悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

水琴窟

2006-03-29 23:15:21 | Weblog
 各地で何度か水琴窟を見、その音を聞いた。手入れされているものもあれば、良く音が出ないものもある。閉じられた器に水滴が落ち、快い音を発するのを偶然発見したのか、日本人ならではの発見なのだろう。虫の音や、風鈴、雨音に風情を感じるのは日本人の特性とのこと。
 今日の昼食はうどん。朝で、ご飯はなくなったがそのままにしてあった。昼食後、電気釜・内釜の上に内蓋を乗せ、その上から水道水を注いだ。内釜にはある程度水を入れておいたので、内蓋には水量を細目にして注いだ。すると、何カ所かある小さな穴から、内釜に水が落ち、良い音が聞こえてきた。水琴窟には及びも付かないが、軽やかな良い音が聞こえてくる。水量をさらに絞って、試してみた。内釜に既に入っている水量との関係で、音はさらに変化するだろう。しばらく試してみたが、水琴窟にはかなわないので、2、3分であきらめた。 

遠雷・遠来

2006-03-25 21:26:06 | Weblog
 遠くで鳴る雷。怖さはなく、言葉つきに風情を感じる。遠来の客という言葉もせっかくおいで頂いたお客さん、大事にしたいし、うれしいものだ。
 今日の私の役目は、ゴールしてくる参加者の案内。良い場所に立ったので、ほぼ全ての参加者に「お疲れさま!!」と声をかけられた。これはスタッフ冥利に尽きる。ほとんどの方が、「お世話様」とか「ありがとう」と言ってくれる。私たちが各地の大会に参加しても受ける出迎えだ。このすがすがしい喜びを会員にも感じてほしい。
 単に、挨拶を言う言わないということではない。「この街を歩かせて頂きました、途中いろいろお世話になりました。ありがとう。もしかしたら、来年も来ますよ」というような声が聞こえてくる。これが、「風の色」なのかもしれない

いい女と感動の場面

2006-03-22 19:18:03 | Weblog
 何年前か忘れたが、大竹しのぶの帰国子女の教師役。人間の条件で梶が民間企業の社員だった時、軍隊と悶着を起こしたこと。となりのトトロで、夢かうつつか、祈りで芽が出る場面。ナウシカの勇姿。「北の国から」。「おこりじぞう」、斉藤隆介の「べろ出しチョンマ」、「花さき山」、を子どもに読んで聞かせながら…嗚咽。
 今日、大竹しのぶが出るドラマがある。朝日新聞の最終面、左下にある写真での笑顔。演技とは思えない笑い。「試写室」を読むと、家族と一緒に見るのは辛そうだ。

鉄砲玉

2006-03-21 21:46:45 | Weblog
 向田邦子著「あ・うん」の中でのこと、恋愛問題で両親に叱られた孫娘に、祖父が袂からゴミと刻みたばこのかすが付いた鉄砲玉(飴)を口に入れてやるシーンがあった。場面は戦前、孫娘は18か19歳。汚れは自覚しているが、そのことは気にせず、飴をなめながら涙を流している。
 私も子どもの頃、飴をなめようとして取り落とし、付いた砂粒を手で払い、口の中で転がし、汚れを唾液と一緒に吐き捨て、きれいになった飴をなめていた。汚れ、汚さをそれほど気にしないで暮らしていた。疫痢や赤痢がごくまれになった現代だが、汚れを避けたいがためのストレスや、それを起因とした病気が発生している。
 成績が良い生徒が学力を保つためにストレスを抱え、クラスであれる。この迷惑を、トップクラスでない子どもが受ける。発散した子どもは、有名学校に進学する。
 汚れには強いが、このような矛盾に、私は抵抗力がない。
 

非科学的ウォーカーの悲劇

2006-03-20 16:48:25 | Weblog
 昨日の武蔵野十里では、強風のため帽子を飛ばされる人が多かった。私の帽子は、柔らかい素材できつめにできているので、橋の上以外(絶対ではないため)では、風で飛ばされることをあまり心配しない。昨日は、体はほとんど汗をかかなかったが、帽子の中は汗をかいたので、強風でもあり、10時頃からゴールまで帽子をかぶらずに歩いた。
 風が強いため、直射日光が頭頂部に何となく到達しないような錯覚に陥り(光が風で飛ばされ、頭の上を通過していくような印象)、以前一度経験しているにもかかわらず、日焼けをしてしまった。以前は、ウォークではなく、運動場に長時間いるという場面で、風のない穏やかな日であり、晴天であった。風のあるなしで、過去の経験が生かせなかった。
 私は色白なので、日焼けをすると皮がむける。花桃ウォークの頃は、頭頂部の日焼けによる皮むけという、珍しいものをご覧になれると思う。

イナバウアー異聞

2006-03-18 23:24:29 | Weblog
 今年の冬季オリンピックで初めて「イナバウアー」という言葉を聞いた。初めて耳にした時、「伊那(長野)」「伊奈(茨城・埼玉)」「稲葉(名字か地名)」「因幡(因幡の白ウサギか因幡晃の因幡)」に、「バウアー」か「ウアー」が付いた言葉であると思った。「いな」か「いなば」は日本語、後は外来語とすんなりと思った。
 すぐに了解したが、このような勘違いは、カタカナ語の氾濫が影響しているためではないかと思い、息子に話した。
 息子「そんなことを考える人がいるかなー」、父「いや、全国には100人や500人はいると思う」、息子「それは、お父さんが、(カタカナ語に)毒されているからじゃない」、父「あはぁっ(^_^;)」という顛末。お粗末でした
 たいした意味はありませんが、中島みゆきが「世の中馬鹿なのよ(回文)」と歌っていました。

甲高段広(こうたかだんびろ)

2006-03-17 20:34:06 | Weblog
 昔、20歳台の頃と思う、市内の靴屋で「かっこ悪い靴を探してるんですが」と店の主人に言った。私は、いわゆる甲高段広な足で、なかなか自分の足に合う靴がなかった。こう言えばわかりやすいと思って言ったのだが、気難しげなおじさんは、「うちにはそんな靴は置いてないよ」とけんもほろろの返事だった。けなげな私のこと、「あぁそうですか、どうも」といって店を後にしたのでした。
 「胴長、短足、甲高段平(こうたかだんびら)」という言葉もあるらしく、まさに私のこと。最近は、3E、4Eという靴も当たり前になった。小さな靴で外反母趾になる人も多い。スタイルを気にして、足の障害を引き起こすのは自業自得とばかりは言えないのではないか。
 「今年の色は○○」のような宣伝がPR効果があるということ自体、私には理解できないが、自分の体を壊したり、古い服は恥ずかしいとの雰囲気作りをする企業には社会的責任があると思う。これの結果も自己責任?

歩く忘却魔

2006-03-14 17:49:29 | Weblog
 このタイトルは、確か北海道札幌の○○さんが、ご自分のことを評して言っておられたのですが、私もまったく右に同じなので、「悠々」改めまして「幽々忘却魔」とでも改名した方が良いかなと思う、今日この頃であります。
 先の東京春一番に参加した時のこと。「九十九里はだしで歩こう」について千葉のIっちゃんに問い合わせたのですが、その返事を100パーセント忘れてしまって、恥ずかしながら、翌日再度確認の電話をしたのでした。歩きながら電話をした時、確か呑んでいなかったはずなんですが。
 この他にも、人の名前を覚えるのが昔から苦手で、失礼がありましたら平にご容赦。一応、私の脳は、居直らざるを得ないくらいの記憶性能であることは、間違いのないところと、自認しております。全国の、私の知り合いの方々へ。もし、名前が出てこないような、多少赤い顔(自覚はないのですが、すぐ顔に出るそうです)をしていたら、さりげなく、○○ですと、名乗っていただければ幸いです。
陳謝 m(_ _)m

歩く会参加

2006-03-12 18:47:19 | Weblog
 合併後初の旧総和町主催体力つくり「歩く会」に参加した。今回初参加だったが、会員が8人も参加し、楽しいウォークとなった。心配された天気だったが、曇りのち晴れ。午後からは少し暑くなった。125号線をひたすら歩くコースなので、少々車が気になったが、スタッフの気苦労を思えば良しとしなければならないか。例年、埃がひどいのでマスクを2、3枚用意した方がよいとの経験者の意見だったが、幸い二日前の雨が乾きを押さえてくれたようだ。
 この会には初参加だったが、30年くらい前、旧古河市で実施されていた筑波からのウォークには2度ばかり参加したことがある。その際の顛末を、先に記したが、今回も、スピードウォーカー2名と競ってしまった。お二人とも私より高齢だが、私と同じくらいのスピード。三和から総和に入ったあたりで追いつかれ、年甲斐もなくずっと競ってしまった。20代の頃、ゴール直前で相手が転んだところで私が追い抜き3位になったことがあった。(そのイベントは順位を競うものであったが…)今回も私は成長していない。1メートルの差で、2番目にゴール。しかし、長距離を競ってみると譲れないと言う気持ちは3人共あったようで、ゴール後一緒にお茶を飲みながら、笑い合えたのは良かった。競ってそれでどうということはないが、まぁ、順位を威張らなければ良いんじゃないだろうか。

見晴らし

2006-03-08 17:10:02 | Weblog
東京春一番のゴール間近、公園の中に見晴台があるというので登ってみた。確かに周囲がよく見えるが、無粋な建物ばかり目立ち、ビルの合間からは遠方に山も見えるので、余計かわいそうな景色に見える。
 東京には公園が多く、古河などより緑が多いのではと思えるほどだ。近代的な建造物、大きな公園、それぞれに見応えがあり素晴らしい。しかし、このような中途半端な位置から眺めると、「いやー、ひどい景色だなー」、「またビルが増えたよ!」、となってしまう。
 景観保護には難しい課題が多いと思うが、高さ制限、色彩の調整など、早く手を付けるに越したことはない。大宮、田端、汐留などの貨物駅も残念だった。環境保護の立場からは200年の不覚ではないか。