明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



背景の撮影に出かける。前回はロケハンということでザッと歩いたが、某建造物の高さがあるので、特集駅周辺から眺めると近くから見上げることになり、どうしても余計な物が入ってしまう。隣の駅くらい離れないと難しいかもしれない。 昨日撮影した車両は、当初一台だけの予定であったが、あまり見事な数だったので、過剰に配置することにした。前景に主役の人物、中景に車両、遠景に某建造物、ということになるわけだが、今回は営業の方から、この建造物を入れて、という要望から始まっている。ならばいっそのこと、中景の車両群の上に、建造物が頭を出しているだけ、というのはどうか、と編集長に伺いを立てると、インパクト重視でそれで良いとのこと。つまり本来特集場所となる背景は某建造物だけで、手前のKを象徴させる車両群の中景が、多くの面積を取ることになり、そこは実際は神奈川県の某所である。構図としては戦車軍団を前に閲兵するパットンかロンメル将軍の如し、といったところであろうか。

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撮影  


11時過ぎに撮影地に向け出発。電車内で咳が止まらなくなってもいけないので、のど飴、スプレイ、飲み薬など持っていく。 横浜市神奈川区某所。東京湾に面した出島のようになった場所のようだが、コンビニの店員に聞いても、その住所自体を知らないし、この辺りに海などないという。そんな馬鹿な、とタクシーを拾うと、運転手がそういえば、そんな所が、という状態で、めったにタクシーがいくこともないらしい。 広々としたところを走り事務所に挨拶に行くと、すでにMさんからの連絡が入っていて、何がどうと、説明する必要もなく、ヘルメットを渡される。車両がある場所にいってみると、大変な量の車体が置いてありパットン戦車軍団の如し。やはり当初考えた一台だけより、せっかくなのでもっと入れることにする。カッコのいい車体に目を付け撮影していると、所長らしき人が通りかかり、動かしてくれるという。さきほどから撮影していた車体は、社外の物で、できればこちらを、ということらしい。逆光だったので、向きを変えてもらった。その後二時間ほど敷地内を歩き回り撮影終了。タクシーを呼ぶが、出島内の詳細な地図がないということで、しばらく待つ。あげく運転手が復唱した駅名とは違う駅で降ろされるが、撮影が無事すんだので良しとする。 今回は背景に某建造物を入れることになっている。風景を二回撮ることにななり、今日の撮影は中景ということになる。建造物の遠景は、テスト撮影時曇天であったし、今日の撮影で方針が変わったので、再度撮影することになる。

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ここのところ乾燥していて、なかなか咳が止まらない。もともと湿気が嫌いでサウナなど一分ももたないタチで、乾燥している分ならいくらでも、と思っていたが、それにも限度がある。咳が出始めると集中ができない。一度直りかけた時に、明け方まで飲んで、店内の煙草の煙で振り出しに戻ってしまった。うがい薬もだんだん原液に近く濃くしてみたが一向に効かない。炎症でも起こしているなら消毒が良かろう、とウィスキーでうがいをしてみたが、バチが当たりそうで、けっきょく飲むことにした。 本日はアダージョの打ち合わせがあったがパスした。私が係わるのは表紙だけで、紙面のレイアウト、構成などタッチしないので、私はいてもしょうがなく、その後のアルコール入りの話し合いは、煙草の煙でまた酷くなっても困る。明日は横浜まで撮影に行く予定である。Kの背景に使えないかと考えた車両だが、やはり排ガス規制ですでに処分されてしまったようである。よっKての時代の車両というわけには行かないが、大手ゼネコンのMさんに紹介してもらった場所には、大量に置いてあるらしい。現場に行って見ないと判らないが、当初一車両だけを考えていたが、過剰に配するのも面白いかもしれない。

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一日  


銀座の古いビルで開催中の写真家、今道子さんの個展にでかける。使った魚はなるべく食べるそうだが、円谷英二で蛸を使った時、すぐには食べる気がしなかった話しなどする。自分で作った物を撮っている作品はやはり面白い。 伊東屋で粘土を買い、帰りにK本に寄る。喉がかわくのでペースがはやく、女将さんに驚かれる。K本のチューハイはゴクゴク喉を鳴らして飲むような物ではない。
オークションで明治時代の守田勘彌の役割表を掛け軸にしたものを落札した。原稿用紙に配役を書いた物で、今でも続く当時の役者名が並んでいて面白い。しかしそう思う人は少ないようで、放っておいたら申し訳ないような金額で落札してしまった。書いたのは十二代の守田勘彌であろう。守田座の座元で、守田座を新富座と改め劇場にガス灯を採用し、歌舞伎の地位向上のきっかけになった天覧歌舞伎を成功させた名興行師で、いわゆる“團菊左”の絶頂期の大立者である。しかし成功もしたが借財も莫大で、十三代を継いだ三男は、純然たる役者となる。十三代目は六代目菊五郎に天才といわせた役者だったようで、翻訳物など新劇運動にも熱心で、そうとう進歩的な人物だったようである。珍しい鼻の奇病で48歳で亡くなった。鼻の奇病などというと知りたくてしょうがないが、詳しいことは不明である。この十三代の馬の絵の掛け軸も所有しているが、大きすぎるのと、けっして上手とはいえず、たまに眺めては“鼻の奇病?”と呟くにとどまっている。養子の十四代になると、なんとなくTVで観た覚えがある。妻が水谷八重子で、娘が二代目八重子の水谷良重で、養子が今の五代目坂東玉三郎ということになる。この役割表にも玉三郎の名前があるが、おそらく三代目玉三郎の十三代勘彌であろう。 こんなことをしていると、父方、母方の祖父母の名前すら覚えていないくせに、他所の家系ばかりくわしくなる。

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三島没後40年近く経っている段階で、自衛隊関係者内では、三島に関して語られることは少ないようである。自衛隊にとってもそれほどの事件だったということであろう。三島の体験入隊時のことが内部の人間に語られる機会は少なく、興味深い。三島は上半身を鍛えることには執着したが、それに較べて下半身は細い。私がアダージョで三島を制作した時、当初ボクサーのイメージでトランクスを穿かせていたのだが、上半身に較べて下半身が細くバランスが悪い。実際そうだとしても、私はここで三島のバランスの悪さに目を持っていくのは本意ではなく、むしろ邪魔であったので、せっかく下半身を作っていながら急遽空手や柔道着のようなズボンに変更した。ビルドアップ以降の三島は、何かというと裸になりたがり写真に撮られたがったようだが、撮る側にしても、スターの三島に気を使って妙なことを強調しなかったはずである。一番気にしていた背の低いことを、現在知らない人が多いことでも判る。撮り方によっては次回撮らせてもらえなくなる、くらいのことはあったのかもしれない。 三島がまだたいした訓練をうけていないのに係わらず、綱渡りの訓練をしたいといいだし、夫人を呼び、わざわざ記者を集めて披露したらしい。三島は得意の上半身の力でこなせると踏んだのであろう。颯爽とロープを渡る所を見せたかったに違いないが、こういうところは実に子供っぽい。バランスが取れずに落下しロープに宙吊りに。ミニスカートにブーツで激を飛ばす夫人。「情けない」と落ち込む三島。 著者はながらく自衛隊に体験取材をしてきて関係著書もあるようで、口数の少ない隊員の証言にも、隊内の微妙な空気を伝えてくれている。事件以降三島作品を一切読まない、という隊員もいるが、あの日バルコニーの下から野次っていた隊員とは別に、実際訓練の日々を共に過ごした隊員には、三島の真摯な姿は感銘を与え、尊敬の念を未だに胸に秘めるように持ち続けているのが良く判った。 同じく自殺した隊員マラソンの円谷幸吉についても触れられているが、水に浮かない体質のカナヅチの円谷。慌てる様子も見せず、泳ぎながら沈んで行き、そのたび助けられたという。律儀で真面目にも限度がある。東京オリンピックの時、男は後ろを振り返るな、という父親の言葉を守ったおかげで、競技場内でゴール寸前にヒートリーに抜かれたのではなかったか。川端康成が絶賛した遺書も私にはただ不気味である。その点三島は、褒められたいと可笑しいくらい懸命なところのギャップが私にはなんとも魅力的である。

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一日  


未だにMさんからの連絡を待っている状態だが、件の車体が撮れない場合のことも考えておくことにする。排ガス規制で使えなくなった車体など、とっくにスクラップになっている可能性が高い。その間Kの顔を仕上げているのだが、いい加減にしておきたい。あまり細部を追ってリアルにしてしまうのは本意ではない。ただこのKは、今までアダージョで手がけた人物で、もっとも亡くなってから年月が経っておらず、力道山がリキさん、と呼ばれたようにKさん、と愛称で呼ばれることもあった人物で、つまりちょっと違っていると、誰にでもすぐ判ってしまうタイプの有名人である。 Kにはトレードマークといっていいような持ち物がある。撮影用だしわざわざ買わずに済めば、とK本の次に寄ったT屋でHさんに訊いてみると「あるよ」。考えてみるとT屋では、森鴎外の軍服の飾緒をカミさんに三つ編みにしてもらったし(編む間、たまたまカウンターにいた酔っ払いが片方を持たされていた)ついでにサーベル用に菜箸を貰ったし、三島の時は、いつも半袖のHさんに腕の筋肉を見せてもらった。さらに志ん生ではK本で撮影したし、同じマンションのYさんには円谷英二で後姿で登場してもらった。なるべくわざわざ電車にも乗らず、近所で済ませたい私である。 T屋のカミさんには、たとえば小泉八雲あたりで幽霊をやってもらったらさぞかし、と思っているのだが、私の説得の仕方が悪いのか今のところ実現していない。“お化けじゃなくて幽霊だよ?”といっているのだが。

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朝、T屋のHさんより電話で起こされる。Kさんがもう飲んでいるそうだが、昨日あれだけ飲んでいながら元気である。Hさんに刀を見たいといわれるが、模造刀とはいえ朝っぱらそんなもの持って出歩く気はしない。だいたいすでに朝から酔って上機嫌のHさんが、日本刀を持っている姿を想像しただけで寒い。嫌な感じに似合い過ぎるのである。 カメラを持って寄ってみると、Kさんが昨日の酒が抜けないままニコニコして、昨日は1時まで飲んでいたといっている。「違うよ4時だよ」「えっそうだっけ?」。Hさんは「刀持ってこなかったの?」。先日日本刀を研ぐところをTVで観たらしく、包丁の研ぎ方と違う、と試したかったらしい。私はこれから背景の撮影に行くのである。こんな連中のペースに巻き込まれるわけにはいかないのである。とはいえ、店内に入って何も頼まないのも愛想がない。「じゃあレモンハイ」。「なんでそんな軟弱な物を」。今日はそんな挑発には乗らない。 地下鉄で現場に到着。今回は営業サイドからの、某建造物を背景に入れてという要望で、そこからすべてが始まっている。勿論、特集人物のKとも縁があるわけで本文で触れるだろうが、それほど知られた話ではなく、人物との縁で、と大きく入れるのは難しいような気がする。入っていれば遠景でも良い、ということなのだが、ではどこから撮れば良いか、というとこれは1日歩き回るくらいじゃ無理であろう。こうなると人物と背景の間に挟む予定の車体を大きく配することにし、それにあわせて、最後に建造物を配置するのが得策と思われた。となると、車体の前に立たせるのか乗せるのか、車体を撮影してから、それに合わせた人物のポーズを作らなければならない。タイに行っている某大手ゼネコンのMさんからの連絡待ちということになる。排ガス規制ですでに廃車になっている機種が、なんとか見つかることを祈ろう。

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アダージョ用のKだが、思いの他難航した。この時期に頭部が完成していないというのは余程のことである。今だからいえるのだが、嘘だろ!?というくらい形がつかめない。毎日作り続けているのにいっこうに進展しないのである。粘土の消費が減り、私も少々腕が上がったなどと、自惚れた罰が当たったのかも、と本気で考え焦り初めていた。 火曜日に、友人のTさんと、そのころには頭部が出来ているはずなので、久しぶりに飲みましょうと約束していたのだが、それどころではなくなっていた。そのTさんと、最近起こったMに関しての偶然をメールでやりとりしていて、私の気持ちがMに向かっているせいで、そういうことが起こるのだろう、というようなことをいわれて気がついた。Kを作りながら、刀を抜いては眺めたりしているのがいけなかった。(刀でMといえば三島由紀夫しかいないわけだが)そう思ったのが昨日で、案の定本日、夜の7時前にKの頭部が完成した。頭が三島にいってしまっていて、時間ばかりかけてもKが完成するわけがなかった。何で出来ないんだ、と不思議がり焦っていた私が間抜けである。そんな有様でここ4日、風呂にも入っていなかったので、ほっとしてひとっぷろ浴びようと思った丁度そのとき、昨年S運輸を定年のKさんから『今日二日ぶりメールしましたごめん』というメール。つまり忙しいのが判っているので2日メールしなかったけど、ついメールしてしまいました御免。ということらしい。私達お付き合いしているのか?これだけ見ると、遠慮がちな恋人からのメールである。実際は鈴木宗男似の小さなオジサンなのが残念である。 あまりにもタイミングが良い。途中、Kさんのなじみの某店の女性を呼び出し、朝の4時まで計9時間痛飲す。

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制作中のKは例によって、何故ここにいるんだろう、ということになりそうである。特に今回は背景にある建造物を入れる、というところから始まっており、そこから導き出された人選である。Kがただ立っていたって構わないだろうが、やはり工夫は必用であろう。そこでKの渾名にもなり、象徴的な乗り物を配したいと考えた。たまに見かけるような気がするが、いざ撮影しようと思うと、どこにいけばあるのか判らない。しかもKの時代の古い機種にこだわるとなおさらである。そこでK本の常連、大手ゼネコンのMさんに問い合わせてみた。Mさんに訊いて見つからないようでは打つ手はどこにもないだろう。 今日中に見つかるかもしれない、というのでK本にいってみた。問題はKの時代の機種は排ガス規制により、現在可動している物はない、ということであった。一般人が機種の違いを判別できるはずはないので、そこまでこだわることもないような気はする。しかし判る専門家も多いはずで、これはあの懐かしい機種だ、と気付いているところを私は想像してしまうのである。どこかに展示している物はあるだろうが、ピカピカよりも現役感が欲しい。まして屋内展示では、シチュエーションが外なので撮影には適さない。Mさんによると川崎に、屋外に放置している物があるかも、ということで先方の連絡を待つことにした。Mさんは明日からタイに行くというので、返事は帰ってからということに。

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レプリカの『関の孫六兼元』は鍔が安っぽい。目立つ物なので気になり、オークションで鉄製の鍔を入手。龍に雲と稲妻のレリーフがあり、大分見栄えが良い。刀の分解などはネットで検索すればでてくるのでやってみる。鍔の刀を通す穴が少々狭く、刀が入らないので、鉄の鍔より柔らかい、亜鉛にメッキの刀のほうを削り、元に戻して交換完了。鍔という物は手を守るというよりも、相手を突いた時、勢いで刀を握った手が刃のほうへ行ってしまうのを防ぐ物らしい。 鍔が良くなると、他の細かい部分も換えたくなってくる。“乞食が馬を貰う”というのは、貰った馬に合う鞍を用意したり、結局乞食が大変な目に合う、というたとえだったか?思い立ったら我慢できなくる悪い癖を出さないようにしよう。
関の孫六に関して調べていたら、ビックリするような偶然にたどり着く。何かに集中して事を運んでいると、様々な偶然を呼ぶ物である。私はオカルト的なことは好きな割りに信じていないが、創作にまつわることに関しては不思議な偶然が良くおこる。これで、いずれ発表するに相応しい場所が見つからなくても、最低でも一ヶ所は候補が見つかったことになる。何かを作りたくなると、先のことを考えずに始めてしまう私に関の孫六が呼び寄せてくれたのかもしれない。今の所どう偶然なのか説明の仕様がないのだが、いずれ、そういえば私が関の孫六を振り回して喜んでいたなあ、と思い出して貰うことがあるかもしれない。たとえ亜鉛メッキの偽物でも、肝心なのは私の“本気”の度合いである。これがないと、いくら待っていても何も起きない。

海外版の『薔薇刑』“Eikoh Hosoe, Ordeal by Roses ”の中古が届く。簡易版だが資料用のつもりなので、とりあえず手元に、という場合は一番安い。ちゃんと見るのは初めてあったが、造形上の資料になる物ではなかった。

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前腕部のだるさが大分なくなる。長い物を振り回していればだるくもなる。実際は重くて時代劇のようにはいかない。 子供の頃、ウルトラマン登場以前は、まだチャンバラヒーローが健在であった。近所の国鉄の官舎から、黙っていただいてきた竹の棒でチャンチャンバラバラやっていると、昔剣道を齧ったらしい大人が通りかかり、「そんなんじゃ駄目だよ、オジサンに貸してみな」というのが、一度や二度ではなかった。『オジサン。本当の事なんてどうでもいいんだよ』。TVでは山城新吾の『白馬童子』がピストルの弾を刀で避けていた。 K君のウチに行くと、手塚治虫とは一味違う、お父さんが防空壕に隠していた、という『のらくろ』を読めるのが楽しみで、竹の刀を持って皆で遊びにいった。「外人って目の上の所が出っ張ってるだろ?あれは猿に近い証拠なんだ」。K君のお父さんは、剣豪の話が長いのが玉にキズで、一人減り二人減り、宍戸梅軒の鎖鎌のあたりで『のらくろ』を読み終わった私も行くこともなくなった。  刀の鍔が少々安っぽい。日曜日に富岡八幡の骨董市にいってみたが、正月気分の屋台が未だ出ていて骨董市は出店が少なく、結局ネットオークションで落札。
朝、ワイドショーで制作中のKを特集していた。コメンテーターの一人が、「今の日本を見たら、こんなはずじゃなかった、っていうかもしれませんね」。だから私も笑顔にしていいのかどうか、迷う訳なのである。

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一日  


アダージョ用のK(苗字でなく名前)。ようやく感じが出てきた。資料には笑顔の写真が多いが、はたして笑わせてよいものであろうか。私はイメージが限定されてしまうので表情は作らない。特に立体の場合は、ライティングの加減で表情をアブリ出すことが可能ということもある。しかしそういうことではなく、アダージョの場合は過去の人を現在の風景に立たせる、というかなり無茶なことをしなければならない。人物によっては生前からある風景が残っていて、違和感なく立たせられることもある。しかしKの場合はそうもいかない。となると、あきらかな現在の東京に立たせることになる。 今の東京に立たせて、はたしてKは笑うだろうか。誰もそこまで気にしないよ、とはよくいわれることだが、それをいっちゃお終いである。本文ではKの何処に焦点をあてて書かれるか判らないし、笑わせたとしても微笑ませる程度にしておくほうが良いであろう。

などと考えている所に『関の孫六兼元』到着。チャーもいっているように、ギターを入手したら全身を鏡に映して見たいものだが、それと同じく、刀を入手して鏡の前に立たない男などいるだろうか?ベルトの上から兵児帯を締めて、姿見などないので窓ガラスに映す。その後は“諸刃流正眼崩し”“円月殺法”と想像通りの行動。お洒落に興味がない私が他に姿見が必用だとしたら、チャンピオンベルトかプロレスの覆面を入手した時くらいであろう。“独身者の部屋はノックしないで開けるな”とはよくいわれることである。

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昼頃イベント屋のSと、正月気分の抜けないうちに富岡八幡、深川不動近辺で飲むことに。Sと正月に飲むのはは恒例行事であったが、Sの結婚以来滞りがちである。まずお不動脇のテント張り屋台で飲む。 奥さんが独断で11万円の猫を飼う事になったそうだが、イベントの仕事がないときは、小学校の教師の奥さんを送り出したあと、猫とSだけで、すっかりはまってしまったようである。いかにも猫アレルギーのようなSなのだが「アレルギーはかみさんだけ」。写真を見せてもらうと横文字名の血統書付きらしいが、そこらの猫とどう違うのか判らず。「その顔の傷は猫かかみさんか?」「どっちだか判らねェんだ」。その後夜まで何軒もハシゴ。80年代の終わり頃、彼が渋谷パルコの展示の話しを持ってきて以来の付き合いでる。北原照久さんが海外から持ってきたモーションディスプレイを展示する際、フロアが埋められずに話しを持ってきた。まだ私が架空の黒人だけを作っていた時代である。今日はひさしぶりに色々と面白く話せた。そこへ奥さんからいつもの帰宅時間確認の電話。“電話の向うにいるのはパットン将軍か?”というわけでお開き。 帰宅後こんどはKさんよりメール『立ち飲み屋にいます』。Kさん確か出入り禁止のはずだったのだが。 閉店の12時過ぎに立ち飲み屋のYちゃんとKさんとで別の店へ。この辺りには酒癖の悪いのが三人程おり、いずれがヘビかカエルかナメクジか“三すくみ”のような状態で、この組み合わせによって様々な事件が起きる。もうすでに昨日“初悶着”があったらしい。しかし私がいるとほとんど何も起きない。「まあまあ」と喧嘩を止めるなどというのはシロウトであり、私は誰かの顔色の変化を察知し、話しを変えたりしているのだが、酔っ払い共はただ不思議がるばかりで、雲行きが怪しくなると私を間に挟もうとする。先日は妙な電話をもらい、夜中にグヤトーンLGー80Tを弾きながらT屋に乱入。険悪なムードを一変させ、さすがに翌日お礼をいわれた。あの日はヘビとカエルとナメクジ、もしくはゴジラとモスラとラドンが一同に会し、さすがの私も荒業を用いた。この3匹はいずれも50~60歳だというのが実に情けない。本日はKさんが女性客に気軽に触るので客から文句が出ている、いやあれはそんなつもりじゃない、とYちゃんとKさんとのバトルで夜中の三時過ぎ。なんと馬鹿々しい日常であろうか。これで私の制作時は、自動的に集中力が高まらずにはおれないという仕組みになっている。そりゃそうである。

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坂本龍馬の制作時に模造刀を注文した。團十郎の助六で刀は作ったし、龍馬以降も、いずれまた侍など作ることもあるかもしれない。撮影するには自分で作るより良いかもしれない、と思ったからだが、適当な物をネットで注文したが、注文先から何もいってこないと思っているうち、うやむやになってしまった。もっともそんな物を入手して、嬉しそうに一人振り回したり、己が姿を窓ガラスに映したりしている自分を想像して、注文を躊躇したくらいなので、その時は馬鹿なことをしないですんだ、とかえって良かったと思ったものだが、近々制作に入る予定の人物には、どう転んでも刀が必要になってくる。アダージョとは別な制作なので、制作に入ったら誰を作っているか、どんなことをしているか、以前のように書いて行こうと考えているが、必用なのは『関の孫六兼元』。といえば判る人には判るだろう。関の孫六は“関の孫六三本杉”といわれる刃紋が特徴であり、これがないと関の孫六にならない。そこでできるだけ美しく見える物を選んで注文した。当然許可など必用のない、刃も付いていない亜鉛にメッキの観賞用模造刀である。 だがしかし、そうはいっても大根くらい切れるのではないか?と思う鍋の季節である。

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元旦  


最近は正月といっても特になにもないが、思いついてお茶でも飲もうと鉄瓶で湯を沸かし、冷凍庫にいれっぱなしの抹茶を用意する。お茶といったって、気楽にやるだけだが、ついでに九代目市川團十郎の『瀑布図』の掛け軸をかける。 昨年、市川白猿と書かれた掛け軸を入手した。白猿といえば五代目か七代目團十郎である。趣はあるものの、私が持っているというのも怪しいが、七代目だとしたら親子が仲良く並んだことになる。 九代目が亡くなって十年目の演劇雑誌を読むと、七代目に弘化元年、17歳の時から住み込みで仕えた85のお婆さんが健在で、九代目の子供の頃を回想している。 七代目團十郎は歌舞伎十八番を制定した人物である。息子に八代目團十郎を継がせ、自分は五代目海老蔵を名乗る。いいがかりのような天保の改革にひっかかって江戸から追放されるが、七代目は子福者といわれる子沢山。河原崎座の河原崎権之助との生まれる前からの約束で、後の九代目は生まれてすぐに養子に出され長十郎として育てられる。権十郎は実の子ができても、あくまで長十郎を跡継ぎとして育てる。その稽古は実に過酷。夜明けと共に起こされ朝食の後。踊りの師匠のところで充分な稽古ー琴ー手習いー昼のお弁当ー謡いの師匠のところで謡と絵を習い5時。家へ帰りお茶にお菓子を食べすぐに家の舞台で踊りー夕食ー漢学で10時ー風呂ー就寝。これを毎日欠かさずというから大変である。15の時大変な熱を出し寝込み、七代目のお妾である実母お為が見舞ったおり、何も欲しい物はないが辛いと泣いたそうである。帰宅後お為は七代目に「貴方は自分の子供を矢鱈と人様にやってしまうからこういうことができるのだ、あんなに朝から晩まで責め立てられてはまともには育ちますまい」。と訴えられ、「飛んだ事をして了った」と取り返しに行くが、権之助に、七代目の所には子供は大勢いるけれど、日本一の役者ができるだろうか、と説得され以後も育てられることになるが、嘉永7年八代目が謎の割腹自殺を遂げ、後に九代目團十郎となる。 九代目には男子はできなかったが娘には自由結婚を許し、銀行員福三郎と結婚させる。この銀行員が九代目の死後、役者に転向してしまう。そして九代目の弟子である七代目松本幸四郎の長男を養子にし、後に59年ぶりに團十郎を復活させることになる(十一代)。渦中の海老蔵丈は、祖父である十一代目の映像を見て、役者修行に本腰を入れることになったと聞く。

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