2019年の師走も後半、
年内に処理したい庶務に負われ、目の前の本業には目を向けたくない日々が続いています。
そんな20日(金)、今は無い元の職場の忘年会
所長を含め総勢4名、全員参加で乾杯!
恒例になってきた其々の家族と健康がメインテーマながら、楽しい時間を過ごし、
あまり嗜まない3名の視線を気にしつつ、飲んだことのない銘柄も数種類頂き、上機嫌での帰宅となりました。
これで、年末まで何とかもうひと踏ん張りできそうです。笑
さて、今年も残すは2019総集編と+アルファになりそうなところで、その前に、
いつもの郷土芸能・伝承芸能から、今回は太神楽です。汗
太神楽(大神楽)は熱田・伊勢両神宮の代わりにお札配り・祈祷をしながら其々の信仰圏を廻る
代わりの神楽(代神楽)として伝えられたものですが、これか江戸に出てくるようになったのは、
江戸時代の寛文4年(1664)から延宝2年(1674)のことで、後に江戸に定着する太神楽が
熱田派・伊勢派其々の組合組織として享保から延享年間(1716~1748)に成立します。
この両派に次いで有名な水戸大神楽は、宝暦2年(1752)に水戸東照宮祭礼に供奉したのが始まりと云われています。
岩手に目を向けると、
江戸時代の南部藩では七軒丁という芸能集団が藩内を巡行していたことが知られています。
七軒丁の頭、御駒大夫の先祖は甲斐の国から三戸に南部氏が移る際、殿様のお召馬の口取りをして従い、
後にお召馬の駒形の写しを奉った蒼前駒形神社の別当となり、その門前にあった七軒の者たちと
芸能に携わったことから七軒丁と呼ばれる芸能集団となり、藩内諸芸を取り仕切る役割を担います。
盛岡藩家老日誌「雑書」に七軒丁が記される最初は元禄5年(1692)2月15日で老中屋敷で狂言を演じた
とあり、春田打ちも行い、操り芝居、軽業芝居等の興業も行うようになりますが、太神楽という記述は見当たりません。
文化年間(1804~1818)御駒大夫は配下の4、5人と、藩の用人の共をし、江戸で芸を磨き、
帰郷してからは抜群に上手になり、正月には三河万歳、松の内・冬至・除夜には獅子舞を出したとあります。
文政10年(1827)蒼前駒形明神のお宮修復の為、藩の許可を得て、七軒丁は駒形明神の信仰の勧めと
寄付を募るための勧化文を携え、藩内を巡ります。
この時の勧化文が青森県の目名神楽会に残されているようです。
次に遠野太神楽に目を向けます。
寛永4年(1627)八戸根城南部氏が遠野へ領地替えとなった後、店屋与平治という者が妻と幼子を連れて八戸から移り、
家屋敷を貰い、八戸南部氏の鍋倉城に出入りし、家々の家内・厩祈祷をして歩いたと遠野古事記にあり、
後には他郷の同類の者たちを雇い、春田打ち、万歳、砂鉢廻しなどをします。
明和3年(1766)7月の神明八幡祭礼、9月八幡祭礼に太神楽が出ているこことが検断勤方記にあります。
それには太神楽の道具として
大神楽胴(胴はお宮・お堂の事だと思われます)一つ、但し屋根障子等は胴に内に入れ置く
綱幕一つ、上水引一つ、獅子一つ幕共に、おかめ面一つ被り共に、太鼓一つ(同綱巻一つ上帯共に)
小太鼓一つ、鼓一つ、鈴臺一つ鈴共に、右の通りに御座候
これには笛と手平鉦が記されていません。おそらく自前だったのでは?
天明8年(1788)、一日市の傳兵衛が先年上方筋で獅子舞を習い玉川傳兵衛という名を貰ってきたので、
太神楽の奉行として帯刀を許可されています。
その4年後の祭礼では裏町の店屋与平治が申付けられて、盛岡・花巻の店屋共を呼び
太神楽を勤めていることから、傳兵衛は直接太神楽を演じていたのかどうかはわかりません。
少なくても町の若者たちに太神楽を習得させようとしたものの、上手く行かなかったということのようです。
時代は流れ、明治には裏町で演じられていた太神楽が大工町の若者たちへ引き継がれ、
現在に至るということになります。
綾織町山口太神楽
盛岡と遠野を比べると七軒丁が江戸で芸を磨いてきた時期より以前に遠野で太神楽が演じられていたように
文献上は確認できますが、事実は、当然、遠野が早いということはありえません。
宮守町米田大神楽
おそらく、江戸に太神楽が定着した享保から延享年間(1716~1748)以後、七軒丁が芸を磨いた
文化年間(1804~1818)の間には既に、七軒丁や店屋によって初期の太神楽が南部藩内には
広められていたものと推察しています。
釜石市 南部藩壽松院年行司支配大神楽
八戸根城から遠野に八戸南部氏が移った後の37年後の寛文4年(1664)に南部藩から分離独立した八戸藩の
勘定所日記、用人日記には、元禄8年(1695)正月、毎年のご祝儀に春田打ち罷り上る
とあり、演じていたのは典屋頭松太夫で、漢字が遠野の「店屋」と異なりますが、同業だったと思われ、
八戸藩成立後まもなく盛岡から移ってきたとのことです。
伊勢内宮
今から300年ほども前に伊勢・熱田から伝えられた芸能が、今も江戸から遙か遠い岩手にあります。
年越しをして、正月になるとなぜかしら景気のいい獅子舞のお囃子が聞こえてくるという
イメージが先行している現実逃避真っ最中の笛吹です。笑