古い本を整理していたら、 ラオスは戦場だった Laos as Battlefield 竹内正右(たけうち しょうすけ)著が 見つかった。
初版発行は2004年12月25日 株式会社めこん
著者の竹内さんがラオスを取材したのは1973年から1982年の長期にわたり、1975年のラオス首都ビエンチャン陥落の瞬間を取材。
1975年4月30日 ベトナムのサイゴンが陥落
1975年8月22日 ビエンチャンが陥落
なぜラオスがベトナム戦争と関係があったか? 日本ではベトナム戦争は北ベトナムと(南ベトナム+アメリカ軍)の戦いと思われていますが、実はラオスも巻き込まれていたのです。 タイトルがそれを意味しています。
地図を見るとわかりますが、北ベトナムから南ベトナムへ北ベトナム軍が南下するルートも9割がベトナムと国境を接しているラオスにありホーチミンルートと呼ばれていたました。 アメリカ軍は何とか北ベトナム軍をこのルートで阻止しようと考え、アメリカ軍はこれを阻止するため直接介入ではなく軍事顧問団として戦闘に介入、ラオスの モン(山岳民族) が訓練されモン特殊攻撃部隊となりラオやベトナムの共産側兵士を殺させたのです。
ビエンチャン陥落後、米軍は去り置き去りにされたのはモンの兵士とその家族で共産側からの報復が続くことになります。
ここからモンの悲劇が始まる。 ラオスから米国に逃れたモンは米国生まれも入れると23万人になります(2004年)。
1976年6月15日(陥落から10か月後)、新政府は新貨幣制度の実施を宣言し、旧紙幣を焼いた。
その時の写真
ラオスの場合 王政からラオス人民民主共和国(社会主義共和制国家)になり、国の制度に大きな変化が起きるとリセットするため、そのため中央銀行自体も変わり紙幣も変わりました。
10年以上まえジンバブエでは超ハイパーインフレでジンバブエドルが紙くずとなり、最近ではベネズエラの通貨ボリバールが超超インフレで同じく紙くずとなりました。政治や経済による動乱といっていいと思います。
政変によって旧通貨が焼かれる事例は見たことがないのでアップしました。