「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

伊豆権現

2006-11-30 23:53:22 | 郷土芸能
 仕事の忙しさにカマケテ、更新せずにいたが、支払いに立ち寄ったタイヤ屋さんに指摘され、寝る前に一言。
 遠野の始まりになくてはならない伊豆権現。大同年間(800年代前期)に猟師始閣藤蔵によって建立されたとも伝えられる。江戸時代に寺社奉行中館氏によって、社殿が改築。
 
 何十年も前から不思議だったのは、遠野三山の始まりがなぜ、ここからだったのかということ。伊豆という地名を神社に冠したのはなぜだったのかということ。遠野三山になぜ、大物見が入らなかったのかということ。(東西南北に一山ずつでもよかったのに)
 
 この神社の前の道路を南西に行くと、山越えで小友へ出る。今の感覚で、上郷と小友を考えるとバイパスを使うことを考えるが、それでも車で、40分はかかる。山越えの林道はその半分もかからない。車がなかった何百年も前には、金山で栄えた小友と上郷は、山の道を通じて今よりもっと親密な関係にあったのではないか?
 
 それから、この神社には、立派な権現様が祀られているというのに、なぜ、神楽やしし踊りが伝承されなかったのだろう。かつて踊られていた芸能として、剣舞があったというが、それは住田から入ったものという。上郷でも、来内、平倉、平野原は、郷土芸能が薄い地域である。(平倉神楽は近年のもの)伝承すべき芸能が早くに廃れたか、もともとなかったか?芸能の宝庫遠野では、稀な地域である。(板沢氏や平倉氏の滅亡やら一族の移動と関わりはないのか?)

青笹町中沢「八幡神社」

2006-11-27 23:25:15 | 八幡
 先週、かねてより行って見ようと考えていた青笹町中沢の「八幡神社」に行って来た。六角石神社へ行く道を中沢川沿いに上り、中村橋を左折(皆さんご承知の中村のお堂と逆方向)し、次の十字路を右折すると間もなく左手(北側)の山際に鳥居が見える。その上が「八幡神社」。
 数年前に知人から、ここの写真とコメントを頂いた。茅葺き屋根の趣ある建物で、妙に惹かれるものがあったが、当時のコメントで、屋根だけでも葺き替えたいと管理されている菊池何某氏が話していた。
 
 木々に囲まれた石段を登ると、神社があった。残念ながら、茅葺は鉄板葺きに葺き替えられいた。(お堂を守る為には致し方なしだろう)三間四方、方形の社は、遠野七観音によく見られる造りであり、八幡造りの外観ではない。祀られているのは八幡大菩薩、薬師、観音、他に青笹に点在していた三十三観音の内、山火事により傷んだ数体が安置されている。また、例祭日も定まっていないという。
 
 社からは、西に広がる中沢川沿いの集落が一望でき、神社というよりは、館を思わせる。また、境内周辺は人工的に雨水の進入を防ぐ程度の堀がある。
 
 この地域は、元来、名士と呼ばれる方々が多くおられる所にも関わらず、廃れてきたのはなぜなんだろう?(戦中の問題か?)
 
 南部氏にゆかりのある「工藤」、葛西氏にゆかりの「千葉」、そして「菊池」姓が見事に密集している場所で、何故「菊池」さんがこの神社を管理しているのか興味のあるところだ。
 

上棟式

2006-11-26 15:44:38 | その他
 土曜日は、雲ひとつない快晴。ただ、日陰にいるとかなり寒い。マイナスなのは間違いない。以前から予定されていた上棟式に出席。大工さんの棟梁自ら行う神事には、大工さん一同、建主家族、親戚が並ぶ。廻りには、今か今かと餅拾いのギャラリーが百人以上。遠野TVのカメラまで来た。屋根の四隅に大工さんが立ち、一斉に餅撒きが始まる。餅撒きには、他に親戚の方が2人参加し、バラバラと撒く。小学生から、お爺さん、お婆さんまでが拾う。餅の入った袋には、500円硬貨もあるというので、皆、必死。残念ながら私の袋にはお金はなかった。が、気持ちは満足。餅撒きが終わると続いて会場を移して直会。
 建主の挨拶に続き、乾杯!棟梁から一言。ゆっくり飲もうかと思った瞬間に例の大工さんたちによる「地固め節」。70人もの参加者が手拍子をし、合いの手を入れる。本当に久々の祝い唄。やはり、いいものだ。飲食が進むにつれ、カラオケが始まる。町内の方々が歌い始め、まずいと思っていたところへ幹事さんがやってきて、親戚からも一曲お願いしたいとのこと。私の嫁方はもともと親戚が少なく、参加しているのは、義父を年長に5人。最年少が私であり、自ずと「わげ者やれ!」の一言で決まり。自分の番になるまでに知っている唄が次々歌われ、開いたページにあった曲を歌う。役目ガラとはいえ、大汗!
 上組町の方々が事前に打ち合わせを重ね、全ての準備もし、皆で楽しむ。共存共栄の精神が今でも実行されている地域。何もできない親戚として本当に感謝の気持ちでいっぱいである。
 廃れいく行事、そして助け合う気持ち。時間に追われ、共働きをしている夫婦が多い中、上組町は貴重な地域である。

太子堂

2006-11-25 00:20:54 | その他
 上組町の河判前の菊池サイクルの2軒北隣りの住宅の敷地中程に、この「太子堂」がある。祭神は、文字通り「太子様」、太子といえば聖徳太子を連想するが、そこまで確認できていない。東禅寺が大火事になった時に、太子様だけが残り、上組町にきたという。上組町でも火災が多かったので、これを祭ったのが始まりとか。この太子様は、足元がやけどをしたかのように少しなくなっているらしい。秋口になると、地元のご婦人方が、ささやかなご馳走を皆で頂き、お祭りとしている。ご利益として、火防だけではなく、太子様の首をさするとその冬は風邪をひかないらしい。(また、痛いところ、治したいところをさすると同様に治る。)
 
 堂内には、なぜか、横田警察署の看板があるのも不思議といえば不思議。

 この太子様が本当に東禅寺に安置されていたものだとしたら、大変興味深い。東禅寺は阿曾沼時代(鎌倉時代)に建立された寺院といわれるが、なぞに包まれた寺院である。太子様が聖徳太子だとしたら、鎌倉時代に既に信仰の対象になっていたことになる。一般論として、聖徳太子様が庶民に信仰されるのは江戸時代ではなかろうか。ちなみに、聖徳太子は、大工さんの神様とされている。

上棟式

2006-11-23 00:21:04 | その他
 近年、住宅を新築しても地鎮祭はするものの、上棟式(棟上式)を行う方が少なくなってきた。子供の頃、学校に行く時、新築工事を行っている現場があると、いつ頃上棟式だと勘をはたらかせ、友達と情報交換しながら、その日を楽しみにしていた。何が楽しみって「餅拾い」、それもお金入りの。五円玉が多かったが、中には10円、極々稀に、50円。ちょっとした小遣い稼ぎだった。このお金、話によると、建主の方の歳のぶんだけ入れるとか。

 画像は、父親が大切にしていた「工匠指針」なる本に掲載されている上棟式の中級の飾りである。遠野で行われるものと若干違う。この本、昭和40年4月印刷発行 定価280円 送料60円 著者兼発行者 薄衣八百蔵(個人的には、この方の苗字に興味あり) 印刷所 吉田印刷
 
 当時の280円って高い?3円できな粉飴2個、5円でパン1個買えた。大工に弟子入りして盆正月に里帰りする時、棟梁は、小遣い銭にこの本を買えるくらいのお金を渡していたような気がする。(弟子が給料を貰えない時代だ)百万円の単位で家が建っていた。
 
 さて、さて、今週末の土曜日は、上組町の親戚筋の上棟式。午後3時から。昔と違って、朝から手伝いに行く訳でもなく(今は、手伝いの人が怪我をすると施工者の責任になるので、手伝わせない)時間に間に合うように行けばよいが、神事、餅撒き、直会と続き、直会では、久々に大工さん達の「地固め」が聞けそうだ。遠野南部の大工さん達は、この「地固め」を祝い唄としている。これが、また、最近、上棟式が略されるようになってから、あまり耳にする機会がない。(工務店によって、若干、節回しが異なる。)この歌詞のコピーを今は亡き、仲町の建築士堀内進氏より頂いたのが15年以上も前である。事あるごとに大工さん達に、コピーしてあげているが、ゆくゆくは、木遣りと同じように保存会でも作らなければ消えるのかもしれない。
 それより心配なのは、遠野では知らないものがいないほど、つわもの揃いの上組町の面々。よほど、セーブしてお酒を飲まないと、潰される恐れあり。桑原、桑原。