「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

水神

2016-08-31 21:46:21 | 地域

台風10号の被害に遭われた皆様方に対し心よりお見舞い申し上げます。

また、この台風に際し、防災対応に尽力された方々に対しましても、敬意を表します。

 

昨日は、嵐の前の静けさとでも云うような朝をむかえ、少しずつ降ってきた雨が、

お昼には家の自転車を倒す風雨となり、午後2時過ぎには風雨激しく、仕事を切り上げ、

大雨の際には、いつも水路側溝が溢れる隣家への対応となり、

午後6時頃に私設案内所の様子が気になり、早瀬川を通るとご覧のような状況となっていました。

 

全く人通りのない町中を通り、松崎町の猿ケ石川に向うと、このような状況

 

あとは、帰省中の娘達を含め家族全員で自宅にいたわけですが、

刻々と映し出されるTVの状況を見つつ、朝には台風の事さえ忘れるような天気となり、

今朝は、被害が出ているという土淵方面を廻ってみました。

本宿では、建具を洗っている家や、被害を確認しに来ている人達がおりました。

その他は廻りませんでしたが、土淵町の小烏瀬川上流や青笹町中沢などに被害があったと聞きました。

 

今朝の早瀬川は、あれほどあった川の水も、いつもと変わらない水量に戻っており、

ほんの数時間での増水に驚くばかりです。

 

画像は石上神楽さんの「水神の舞」

竜神の祟りを払う水難除災の祈祷、そして呪法の神舞いとなります。

 

こちらは平倉神楽さんの「水神の舞」

 

この舞をもちまして、あらためて、被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。

 

 


2016 小友まつりその後

2016-08-29 21:04:15 | 郷土芸能

台風10号の行方が非常に気になるところですが、その前に小友まつりを片付けてしまいしょう!

 

由来は定かでないが昭和初期頃から伝承していると「遠野の郷土芸能」に記されている小友南部ばやし

いつも思うのは、昭和初期の事なら知っている人がいるのでは?と・・・

 

御神輿還御の後は、一息つく間もなく、各郷土芸能が門掛け状態となります

カメラマンも白線から道路に出ないで下さいと云われることもないので、

思う存分撮影できるのがここのいいところ 笑

 

おどけたお面を付けた名物種ふくべさんのいる鷹鳥屋獅子踊り

 

商家、民家問わず、あちらこちらで「投げ草」が見られるのも、ここならでは

 

鷹鳥屋神楽

 

大正12年に同町長野神楽から伝えられたようですが、長野では現在演じられていません

 

この派手目な半纏が目印です 笑

 

小友町のもうひとつの神楽は外山神楽

 

上が白で、薄い青緑色の袴です

 

下舞いを演じるこの方、とても素直な目が印象的でした 笑

 

山谷獅子踊り・・・この一人と一匹は親子とのアナウンスがありました

 

長野しし踊り

小友町のしし踊りは、この長野から鷹鳥屋、鷹鳥屋から山谷へと伝えられたのですが、

鷹鳥屋と山谷が「獅子踊り」と表記しているのに、本家はいつの頃にか「しし踊り」と表記しています

 

午後5時、特別演目が始まります。

今回は鷹鳥屋神楽さんの山の神舞でした

 

ここの山の神舞は、たぶん初めて見る演目かもしれません

 

最後に特別出演ということで、江刺甚句25歳年祝連(熾凰陣)

若いっていいなあ~と素直に感じたおぢさんでした!

と、云う事で、今年も良いものを見させて頂いたと感謝をして帰宅 笑

帰り際、一緒になった写真ブロガーksuzさんに今晩の遠野座での神楽はどこでしたっけ?

との問いに、その時には全く思い出せませんでしたが、石上神楽さんでした 汗

 

 

 

 


2016 小友まつり

2016-08-29 00:08:28 | 郷土芸能

27日(土)は、一日で二つのお祭りが見られる私的ビッグデーとなります。笑

と云う事で、午後は小友まつりへ!

 

上宮守では雨が落ちていましたが、小友町は曇天

顔見知りの方々と話をしているうちに、小友町の郷土芸能がやってきました。

 

長野しし踊りです

 

9月に開催される遠野郷八幡宮の役じしということで、忙しくなること必至です。

 

参加する方々が揃ったところで、御神輿渡御となります。

 

小友まつりは巌龍神社の例祭に合わせて行われ、先日の土淵まつりは倭文神社の例祭にセット、

どちらも北川宮司さんが務められるので、両方が同一日になることは、きっと無いでしょう。笑

 

この日だけの出演となる小友南部ばやしも列に続きます

 

小友町女性の会手踊りは踊りながら、

 

しし踊りや神楽は鳴り物を鳴らしながら、

 

一本道の橋から橋まで続く行列は、その後、御旅処で休憩し、還御となります。

が、昨年同様に今年も休憩もそこそこに戻ってきたので、出店のお好み焼きを食べるタイミングに苦労しました。笑

 

通りの家々では、見物する方々に開放しているところが多いので、ご覧のような状況となります。

今年は、そんな一軒の家で、知り合いの方を見つけ、声をかけようとしたところ、

その方と一緒だったのが、知り合いの方以上によく知っている人・・・

しばらくぶりにお会いしたら、以前以上にきれいになっていたので、びっくりでした!

 

行列が神社へ戻って行きます

 

この日限定の小友南部ばやしは、演目「うさぎ」で・・・

う~さぎ、う~さぎ、う~~さぎ~、なぁ~に~み~い~て、は~あ~ねる~♪

 

御神輿が神社に戻ると、神社手前の不動橋は参加者でごった返します。

ここで時間は2時過ぎ、さて、この後、どうしたものか・・・ 

 


2016 上宮守愛宕神社例祭

2016-08-28 16:49:45 | 郷土芸能

27日(土)は朝から曇天、前日の天気予報では太陽が顔を出すようだったので、予定どおりに宮守方面へ

ところが、綾織町千葉家の曲り家付近に来ると雨がポツリ、ポツリ

で、小峠トンネルを抜けると、結構な降り方

それでも、予報を信じて遠野七観音の五番札所宮守観音、現愛宕神社へ

 

到着するやいなや、神事の始まり・・・上宮守神楽さんの打ち鳴らし

境内では、想定の範囲外で、休眠中の女性ブロガーさんとバッタリ

 

御神輿に付く地元の郷土芸能団体の皆さんの足元を見ると長靴・・・

 

御神輿が外に運ばれて出発準備となります

 

いつものように最初に上宮守神楽のシンガク奉納

 

続いて、上宮守大神楽

 

最後に上宮守参差踊り

 

人数は別にして、いつも通りに三団体の奉納が終わります

 

出発前にカメラを構えると、ボケさせないでいいから!というお言葉を頂き、ハイ、ポーズ!笑

 

山から下りて地域内を回ります

猿田彦さんも高下駄ではなく、この日は長靴・・・笑

 

市内で現在活動中の上宮守、下郷、森の下、山口、早瀬のさんさ踊り

遠野への伝播経路が異なっているので、衣装も踊りも違うのが面白いところです

 

最初の御旅処、大上、平通に着く頃には傘が必要となってきました

 

が、大神楽さんは、なんのその

 

次の場所へ移動し、さらに次の下村では、雨具が必要となってきたところで、時間となりました。

残念ながら、休眠中の女性ブロガーさんとそのお母さんが涙を流しながら、

このお祭りを見る姿を見ないままで、宮守から離れることと相成りました。笑

 

 

 


2016 土淵まつり

2016-08-23 17:20:36 | 郷土芸能

28日(日)は遠野市土淵町の土淵まつり

旧村社だった五日市の倭文神社(お文殊様)例祭に合わせて行われる同町で一番大きなお祭りになります。

例年だったら喜び勇んで出撃するところですが、白砲落下事件が尾を引いているのか?

今年前半飛ばし過ぎた本業の反動なのか?歯痛のせいなのか?身内を思う心労か?

いずれにしても「マヤマヤズ~」ままで、行ってきました。

 

場所は、現在の名称はわかりませんが、旧土淵中学校。本業的にはとても思い出深い建物です。笑

この日は台風等の影響で雨天必至ということで祭事は体育館と校舎周辺。

町内各地区および有志による出店が並び賑わっておりました。

 

体育館では、主催者等の挨拶に続き、餅まき。

その前に倭文神社例祭に因み、神事も行なわれたようです。

 

ステージでは小学生の語り部による話や中学生のブラバン演奏があり、地元の郷土芸能。

最初は前日夜に見た似田貝神楽さんの山の神舞

 

山口さんさ踊り

 

望遠でしっかり撮りたいところですが、道具が無くては・・・涙

 

飯豊神楽さん

 

木曽舞

 

太刀を受けている神楽女子の熱演が光りました。

 

女性が多い団体ですが、男性も増えてきたようで今後も楽しみです。

 

土淵町で一団体のみとなった土渕しし踊りさん、挨拶は「バブ」さん

 

お盆の上柳しし踊りさんもそうでしたが、こちらの人数もバッチリ!

 

踊りも今まで見た中では最高点の仕上がりになっていたように思います。

 

野崎神楽さん

 

子供たちのシンガクに続き、三番叟

と、土淵町内の郷土芸能が揃ったところで撤収です。

 

今度の土曜日には上宮守愛宕神社例祭、附馬牛町菅原神社例祭、小友町巌龍神社例祭となり、

日曜日は綾織町山口愛宕神社例祭、と例祭ラッシュとなります。

 

さて、この日、とても心に残る話をお聞きしました。

遠野在住ではありませんが遠野のしし踊りが好きで、遠方からお祭りにお出でになる方がいます。

その方のお父様は遠野で生まれ、戦時中、当時村社だった倭文神社に戦勝祈願をして出兵されたとのことです。

現在、直接やり取りをする縁者はいない様子でしたが、間違いなく、その方の親戚が会場内にいたものと思います。

いつの日にか、こういう名字の人はいませんか?と訊ねれば、きっと、ご先祖につながる方に巡り合えるのでは

と勝手に思った次第です。