JA1KIH's Radio Memo

DXとの交流や設備メンテなどをアップしています。

ラオスは戦場だった ・・・(旧)中央銀行 旧紙幣焼却の写真

2019年06月30日 | 社会・経済

古い本を整理していたら、 ラオスは戦場だった Laos as Battlefield 竹内正右(たけうち しょうすけ)著が 見つかった。 

初版発行は2004年12月25日 株式会社めこん 

著者の竹内さんがラオスを取材したのは1973年から1982年の長期にわたり、1975年のラオス首都ビエンチャン陥落の瞬間を取材。   

1975年4月30日 ベトナムのサイゴンが陥落  

1975年8月22日 ビエンチャンが陥落

なぜラオスがベトナム戦争と関係があったか? 日本ではベトナム戦争は北ベトナムと(南ベトナム+アメリカ軍)の戦いと思われていますが、実はラオスも巻き込まれていたのです。 タイトルがそれを意味しています。

地図を見るとわかりますが、北ベトナムから南ベトナムへ北ベトナム軍が南下するルートも9割がベトナムと国境を接しているラオスにありホーチミンルートと呼ばれていたました。 アメリカ軍は何とか北ベトナム軍をこのルートで阻止しようと考え、アメリカ軍はこれを阻止するため直接介入ではなく軍事顧問団として戦闘に介入、ラオスの モン(山岳民族) が訓練されモン特殊攻撃部隊となりラオやベトナムの共産側兵士を殺させたのです。

ビエンチャン陥落後、米軍は去り置き去りにされたのはモンの兵士とその家族で共産側からの報復が続くことになります。 

ここからモンの悲劇が始まる。 ラオスから米国に逃れたモンは米国生まれも入れると23万人になります(2004年)。 

 

1976年6月15日(陥落から10か月後)、新政府は新貨幣制度の実施を宣言し、旧紙幣を焼いた。 

その時の写真

 

ラオスの場合 王政からラオス人民民主共和国(社会主義共和制国家)になり、国の制度に大きな変化が起きるとリセットするため、そのため中央銀行自体も変わり紙幣も変わりました。

10年以上まえジンバブエでは超ハイパーインフレでジンバブエドルが紙くずとなり、最近ではベネズエラの通貨ボリバールが超超インフレで同じく紙くずとなりました。政治や経済による動乱といっていいと思います。 

政変によって旧通貨が焼かれる事例は見たことがないのでアップしました。

 

 

 


TIARA (Tokyo International Amateure Radio Association) June Meeting

2019年06月22日 | DXとのおしゃべり
数か月前 WA6URY Danと7メガCWでQSOした際、東京からCAのシャックをリモートで運用していると聞いたのがTIARA月例ミーティング参加への始まりでした。Danは7J1ABDというコールを持つアメリカ人で日本にずいぶん長く住んでおり、一度アイボールしましょうとことになり都内某所でランチミーティングとなりました。その後TIARAの紹介があり今回6月の定例会議(毎月第三金曜日の夜、自由が丘の住区センター会議室)に参加しました。 会議といっても特に決まったAGENDAはなく、参加する人も事前にわかりません。参加者は:

JE1RYS/KI6EWA
7J1ABD/WA6URY
JH1MPQ/KB3LTB
JA1PSV
7J1AJH/AI8B
JE1ICP/WD9DEX
7J1ABC/NA3G
JA1KIH
他一名(メモ忘れ)

今回は会長のJE1RYS/KI1EWAがQST6月号(今年)のARM Radioという記事を(SDRラジオの試作機みたいなもの)を紹介し、その後副会長のDanがローカルニュースの紹介、各人の近況を話して一時間半ほどで終了し、その後有志(といっても全員ですが)で自由が丘駅近くの居酒屋で飲み会となりました。

初めて参加しましたが、日本在住の外国人ハムの交流がメインで、日本人ハムも自由に参加できるようになっています。多くの外国人ハムは日本に相当長く住んでおり日本語も問題ないようですが、会話はすべて英語(と、言っても日本人どうしは日本語でした)なので英語の練習にはもってこいの場だと感じました。共通言語は英語です。 結局10時過ぎまで飲み会で皆さん盛り上がっていました。

興味のある方はTIARAのウエブサイトを参考に問い合わせしてください。日本でこのような場があるのはとてもいいことだと思います。 

居酒屋でのスナップ




すぐ行動するアメリカ人ハム

2019年06月17日 | DXとのおしゃべり
14メガで夕方CQを出していたらDU7SJF Danからコールされ、話をしていたら2年ほど前に仕事をリタイアし、フィリピンにパーマネント(移住ということでしょう)で奥様と移られたとのこと。アメリカ人のリタイア後の移住先として有名なのは中米、特に安全や医療面で安心できるコスタリカなので何かフィリピンに思いがあるのかもしれません。 フィリピンでメインシャック(ネグロス島のバレンシア)と25Km程離れた島(シキホル島)にあるセカンドシャックで無線三昧、ただしアンテナはXさんがオーケーしないのでワイヤアンテナ(G5RV)。 リグは今では骨董品になるかもしれないFT-747を大事に使って楽しんでいます。 移住を決めるまでどんな考えで実行したのか、など、いろいろ聞きたいと思いますが、とても行動力がある方だなと感じました。


Boing 747貨物機 と交信!

2019年06月17日 | DXとのおしゃべり
14メガSSBをワッチしていたらS9プラスのこの時間には聞こえないはずのKG7QCY/Mが聞こえ数回CQを出していたのでコールしQSO、Mobileと言っていましたが、なんとジャンボジェット747カーゴ機からの電波でした。 高度34,000フィートでアンカレジから成田に向け航行していて、位置は成田まで3-4時間位でのところ。 ジャンボ機からのアマチュア無線の信号を聞いたのは初めてだったのでアンテナを聞いたら4mくらいの垂直ワイヤ(どこに張っているのか興味ありますね)にATUをつけ100ワットで運用しているとのことでしたが、信号は常時プラス10から20dBでした。

イラン訪問の評価 Wall Street Journalから

2019年06月15日 | 社会・経済
6月14日のWall Street Journal に掲載された安部首相のイラン訪問について厳しい表現となっています。

A Novice Player Gets a Painful Lesson in Middle East Peacemaking
Japanese Prime Minister Shinzo Abe ends trip to Iran with the U.S.-Iran conflict even more volatile than before

中東和平における初心者プレーヤーが痛みを伴う教訓を得た・・・日本の安倍首相のイラン訪問は米国とイランの対立関係が以前より不安定になり終わった。

一方、日本の報道では ”安倍首相のイラン訪問は大きな前進、イランも高く評価=菅官房長官”となっています。

昨日紹介したテヘランタイムズは日本の首相が来てくれイランと日本の関係については歓迎していますが、アメリカとの関係については厳しい表現となっています。 

イランと日本の関係は1970年代には石油プロジェクトで緊密な関係がありイランは日本に良い印象を持っていると言われています。 当時イランのマイクロウエーブ通信網を構築したのも日本メーカーで、プロジェクトに携わった人からイランはいい国だと聞いたことがあります。 先人が作ったいい関係から日本に期待するところはあったと思いますが、アメリカに隷従しているのが明らかな人物が行っても信用はされないのではないでしょうか。 

日本で報道されることだけを見ていると、すべてうまく行っているように思えますが、実態はだいぶ異なるといえます。 今月行われるG20の報道も注意してみる必要がありそうです。