悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

お仕着せと制服

2019-12-29 22:13:30 | 雑記

『赤ひげ診療譚』で安本が拘っていた「お仕着せ」は、救いのユニフォームだった。
小石川療養所は貧乏人が駆け込むことができ、お仕着せの医師には声をかけられた。

昔、仲間は、生活保護家庭に制服を着て訪問することをせず、何気ない服装を心掛けた。

黒澤明監督の「赤ひげ」を見て、20代の自分に思いをはせた。

3時間の映画の半ば、「休憩」と表示が出て5分間、それまでの場面の静止画像が流れた。
公開した映画がそのような設定で、観客がトイレに行く時間を確保したのかもしれない。

このせわしない現代に、テレビ放映ではそこまですることもないと思われたが、
無駄とも思われる、公開当時のままに放映してくれたことに感謝する気分にもなった。

あるいは、かたくななまでに当時のままの放映をしたのかもしれないとも思った。
そんな仕事の仕方が好ましく思われた。

小説でも何度か読んでいるのだが、また読んでみたくなった。
赤ひげの生き方に心惹かれ、汚れた心が洗われるような気分になる。


プレミアム商品券利用の屈辱(福祉的施策の代償?) 

2019-12-25 22:40:23 | インターネット

市内のある店で、プレミアム商品券を使った。

重度障害者を扶養する年金生活者である私と母は、市町村民税非課税世帯である。

500円券を3枚持っていき、1200円の買い物である。
この券はおつりが出ない決まりとなっている。300円を買い足し3枚使い切った。
ある店では、おつりを出すと言っていたので、それを話題として言ってみた。

店主夫妻は、釣りの断りに加え、おつりを出すと損をするという説明を加えてきた。
その説明を聞くと、まとめて商工会議所に請求する際、手数料?を引かれるのだという。
説明書を見せてくれた。手数料は350円くらいだった。加えて、現金払いはされず、
店の口座に振り込む際の手数料も差し引かれるのだという。
「お客はいいが、店はあまりうれしくない」と愚痴っている。~迷惑だと言わんばかり
他の客にも、その説明をし同意を求め共犯関係を成立させていた。
私は、皮肉を込めて、その客に消費税対策と貧困者向けの施策なんですよと伝えた。

この程度の施策を受けるにも、恩着せがましくあしらわれるのかと思わされた。
この店主が、心無いのはその通りだが、その客も相槌を打っていた。
貧困者は、そのような冷たい視線を受けながら、生活保護やそれに準じた福祉的措置を、
受けざるを得ない状況にある。
戦後、生活保護が権利として国民に保障されて70年になるのにこのお寒い仕打ち。
私は、20代の時、7年間福祉事務所で生活保護の担当をしていた。その間、1年ほど、
生活保護費で生活する実験も経験した。一人世帯でさえ、かなりきつい生活である。

実情も知らず、生活保護世帯を非難する声は多く、福祉はいまだ権利とはなっていない。
世間の心情と社会の仕組みを知っている私でさえ、多少屈辱的な気分を味わった。

子どもの頃から利用してきた店であったが、今後利用するものかと思った次第である。


インフルエンザと手話

2019-12-20 10:13:49 | 手話

母の入院している病院では、マスクをしないと病室に入れない。このような状況は、
ここ何年か続いている。趣旨は理解できるが、マスク嫌いな自分には窮屈な成り行きだ。

好き嫌いや趣味の問題でなく、言語としての手話を考えた場合、気になる点がでてきた。
手話は、手指のみによる表現ではなく、眉の上げ下げ、口の形なども言語の一部である。
また、個人差はあるが発声を伴う人がいて、手話の読み取りの手助けとなる場合がある。
ある言葉の手話表現が、複数の意味を持つことがあり、口の形で区別する場合もある。
例えば、「決まり」、「規則」、「法律」という言葉は、同じ手話表現を使うが、
口の形で区別するということがある。口の形を伴わなくても手話単語の並び、
その場の状況で、どう読んだらいいか、わかる場合もある。

生粋の茨城人である私にはできないことだが、雨と飴の区別は、イントネーションです
ることと似ている状況であろう。

手話表現の上で必要な、口の形、表情などの手段が、マスクによって隠されてしまう。
そんなことを考えたのであるが、昨日手話通訳をした相手は、まったく発声をしない。
マスクをしていたが、特に邪魔だとは思わなかった。
そんな場合もあるが、私には、発声の助けを借りないと読み取りにくいろう者もいる。

いずれにしても、手話通訳者がマスクをつけて業務を行なうという状況は、考えにくい。
風邪を理由に断れない場合もあるだろうが、依頼があった場合は断るべきだろう。
くしゃみをしたり、鼻をかむこともできないのだから、体調万全でなければできない。

これはちょっと違うが、私は、以前タバコを吸っていた。
3人で担当したときに、次の交代まで30分くらい間が空く。
その時にタバコを吸いたくなって困ったことがある。

この時には、手話通訳者は喫煙習慣があってはいけないと思ったものだ。


低級な動機づけ

2019-12-12 17:33:12 | 雑記

朝からソファに座りきりで、本を読んだりHPのデザインを考えたりしている。
昼はラーメンを食べに自転車か歩きができると踏んでいたが、残飯があるので出られない。
息子が物置の片づけをしているのを横目で見ながら、合間に、母の転医の段取りを相談。
午後も同じように、グダグダと運動不足を嘆いてみたが、尻に根が生えたようで動かない。
冷蔵庫にこんにゃく、大根、さつま揚げがあるのを思い出し、買い物に出る用事を作った。
自転車で12kmほどのコース。約6km地点のスーパーで昆布、ごぼう巻きなどをカゴに。
レジに向かう途中で、レジ袋が有料であることを思い出し、商品を元の場所に戻した。
さて、知人の家でレジ袋をもらおうかと思ったが、帰り道にあるスーパーはレジ袋無料。
無事買い物を済ませて店を出るころには日が落ちて、ライトをつけて家路に向かった。
ペダルを踏んでも晴れやかさはなく、他人には言えないような運動、買い物であった。


有料道路障害者割引ETC利用更新手続き

2019-12-06 20:33:54 | 介護?

老健施設に呼ばれ、医師から、現状では老健での対応が難しい。
とりあえず治療のため入院し、退院時は療養型の施設への入所を検討したいと言われた。
医療ソーシャルワーカーをしている息子からは、近々そうなるだろうと聞いていた。
話を了解し、その線で進めてくれるよう返答した。事の流れに医師もほっとしたようだ。

母の部屋に行くと、反応もなく眠っている。
息子としては、痛みもなさそうなのだけが救いだ。

先月末、高速道路会社から、有効期限更新のお知らせが届いた。
母の現況からは、母を乗せて高速道路を走る可能性は、限りなくゼロに近い。
生臭い話で、もう一回更新しようかと迷ったが、更新しない旨、届けることにした。

こんなことも含めて、不正(あるいは不正に近いこと)との戦いは、本当に難しい。


選択の自由

2019-12-05 20:08:38 | 手話

先に”どうでも良いこと”を通訳すべきか、ということを書いた。どうでもよいとはいえ、
必ずしも、いい加減な内容というわけではない。
病院の待合室で聞こえる音声の場合、通常は本人が呼ばれたことだけを知らせるだろう。
救急車のサイレンが聞こえた場合、普通のおしゃべりとして、だれか運ばれてきたねと、
伝えことになるだろう。

極端な話だが、銃を持った人が現れた場合、まず何が起こったか、驚きながらも伝える。
その人に「何をしている」と言われると、事の成り行きが現実味を帯びてくる。
そこでどう対応するかの話になると、別の一編を用意しなければならないだろう。

駅などでは、列車の遅延、その理由などは即伝えることになる。
集団で行動している時、たまたま聞こえてきたお喋りの内容はどうだろうか。
聞こえる人は、必要に応じて参考になる情報として、記憶にとどめるだろう。
話題に加わろうと思えば、タイミングを計って声をかければよい。

この辺りで、聞こえない人の情報への接近(選択)の不自由さが見えてくると思う。
通訳の存在に頼る状況に置かれていることが鮮明化する。

こんな大げさな物言いをしないでも済む時代が来るのか。
考えられるのは、手話通訳がいなくても、何らかの方法で状況を把握できる装置の発明だ。
そんな状況は、活動弁士が仕事を失った時代のようだ。
科学の発達で、手話通訳者が不要な時代の到来。彼らは反対運動を起こすのだろうか。

だが、それでもグダグダと、別の状況を考えてみる。
機械では対応しきれない場面や、人間が介在しない機械化の恐怖などが想像できるではないか。
水割りウイスキーを飲みながら、グダグダと思いを巡らしてみた。


"ウォーキング"の検索結果は3,586件です。

2019-12-03 09:31:39 | ウォーキング

リンク集の件で必要があり、東京都の公式ホームページ内で「ウォーキング」と検索した。
https://search.metro.tokyo.lg.jp/?kw=%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0&temp=JP&ie=u&ord=s&num=10
こんな画面

 すべて覗いたわけではないが、かなりの数のウォーキングイベントが掲載されていた。
同一サイト内からの検索結果もあるが、驚くべき数のウォーキングイベントがあった。
さすが東京都との感を受けたが、“検索”機能のものすごさに感じ入った。
もちろん、検索結果は、種々雑多、玉石混淆ではあろうが、選択さえ誤らなければ、
有益に活用できる。
高齢者の仲間内では、「ホームページを見る人なんかいないよ」と言われたが、
もったいない話である。