数年前、毛ガニを買いに北隣りの宮古市に行った際、山口公民館で黒森神楽の展示を見ました。
そのついでに黒森神社へ向かったものの途中で断念。
今回、縁があってその黒森神社へ行くことになり、前日までネットで道順確認。
地図やらブログ・写真などを見てもこの案内板まではわかっても、その先が・・・。
前回は、このY字路まで来て、右の幅広の道を途中まで行ってあきらめました。
と云うことで、今回は車がやっと通れるほどの左です。
不安になりながら、5,6分ほど走ると神社下の駐車スペースに到着。
案内板から左へ上がった袋小路のような場所でした。
ちょっと急で長い階段を上るとネットでも見たことがる境内
やっと念願叶う!です。笑
境内には10名ほどの人がいて、安心して、まずは、黒森神社本殿参拝
この建物に興味があり、じっくりと
本殿の両脇には境内社が並びます。
掲額の黒森の文字も独特です。
回廊下にも組物
三手先の升組
この建物は宮古市指定有形文化財で、現在の建物は嘉永3年(1850)再興。
この3年後に浦賀にペリーが来航、またこの年の数年前後には三閉伊一揆や信濃、安政の地震。
現在の本殿前の階段下が元の本殿跡
有名な山口太鼓の里にある神社
社務所脇にはきらびやかな御神輿が保管されていました。
石燈籠で気になった名前・・・前川善兵衛・・・あの吉里吉里善兵衛だと思われます。
延享5年(1748)の建立。4代目善兵衛富昌かと。
前川善兵衛は東屋孫八という屋号で、名字帯刀が許されていた盛岡藩の御用商人。
遠野では踊岡開発で有名な百専右衛門の祖父高橋仁兵衛が、東屋仁兵衛として
吉里吉里善兵衛の株を引き受けて酒屋商売をしていたことが知られています。
お昼少し前、新コロ対策の係員もスタンバイとなり、
よもぎ餅を頂き、持っていったおにぎりも食べ、ちょっと一息となりました。笑