「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

2021 遠野町家のひなまつり&巌龍神社裸参り神事

2021-02-28 11:23:55 | 民俗

2月も最終日、今朝は-9℃ぐらいだったでしょうか?予想最高気温が+7℃。

朝から快晴です!

26日(金)から始まった遠野町家のひなまつり、昨日、少しだけ回ってみました。

 

コロナ禍で、開放している処は過去最低ということですが、

 

今年で22回目の開催

 

生まれた時から行われていたひなまつりが、当たり前に思って育った人も、もう二十歳過ぎ。

継続は力なり!ですね。

 

何か所かで一緒になったご夫婦は大槌町から。

コロナ対策万全でお待ちしているようなので、足を運んでみて頂ければ幸いです。

さて、

同じ昨日は市内小友町の裸参り

例年どおりであれば、JR遠野駅から無料バスに乗り、見学・撮影後は、町中でご苦労会

となりますが、今年は中止

 

事前情報では5時から神事のみ行うとのことで・・・

 

橋の両側にあるはずの提灯も無く、社務所には役員さんだけ

 

その後、参列者が三々五々お出でになり、定時、神事開始

ロウソクの灯りが幻想的だと思いつつ、目がいったのは提灯の紋

剣花菱

この家紋で、小友町に縁あるのは及川氏と松田氏・・・笑

 

亡き父の二つ下、土淵町の北川さんが神事を取り仕切ります。

 

打ち鳴らしは人数を揃えて外山神楽さん

 

いつもは後半に行う下舞・権現舞を中ほどに

 

今年は1月のどんと祭で八幡神楽さんを見て以来の生神楽です!笑

 

コロナ禍の芸能も神楽のように神事に付随する芸能ゆえ、こうして観られますが、

今年は、ぜひ、多くのしし踊りも、生で観たいものです!

 

神事には欠かせない地酒「国華」、権現様もお喜びになったことでしょう~笑

 

後半、参加者全員で榊奉納

後ろ姿の神楽人、都会的な若者だと思ってチラ見したのですが、打ち鳴らしや権現舞の時に

よくよく考えながら見ると、大学生のC田君

スマートになり、垢抜けていました!笑

 

関係者以外誰も来ない裸参り神事も終了

 

いつもは裸参りの行列を見に人が集まるメインストリートには人影無し

道に雪が無いのに、例年以上に寒いと感じる日でした。


不安定な天気

2021-02-21 19:03:56 | 景色

2月も後半になりました! 続けて三日と安定しない日々が続いています。

そりゃ、そうだ!旧暦だと、まだ1月10日。

 

今日は菩提寺の世話人会

毎年3月の彼岸中日は菩提寺総会、残念ながら今年はコロナ防止生活継続中で、

書面議決となり年会費集金も含め、各地域の世話人が受け持ち地域を廻ります。

今回から私の担当戸数も減ることになり、だいぶ楽になります。笑

 

さて、前段の不安定な天気、一週間前は青空もあり、どこか春めいた?雰囲気。

高地は雪がそのままですが、青空も。

 

町中の主要な道路の雪も融けていました。

 

ところが、月曜夜には暴風となり、とらねこさんの物置小屋のカラー鉄板が半分飛ばされ、

土淵町常堅寺本堂の屋根も・・・。

 

風が落ち着いたと思ったら、またまた雪

 

雪かきの後、辺りを徘徊

 

本当は雪かき疲れを癒しに水光園にでも行って、ひとっ風呂浴びたいところですが、

平日の日中は・・・。

そして、昨日は雨で、今日の最高気温はプラス気温?

 

先日、手持ちの本を読んでいたら、鎌倉時代の遠野領主阿曽沼氏が気になり、

悪い癖で、いつものように、少しだけ本業回避 汗

 

南北朝期、南部氏は三戸南部氏は北朝方で、八戸南部氏(遠野南部氏)は南朝方と

一族で分かれていたのですが、その両者が戦ったことは無かったようです。

阿曽沼氏はどうだったかと云うと、遠野阿曽沼氏は南朝方だったと云われており、

広島の安芸阿曽沼氏は北朝方についたようで、また、本家下野の阿曽沼氏はと云うと、

当初南朝方で、

建武2年(1335)北朝足利方の佐野義綱の本領である佐野荘に阿曽沼朝綱が乱入

建武3年佐野義綱、阿曽沼朝綱の被官土淵又六の肘を斬り落とす。

と云った事もあったようですが、北朝方有利の周りの状況から、後に北朝方へ。

(下野の阿曽沼家臣に土淵を姓する人が・・・遠野の土淵って?)

 

南北朝期が終わる辺りから本家下野阿曽沼氏の動向は表から消え、

関ケ原の合戦後には、遠野阿曽沼氏は遠野から仙台領へ移り、

同時期の安芸阿曽沼氏は毛利氏の配下に入り、萩へ移動します。

最後に、

本日無事、e-TAXにて、確定申告を済ませました!

残念ながら前年比かなりの減収・・・飲みに行けない・・・汗


遠野の2月

2021-02-11 17:01:58 | 歴史

2月の遠野、廻りでは新型コロナ警戒生活継続中といった雰囲気が漂ってます。

 

遠野では感染者ゼロなので、それほど警戒しなくても良さそうですが、

今期の雪と寒さでは、なかなか出歩くこと自体難しいかも・・・。

ところで先月、とらねこさんの叔父さんが亡くなり、私も縁あって御焼香。

その家には江戸時代の甲冑があり、僅かながら禄米を頂いていたとお聞きしていました。

そこで、気になったのが、その先祖(工藤氏)がどこから、やって来たのか?笑

 

遠野郷八幡宮節分祭・・・豆撒きをやっていましたが、今年は中止。

工藤氏

江戸時代末期の禄持ち工藤氏は10家。寛永4年(1627)八戸から遠野移封時に

一緒に来たのが工藤四郎左衛門、工藤権左衛門、追々来たのが工藤久左衛門と工藤右市之助。

と遠野古事記にはあります。

移封7年後の遠野南部氏御支配帳には上記の人とは別の工藤与四郎200石とあります。

これらの人たちは、どのような関係の人なのか?笑

 

鱒沢神楽・・・2月は例年初舞ですが、今年は情報無し。

まずは、工藤与四郎

はるか昔の康生3年(1457)現在の青森県田名部で起きた蠣崎蔵人の乱に、南部方(八戸)

として工藤与四郎が参加しています。また、八戸市の中居林天満宮の朝日大明神由緒記には

工藤与四郎という武将がこの地で井戸を掘っても水が出ず、娘と水神に祈ったところ、

我こそは千年を経たる竜神なり・・・と云って夢枕に白髭の老人が出てきて・・・以来湧き続ける。

この工藤与四郎は寛永4年、根城南部氏が遠野への移転に従い、移住したとあります。

朝日大明神の与四郎は遠野で200石の与四郎だと考えて良さそうです。

ちなみに寛永11年の遠野で起こった岡前騒動の交渉役も与四郎です。

蠣崎蔵人の乱、岡前騒動はネットで確認してください!笑

 

市内松崎町のひな祭り、今年は中止

次に工藤四郎左衛門

移封当初は鍋倉に屋敷を与えられていましたが、寛保年中(1741~1744)とも享保年中

(1716~1736)とも云われているが、家を失火により焼失し、遠野古事記では石倉丁に、

吉田政吉氏の著書では新屋敷丁に引越し、平士に降格。とあります。

この四郎左衛門、寛永11年三代将軍家光公が京都上洛の際、諸侯にその供を命じ、

行列の中には南部藩家中として工藤四郎左衛門も。上洛後の帰途、大井川にさしかかった

ところで大雨が降り出し、二日間足止め、まだ濁流渦巻く中、南部藩主重直公は八戸弥六郎に

どうにか渡れないものかと相談したところ、直義は家臣工藤四郎左衛門を供に川に入り、

渡れる場所を探り、無事、渡河。それを見ていた残りの他藩も一斉に渡ったとのこと。

南部藩の参考諸家系図を見ると、

工藤長門の嫡男が四郎左衛門、長門の弟が右市之助で、その子が権左衛門。

長門の四男(諸家系図には三男とある)は盛岡南部藩士となり、陪臣となった

父長門、兄四郎左衛門に代わり、工藤本家として一家を成す。

 

2月末の小友町裸参り・・・今年は地域外へのPR無しで地元だけで

という情報もありましたが、どうやら中止。

当初、遠野に来た四郎左衛門、右市之助、権左衛門は、何となくわかりましたが、

久左衛門は不明。また、与四郎が長門のことなのか、四郎左衛門のことなのか、

これまた、不明。(わからないことばかりで・・・笑)

 

町家の女子神楽・・・町家のひなまつりに合わせて開催されていますが、

今年は、まだ情報がありません。

 

その女子神楽が演じられていた旧三田屋さんは解体されました。

暖かくなる頃には、安藤忠雄氏支援による「こどもの本の森」図書館がオープン!

さて、

失火により降格となった四郎左衛門、その後の御支配帳に工藤氏トップとして

工藤喜内110石が出てきます。

参考諸家系図では、四郎左衛門の父長門の弟右市之助の項に出てきます。

右市之助嫡男権左衛門、二男が廣當でその子が喜内(直右衛門とも云う)。

ところが、角川書店編「姓氏家系大辞典」には次のようにあります。

遠野南部家臣に紫波郡佐比内村の河村広当若狭の次男広明を祖とする工藤家あり。

広当は浪人中の父秀重の親友だった遠野南部家臣工藤右市之助に目をかけられ、同道し

遠野に住むことが多く、遠野では工藤氏を名乗った。

後、広当は盛岡藩南部英信(七戸氏)に仕え、広当の次男広明喜内もまた英信に仕える。

遠野南部八戸利戡の死去により信有(七戸氏)が養子相続するに当り、

広明は信有の傳臣を命じられ、遠野に移る。信有成長後も遠野に留まることを懇請され、

土淵村栃内に100石と永代家老格身分を安堵される。

見ての通り、御支配帳と大辞典には違いがあります。

工藤喜内の家系は喜内、直右衛門、紀内などと続き、明治には河村に改姓しているので、

おそらく大辞典の記述が本当で、右市之助の子として遠野八戸家臣になったものと推察。

四郎左衛門と喜内、両系統には医者になった人がいることから、

相当優秀な血筋なのかもしれませんね!笑

 

中止続きのイベントの中、遠野町家のひなまつりは本当に小規模ながら開催とのこと。

2月26日~3月3日まで、駅南側の町中にて。

 

ここ数日、最高気温がマイナスから脱出するようで、少しは春に近づいているようにも

感じられますが、四月下旬にならないと桜が咲き始めない遠野、

もう耐えられないなどとは云わず、足の霜焼けも含め、もうしばらくは、

じっと我慢の子でいたいと思います。笑