り物などを修復した程度かと思っていた御神輿、想像を超える豪華さで、びっくりです!

 

拝殿内で神事が行われている中、下の神楽殿では民舞?、謡舞?が始まりました。

SL、滝、風景などなどを撮る地元カメラマンさん、噂には聞いていましたが、生での踊りを初見学。

流石は遠野人は皆芸能人、看板に偽り無しです。笑

 

遠野太神楽さんが拝殿前で奉納した後、板澤しし踊りさんの奉納

遠野太神楽さんのおかめには多くのカメラマンが群がっていましたが、今年の遠野まつりポスター効果でしょうか?笑

 

そして白浜虎舞いさん

 

その最中には、神事が終わった後の千葉宮司さんが朝日舞?を披露していました。

すばらしい~!(やはり、こちらも芸達者 汗 )

 

そうこうしている内に、地元青笹しし踊りさんが奉納

 

こちらにも大勢のカメラマンが待ち構えています。

 

同じ時、下の神楽殿では、遠野太神楽さんが獅子舞いを行なっていました。

 

その脇を見ると、三本柳さんさ踊りさんが登場

 

拝殿前に進み、奉納の舞い

盛岡方面から集まってきていたカメラマンには一粒で二度美味しい思いだったでしょうね!

 

またまた神楽殿を見ると平倉神楽さんが龍殿の舞の最中

と、上も下も郷土芸能だらけとなり、全部観たい私は右往左往 笑

 

これらの途中には、中沢二世代の会による大抽選会があり、

(私の持っていた抽選番号が呼ばれることはありませんでしたが・・・

 

下の社務所前では三本柳さんさ踊りに続き、白浜虎舞いさん

 

板澤しし踊りさんが披露し、

 

その後、餅撒きとなり、

 

最後に青笹しし踊りさんが登場し、

 

いつものように拍手喝采をあび、

 

無事、六神石神社例祭の芸能披露が終わりました。

長々続けた遠野まつりと違って随分と短いじゃないかと思われるでしょうが、

こちらにも都合がありまして・・・

まずはダイジェスト版ということで。