「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

旧暦の正月も過ぎ

2022-02-11 15:12:52 | 郷土芸能

2月1日が旧暦で云うところの正月、この辺りが厳寒期となる遠野。

その旧暦の正月も過ぎて、あともう少しで小正月です。

降り積もった雪も、日中にすらとけない日々が続いていますが、

皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

新コロ騒動での各種イベント中止やこの寒さでは、どこかにカメラを持ち出して出撃!

と云う気分には、ほど遠く無駄に日を費やしている笛吹です。笑

 

青空が見える間に徘徊を試みるものの、猿ケ石川には白鳥も少なく

 

この間は松崎町の田んぼ?道路?で偶然見かけました。

 

わずかに田畑から覗く草でも食べているのでしょうが、川より寒くないのかも・・・。

 

ところで、最初に記した小正月、

遠野出身の東北民謡の父「武田忠一郎」は子供の頃見た、小正月での田植踊りの記憶を

ずっと忘れなかったと。

そのくだりが記されているのが佐藤誠輔著「武田忠一郎小伝」なのですが、

以前、図書館で読んだことがあったものの、文章違いだと困るので、本を入手し、確認。

昔は旧正月ともなると、遠野の町には近くの村々から田植踊りの一団がやって来た。

四方の山々に、あの不思議なメロディーをふるわせ・・・真っ白な一本道をやってくる。

彼らは手に手に唐団扇をかざし、また、ある者は美しい小太鼓を抱え、数十名から時には

百名を超える長蛇の列を作って、町中を練り歩いた。

と、あります。

小正月ではなく、旧正月になっていました。確認できて良かった・・・笑

 

市内で私が見た田植踊りは、この綾織町の遠野郷南部田植踊

 

松崎町の横田田植踊、

 

上郷町の平野原田植踊の三団体。

「遠野の郷土芸能」には、他に宮守町の鱒沢田植踊、上宮守の大上田植踊、達曽部の米田田植踊

上郷町の来内田植踊、暮坪田植踊、土淵町の山口田植踊、飯豊田植踊、附馬牛町の上柳田植踊

が記されています。

これらは、おそらく中断もしくは断絶しているのでしょう。

 

遠野郷南部田植踊

中でも綾織町では、かつて砂子沢、根岸、山口、下綾織の4か所で踊られていたようですが、

「郷土のすがた」によると旧暦正月に行われるとあります。

同様に正月とあるのは上宮守の大上田植踊だけで、他は旧小正月あたり。

 

平野原田植踊

私の記憶の小正月も、武田忠一郎の記憶の正月も、間違ってはいないようです。笑

 

遠野郷南部田植踊

行われなくなった田植踊りは、大正、昭和の大戦頃には消え、不作の年などの中断も含め、

徐々に継承する人数不足となったようです。

このような田植踊りのみならず、新コロで二年も演じる機会が無くなった郷土の芸能、

私の仕事もそうですが、芸能の先行きが心配です。汗

 

話は変わって、親不孝通りのこちらでは解体作業

 

いつ倒壊してもおかしくなかった建物

 

以前はこんな感じでした。

郷土芸能も、以前はこんな感じでした!で、かまわないので、

図書館・博物館で保存している市内の芸能の古い時代のものを遠野TVか、ネット動画で

配信して頂ければ、気力も蘇るのでは。

それは私だけかもしれませんが・・・笑