明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ようやく蒙古兵がほぼ完成し、着彩を残すのみとなった。 昔から、写真やパソコンなど、嫌いだったり苦手だった物に限って、なくてはならない物になる。友人の精神科医から、嫌いな物の中には必ず自分の要素がある、と聞いたことがあるが、その最たるものが、面倒臭がりが服を着ているような私が、今作っている作品など、一カットのために数ヶ月かけ被写体の人物二体作っている始末である。何かのバチが当たったかのようだが、もちろんお馴染みの快感物質が溢れ出そうなモチーフを選んでやっており、一種の麻酔効果もあるのか、人によっては、肘の半月板を損傷しながら走って打ってニコニコ笑うことも可能である。。 工芸学校で、六つ歳上の沖縄出身の苦労人に出会い、このままでは私など生きて行けない、我慢を覚えようと岐阜の製陶工場に就職したが、結局私の常で、頭で考えた企てはスベって終わり、気が付いたら一カットのために被写体制作に数ヶ月かける我慢強さを身に付けていた。



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男性漫画家に良くあるパターンだが、私も男性はいくらでもバリエーションがあるのに女性はワンパターンになりがちである。男女という異質な物を、同じ素材で同じ手法で同じ土俵上で描くこと自体に無理があるようにも思える。実際、女賊黒蜥蜴は生身では難しいと作ったら、通常の男のサイズより20センチ以上大きくなってしまった。そんな訳で女性は実物を使う。しかし場合によっては顔出し不可となり、加工が必要となる。 15の頃好きだった物は一生好きだ、という説を聞いたことがあるが、その頃夢中になったのは江戸川乱歩と谷崎潤一郎であった。特に谷崎は2体作ったくらいだったが、谷崎での個展は叶わなかった。それは女性のモデルがいなかったからである。ならば最近目にするA Iによる画像はどうだろうか、あれなら『痴人の愛』のナオミや『鍵』の郁子、『瘋癲老人日記』の颯子などを制作し、私の谷崎と絡ませることはできないだろうか?多くの写真家はA Iに対して心良く思ってはいないであろうことは想像が付くが、私にとって、自分で作った物ではない、という意味においては、AIだろうがモデルだろうと似たような物である。



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世界陸上、アメリカの砲丸投げの女子選手が、手首に平仮名で〝だれですか”とタトゥーを入れていた。何で入れたかというと『お前は誰なんだ』というマントラ(真言)があり「なぜこの競技をやっているのか、なぜここにいるのかを自分自身に言い聞かせ、モチベーションを高めるためだという。下手クソな字はいかにも知り合いの日本人に書いてもらった感が漂っている。 寒山拾得を手掛けて以来、まさに〝私は何者なのだ?”ということに向き合うこととなり、物心ついて以来のこと、母とのこと等思い返すこととなった。シナリオとして上手く出来ている、と感じるのが、まさにこのことで、単なる文学好き人形作家で終わらずに済むかもしれない。人間も草木同様自然物、肝心なものはあらかじめ備わっている、という考えもますます強固となった。外の世界に興味のない顔をするな、という母のアドバイスはここに至れば役目は終わった。私の散歩嫌いは、キョロキョロしながら歩くのが嫌いだからでもある。



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何度も書いたが、幼い頃、何処かの王様に石の塔に幽閉され、算数、宿題しなくて良いから、ここで好きなことを一生やっておれ。絵の具クレヨン画用紙使い放題じゃ。専用図書室もあるぞ。なんてことを夢見た。 目が悪くなったこともあるが、読みたい本といえば、随分前、個展の前で読んでいられなかった『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』ぐらいか。もっとも、創作に無縁な取材はもう良いという感じである。面倒だから行きたい所も特にない。全て予約済みで御座いますので、是非とも、というなら、泉鏡花的宿なら良きに計らいたまえと言いたいけれど。欲しい物といえば今はドラムマシンぐらいか? 随分つまらない話しではないか、と思われそうだが、それは大間違いである。幼い私が、快感物質を思う存分堪能、溺れるためにイメージした、あの石の塔の状態に、コロナ禍も手伝い、限りなく近いのである。



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人形を展示前提だと360度作るし、仕上げにも時間がかかる。ここ10年、写らない所まで作っていたら、写真作品の完成作は何分の一になっていただろう。これが出来たのは被写体制作者と撮影者が同一の二刀流ならではである。 昔から考えていたことに、作った人物像を全て集めて、ビートルズのサージャント・ペパーズのジャケットのように、一カットに集合させてみたいというのがあった。陰影が有ると、同じ場所に集合しているように見せるには、同じ方向、同じ質の光が当たっている必要がある。それを考えると億劫になった。しかし陰影がない手法ならば、お互いが干渉し合わないので完成作から切り抜き、貼り付けて行けば良い。学生時代、記念写真となると、最前で寝転がるようなお調子者が居たが、頬杖ついて寝転がり、構想を練る江戸川乱歩もいる。

 



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特に陰影を無くす手法に転向してから、人物制作時、どうしても、写真作品としての構図を決めた状態で制作することになり、制作時間の短縮もあり、さらに写る所しか作らなくなっている。場合によっては頭部でさえ写らない所は作らないこともある。例えばそれが鯉に跨った琴高仙人だとしたら、鯉は実物を使ったし、撮るのは1カットだし、もはや使い道がないので身体部分は処分した。群衆シーンに使えるかも、とセコイことを考え首だけ引っこ抜いておくが、多分そうはならないだろう。 しかし昔、前面作るのに夢中になり、気が付いて、慌てて背面を作るなんてことをしていたおかげで、背面を見ることなく前面を作ってしまってから背面作り足してもバレない、という独学我流者の自慢にもならない特技はあるのだが。 次回展示する場合は、臨済義玄、蘭渓道隆、無学祖元と蒙古兵、一休宗純像は展示したいと考えている。仏像はともかく、禅師連の展示はかなり珍しいだろう。新作だし。肝心の寒山と拾得の謎の笑いを浮かべる二人組は、おそらく架空の、妖精じみた人物だし、あえて展示しない方が、という気もする。



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26日より始まる。オイルプリント一点を出品する。野島康三のピグメント技法に一目惚れ、神田の古書街に通い、明治から昭和の戦前までの資料を集め試作を繰り返した。当時古典技法などやる人は見当たらなかったので、例によって独学我流でやるしかなかった。写真の素人が廃れた古典技法を、とは無謀だったが、例によってあの快感物質が脳内に溢れ可能となった。アレが出ると膝の靭帯を損傷しても二塁打を打てる。 ただやりたかったので、画像が出たので一旦辞めたが、後に写真展をやるようになり、だったらアレを、と個展をやったのは1999年だった。私は最後は全ての作品をオイルプリント化して終わるのだと考えていた。そのためにあの頃熱中したのだと。しかしこの後があり、陰影を無くす東洋的ビクトリアリズムに至った。 今ネット上にないが2000年に技法公開のためにホームページを作った。ゼラチン層を厚くし、容易に階調が出るよう改良もした。時代も変わり、製品に依存する写真だが、印画紙など製造中止になろうとオイルプリントは制作可能である。いずれ後に続く人が現れると信じている。いずれ再アップしたい。

『寺山修司没後40周年記念展 田園に死す』
2023年8月26日(土)~9月18日(月祝)
12:00~19:00(月火休み)秋山あゆ子/石塚公昭/宇野亞喜良/唐沢なをき/北見隆/近藤ようこ/逆柱いみり/清田聡/髙山和雅/建石修志/千葉大二郎/寺山偏陸/花輪和一/林恭三/松田洋子/三原回/森環/森雅之/山川直人/山口マサル/山田勇男/吉田光彦

ビリケンギャラリー
東京都港区南青山5–17–6–101
地下鉄表参道駅B1出口より徒歩7分



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大谷翔平、肘の半月板故障で、投手としては今シーズン投げられないかもしれないという思わぬことが起こった。打者としては問題なさそうであるが、心配ではある。何しろ幼い頃、力道山で、ヒーローも死ぬ場合があるという経験をしている。 寒山拾得は、辿り着くべくして辿り着いた、と思いながら、作っている本人は良く判っていない。忘備録がわりのブログを読み返したい、と常々思いながら、今なら判っていることも、気が付かずに、日々ジタバタする有様を見るのは実に億劫である。行き当たりばったりで、考えるな感じろの癖に、熟考の割に、ここに至った、という顔をしたがる所もある。ブログでは相手の顔が見えないから、余計なことまで正直に書いているが、個展会場で〝なんだかわからないけどこうなってしまいました”ではあまりに格好が悪い。 何故寒山拾得を作るのか?現在答えてくれそうなのは、横尾忠則さんただ一人だろう。何で今時寒山拾得なんだよ、なんて輩が最近いなくなったのは、ひとえに、来月から『寒山百得展』を開催する、横尾さんのおかげではないか、という気がしている。



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一日  


未だに外を出歩くような気温ではない。フェイスブックを見ていると、あっち行ったり、こっち行ったりしている人達を見ては感心している。こんな時はエアコンの効いた室内で安静にし、世界陸上でも肴に、蒙古兵にペーパーをかけているべきであろう。無学祖元と蒙古兵が出来たら、原点である寒山拾得の制作に入りたい。寒山の住う岩窟や、寒山が寒山詩を書き付ける岩壁などの制作も並行して進めたい。最初に寒山拾得に取り掛かった当初は、いったい中国の深山を私はいったいどうするつもりなのだ?とノープランのまま作っていた。それが個展もあと一ヶ月というところで、極端にいえば、手のひらに乗るような石ころで『虎渓三笑図』が出来た。まさに〝念写”に成功したといえるだろう。また面壁修行をしている達磨大師に弟子入りを志願し、己の左腕を切り落とし、覚悟を示す『慧可断臂図』の岩窟はまた別な方法で制作した。それを踏まえて、本来作りたかった日常の寒山と拾得を手掛け、ラインナップをさらに強固な物にしたい。



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茄子  


お盆の前に、房総で新鮮な茄子を食べた。たまたまテレビで茄子のタタキなる物を観て美味しそうだ、と思っていたこともあるが、以来茄子にハマっている。毎日何個食べたろうか。どうしても油を使い過ぎるのでフライパンを買った。加工フライパンは良くないと聞くが、油にウンザリするよりマシである。ただ昔から良くあるのは、が、何ヶ月もハマって、ある時バタッと飽きて食べなくなる。そういえば、2年目になる糠漬けは、昔、茄子の色を綺麗に出す面倒だったこと思い出し、茄子は一度もやっていない。茄子はもうしばらく続きそうである。 蒙古兵のペーパーがけをする。日本の甲冑と違い、基本は革で、金属板が貼り付けられていたり。なかなかの製鉄技術を持っていたらしい。



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お盆の前に、房総で飲食三昧で楽しく過ごしたが、この話一度した事があるな?こんな話はこの連中にしかしないはずだ?酒の席ではたまにある話だが、聞いてる方も忘れている。ここのところ、極限られた知り合いとしか会っていない。 禅的モチーフに至り、外側にレンズを向けず眉間に当てる念写に拍車がかかり、出不精、人見知りにコロナ禍が追い打ちをかける。 そもそも酔っ払いというものは、せっかく話したところで忘れてしまい、そいつは面白い話だなんて顔をされ、この話は◯回目ですけど? 子供の頃、漫画本を隅から隅まで広告まで読んでしまい、記憶がなくなれば小遣いも要らず一冊で済むのに、と思ったが、『十五少年漂流記』一冊を一生読み続ける酔っ払いなんて居てもおかしくはない。 何度か書いたが、博物館に行くと、師匠や先生からの教えがある割に、時代と共に必ずしも作品が良くなっているとは言えない。アルコールが作用していないか?



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相変わらず暑い。今日は何もする気が起きず、寝たり起きたりを繰り返す。世界陸上。最近は日本人が活躍するようになり楽しみが多い。64年の東京オリンピックであらゆる人種の肉体の躍動に釘付けになった。陸上では、メキシコオリンピックのフォズベリーの背面跳び以上に驚くことは無さそうだが、大谷翔平の大リーガーを凌駕するパワーを観ると、今後何が起きても不思議はないように思える。できる物なら、女子が男子の記録を破る所を死ぬまでに一度見てみたいものである。男ばかり作っている私だが、私のような渡世に生きていると、生きにくさの原因にも思え、一度くらい「ザマアミロ」と言いたいのである。最近は格闘技で、男女が戦って女子が勝ってる動画を観ては喜んでいる。男性の筋肉の優位性を信じて疑わなかった三島由紀夫が生きていたら、長生きはするもんじゃない、と嘆いただろうけれど。



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考えるな感じろも良いが、ここに至れば、何を作らないか、も考えなければならない。とはいうものの。1、怪談話で知られる落語中興の大圓朝こと、三遊亭圓朝は、川瀬巴水などの新版画調に制作した明治の寄席の前を、圓朝本人、また『怪談牡丹灯篭』のお露とお米を歩かせたりしたが、寄席内部は構想だけで終わっている。圓朝が燭台ニ燈に当時の寄席の舞台には火鉢まで置いていたようで、怪談噺をする圓朝。 2、圓朝、泉鏡花、柳田國男による怪談会。三人の年代合わせを考える面倒から。 3、画室で絵を描く葛飾北斎。人形は作ってあるのに、寒山拾得に取り掛かったせいで頓挫。『海女と蛸』のために女をデッサンする北斎。女は足先以外は障子の影。 4、泉鏡花の『高野聖』山深い所に滝、女の住まい。女に誘惑され化かされた男達。登場する物が多く、中々形にする機会がないまま。 結果4選に。



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長年、行き当たりばったりやっているだけなのに、誰がシナリオを書いているのか、今に至っているのを考えるににつけ、実に上手く出来ている、と度々感心しているが、これこそが、かつて思った、人間も草木同様自然物、ならば肝心なことはすでに備わっているはず。それを考えずに感じ取っていれば良い。ということに着地することになったのか。 それにつけても最大の謎は、なぜそこまで、自分を信用したのか。独学我流なのに関わらず、むしろ余計なことを学び、身につくことを恐れ、遠ざけ続けた。 一つ可能性として考えられるのは、実際は、奈落の底にころがり落ちているのに、気付かないまま40年経った状態なのではないか?見解という物には相違が付き物である。子供の頃にヒットした曲に『いいじゃないの幸せならば』というのもあった。



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95年のある日、初めて自分の作品を被写体として、人形作品と並べて展示するため撮影していた。ブラインド・レモン・ジェファーソン。盲目のブルースマンである、写真は斜めを向いた一カットしか残されていない。ブリキのカップに聴衆が金を入れる。音でいくらか判った。 壁と床を作り、窓からの自然光が三角形の形を描いた。今日はここで稼ぐことに決めたブラインドレモンである。モノクロ、カラーで撮り、全てそのままにして翌日の同時刻、念の為もう一度。しかし全て同じはずが何か違う。写真を始めて間がない私は考え込んだ。被写体は全く動いていないし光も一緒である。結論は、昨日と違っていたのは私自身だと。つまりシャッターチャンスも外側でなく、自分の中に在るのだと思った。それから、シャッターチャンスどころか、外側にレンズを向けず、眉間に当てる念写が理想というには、さほど時間がかからなかった。 幼い頃、頭に浮かんだイメージは何処へ消えて行ってしまうんだろう?と思った。ならば消える前に念写しておこう。と今に至っている。



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