英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

東京紀行 その11「椿山荘」

2013-04-28 22:14:27 | 日記

 11時48分、12階の部屋からの眺め。
 我が町には10階以上のビルはない。駅前のホテルが9階で、そこからの夜景は見たことがない。桜や菜の花や野花の写真で良く登場する河原の近くに山があるが、そこの展望台付近(車で行ける)から町が一望できるが、夜行くのはちょっと恐い。たとえ行ったとしても、その労力に見合う夜景が観えるとは思えない。

 それはさておき、こういう眺めは心を透明にさせる。
 庭園がライトアップされている。大きそうで立派な庭だ。うちの3倍はありそうだ。そう言えば、BS中継のオープニングではいつも庭園が映されていたなあ。

 湯につかった後、のどが渇いたので、冷蔵庫からアクエリアス(ペットボトル500ml)を出す。530円とボッタクリの値だ。この記事を書く際、ネットで検索すると、最安値が24本で1500円(1本63円)、だいたい24本で2300円~3400円であった。6本で588円というのもある。こんな高いアクエリアスを飲む経験も良いかもしれない。
 ベッドに入り、『将棋世界』をめくりながら、あれこれ考える。
 朝食は頼んででいないので、明日の朝はゆっくりできる。ちなみに、メニューを見ると3500円となっている。
 koumama、nanaponさん、ssayさんの顔や会話がふわっと脳裏に浮かび流れていく。心地よい、心地よい、眠りに沈んでいった。

 何度か目が覚めたが、ベッドから出たのは8時30分頃だった。


 窓からの眺め、立派な庭園だ。三重の塔まである。

 ウィキペディアによると
「江戸時代は久留里藩黒田氏の下屋敷だった。明治の元勲である山縣有朋が1878年(明治11年)に購入、自分の屋敷として「椿山荘」と命名した。1918年(大正7年)には大阪を本拠とする藤田財閥の二代目当主藤田平太郎男爵がこれを譲り受け、東京での別邸とした。」
「1948年(昭和23年)に藤田興業の所有地となり、1952年(昭和27年)より結婚式場として営業を開始した。1955年(昭和30年)に藤田興業の観光部門が独立して藤田観光が設立されると、椿山荘の経営は藤田観光に移管された」
「三重塔は、広島県加茂郡入野(現東広島市)の竹林寺にあったものを藤田平太郎が1925年(大正14年)に譲り受け、椿山荘に移築したもので、繰形の特徴などから室町時代末期のものと推定されており、国の登録有形文化財に登録されている」

だそうだ。

 10時20分にチェックアウト。
 フロントに大盤解説場と時刻を確認、併設のイベントホールであるらしい。時間もあったのでイベントホール(プラザ)の会場まで足を運ぶ。「1時受付、1時30分開始」とある。
 忘れないうちにと土産を買い、朝食と昼食を兼ねてカフェでサンドウィッチとマンゴージュースを食す。マンゴージュースとグァバジュースで迷う。ともに900円、尋ねると、グァバジュースの方が甘いとのこと。結局、語感的に発音するのが少し恥ずかしいグァバジュースを見送った。

 カフェは庭園に面していて、サンドウィッチのおいしさの濃度を高めた。写真はカフェ内から撮ったもので、ガラスの映り込みが少しある。ひと昔の自動焦点カメラだと、窓ガラスにピントが合ってしまうが、いつから弱点を克服したのだろう?

 900円のマンゴージュースはおいしかった。となると、グァバジュースも飲みたくなったが、次回があることを祈願して、グァバジュースは次の機会ということにしよう。

 庭園は解放されているので、当然、同歩の一手だ。

 ご神木がありました。由来は……調査不足です。


白玉稲荷神社……大正13年(1924年)に京都下賀茂神社にあった社殿を譲り受けて移築し、翌14年に伏見稲荷大社から白玉稲荷を勧請して椿山荘の守護神としました。平成元年、現在地に新社殿を建立し、遷座いたしました(立て札説明)
 お狐様も狛犬のように鎮座していました。向かって右のお狐様は玉のようなものを咥え、左のお狐様は巻物のようなものを咥えています。咥えるものはバリエーションがあって、鍵や稲のものもあるようです。



圓通閣(椿山荘三重塔)……平安前期に小野篁(おののたかむら、西暦802~852年)広島県の竹林寺に創建され、平清盛(1118~1181年)が第1回目の修理を執り行ったとの言い伝えがあります。椿山荘へは1925年(大正14年)、山縣有朋公爵から庭園を譲り受けた藤田組二代目・当主藤田平太郎男爵によって移築されました。
 2010年(平成22年)には移築後初めて大規模改修(2011年完了)を行い、新たに聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)を奉安。臨済宗相国寺派有馬頼底管長猊下による落慶並びに入仏開眼法要を行「圓通閣」と名乗るところとなりました。「圓通」とは圓通大士、つまり観世音菩薩の異称で、圓通閣は観音堂をいみしています。


 稲荷神社も三重塔も山縣公から庭園を譲り受けた藤田組2代目藤田平太郎男爵が移築したとのこと。よほど権力・財力があったのでしょうね。
 羽生三冠の必勝を祈願したのだが……


 滝も池もあります。


 シャガも咲いていました。当ブログには昨年一昨年その1一昨年その2で登場しています。
 デジタルカメラの小さなモニターでは気づかなかったのですが、こうしてPC上にアップすると、ピントが合っていないのが目立ちます。この写真の場合は、小さい花の方にピントが合っていました。
 そこで、トリミング……


 こちらだけ、アップしておけばよかったかも。

 けっこう急勾配で階段も癖があったので、いい運動になった。
 ホールに戻ると12時を少し過ぎたところ。やや時間があったので、ホールのソファに腰かけて、『将棋世界』を読む。『将棋世界』、大活躍である。

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6 コメント

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私の箱子(シャンズ) (せろり)
2013-04-29 08:38:43
藤田伝三郎は最近読んだ本に出てきた名前です。『私の箱子(シャンズ)』一青妙(一青 窈のお姉さん)著。

藤田伝三郎の大阪本邸は現在の太閤閣、東京別邸は椿山荘、箱根別邸は箱根小涌園。

一青姉妹の父は台湾5大財閥のひとつ、顔家の総帥だった人。(残念ながら56歳で亡くなった)

一青妙のひいおじいちゃんは小さい頃から優秀で将来は官僚になることを夢見ていたが、日本の台湾統治で科挙制度がなくなり夢を砕かれた。
独学で日本語を習得したひいおじいちゃんは、台湾で金採掘をしていた藤田組の通訳になる。
日本人が利益を独占するのに反発した台湾人たちの抗日気運が高まり、事業展開がうまくいかず、結局、藤田組は全経営権を譲渡することとなる。それをゲットしたのが、ひいおじいちゃん。

読んでいると、日本と台湾の歴史もわかって興味深かったです。
藤田伝三郎氏は ()
2013-04-29 09:02:36
せろりさん、こんにちは。

 伝三郎氏は藤田組の初代で、平太郎氏の父ですね。なかなか、波乱万丈の御仁だったらしいですね。
 一青窈さんの一族については、全く知りませんでした。情報ありがとうございました。
椿山荘は・・ (将棋を知らない母)
2013-04-29 15:15:31
椿山荘は、やっぱり高級ですねぇー
こちらの高級とは格が違いますねっ
母なら間違いなく近所のコンビニを探します(笑)。
一流でしたが… ()
2013-04-29 15:56:33
将棋を知らない母さん、こちらにもコメント、ありがとうございます。

 椿山荘は一流だと思いますが、接客など客の身になって対応する心が、今一つでした。本記事に取り上げようか迷いました。
高い・・・ (玉です)
2013-04-30 04:30:12
アクエリ高いですねぇ。
ホテル代も払ってるのだから、サービスでもいいのに・・・
ジュースだって、一杯ランチのコースが食べれそうな値段。
東京は、値段の感覚がマヒしそうです。
さすが庭園のライトアップもきれいですね。
ビルなど沢山ある分、夜景はきれい・・・
フロントで質問したくなりました ()
2013-04-30 11:07:24
玉さん、こんにちは。

 アクエリアスにどういう理由であの値がついているのかフロントで質問したくなりました。マンゴージュースは本当においしかったです。
 夜景は人工的な美しさとわかっていても、惹かれますね。

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