悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

歩きの作法

2014-11-30 19:00:44 | ウォーキング

利根町の例会に参加した。「マスターオーカー賞大会」でもあったので、取材を兼ねた。
小林一茶が足繁く通ったそうで、生涯に49回289日も訪れたそうだ。多くの句が残され、
名跡に一茶の句を辿りながらのウォークである。誘導役の田仲会長が楽しく案内。
句を紹介しながらの解説は楽しかった。
昨日は小雨降る中の鎌倉下見だったので、今日は何と快適な歩きかと気持ちよく歩いた。
ゴールの徳満寺手前で、最後の解説をしているとき、後ろの方から雑音が聞こえてきた。
説明を端折り、早く進めというものだった。一言だけで、間もなくゴールに向かったので、
多くの人には聞こえなかったかもしれないが、ひじょうに不愉快な発声だった。
このようなことはよくあるが、参加させてもらっているのだから、流れに従うべきと思う。
説明は、適切な時間配分であったし、有益な時間を過ごさせてもらったと思っていた。
もちろん個人差はあるので、説明が長いという意見もあるだろう。
しかし、このような不心得者は歩きの作法に反すると思う。意見があったとしても、
大勢の中で声を上げるべきことではないと思う。

ゴールの徳満寺は紅葉が美しかった。会場では地蔵まつりが行なわれている。



かき揚げうどんをいただき、かりんとう饅頭を買い、龍ヶ崎のコロッケを食べた。
多くの仲間にも会え、一茶の句に触れ、紅葉を愛でたウォークは、楽しい1日だった。

前にも1度見たが、印象に残った絵馬を徳満寺本堂で見た。
「間引き」の様子を描いた絵馬で、後ろの障子に映った影は、角が生えている。


 


伊能ウオーク15年

2014-11-29 18:45:35 | ウォーキング

明日、東京で当時の仲間内で「伊能ウオーク」の同窓会を行なうことを新聞記事で見た。
まる2年をかけて全都道府県を歩いた壮大な事業だった。
当会の発足もこれに絡んだ。当時、私は日本ウオーキング協会に維持会員として加入。
ところが、地元の会を通して登録してほしいということになり、急遽、会を創立した。
当会の設立が1999年4月4日。伊能ウオークの一隊が古河に到着したのが7月6日。
設立から伊能ウオークへの対応へと慌ただしい期間だったが、充実した活動だった。
当時の記事を探したところ、こんな掲示板でのやり取りが見つかった。
しかも、発信者は「古河市情報管理課」という、役所の職員。~ある意味感動した。

この日、私は、古河庁舎中庭で大内隊長から「御用旗」を受け継ぎ、翌7日館林へ向かった。
 


花桃ウオークに30㎞コース

2014-11-28 18:57:52 | ウォーキング

長年の要望であった30㎞コースが実現し、花桃まつり会場がメイン会場となりそうだ。
15年も実行委員会で主張してきたので、「もういい加減、要望を取り入れたら!」と、
他団体の代表者からも一声あったらしい。これまでの事務局は何をしていたの?
当会の役員会で、30㎞コースの実現は、残念ながら推進の方向性を持てなかった。
外部からの方向付けで、かろうじて実現するというのは、恥ずかしいことではあるが、
この動きをきっかけとして実現したことは歓迎したい。

30㎞コースが実現したのは、対応が遅れたため、初日「遊水地コース」のみ。
再来年は、「歴史と文化のコース」にも、30㎞コースを設定したい。
静御前の思案橋、熊沢蕃山の墓のある鮭延寺、ここは山形県とも関わりがある。
熊沢蕃山が指導して造った「蕃山堤」などもコースに設定できると思う。
再来年は、コースを見直して、距離の設定も見直して、JMLも目指したい(^^;)

「葭焼き」と「遊水地コース」の期日が競合する可能性を残したことは検討を要する。
実行委員会から頼まれて、「葭焼き」時のコース変更を検討している。
コース設定に問題はないが、葭焼き見学をプラスして、面白いコースにしたい。 


超個人的なスポーツ論~最後に残るのは

2014-11-27 18:33:35 | 雑記

スキー人気の低迷に加え、降雪量の減少によりスキー場が閉鎖に追い込まれている。
スキーの場合、わざわざ傾斜のある降雪地に移動する必要があるところが難点だ。
さらに、運動をするために道具が必要というところにも足を引っ張っぱる要因がある。
ゴルフは、あの小さなボールを、あの細長い道具で打つところに第1の原因がある。
会社持ちだからこその繁栄は不健全さの象徴でもある。
野球は、高校野球、プロ野球など、億単位の契約金をめざして頑張る不自然に加え、
やはり、小さなボールを打つところに無理がある。
アイスホッケー、乗馬、ボクシング、弓道などは、やはり少数派のまま推移するだろう。
いずれもどこかに無理がある。
マラソン大会が人気だが、今のところ金になる。ジョギングもそれにつられて人気だが、
運動不足の人間が取り組む可能性が今後増大するところに危険が隣り合わせている。
加えて、以前アメリカで、ジョギングの神様と言われた人が、ジョギング中死亡したことで、
ウォーキングに大きく舵を切ったのと同じ現象がいずれ再現するだろう。
結局、プロとは無縁の、健康的に大草原を走り回るサッカー、普通のウォーキングが、
最後まで生き残るだろう。
これが、私の個人的な、人間にとっての究極の“運動種目”論である。 


老いの自覚は日常的な恐怖に

2014-11-26 19:01:22 | 雑記

消灯してから時計の目覚ましを操作したり、ラジオの自動OFF設定などをするとき、
部屋の電気を点灯するほどではないので、携帯画面を対象に向けて明かりをとる。
携帯画面でも部分照明としてはけっこう実用的な明るさがある。

夕方のニュースで紹介していた。先の地震災害時、携帯カメラの照明が役立ったそうだ。
さっそく隣の部屋に行き、カメラの照明をつけてみた。意外に明るく、実用に耐える。
確認が終わり、電池の減りが激しいだろうなと思いながら、消灯し、戻ろうとした。
慣れ知った部屋であるとの思いが災いし、出口の柱に額をぶつけてしまった。
星が出るほどではなかったが、30分過ぎてもまだ痛く、こぶもできてしまった。

この他にも、毎月1回、足下不安を思い知らされている。
IWAニュースの印刷が終わると、楽しい(自腹)昼食の時間が訪れる。
土浦イオンの巨大食事コーナーに行く。私はたいていラーメンと餃子。
昨日はラーメン大盛りはやめて、普通盛りにした。
ここは自分で運ぶ方式なので、どんぶりを持って、自分たちの席まで移動する。
つまずいて転ばないかといつも不安になる。というのは、何も持たずに歩いても、
つまずいて転びそうになるからだ。いつか、ラーメンを持ったまま転ぶのではないかと、
心配になる。できるだけつま先をあげて、絶対に転ばないよう、気をつけて歩いている。
若い頃は、考えもしなかったこと。老いを自覚する(一瞬ではない)日常的な恐怖。

そういえば、何年か前「汽笛一声W」に参加したとき、平らな歩道でつまずき転倒した。
手をついて転び、多少受け身風に体をねじったので、大事には至らなかったが、
かなり大げさな動きになったので、周囲から心配された。

このときが、私にとって最初の老いの自覚だったように思う 


日本エレキテル連合について

2014-11-25 18:08:56 | 雑記

私はこの2人のお笑いコンビが好きだ。東松山のかかし祭りでも採用数が多かった。

今のところ、ほとんど同じような内容を繰り返しているが、見る度に面白い。
しかし、各番組での取り上げ方が気にくわない。一人前のお笑いコンビ扱いではなく、
どういうわけかほとんどが軽い扱いで、“いじられキャラ”のような対応に終始している。
“一発芸”というのが、軽い扱いであるのは何となくわかる。深み、経験の蓄積がなく、
“その場限りだろう”と見ているからだろう。
しかし、今のお笑いは一発芸でなくても、底の浅い笑いがほとんどだ。
いじって喜んでいる番組の司会者たちは、彼女たちに嫉妬しているのではとさえ思う。
彼女たちは面白い視点を手に入れてお笑いにしていると思う。
この成功を継続するのは難しいと思うが、ここに辿りつくまでのいくつかの作品を見ても、
かなり工夫していることがわかる。
単なるしゃべくりで10年、20年と売れているタレントもいるが、彼ら以上の逸材だと思う。
彼女たちは、いわゆる“芸”として認められるような工夫をしていると思う。
しゃべくりを、私は、“芸”ではないと思っている。だから、しゃべくりの連中は、
特異な表現を手に入れた彼女らに嫉妬しているのではないかと思っている。

「ダメよ~ ダメダメ」が今年の流行語大賞に選ばれそうだが、今の取り扱いからすると、
今後、かなり苦労しそうな気配がある。

彼女らの今後の活動に期待したい! 


お茶しました

2014-11-24 17:00:08 | 雑記

例会の帰り、駅で解散したあと、Oさんたち8名とロッテリアでコーヒーを飲んだ。
いつもは誘われても行かないのだが、母の迎えは17時だったので、余裕があった。
話しているうちに手話の違いに話しが及んだ。
それぞれに出身地(ろう学校)が違うので、微妙に手話の表し方が違う。

そこで前にも気になった「名前」が出てきた。
ちょうど今日の例会時の手話の話が「手話の語源」だったので、そのせいか。
「紫」もまちまちだし、「室蘭」の手話が、北海道出身者でも少しずつ違っていた。
ろう者同士(手話)では通じても、意味を健聴者に説明することは難しいと言う。
私の手話の読み取り力も関係していると思うが、「言語」の違いもあると思う。
手話は視覚言語なので、文法が音声言語としての「日本語」とは違う。
まして、ろう学校では、日本語(国語)を教えるようには手話を教えていない。
「日本手話」と「日本語」とは違う言語だともよくいわれる。

「名前」という手話の意味は、「人の名前」ではなく、「日本語」と同義のようだった。
「室蘭」の手話表現は覚えていたが、その意味を忘れたので、Hさんに聞いた。
併せて、「名前」について質問したが、Hさんにはきちんと通じなかった。

ビデオ通話は、動きがぎごちないので、そのせいもあるだろうか?

今度会ったとき、時間をかけて聞いてみよう。

もう一つの話題は、来年の北海道行きについて。
8名全員、滞在期間に問題はないという。6月の「でっかいどうオホーツクマーチ」は、
5泊6日で進めることに、ようやく決心した。 


歩きを習慣にしよう

2014-11-23 20:53:51 | ウォーキング

歩くことはもっとも基本的なことだとよく言われるが、誰にとってもではない。
病気やケガや障害で歩けない人もいる。

歩く機会(時間)が無いというのは、単なる言い逃れであることは自分の経験でわかる。
そのことを踏まえた上で、歩ける人にとっては、やはり基本的な運動だと思う。
歩くことは、体全体を使っての運動であり、無理なく多くの筋肉を使うことができる。
ただ歩くといっても、家の周りを歩くだけだと飽きがくるし、継続は難しい。
個人差がある。何年も家の周囲を歩ける人もいる。
私は、スポーツジムは合わなかったので継続できなかったが、
有効に利用している人もいる。
私は最近歩いていないのだが、歩くことの心地よさはわかっている。
諸々の理由で歩くことをサボっている。ただ、これが癖になると動かなくなってしまう。
悪い習慣は簡単に身についてしまう。
当会での活動のような機会を利用して、歩く習慣を身につけることが必要だと思う。
仲間がいれば、歩くきっかけをつかみやすい。
話しながら歩くことで楽しみを得ることもできる。
参加を休みがちな人には、無理なく声をかけてほしいと思う。
休みが続くと、つい参加を控えてしまう。その結果、動かなくなってしまう。
別な楽しみを見つけた人は、それでも良いと思う。

そう考えてくると、当会の社会的な役割が見えてくるのではないだろうか。 


橋の端を箸を持って歩く

2014-11-22 22:52:55 | 言葉

これらを全部同じイントネーションで言ったり、飴(雨)が降ってきたけれども、
大事(大丈夫)かい?などと言って、「ん」??と反応されたりする私に、
言う資格があるのかどうかわからないが、最近の世間の言葉の癖には閉口しており、
聞く度に精神の平衡が崩れそうになる。
半クエスチョン(半疑問)は20年以上の歴史を誇り、ほぼ標準語化している。
この言葉の氾濫は、いつになったら収まるのだろうか。
15年前、10年ぶりに聞く人の言葉に、この言い回しを一度だけ聞いた。
あなたも「半疑問」を使うんだ!と、驚いたところ、その後その人の言葉に、
「半疑問」を聞いたことはない。その後話題にのぼせたことはないが、嬉しかった。
些細なことだが…


老いの手習い?

2014-11-21 17:54:25 | 雑記

2階の部屋で物を探していたところ、久しく見ていなかった本が出てきた。
8年前に購入した『藤沢周平 未刊行初期短編』と、『スケッチは3分』その他。
初期短編については、読んだはずだが、内容についてはまったく覚えがない。
もう一度読み直してみようかと思っている。短編は、物足りないと思うこともあるが、
藤沢周平のものは、清々しい読後感があるので、合間に読むには適当な本である。
もう1冊の『スケッチは3分』は、画像記録としてのスケッチができれば良いと思い、
書名に惹かれて求めたもの。
しかし、「はじめに」、「目次」と、最初の1~2ページくらいしか読んでいない。
私は、芸術的な分野はまったくダメで、音譜も読めないし、楽器も弾けない。
絵は、授業で嫌々描いただけで、その汚い色彩にいつもうんざりしていた。
習字も、父に教わろうと思ったことがあるが、やはり自分の字に呆れて止めた。
三日坊主に終わり、その後2度と手をださなかった。
ただ、絵だけは、できればスケッチくらいは描ければ良いと思ったのだろう。
こんな本を買っていた。
上手でなくても、記録に添える線画程度の実用一点張りの絵でも良い。
描けるようになりたい。

以前、買ったものの読み通せず、10年後に再読、精読しうまくいった本がある。
『一週間で煙草を止める本』だったと思う。
そんな前科があるので、不可能ではないような気がする。