「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

2022 日枝神社例祭

2022-06-27 10:03:25 | 神社

19日の日出神社例祭で、板澤しし踊りさんから次の出番はしばらく無いと聞いており、

また某所にて飯豊神楽さんは神事での打ち鳴らしだけとの情報を得ていた日枝神社例祭。

昨日がその例祭でした。

郷土芸能の奉納が無いなら・・・と考えていたところ、拙案内所付近で選挙関係の街頭PRが

あるらしいとのことから、急遽、その場を脱出。

 

遠野小学校東側の日枝神社です。

 

子どもの頃は、大日さんと呼んでいました。

慶安5年(1652)に山王の祠がこの地に建てられ、貞享2年(1685)に湯殿山の分霊を勧請し、

大日堂と称することから、親しみを込めて「大日さん」。

明治に大日堂が廃止され、山王に因み日枝神社と改称。

 

時間前に拝殿内を見学。前回の訪問時同様に、この写真に目がいき、

神事終了後、居合わせた方々に聴取。

どうやら故浦田穂一氏の写真で、氏の住まいがあった昭和通りで写したものとのこと。

 

現在奉納されている権現様とは違う物だと思われますが、昭和の時代までは、

権現様を抱えて町中を廻っていたようです。

当時の事を実際に知っている人には、まだ出会っていません。

但し、今回、八幡様から、この権現様を抱えている人が誰だか教えて頂くことができました。

昔話ですら、聞いたことのない大日さんの神楽です。

 

神事

 

情報どおりに飯豊神楽さんの打ち鳴らし

 

しばし、境内散策です。笑

 

明治初期に写された地図

現在の遠野小学校には左から東善寺、妙泉寺、善応寺が並び、右側の鳥居マークが

現在の日枝神社(通称:大日さん)

東善寺は、附馬牛にあり、後に盛岡に移った東禅寺でなく、

八戸から遠野南部氏が領地替えになった際、共に移された東善寺です。

妙泉寺は附馬牛、善応寺は青笹。

 

境内には天満宮、消防追悼碑、愛犬乃碑などがあり、今回引き寄せられたのは子護稲荷社

脇の説明文には、旧是川屋敷内にあった稲荷社で、市民センター建設前にあった

旧遠野小学校建設により、子供たちを守ることを念じて移設されたとのこと。

 

元の場所はと地図を見ると、真ん中の工藤紀内の北側に是川卯右エ門とある場所です。

八戸時代からの是川氏は、明治に武藤と改姓。

 

明治末期の「遠野案内」には、荒廃した日枝神社の様子が書かれており、

大正12年4月の漫画新聞白龍には、鍋倉神社例祭が5月の2,3日に変更となったお知らせ。

時のまつりごとによる人心の変化を感じることができます。

今だに新コロの影響を受けている市内の例祭にて・・・。

さあ、今月末は、下の娘の引っ越し仕舞、仙台から東京へ!


2022 上郷町日出神社例祭後編

2022-06-20 13:51:43 | 郷土芸能

旧上郷村社だった日出神社の由来には三説あり。

その一は、本宮は上有住の秋丸にあり、義経一行が北に落ち延びる時に同道していた日出姫を

その地に残し、後に姫ともに御宮を現在地に移したことによる。

その二は、坂上田村麻呂の時代、住田町に秋丸という豪族がいて、

大きな石の上で戦勝祈願をした。それを伝え聞いた慈覚大師がその大石を探させ、

見つけた石の上に仏像を安置したのが日出大明神。

その三は、日出神社棟札により、寛保年中に遠野南部直栄が眼病平癒のため薬師如来を祀った。

以上の三説。

因みに神社の別当を当時勤めていた常陸家には如意輪菩薩像が伝えられているいようですが、

その家が山伏だったという確証がありません。宝暦以降の修験者に名前無し。

さて、例祭の後半です。笑

 

佐比内、細越のしし踊りの姿が見えた頃に、平倉神楽さんが準備を始めました。

他の団体同様に11時半までに奉納を済ませるとのこと。

 

演目は、龍殿(りゅうでん)

 

なんかいつもと違うなあと思い、昨年ここで演じた写真を確認したところ、演目は同じ。

もしかして赤い面が違うような・・・明るさのせいかもしれませんが。

 

拝殿正面入り口左側の回廊に、神事の太鼓が置かれていたので、

中で見ようにも入れず、私を含め3名にて独占。

 

外の社務所前では佐比内さんに続き、細越獅子踊りさんも始まっています。

例年どおりと云えば、そのとおり、しかし、もったいない・・・・

 

平倉神楽さんの次の出番は、8月の遠野座になってしまうのでしょうか?

 

神楽の途中、地元細越獅子踊りさんに敬意を表し、社務所前に走って行き・・・

 

次回は、恒例の柱がかりも見たいものです。笑

 

また急いで拝殿に戻ると、権現舞

奉納終了予定時間には、まだ時間がありましたが、神事の為に会場内の片付けがあり、

これにて終了。

 

板澤しし踊りさんが、やっと現れました!

 

いやあ~随分と久しぶりです!

長い冬眠だったと冷やかしました。笑

 

こちらも、人数を揃えるのに苦労したのではないでしょうか。

 

どこも似たり寄ったりで、2年続けて不参加だと、自分一人ぐらい・・・

と云う気持ちになってもしようがありませんね・・・

 

いつもより短めのお花披露

 

皆さん、境内での制限付きとあっては仕方なしです。

 

それでも、私のようなおバカには、ありがたく、皆さんに感謝です!

 

その後、町内を渡御していた御神輿が戻り、

拝殿内にて平倉神楽さんの打ち鳴らしから始まった神事の音を聞きながら撤収です。


2022 上郷町日出神社例祭前編

2022-06-19 15:07:37 | 郷土芸能

先週前半までのバタバタ続きからいつもの日常へ戻ったところで、

昨日は、来月後半に行う義母の三回忌法要のお知らせに花巻へ。

時々愛妻が今月前半から、その方の様子を気にしていたところ、骨折で入院中とのこと。

帰宅すると、今度は義母のいとこが亡くなったとの知らせ。まだバタバタ。

 

そんな昨夕、仙台から24地割さんが来遠、一献ということになりました。

突然の飲み会に我が家では、その日釣りに行った同級生との飲み会だと疑っているようです。笑

明けて本日は、久しぶりのお祭り。

 

上郷町の日出神社例祭です。

新コロの影響で、細越獅子踊りさんと平倉神楽だけの奉納と聞いていました。

神社に着き、関係者とお話していると、な!なんと、

佐比内鹿踊りさんと板澤しし踊りさんも来るとのこと!早く行った甲斐がありました!

 

9時過ぎ、佐比内鹿踊りさんが現れました。

 

続いて、地元細越獅子踊りさん

 

細越獅子踊りの関係者曰く、今年は参加人数が少なくて・・・

 

境内での飲食が、まだ、できないことが原因でしょうか?

 

神社拝殿前では、先に来た佐比内さんが奉納

 

そして、細越さん

 

これもいつも通りであれば、地元の細越さんが先に来て、拝殿・本殿を廻り、

その後、飲食の準備をして、他団体が来るのを待ちます。

 

駐車場に着いた時、いつもの出だしより車が多いと感じたのは、保育園児のしし踊りが

参加したからかもしれません。この時までは多めのギャラリー。笑

 

神社へ来る途中、地区のコミセンに人が集まっているのを横目で見たのですが、

ウォーキングをしてここまできた、この団体さんのようです。

この元気には敵いませんね~!

 

先に奉納を済ませた佐比内さんが社務所前でひと踊り

 

その佐比内さんのお知り合いと思われるカメラマンが何人か張り付いていました。

そのせいもあってか、いつも以上に気合が入っていたように感じました!

と云うことで、前半の終わりです。


仏事続き・・・からの

2022-06-15 14:26:25 | 民俗

先週後半は黒いネクタイ続きとなりました。

 

私の誕生日の日に亡くなったのは、父方の大本家のおばあさん103歳でした。

この方の義父は、遠野物語拾遺に附馬牛で見知らぬ大男と出会った狩人として登場しています。

 

家から葬祭会館に棺を移動する際、棺は玄関からではなく、別な出入り口から

カヤで作った仮門をくぐって移動させます。

その後、棺の安置していた場所を藁とイバラを箒として掃きます。

 

金曜は通夜となり、土曜は葬儀

 

そして、火葬

その間に花巻に嫁いだ父方の従姉の義母が亡くなり、上記と同じ日葬儀・火葬

こちらは93歳

 

そして、日曜は予定していた父方の伯母の三回忌

 

連日、黒いネクタイです。

 

新コロの影響で、会場を設けての大勢での飲食が出来にくい雰囲気が続くため、

三回忌の法要後は、家でこじんまりと・・・。

遠野では通夜、火葬、葬儀が一般的な流れでしたが、新コロ以後は、

通夜、葬儀、火葬という都会と同じような順番も違和感を感じなくなってきました。

また、来月は、時々愛妻家の親戚の三回忌と、義母の三回忌の予定となっており、

黒いネクタイが続きます。

 

そして、昨日は、

 

6時22分発「はやぶさ」で、

 

こんなものが見える場所や、

 

こんな処を回って、

 

帰宅

まさか、観光や仕事関連以外で、東京へ行くことはないと思っていました。

黒いネクタイもそうですが、この先、何があるかわかりませんね~!

ここのところ続いたバタバタで、疲労困憊中です。

 


平穏無事は大切

2022-06-06 11:55:54 | 地域

5月までは新コロが落ち着けば、今年はお祭りもあって、いつもどおりの年に。

出かけられる時には行動を!と思っていました。

世の中、そんなに良いことばかりが続きませんね~。

 

これは2011年4月に焼失した以前の大慈寺(大工町)です。

 

これは、先日、知人が持ち込んだ大正時代に遠野で発行されていた新聞

日付は大正12年(13のように見えますが、12です)11月10日

10月22日に大慈寺が火事になり、本堂、開山堂、祠堂、庫裡、廊下、浴室を焼失。

 

これは、おそらく庫裡(本堂のようです)の再建だと思いますが、入札の案内。

その後、徐々に再建し、全体の整備が済んだのが昭和49年。

大慈寺は遠野南部氏が八戸に居た時代からの菩提寺で、600年以上の歴史があります。

遠野に移ってから幕末まで70石を頂いていたものの、明治になるとそれも無くなり困窮。

大正の火事の時には檀家数わずかに50。

再建までの長い時間が、その苦労を想像させます。

 

こちらが現在の大慈寺 2011年の火災から10年でほぼ再建。

明治以降の歴代住職さんと役員は檀家無くして寺無しの思いが強いのでしょう。

我が家もその末端、新参者ですが。笑

 

同じ新聞にあった仙人峠のルート

旧仙人から大橋までのそれまでの索道と新しい鉄道

 

来春で営業運行が終わるSL銀河

これらを見ていると、胸キュンです!

 

何気ないこのような風景が如何に貴重であることか・・・

 

6月に入り、仙台に居る娘から東京転勤の知らせ

 

この先、東京へ行くことも、そうそう無いだろうと思ってたのですが、

わからないものですね~

今月は、バタバタしそうな予感です。