時に、大きなものに圧倒されることがある。
それは、例えば毎朝膨大な量の情報を生み出し、流し続ける「新聞」だったり、
詳細で大量な設計図と、巨大な物量、人的資源を投入して建てられる「建造物」
だったり。
別な見方をすれば、個人対企業であるわけだが、自分の小ささを実感させられる。
対比そのものが無理なのだが、つい比較してしまうときがある。
空や山、広大な自然の中に自分を置き、自分の小ささを感じるときは、
自然の一部として自覚するためか、圧倒されても比較して小ささを感じることはない。
前者は、自然に生成されたものではなく、人工物だからか。
人工物は、生物としての自分に相容れないと感じるからだろうか。
それらを作り出しているという意識をもてれば、圧倒されることはないのだろうか。
社会の生産ラインから外れているからだろうか。それが理由ではないと思うのだが。
ときどき、そんな気分になる。