紅葉も見頃後半とも云われながら、昨夕は雨。
きれいな景色が眺められないままの曇天続き、そして灰色の冬になるのでしょか?
灰色と云えば、リアスホールは内外共コンクリートの打ち放しの壁
壁は至るところに段々があり、海・波を表現しているとのことですが、造る人は大変だったんでしょうね~
今の遠野市なら、きっと認めないでしょう・・・が、これが日本建築大賞の建物というものです。笑
住田町の行山流高瀬鹿踊さん
この日は地元住田町では文化・産業まつりだったので、高瀬さんはどちらにしても出番になったのでしょうか?
私的には、大船渡で住田の芸能も観られてラッキー!でした。
約200年前の文化年間に住田町の隣り、現在の江刺区旧伊手村に出稼ぎに行った人が、庭元である地の神屋敷の
遠藤金蔵から伝授されたのが始まりで、大正年間まで踊られながら、以後休止し、近年復活とのことです。
ここでインドネシアはバリ島のダンス
日本の民俗芸能とバリ島との関わりは?と思いながら女性の踊りを観ていたのですが、
後半、バロンと呼ばれる聖獣が出てきて舞いました。
興味深く観ていると、獅子舞とも鹿踊とも似ているような雰囲気が感じられました。
大船渡市の菅生(すごう)田植踊さん
江戸時代後期である今から170年前に下船渡の某が胆沢郡に赴いて踊りを習い覚えたのが始まりとのことです。
遠野市内に伝えられている横田田植踊り、南部田植踊り、宮城から伝えられた平野原田植踊りとも
異なるメロディーの田植踊り
おどけた格好の男性3人が出てきて面白おかしく話をするのですが、一人は藤五郎と呼ばれていたように聞こえ、
その他の名前は聞き取れませんでした。
江戸時代の人菅江真澄が胆沢滞在中に目にした田植踊りには、弥十郎(やんじゅうろう)と藤九郎(とうくろう)
が出てきます。遠野では弥十郎はいますが、藤九郎は?
八戸のえんぶりの藤九郎を含め、弥十郎・藤九郎の田植踊りについて菊地和博先生の論文があります。
この中で私も、常々注目しているのが藤九郎さん、狂言の世界では元祖とも云われる存在です。
その他にどこかで見聞きした記憶はありませんか?
前回、しし踊りで書いた仙台藩八幡町の踊り大将も藤九郎です。
もしかして、この藤九郎さんは、シシ踊り系に出てくる角兵エ、角助と同様にそれらの芸能の祖として
各地に知られる名前で、中でも八幡町の藤九郎は北東北の職業芸能に顔の利く存在だったのでは?
などと思いながら、大船渡市の永浜鹿踊さんです。
200年以上も前に招来した志田家が庭元として成立したとのことです。
行山流舞川系に分類されるとのことですが、踊りのことは私には、よくわかりません。
ただササラを附けた水戸邊系だということは、わかりますが。笑
最後は大船渡市の門中組(かどなかぐみ)虎舞さん
鎌倉時代に末崎町泊里浜に神器・祭器等を載せた船が漂着し、その宝物を祭り、
一緒にあった獅子頭を持って舞うようになり、後に門之浜、中井の氏子たちが虎舞として引き継いでいると
パンフレットに書いていました。
三陸町で観た陸前高田市の田端虎舞と異なり、こちらには和藤内は附いていないようです。
こうして沿岸部を眺めると、大神楽、虎舞、権現舞と云うような獅子舞系の芸能が広く分布しているのがわかます。
海だけにノリの良いのが好まれるのでしょうか?笑 おそまつでした!