其の参まで引っ張ってきた共演会、この日、会場には高校時代の部活の先輩が来ており、
郷土芸能を観るタイプだったかなあ?と思いながら撮っていました。
少しでも、郷土芸能ファンが増えることを期待をしながら・・・笑
出演順で5番目は、細越獅子踊りさん
「しし」とひらがなで表記する団体が多くなっている中で、ここは伝承されてきた通りの「獅子」を使用。
しし頭が鹿に見えないと云われたり、獅子はライオンやイノシシのことだろうと云われることもあり
で、あたりさわりの無い「しし」の表記をするようになってきた団体が増えているように思います。
しかし、遠野で見かけるカモシカを青じし(訛って云うと、青ずす)と云うように、鹿もシシです。
しし踊り、鹿踊り、鹿子踊り、獅子踊りと其々が昔から使っていた文字を堂々とと幟に掲げて頂きたい
ような・・・気がします。笑
さて、細越獅子踊りさん、この日は恒例によりまして柱がかりメイン
しし頭が床に付くほど頭を下げての熱演でした!
廻りにいた数名のカメランさん、同じ瞬間にシャッターを押していましたが、何を狙っていたのか気になります。笑
今年の日出神社例祭・上郷まつりに、いつも参加している種ふくべさんの姿が無く、心配していましたが、
転職され、なかなか思い通りに休みがとれない状況だということです。
他の芸能団体でもそうですが、ずっと出ていた人の顔を見なくなると気になるのはカメラマンゆえでしょうか?
外山神楽さん
嘉永年間に断絶し、後に田瀬の白土神楽を習得したということで、大迫町の早池峰岳神楽系です。
天女舞
考えてみるとこの演目、遠野の山伏系神楽では、あまりお目にかかっていないような・・・・
とりら、とりら・・・の歌詞が心地よく耳に残ります。
森の下さんさ踊り
大正9年から昭和2年まで上郷町森の下に居住した紫波町長岡出身の藤原米太郎が、
地元の若者に手ほどきしたのが始まりです。
盛岡方面同様に一八(イッパチ)と呼ぶ踊りの先立ちが最初に踊ります。
森の下ではどう呼んでいるのか知りませんが。
土淵町の山口さんさと同様に笛・太鼓が踊らないのは、楽器の奏者が踊りの指導を受けなかったことに
起因するのでは?と観ながら、いつも感じるところです。
市内のさんさ踊りの中では、どことなく上宮守さんさに近いような気がします。
最後に登場したのは、和太鼓集団和會
躍進みやもり祭りやお盆の時期のめがね橋の広場で熱演しているようです。
北上・江刺周辺から指導を受けたと記憶していたのですが、当日配布のパンフレットには記述は無く、
2013年に結成されたとあります。
今回は、以前観た時と迫力が違い、得した気分です!
太鼓は、上郷町の仙人太鼓と松崎町の薬研太鼓と三団体に増えました。
子供たちのチームもあるようなので、今後さらなる進化を遂げるものと思います。
其の四まで引っ張ろうと思いましたが、なんだりかんだりと立て込んできたので、ここまでです。
市内で行なわれる郷土芸能も年内は、おそらく終わりかと思いますが、
いやいや、あそこでやるよ!という情報をお持ちの方はコメントを頂ければ幸いです。笑