明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日は、定位置の椅子に座ることで金魚は餌の時間だと判断するのかも、と思ったが、どうやらそうではなかった。違う場所にいても餌くれ、とやっている。餌のやり過ぎは寿命を短くする、といわれるが、私は連中をより大きくする方向に決めている。アマチュアの飼育家は、勤め人はなかなか目が届かないことを嘆いている人がいるが、私の場合はそうではないので、消化不良に気を付けながら、少量の餌を何回もやっている。そう書いていて、常に餌くれとジタバタして、優雅な様子を見せないのは、私が悪いのであろう。躾がなっていない。しかし、これから寒くなる季節に向け、徐々に餌を減らして行くことにする。拾得のホウキが、いつの間に柄を残して食われていた。ミニチュアのホウキをまた買おう。最新知ったのだが、金魚も喉の奥に磨り潰し用の歯があるそうだ。 寒山と拾得は、文殊菩薩と普賢菩薩だということは知っていたが、いつも虎に乗っている豊干は、実は阿弥陀如来だという話がある。寒山詩の序には、そのことは触れていない。どこかで、ちらっと目にした時は、見なかったことにしよう。と思ったのだが、某書ではっきり目にしてしまった。聞いてないよーという話である。最後まで知らなかったことにするか、それに対する演技プランは後で考えることにする。 最近二軒飲み屋を開拓した。昨年まで住んでいた所では二十年で二軒であったが。私が通う店といったら、テーブルに味の素が置いてあったり、今日の店は壁に”二級酒“とあった。勿論それをオーダーしたのは言うまでもない。

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一日  


大手ゼネコン元部長と北砂で昼間から飲む。この間も書いたが、高層ビル建設を取り仕切って来た人にぶきつちよな私が低レベルの相談するのは申し訳ないような話であるが、定年を迎えた年に、今は無き木場の煮込み屋『河本』の常連を選抜して拙著『貝の穴に河童の居る事』に出演していただいたり、公私共々お世話にもなり、行きがかり上、私が芭蕉庵を作るというのに、何も相談しないというのはむしろ不自然である。私の「まず柱を四本立てるべきですよね?」のメールに、すでに私のしでかしそうな事をあらかた予想されており、色々教えてもらった。確かに肝心なことであり、そこを押さえておかないと、後々不都合な事が起きそうではあった。幸い人が住む訳ではなく、雨漏りを気にする事はないけれども、おそらくは私が死んだ後も、ちゃんと立ち続けてもらわなくてはならない。基本となる柱の太さも決まった。 河本の常連はキャラクター揃いであったが、いかんせん『貝の穴に河童の居る事』は登場人物が少なく惜しかった。それに比べて我が家の水槽内の”劇団寒山拾得“は団員が多いくらいで、このまま行くと来年は90センチ水槽が必要になりそうである。家に帰ると、水槽のライトは点けっぱなしだったが、こちらにどっと集まることなく、行ったり来たりしている。あれっと思って、いつもの定位置の椅子に座ると、集まって来た。連中からすると私が椅子に座ることが、すなわち餌の時間という理解なのかもしれない。であるならやりようがある。連中の餌くれジタバタでない姿を見ることも可能だろう。

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浮世絵的遠近感は、建造物、建具その他、直線的なものが効果的なのは当然である。だがしかし、私のようなぶきっちょが、逆遠近的に歪んだ建具など作れるわけがない。しかも例によって、たった一カットの為だけに。腹の中では冗談じやない、といつものように思っているのだが、この私がやってみないで諦めるとは思えない。水槽の水替えをしながら方法を一つ思い付いた。これならば作れるかもしれない。名案だと思うが、書かないでおく。作例を見せられるのならまだしも、聞かされた所で感心するわけにも行かないような話であろう。今の所イメージは、私の中にしかなく、説明もし難い。結局私の頭の中のイメージは、取り出して可視化しない限り、そんな事ばかりである。無い物は撮影も出来ない。これも芭蕉あんの構造について考えなければ思い付かなかっただろう。今までもこうやって枝葉を伸ばすように、チビチビと変化を続けてきた。山々など不定形なものはともかく、建造物である、家や寺院などは、すべて歪ませてみたい。というより人家が歪んでいたなら、寺院も歪んでいなくてはならない。果たして逆遠近法を試して失敗した『ゲンセンカン主人』のリベンジなるか。しかし私ほどの面倒くさがりはそうはいないと思うが、こうやって益々面倒な方向に向いて行ってしまう。皮肉なものである。 

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浮世絵的遠近感は、建造物、建具その他、直線的なものが効果的なのは当然である。だがしかし、私のようなぶきっちょが、逆遠近的に歪んだ建具など作れるわけがない。しかも例によって、たった一カットの為だけに。腹の中では冗談じやない、といつものように思っているのだが、この私がやってみないで諦めるとは思えない。水槽の水替えをしながら方法を一つ思い付いた。これならば作れるかもしれない。名案だと思うが、書かないでおく。作例を見せられるのならまだしも、聞かされた所で感心するわけにも行かないような話であろう。今の所イメージは、私の中にしかなく、説明もし難い。結局私の頭の中のイメージは、取り出して可視化しない限り、そんな事ばかりである。無い物は撮影も出来ない。これも芭蕉あんの構造について考えなければ思い付かなかっただろう。今までもこうやって枝葉を伸ばすように、チビチビと変化を続けてきた。山々など不定形なものはともかく、建造物である、家や寺院などは、すべて歪ませてみたい。というより人家が歪んでいたなら、寺院も歪んでいなくてはならない。果たして逆遠近法を試して失敗した『ゲンセンカン主人』のリベンジなるか。しかし私ほどの面倒くさがりはそうはいないと思うが、こうやって益々面倒な方向に向いて行ってしまう。皮肉なものである。 

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金魚達の餌くれ、というジタバタしていない姿を拝もうとすれば、戸の陰から巨人の星の明子姉ちゃんスタイルで覗かないとならない。鑑賞魚の分際で、飼い主に気を使わせるな、といいたい。今度らんちゆうの愛好会で審査員まで務めた幼馴染みに、相談することにする。ショップで見ても、ユーチユーブで見ても、金魚は優雅に行ったり来たりしているではないか。あれを見ようとすると、餌をひとしきりやって、しばらく見ていないとならない。すると、もう餌はくれないな、と今度はエア食い、といつて水面の泡や空気をパクパクやっている。餌をくれないから、仕方なくやってます。とこちらからすると、嫌味ったらしく見えるのである。私も若い頃、空気で胃袋が満たないか試したから、あまり金魚のことはいえないが、金魚と違って数回試せば無駄なことは判った。よくわからないのが、初めて新しい金魚が来たとき、シヨツプでは普通にしていたのに、初めての餌の時、まるで待ってました、というように、まるで前からここに居たかのように他の連中とと一緒にジタバタと餌くれ、とやっている。集団心理というのか、周りの空気に乗せられてしまうのか。毎朝、星明子をやつているのだが、今日は寝る前に覗いてみたら、ジタバタやつているではないか、ということは、私が居ない間も、常にこの調子なのか、金魚の浅ましさにウンザリしたのだが、考えてみると、暗い部屋の金魚からすると明るい部屋で、戸のガラス越しに、へばり付いている私の姿は丸見えなのであった。こうなると私はお前等の給餌装置ではない、と知らしめる為に、しばらく餌をやらずに眺めてやろうかとも思うのだが、そうはいっても餌を食べている所を見るのが楽しみの一つ。というより、他にやらなくてはならないことが山積みであろう。

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浮世絵的逆遠近法は、普通に考えるなら、撮った写真をフォトショップで加工することになるだろう。パーツとして切り抜き組み立て、歪ませやってみたが、これが成分が写真であると、よほど歪んでないと効果が出ない。ちっとやそっと歪んでいるくらいでは、それがどうした、という感じなのである。浮世絵を気取って、燈火器尽くしというのを制作してみたことがある。撮影用に集めた行灯、燭台などを並べて見たのだが、遠近感がちょっとヘンなのは判るのだが、中途半端。グループ展の展示を2度差し替え、結局諦めた『ゲンセンカン主人』に次いでの惨敗であった。これは真などとは一切関わりたくない、と写真という言葉を嫌いながら、考えてみると、真を写す、という見る人の写真への思い込みを利用していた私への、写真からの反撃、バチが当たったということではないか。 陰影を削除することで充分成果はあり、作品を作り続けている。遠近法まで、手を出すべきではない、ということなのであろう。ところが昨日のブログで書いたが、写真を加工するのではなく、背景をあらかじめ歪ませて作って撮影してみたらどうか。私には経験上、馬鹿馬鹿しく面倒で、止めておいた方が良いのではないか、ということを試みた時に限って、創作の神が味方してくれる。という思い込みのせいで、あげくに寒山拾得、なんてことに至った。 背景をあらかじめ逆遠近法で作っておいて撮影する。これは私が今までしでかして来た中でも、馬鹿馬鹿しさにおいては飛びっきりではないか? ギャラリーで『寒山拾得写真展』なんてやっていたら、会社を勤め上げた老人が、中国の深山や臨済宗の寺院で座禅したり庭をホウキで掃く坊さん:等をアナログカメラでモノクロで撮った写真展だろう、実につまらなそうだ、と通り過ぎられてしまうのがおちである。そうではないところを多少は見せなければならない。

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鈴木春信の浮世絵は、典型的な日本的遠近法を用いて描がかれている。それは人物がデフオルメされているからこそ可能である。先日も書いたように、人物像だけがリアリズムでは、そうはいかない。しかし寒山拾得のような、架空の人物であれば、実在した人物のように、その実像を追求したり、ご遺族に気を遣うこともない。 私は最初にジャズ・ブルースシリーズ写真を発表した翌年に、作家シリーズに転向した。その第1回個展で、江戸川乱歩の『帝都上空』と澁澤龍彦の背景に配したクラナツハのヌードで、すでに、写真撮影のみで成り立つ造形を試みている。気球にぶら下がった乱歩は、極端な遠近感を付けて制作してあり、それをさらに広角レンズで撮った。あるポイントからしか撮影は出来ない。実際の形はというとエレファント・マンのジョン・メリツクどころでなく、そのままでは展示は出来ない。これはレンズの描写云々が及びのつかない効果を示し、被写体を自ら制作するからこそ可能な芸当であり、最初期にして、すでにその個展のタイトル『夜の夢こそまこと』を具現化していたことになる。 地方に赴任することになっている官吏であるは頭痛に悩まされていた。そこへ旅の僧である豊干が現れ、口に含んだ水を頭に拭きかけると、たちどころに頭痛は収まる。豊干が通された部屋は、当然中国風な室内な訳だが、それ自体が逆遠近法をもって作られていたらどうか?窓も、飾られている壺も、すでに歪んでいる。それを狙うレンズは、天井が存在していないかのような位置から、かつて何百年も日本人が描き続けてきた斜め45度上空からのアングルから撮影する。芭蕉あんの制作なんてことが頭にあるから、無茶なことを思い付く。 こういつては差し障りもあろうが、毎日ひたすら座りっぱなしで何かを創作する人は、多かれ少なかれマゾヒズムを抱えているものである。しばしば痔に苦しみながら。私は幸い、そちらの苦しみは無縁だけれども、長年面倒なことを思い付いては自分の首を絞め続けているのであった。


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こんなことが先方に知れると不安にさせてしまいそうだが、当ブログを読んでいる訳がない。知り合いの大手ゼネコン元部長に、芭蕉庵制作に関するメールをした。「まず四本の柱を立てるべきですよね?」専門外のこと故、どんな常識があるか判りゃしない。遺跡を作ったような素朴な連中だって、まずは柱を四本だったろう。数年前まで、高層ビルを建てて来た人に聞くようなことではないが、私のレベルに合わせた返答をいただいた。屋根を別に同時に作るべきである、と。なるほど。これでおおよそ把握した。それを聞かなければ、内部が作り難かろうと、下から上に、最後に屋根を作ったろう。もう大丈夫だ。ユーチューブで一応東屋の建て方などを観ている。 11月中旬まで、一切人形は作るつもりはない。しばしば経験したことであるが、しばらく作らないでいて、久しぶりに作ると、何故だか上手くなっていることがある。それまで真面目に作って来た故の御褒美だ、と解釈している。ただこの作らない期間が中々作れないから気が付かないが、有効ポイントは、結構貯まっているものである。勿論、一日さぽると取り返すのに時間がかかる、なんて渡世もあるだろうけれど。コロナのせいで、褒美に気が付く人も必ず居るに違いない。褒美は有難く受け取っておくべきであろう。 今週中には柱が建つ予定だが、かつてグラントピアノを、その内部構造まで作った経験があるから、あれを考えたら、と思っている。ただその作り方が。設計図などなく、すべて目測で、ピアノのカーブしているところを粘土で作る、という、今思うと考えられない非合理な作り方をしていた。芭蕉庵も、作っている所は決して人に見られてはならないだろう。そして完成する頃には、いつものように思うだろう。”人生も夏休みのバイトの如し。慣れた頃に終わるのであろう“

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朝目が覚めると、まず水槽を見にいくのだが、金魚からすれば、私は自動給餌装置に過ぎない。最近は金魚関連のユーチューブばかり見てしまうのだが、ウチの連中のように常に餌くれ、と落ち着きなくジタバタしているのはいない。何故うちの水槽では、優雅に行ったり来たりしないのであろうか。餌が良くないのか?なので、朝、すぐに水槽を見るといっても、まずは戸の陰から、巨人の星の明子姉ちゃんのようにそっと見る。見つかったら、もうアマゾンのピラニヤの如き状態である。朝食の前に餌をやらないと、連中のこんな様子を眺めながらでは、とてもじやないが、落ち着いて朝食はとれない。しかし餌をやつても、私が食べ始める頃には、もうジタバタやっている。金魚には胃袋がないそうだが、そのために満腹感もないのかもしれない。それでも私が食べ終わる頃には、多少あきらめはじめるが、立ち上があったり、何かを取ろうとする動きをすると、、ハッとした顔でこちらを見る。という訳で、落ち着くまで長居をすることになる。 以前飼っていた熱帯魚フラワーホーンという魚種は、遺伝的に無理して作られたからか、30センチくらいになると、理由がわからないウチに死んでしまうのだが、頭が実に良く、まるで水中で犬を飼っているようで、頭を撫でる事までできた。夜中にトイレに起きると、こちらを見る。私が振り返ると、向こうも見る。まさかと思ってトイレに起きるたび、何回も試したが、振り返ると、向こうと目が合うのである。つまり少なくとも、私の後頭部と目が付いている正面の区別が付いているのである。目が合うといえば、以前も書いたが、キップリングの『ジャングルブック』に猛獣が、人間の目を怖がる、とういような描写があり、真に受けた小学生の私は、上野動物園で各猛獣に睨めっこを挑んだ。魚と違ってこちらは相手にされなかった。

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私がピクトリアリズムにはまったきっかけは、野島康三のブロムオイル作品を見たからだが。世界をリアルに写し取れると衝撃的な発明であつた写真が、人心地ついてみると、ただ写生するだけでなく、絵画という先行の芸術性を取り入れようとする。乱暴にいってしまうと、絵に近ければ近いほど芸術性が高いという風潮が現れる。それが一世を風靡したピクトリアリズムであるが、それも時代が変わると、絵画の模倣である古くさい技法と見なされるようになる。日本では、ピクトリアリズム作家の多くが富裕なアマチュアであり、金持ち喧嘩せずなのかどうか、カメラという機械を使ってリアリズムを追求する若い流れに押し流されて行く。野島康三が、和服を洋装に着替え、ダンスをし、新しい流れについて行こうという様は、好きだっただけに、何故同調するはあった限り無理、と腹立たしかった。 葛飾北斎を描いたドラマで、北斎役の長塚京三が、西洋画を観て「見たまんま描いていやがる。」といったとき、私には『日本人は見たまんま描くようなダセェことはしねェんだ。』と聞こえた。写真という見たまんま写る、真を写すという写真という物に長い間、ジタバタとあらがって来た私には、快く耳に届響いた。にもかかわらず、北斎は、西洋的陰影表現、遠近法を取り入れていく。私には最晩年の西洋的手法を取り入れた作品は、中途半端な作品にしか思えない。野島康三が、銀塩写真に転向してからの作品が、私には普通のつまらない作品に見えたと同様、苦々しい気分であった。あの頃は、私が陰影を写真から排除することになる前後だったのではないか。北斎とすれ違い、背中を向けて逆方向に進んで行くことになったような気がしたものである。私は一人、草一本生えていない荒野を何処へ行こうというのか?何ていいながら、そんな所にいないと寂しくなる私。人と違うことがしたい、なんて思っているようでは、大体人と同じである。

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昨日16日はTrexのマーク・ボランの没後43年だったそうである。工芸学校を出て、岐阜の製陶工場に就職した。10時と3時にお茶の時間があり、お新香を齧りお茶を飲みながら新聞で知った。この間プレスリーが亡くなったばかりじゃないか。予言通り30になる数日前に死んだ。 先日再会した幼馴染みのYと武道館公演を観にいった。学校のロック好きには内緒にしていた。化粧をして軟派なメージがあったせいである。隔世の感がある。後ろの2階席からアリーナ席を見ると、沢田研二、加藤和彦、鈴木博三がツギハギのジーンズでいた。マーク・ボランはある曲で、アンプの後ろに回り、アリーナから隠れるようにして、後ろのC席の客だけにギターを弾いてくれた。もちろんほんのわずかな時間ではあったけれど、ああ見えて、良い人であることは間違いがない。後はバスドラのペダルの調子が悪くなったことと、ミッキー・フィンが投げたタンバリンが、まっすぐ我々に向かって飛んで来たが、カーブしながら落ちていったのを憶えている。TREXは、たまたま日本橋高島屋のレコード売場で『電気の武者』を入手し、一回聴いて、Yの家へ、これを聴け、と雨降りの中、出かけた。彼はその後、ロキシー・ミュージック方面に行き、私はブルースブームの洗礼を受け、ブルースに走った。そのおかげで、後にジャズ・ブルースの人形を作ることになる。こうして過去を圧縮して思い出すと、何もかもが無駄なく連なっているように感じるが、その最中は、すき間だらけ無駄ばかりだった。Yとは何年か前に、たまたま会ってお茶を飲んだが、ゆっくりしやべつたのは数十年ぶりである。いきなり幼馴染みから電話があり、当初警戒しただろう。電話の声がそんな感じであった。何かの勧誘だと思うのが普通である。ところが会ってみたら、最初から最後まで金魚の話ばかりで、呆れたことだろう。旧友と会うと、私だけがどうでも良いことを憶えている。本人は憶えていないが、幼稚園児の頃、彼は女言葉であった。彼と出会ったのはバプテスト系幼稚園であったが、小学校4、5年の時、彼の家の前で、神様はいる、いないで激論した。私は雲の上にあんなオヤジが居るわけがないだろ!目を覚ませ、と。 ところで、このどうでも良い事ばかり記憶している私ではあるが、こと創作に関すると、大変な戦力となる。自分の中にない物は出てこない事を考えれば、当然である。こうやってまた、肝心なことが身に付かないことを良いように解釈している私あった。

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寒山拾得に関しては、寒山詩にも踏み込まなければならないが、やはり序文の面白さである。最後ゲラゲラ笑いながら去ってしまう寒山と拾得。置いてけぼりにされるのは、作中の閭丘胤だけではない。この後味こそが寒山拾得である。数年前、三遊亭圓朝が眠る谷中の全生庵の圓朝旧蔵の幽霊画公開のおり、巨匠連の幽霊画像と共に私の圓朝像を展示させていただいた。余談であるが、記念に展示姿を撮影させていただいたのだが、期間中、幽霊画のなにかを吸い込んだか、ソニーのα7はピントは合わない、露出もヘン、1カットも、まともに撮れなかった。私自身も、急にカメラの扱いが判らなくなった。搬出の際、全生庵が臨済宗の禅寺だと初めて気が付き、これは寒山拾得をやれ、ということか、と玄関先で対応いただいたお坊さんにいずれ寒山拾得を制作しますと、口走っていた。いっそのこと座禅会にでも参加して住職に教えを請いたいところだが、肝心なことはあくまで自分の中から取り出した物で制作するのがルールである。 寒山と拾得は、実は文殊と普賢菩薩なのだという。金魚に名付ける人間いれば、会社に付ける人もいる、また原発に名付ける人さえいる。私は本来人間も自然物。その自然物が作ったといことでいえば蟻の作った蟻塚も人間の作った原発も変わりがないといえよう。だがしかし。自然物である私は、草木同様、へそ下三寸辺りから聞こえて来る声に従っていれば、頭で判らなくとも結果は必ず良い。頭を使って作った物にロクな物はない、と早々に気付いたからである。それは廃れて久しいオイルプリントを写真の素人である私が独学で実験を始め、周囲には反対されるし、何より私自身が人形も作らず何をやっている。とハラハラしていたが止められなかった。今はオイルプリントを手がけてはいないが、あの経験が有形無形、直接間接、今の私を作るためにどれだけ貢献しているか計り知れない。 余計な頭を使ってヘンな物を作らないように、今は金魚を眺めている。座禅するより楽で楽しい。

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浮世絵的逆遠近法は、陰影をまず排除して、返す刀で、と企んでみたものの、写真作品に取り入れるのは簡単なことではなかった。つげ義春トリビユート展において、『ゲンセンカン主人』で試みた。漫画が原作であるし、それにかこつけ試して見たが、見事討ち死に。グループ展の会期中に二度作品を差し替える、という失態を演じた。結論とすると、その遠近法を用いた景色の住人は、それ相応なフォルムの持ち主でなければならない。顔こそ作中の女に似せて現実離れはしていたものの、被写体は実物の女性である。その空間にはそぐわず、遠近感はほぼ現実的な物に戻した。5月の個展では、画室における葛飾北斎で再度チャレンジすることも考えたが間に合わなかった。とはいえ、北斎の造形具合では、また同じ失敗を繰り返したであろう。実在した人物を制作すれば、それなりのリアル感で制作することになるが、浮世絵にしても、人物表現がリアルになる幕末以降、かつての遠近法もそれに応じてなりを潜めていく。 真を写すという見たまま写るのが本来である写真で行うことは、陰影の排除以上に、造形の加工は不可欠である。なのに主役の人物が、相変わらずリアリズムのままでは無理というのがゲンセンカン主人での結論である。 それでこの話は終わるはずなのだが、寒山拾得ならどうだろう?そもそも架空の連中である。豊干に至っては虎に乗っている始末である。その虎さえ、猫に演じてもらう可能性が高い。背景も私が机の上で数千メートルクラスの岩山を作る訳で、空間が歪んでいるどころの騒ぎではない。 金魚に餌をやりながら『お前等どう思うよ?』連中は異議を唱えることもなく、ただ餌を食らうのみであった。

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大和田常務を観ていて誰かに似てるな、と思ったら、ウチの豊干禅師こと青文魚を正面から見た顔であった。嫌いだったカリフラワーのような金魚の肉瘤は、これによって魚らしからぬ人間地味た正面の顔を見せ、それがオランダ獅子頭という金魚ばかりになった理由でもあるのだが、これが大和田常務に似ているのである。私が誰かに似ている、という時、一般人がいうのとは違い、相当似ていることを意味するはずである。いずれ連中の正面の顔をちゃんと撮ってみたい。 やはり中国産琉金ショートテールは隔離して餌を控えると、腹を上に浮くこともなくなる。残念だが、寒山拾得劇団のメンバーには無理があるかもしれない。セロファンのような真紅の模様がプラチナホワイトの下地に生えて捨てがたいのだが、他の連中と一緒にすると、一緒になって餌を食い、フーセンのように浮かんでしまうだろう。内臓に何かがあってからでは手遅れである。 明日辺り、ホームセンター出かけ、芭蕉庵の土台となるベニヤをサイズに切り、基本となる柱、その他道具類を買いに行こう、と考えているが、ここに至れば金魚コーナーを素通りすることは出来そうもない。ウチにいる兄弟達と比べると、すでに一回り以上小さく見える。 李登輝がお忍びで訪れた芭蕉記念館には芭蕉の樹がある。台風でも来たら、すぐ駄目になってしまうそうだが、そんな芭蕉の樹だからこそ、芭蕉を名乗ったそうである。今のうちに撮影しておこう、と考えていたが、今回は撮影するだけてなく、作らなければならない。 作家シリーズの最初の6人の一人澁澤龍彦は、夢の島植物園で、南方の植物の陰で撮ったが、確か、バナナか芭蕉があった?と思って検索したら、あった。ドームの中であるし、台風も気にせず、慌てる必要はなくなった。

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金魚は丈夫だと思っていたが、案外病気にかかりやすいようである。良く聞くのが転覆病という奴で、消化不良が原因らしいが、ウチの水槽内でも琉金ショートテールが、良く浮いている。ガスが貯まっているのか、沈み難そうで、酷い時は逆さまになっている。別の容器に隔離して、塩を少々、二、三日絶食させると回復するが、水槽に戻すと、他の連中と一緒に食べて、また浮いてしまう。食欲は大勢だし、内臓に異変があるとは思えないが、幼馴染みがいうように、同じ種類だけで飼うべき、というのはこんなこともあるからだろう。もう一つ考えられるのは、エア食いというそうだが、パクパクと空気を飲み込み、その空気お浮いてしまうことがあるようである。飼い主の方は、何回か試みて、空気では腹は膨れない、とすぐ気がついたが、所詮金魚には無駄なことが理解できないとみえる。水面近くにネットを設置してエア食いを防げば転覆病は治る、という人がいた。内蔵疾患でなければ試す価値がありそうである。もしくは他のオランダ獅子頭達とは別に飼うしかないだろう。豊干禅師の乗る虎は虎柄の朱文金だが、それ以外はオランダ獅子頭で統一するべきかもしれない。明日はホームセンターに、道具、材料を買いに行かなければならないが、金魚売り場を素通りは、ここに至れば難しいだろう。と今日も金魚の話で終わった。

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