仕事の忙しさにカマケテ、更新せずにいたが、支払いに立ち寄ったタイヤ屋さんに指摘され、寝る前に一言。
遠野の始まりになくてはならない伊豆権現。大同年間(800年代前期)に猟師始閣藤蔵によって建立されたとも伝えられる。江戸時代に寺社奉行中館氏によって、社殿が改築。
何十年も前から不思議だったのは、遠野三山の始まりがなぜ、ここからだったのかということ。伊豆という地名を神社に冠したのはなぜだったのかということ。遠野三山になぜ、大物見が入らなかったのかということ。(東西南北に一山ずつでもよかったのに)
この神社の前の道路を南西に行くと、山越えで小友へ出る。今の感覚で、上郷と小友を考えるとバイパスを使うことを考えるが、それでも車で、40分はかかる。山越えの林道はその半分もかからない。車がなかった何百年も前には、金山で栄えた小友と上郷は、山の道を通じて今よりもっと親密な関係にあったのではないか?
それから、この神社には、立派な権現様が祀られているというのに、なぜ、神楽やしし踊りが伝承されなかったのだろう。かつて踊られていた芸能として、剣舞があったというが、それは住田から入ったものという。上郷でも、来内、平倉、平野原は、郷土芸能が薄い地域である。(平倉神楽は近年のもの)伝承すべき芸能が早くに廃れたか、もともとなかったか?芸能の宝庫遠野では、稀な地域である。(板沢氏や平倉氏の滅亡やら一族の移動と関わりはないのか?)
遠野の始まりになくてはならない伊豆権現。大同年間(800年代前期)に猟師始閣藤蔵によって建立されたとも伝えられる。江戸時代に寺社奉行中館氏によって、社殿が改築。
何十年も前から不思議だったのは、遠野三山の始まりがなぜ、ここからだったのかということ。伊豆という地名を神社に冠したのはなぜだったのかということ。遠野三山になぜ、大物見が入らなかったのかということ。(東西南北に一山ずつでもよかったのに)
この神社の前の道路を南西に行くと、山越えで小友へ出る。今の感覚で、上郷と小友を考えるとバイパスを使うことを考えるが、それでも車で、40分はかかる。山越えの林道はその半分もかからない。車がなかった何百年も前には、金山で栄えた小友と上郷は、山の道を通じて今よりもっと親密な関係にあったのではないか?
それから、この神社には、立派な権現様が祀られているというのに、なぜ、神楽やしし踊りが伝承されなかったのだろう。かつて踊られていた芸能として、剣舞があったというが、それは住田から入ったものという。上郷でも、来内、平倉、平野原は、郷土芸能が薄い地域である。(平倉神楽は近年のもの)伝承すべき芸能が早くに廃れたか、もともとなかったか?芸能の宝庫遠野では、稀な地域である。(板沢氏や平倉氏の滅亡やら一族の移動と関わりはないのか?)