「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

黄金けせん!民俗芸能大祭その後

2019-10-30 09:29:59 | 郷土芸能

紅葉も見頃後半とも云われながら、昨夕は雨。

きれいな景色が眺められないままの曇天続き、そして灰色の冬になるのでしょか?

 

灰色と云えば、リアスホールは内外共コンクリートの打ち放しの壁

壁は至るところに段々があり、海・波を表現しているとのことですが、造る人は大変だったんでしょうね~

今の遠野市なら、きっと認めないでしょう・・・が、これが日本建築大賞の建物というものです。笑

 

 

住田町の行山流高瀬鹿踊さん

この日は地元住田町では文化・産業まつりだったので、高瀬さんはどちらにしても出番になったのでしょうか?

私的には、大船渡で住田の芸能も観られてラッキー!でした。

 

約200年前の文化年間に住田町の隣り、現在の江刺区旧伊手村に出稼ぎに行った人が、庭元である地の神屋敷の

遠藤金蔵から伝授されたのが始まりで、大正年間まで踊られながら、以後休止し、近年復活とのことです。

 

ここでインドネシアはバリ島のダンス

日本の民俗芸能とバリ島との関わりは?と思いながら女性の踊りを観ていたのですが、

 

後半、バロンと呼ばれる聖獣が出てきて舞いました。

 

興味深く観ていると、獅子舞とも鹿踊とも似ているような雰囲気が感じられました。

 

大船渡市の菅生(すごう)田植踊さん

江戸時代後期である今から170年前に下船渡の某が胆沢郡に赴いて踊りを習い覚えたのが始まりとのことです。

 

遠野市内に伝えられている横田田植踊り、南部田植踊り、宮城から伝えられた平野原田植踊りとも

異なるメロディーの田植踊り

おどけた格好の男性3人が出てきて面白おかしく話をするのですが、一人は藤五郎と呼ばれていたように聞こえ、

その他の名前は聞き取れませんでした。

江戸時代の人菅江真澄が胆沢滞在中に目にした田植踊りには、弥十郎(やんじゅうろう)と藤九郎(とうくろう)

が出てきます。遠野では弥十郎はいますが、藤九郎は?

八戸のえんぶりの藤九郎を含め、弥十郎・藤九郎の田植踊りについて菊地和博先生の論文があります。

この中で私も、常々注目しているのが藤九郎さん、狂言の世界では元祖とも云われる存在です。

その他にどこかで見聞きした記憶はありませんか?

前回、しし踊りで書いた仙台藩八幡町の踊り大将も藤九郎です。

もしかして、この藤九郎さんは、シシ踊り系に出てくる角兵エ、角助と同様にそれらの芸能の祖として

各地に知られる名前で、中でも八幡町の藤九郎は北東北の職業芸能に顔の利く存在だったのでは?

 

などと思いながら、大船渡市の永浜鹿踊さんです。

200年以上も前に招来した志田家が庭元として成立したとのことです。

 

行山流舞川系に分類されるとのことですが、踊りのことは私には、よくわかりません。

ただササラを附けた水戸邊系だということは、わかりますが。笑

 

最後は大船渡市の門中組(かどなかぐみ)虎舞さん

鎌倉時代に末崎町泊里浜に神器・祭器等を載せた船が漂着し、その宝物を祭り、

一緒にあった獅子頭を持って舞うようになり、後に門之浜、中井の氏子たちが虎舞として引き継いでいると

パンフレットに書いていました。

 

 

三陸町で観た陸前高田市の田端虎舞と異なり、こちらには和藤内は附いていないようです。

こうして沿岸部を眺めると、大神楽、虎舞、権現舞と云うような獅子舞系の芸能が広く分布しているのがわかます。

海だけにノリの良いのが好まれるのでしょうか?笑 おそまつでした!


黄金けせん!民俗芸能大祭

2019-10-29 14:30:44 | 郷土芸能

あちらこちらで紅葉が話題に上がっている遠野、時間がとれた先週、少しばかり附馬牛方面へ

 

寒暖の差があまり無いせいか、山には鮮やかな赤が少ない今年の秋です。

 

さて、27日(日)は隣町住田町では文化・産業まつり

そのつもりでしたが、ご案内のあった大船渡市リアスホールまで

2009年に日本建築大賞に輝いた建物です。

 

今回は建物と民俗芸能鑑賞 笑

黄金けせん!民俗芸能大祭、開場1時間前には既にお客さんが並んでいたことにびっくり!でした。

トップは大船渡市の小通(こがよう)鹿踊さん

 

嘉永5年(1852)に東磐井郡大原の喜平・喜三郎から伝授された行山流のしし踊りです。

南部領の沿岸部には、伊達領の気仙に移ろうとする者が出てきたり、一揆が起こるという噂が

たち始めていた年で、その翌年、三浦命助のあの三閉伊一揆が起こります。

 

大船渡市の白浜剣舞(しらはまけんばい)さん

明治初期に同市の日頃市集落から伝えられたとのことです。

 

日頃市だと板用肩怒剣舞かとも思われますが、そこは宝暦2年(1752)に成立。

その翌年の遠野では両川覚兵衛が常福寺の本尊の中に厨子を寄進しており、

2年後には神明神輿巡行を願い上げ、修験による権現舞の他、大神楽や鹿踊が行列に参加しています。

 

 

大船渡市の甫嶺(ほれい)獅子舞さん

 

安政年間に三陸地方に大津波が起き、更に凶作が相次ぎ住民が途方に暮れていたところに、

羽黒山の山伏たちが祈祷師として三陸一帯に入り、獅子頭を御神体として持ち込んだことに始まる

とパンフレットに詳しく説明されていました。

安政元年に陸前・陸中で地震があり、遠野でも被害があったとされ、翌年も凶作、

さらに数年後にも連続で凶作になり、そんな中で駒木鹿子踊りの祖、角助が亡くなります。

気仙地域には、遠野や内陸でいう神楽の権現舞や大神楽とは異なる、この獅子舞に似た権現舞が多くあります。

 

順番は異なりますが、先週、三陸町で観た只出(ただいで)おどり

前回気になった「みめより」通称四つ竹という踊りで、片手に二枚持った竹を鳴らしながら踊ります。

どこか琉球を彷彿させるような曲でした。

「みめより」の「みめ」は「見雌麗しい」の「見雌」とのこと。

 

 

只出おどりの前に出演されたのが、今回最も注目していた仙台市指定民俗文化財の

上谷刈(かみやがり)鹿踊りさん

上谷刈さんは、しし踊りと剣舞両方を演じますが、この日は鹿踊りだけ。

この上谷刈さんの他にも仙台市泉区周辺には両方演じる芸能が伝承されており、県内では今月初旬に田野畑で観た

菅窪(すげのくぼ)さんなども両方演じる芸能です。

 

この日の演目が案山子舞ということで、笛の音と共にステージに出てきたのは、3匹が前幕を垂らし、

残りが幕を首から背中に掛け、太鼓を見せるようにている5匹

 

頭には黒い鳥の羽をはやし、短めの鹿の角を付け、

 

 

腰ざしは2本で鳥の羽、頭の後ろには紋入りの流し風のものが付いてあります。

 

腰ざしは、遠野市宮守町の行山流湧水鹿踊の腰ざしに似ており、志津川の水戸邊系鹿踊のササラでも無く、

幕踊り系のカンナガラでもありません。

これは、藩政時代の仙台藩では八幡町龍宝寺の塔頭東光院が庶民の芸能を管理しており、

それに関わる踊り大将と云われる藤九郎という人物から伝えられた鹿踊由来の特徴なのかもしれません。

 

上谷刈では鹿踊と剣舞が一対の芸能として成立し、其々別々の人により演じられているため、

剣舞衣装の大口袴は、鹿踊では身に付けられていません。

 

田野畑の菅窪さんのように鹿踊と剣舞を同じ人たちが演じる処では、

しし踊りの段階から既に大口袴を付けています。

これは両方を同じ人が演じた処では鹿踊でも大口袴を着用し、別の人が行なう処では鹿踊では用いないという

違いが当初あったからでは?と想像しています。

 

また背中に垂れ下がるナガシと云われる布は、その長さの大小はあるものの、上谷刈さんも太鼓系も幕踊り系にもあり、

剣舞には無いように思います。

 

演目上重要な役が3匹で行われる様子なども観ていると、

今回つくづくと、しし踊りや剣舞の伝播・変遷を感じる良い機会となりました。

ちなみに、遠野には現在剣舞は存在しないので元々無かったと思っている方がほとんどだと思いますが、

遠野古事記には、

剣舞は元禄の初め頃気仙で流行っていたものを細越村・佐比内村の若者たちが習って始め、

町では歌舞伎が盛んになり、しし踊りと剣舞だけが在郷に残ったと記されています。

気仙や県南部同様に遠野にも剣舞があったのです!

 

 

 

 

 

 


2019 釜石まつり御神輿見送り

2019-10-22 11:24:02 | 郷土芸能

市三陸町で郷土芸能を観た後、道の駅さんりくでお昼でも食べようかと国道45号線に出ようとした瞬間、

ウインカーは自然に右折指示、そのまま北上した先は、

 

釜石

そうこの日は釜石まつりの最終日、御神輿の還御です。

5、6年前の記憶を辿り、3時頃に魚市場に行列がやって来るだろうと狙いを定め、

隣りに新しく出来た魚河岸テラス周辺を散策しながら、時を待ちます。

 

お触れの太鼓の音が町中から聞こえてくると、じっとしていられず、一段上の道路へ移動

 

一行は芸能最後の奉納場所である魚市場に集まりました。

神社に御神輿が戻る内陸部とは異なり、御神輿とはここでお別れ。

 

最初に南部藩壽松院年行司支配太神楽の奉納です。

 

南部藩では複数の代官所ごとに修験者が行なう年行司を統括する山伏を定めており、

釜石の場合は大槌代官所エリアに入り、その大槌と宮古の責任者が壽松院になります。

ちなみに遠野は、大徳院です。

 

続いて、東前の七福神

 

さらに東前太神楽

 

町中を歩く行列には八雲、平田等の神楽の他、小川鹿踊も加わりますが、

最後のここでは太神楽と虎舞のみということで、尾崎神社例祭の歴史的な背景がそうさせているのかもしれません。

太神楽に続いて虎舞、錦町

手前の男の子は、虎舞が始まると前に出て行きたいようで、お母さんとバトル、虎になる寸前です。笑

 

白い虎は只越虎舞

 

最後は尾崎町虎舞

 

お囃子を聞くと、これが釜石のお祭り!という気がします。

 

御神輿が、各芸能に囃し立てられながら、舟に乗ります。

 

これで、午前・午後と一日で二度美味しい私の郷土芸能三昧も終わりです。笑

 


三陸町で郷土芸能を観る

2019-10-20 22:40:22 | 郷土芸能

台風が去って、一息ついた先週末(土)は、またまた雨。

 

日頃の行いが良い私のせいではないと確信しますが、その雨降りの中、知人の家の上棟式でした。

餅撒きの準備もしていたようですが、残念ながら、それも形ばかりとなり、

直会も新築中の建物内ではなく、近所の自治会館に移動し、真昼間から堂々と乾杯!笑

久しぶりに大工さん方の地固め節を聞きました。

同じ遠野市内の地固め節でも、町場の大工さんとその他では、若干、節回しが異なりますが、

今回は、両方の微妙さ加減を味わうことができました。

 

そのお祝いの席を後にして、飲み屋さんに繰り出そうと考えていたところ、想定以上に酔っ払い

家に着くなり撃沈

明けて本日は、市外のあちらこちらで郷土芸能があるようでしたが、ゆっくり観られるこちらへ出撃!

 

三陸沿岸・郷土芸能共演会

会場は三陸町越喜来にある三陸公民館(南三陸町ではありません)

開会挨拶を聞いて始めて、これが民間団体から郷土芸能の支援・助成を受ける団体の共演会だと知りました。

 

と、云う事で最初は永浜鹿踊保存会さん、大船渡市です。

住田町上有住を経由して伝えられた迎山流舞川系の鹿踊とのことです。

 

行山流ではなく、迎山流という漢字を用いているようです。

遠野に伝わる幕踊り系なら、何を演じているのか若干、理解できますが、太鼓系は不勉強なもので・・・・。

パンフレットには門讃め、打ち込み、本庭、3人狂い、回りきりとありました。

祭りの追っかけさんのブログを見ると、ナガシに書かれているのは

「友たちが 遊びからしの 庭なれば してかぼれて足にからまる」とあるそうです。 

 

続いて、陸前高田市の田端虎舞です。

 

和藤内が附きます。

泊地区の先人たちが他の土地で見た和藤内の虎退治の虎舞に感動して、自分たちの土地にも

広めたいとの思いで伝えられたと云われているそうです。

ちなみに隣町の唐丹町にある大石虎舞にも和藤内が出てきます。

 

虎舞の後には、手踊り お祭りの際の道中踊りとのことです。

世田米でもそうですが、気仙地域では、このような女性の手踊りが観られます。

 

同じく陸前高田市の只出(ただいで)おどり保存会さんの手踊り

演目によって三味線、太鼓が伴奏、そして唄

江戸時代末期から明治期にかけてカツオ船で栄えたこの地区に招かれた歌舞伎役者が

長期滞在中に求めに応じて教えた踊りとのことです。

 

大船渡市の赤澤芸能保存会さん

壇ノ浦で討ち死にした平家武将の亡霊が夜な夜な現れ源氏一族の安眠を妨げ苦しめていた。

高徳を以って知られていた高僧の経文と佛力により、念仏で亡魂を鎮めた故事に因み、

その様子を表した鎧剣舞であるとパンフレットには記されていました。

まさに念仏剣舞らしく、焼香から始まりました。

 

住田町に伝わる剣舞とは異なり、道化はいませんでした。

 

太鼓を担ぐ人に目が止まります。また、被り物の紋にも・・・三つ柏でしょうか?

 

 

剣舞は子供たちが演じていましたが、相当練習を積んでいる様子がうかがえました。

 

最後にゲスト出演ということで、遠野市の湧水神楽さん

開演前にロビーで顔を会わせましたが、笑われてしまいました。笑

よく、ここまで・・・そんな笑い方でした!

 

山の神舞

 

この日参加された気仙地域の芸能関係者には、この手の神楽は、あまり馴染みがないようで、

 

花巻周辺とは異なり、至って静かに観ていました。

 

考えてみると、気仙地域では、遠野から伝わった住田町の神楽を除くと、

権現舞と云われる獅子舞系の

芸能はありますが、山伏系の神楽はまだ見たことがありません。

 

 

 

面をはずしての後半

 

 

 

 

平倉・塚沢のK君と同姓の、こちらのK君も芸能掛け持ち人

 

宮守町達曽部は、なかなかの芸達者が多い地域です。

 

 

 

 

午前中のひと時、良い骨休みになりました! 笑

 


2019 躍進みやもり祭他

2019-10-14 17:51:50 | 地域

台風19号の被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。

遠野では一部停電したようですが、それほど大きな被害も無かく安心しているところです。

 

この台風で残念だったのは、このチケットを使用できなかったこと。

と、相変わらず、隣町では、まとまった雨が降ると町の中心部が冠水したこと。

 

19号で三連休の予定が大幅に変更になったことから、本日はお昼前の一時、こちらへお邪魔しました。

 

台風でどこにも行けなかった人が多かったのか、大盛況

 

地元の和太鼓やら西中の吹奏楽部&応戦シーンの再現など、遠野市産業まつり以上の人出でした。

 

で、主要目的はと云うと、一週間ぶりの郷土芸能 笑

 

鱒沢神楽さん

女性二人を手平鉦に

 

男性二人の八幡舞でした

 

八幡の由来を詳しく訪ねたところ

 

応仁天皇の宇佐に鎮座なるをもって 八幡大神とは自らのこと

と教えて頂きました! 笑

 

その後、盛岡の「FLAT」というグループのミニライブとなり、天気が怪しくなったところで帰宅。

 

10月に入ってからの市内では、あちらこちらで稲のハセ掛けしている風景が見られるようになりましたが、

これから日ごとに山の色が黄色や赤に変わり、紅葉の季節となります。

それまでは、郷土芸能も一休みとなり、私も落ち着いて仕事ができることでしょう。笑