明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



毎年大晦日になると、去年の私ができなかったこと、思い付かなかったことができただろうか、と考える。去年と同じではただ冥土に一年近づいただけで、こんな恐ろしいことはない。 私が昔からなんとなく想定していたのは、晩年、今までのデータを超が付くアナログ技法オイルプリントに置き換えて終わる、ということだったのだが、ここ数年気になっていた浮世絵、日本画に感化され、自分で陰影を作り出したはずの人形から陰影を極力取り除き、未だ試行錯誤中だが日本的遠近法も試みている。ここへ来てまた、新たなことを始めるとは思いもよらなかった。こうでなくてはいけない。ただいま制作中の葛飾北斎は、逆に西洋的遠近法と陰影方も取り入れる、という、妙なところですれ違っている。これも縁ということであろう。 縁といえば谷中の全生庵の、年に一度の三遊亭円朝旧蔵の幽霊画展のおり、円山応挙や高橋由一、伊藤晴雨作品と私の円朝蔵像が同室させていただいたことであろう。さらに、今年は最初に前述の新手法を試みたのは、『鏑木清方作三遊亭円朝像』へのオマージュ作品であり、ここから始まった訳だが、鏑木清方作のお菊さんが百年ぶりに発見され、全生庵に出品されたことは、どう考えても、清方から私へのご褒美だったろう。 実在した人物はもう作らないといってるそばから北斎を作り始める私であるから、来年の抱負は書かないでおく。今年一年当ブログに訪問いただき、駄文にお付き合いいただいた皆様、有り難う御座いました。良いお年を。

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ここのところ本当と嘘、実物と作り物その他の狭間で悩むことが多い。今回の北斎は身体と蛸がホンモノで、頭と着物が作り物でいこうと思っていた。身体担当のじいさんは160センチで北斎とは20センチの開きがあるのでそのままでは使えない。さらに160センチの男用の着物がないこともあり、着物は粘土で作ろうと、なんとか着せて見たもの、蛸のリアルな存在感が半端ではなく、粘土の着物が負けてしまう。どうやら年を越して、手持ちの着物を誰かに着てもらって撮影した方が良さそうである。やれやれというところ。 そうと決まれば、途中で休止していた杖をつき、はるか遠くの富士を眺める北斎制作を再開する。

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蛸の足一本追加する。完成したといいながら、例によって諦めが悪いが、明らかに昨日、一昨日より良くなっている。外で飲んでいても、今うちにいて作っていたら、もっと良くなっていたかもしれない、と思ってしまう。しかし、ここをこうしようなんていうのは、まさに閃きであり、作っていなければ逃してしまう。 顔の部分をこちらに向ける。これまでは横向きだったのだが、ヌメリがないこともあり、鼻が何本もある象の化け物じみており、もう少し蛸らしくしようと角度を加えた、蛸の形、質感から、切り貼りしても目立たないのでそんなことができる。 北斎は身長が180センチもあったそうで、そう考えると、この蛸は260センチ、100キロはありそうである。そんな大蛸に襲われながらも画帳を奪われないよう抵抗し、筆も離さず。着せる着物も完成し着彩の後、頭部を合成すれば完成となる。同時に立ち姿の北斎の制作を再開する。

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午後、母のいる老人ホームへ、今日は母の髪を切った。同居して以来母の髪は私が切っている。前回は私が切るといったのにホームに来る業者にやってもらった。老人に限らず、某かの施設にいる女の子なども、いかにもなザンギリ頭が可哀想でしょうがない。これからも私がやるから切ってもらうのは止めろといっておいた。切ってる間、買っていったDVD プレイヤーで今拓哉さんが博品館で出演した見上げたボーイズプロデュース公演『五人衆』を観せていた。これは私は生で観たが、母はハンサムそうな役者が出てくるたびに「今さん?」「今さん?」いうので「うるせえな、今さんはスペシャルゲストだから簡単には出てこないの。出てきたら教えてやるから黙って観てろよ」。クリスマスも楽しかったそうで、お菓子もたんまり買っていったし、今度は奥さんの岩崎宏美さんのDVDを約束し帰った。

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来年の個展は、ピクトリアリズム(絵画主義)が単に絵画調ということで良いならば、ソフトフォーカスの印象派調でも古典技法でもないが、ピクトリアリズム3としてやるのはどうか、と考えているのだが。一般にはともかくピクトリアリズムという言葉もよく聞くようにもなったし。 最近作はカメラで撮影したものであろうと、はなから嘘八百ということは伝わるので、嘘だかホントだか分からない作品より説明する必要がない。私がよく経験してきた来廊者の“これはいったいなんだ?”という眼に灯りが点らない状態は避けられるだろう。食品じゃないんだから成分なんてどうでも良いだろう、というのは作る側の理屈である。そう思うと、“人形作って陰影が出ないよう撮影して切り貼りしました”と実に単純にして明快であり、私の顎も疲れない。灯りが点らない人を見つけたら、「これは瀬戸内海から取り寄せたホンモノのタコでーす」。といえば良い。

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『タウン誌深川』新春号出る。連載6回は“夏目漱石の鼻”ブログには度々書いた漱石がワシ鼻を写真修正させていた件である。作家の研究者は数多いが、そのご面相について私ほど穴の開くほど眺めている人はいないだろう。今はデスマスクがネット上で見ることができる。 蛸は眼を変えたので大分可愛らしくはなったが、未だに不気味であることには違いない。しかし、新鮮で美味しい海産物を撮影したと思えばそう気にすることはないだろう。そもそも北斎の『蛸と海女』が海外でも人気なのは、食べるなどとはとんでもない、デビルフイッシュに美しい海女が蹂躙されているからだろうし。 蛸に関しては最後の色調整までは、もう触ることはないだろう。体色を変える蛸、色の選択に迷うだろう。なんだか名残惜しいが蛸ばかりやっている訳にもいかない。 

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一日  


プロバイダを以前のところに戻すためタブレットでブログを書くのが面倒で間が空いてしまった。容量不足で動画もなかなか開かない。 “画狂老人”葛飾北斎はというと、パンツ一丁の老人に大小蛸2匹を絡み終えた。蛸に関しては経験済みだから、とタカをくくっていたが、世界で最も有名な春画が相手となれば気合いも入るが随分手こずった。実をいえばこんなものを作っているなどと書かなければ良かったと思ったくらいである。 始める前は大きく引き伸ばしたら迫力があるだろうと想像していたが、蛸のインパクトというか気持ち悪さは格別で、排水口を口に見立てて海女に吸い付かせた北斎だが、だからこそ愛嬌がある。しかし実際はタコの八ちゃんの可愛気はかけらもなく、特に目が恨めしげで邪悪である。目玉を大きく北斎調に変えた。本当のことは、そのままでは使えないものである。これで大分目に優しくなった。 ここに粘土で作った着物と頭部を合成すれば完成ということになる。

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夜中に蛸の撮影を済ませ、一眠りしたあと、老画家の身体に二匹の蛸をまとわりつかせた。画狂老人といって、すぐに浮かんだのが、蛸に襲われながらも画帖と筆を離さない葛飾北斎であった。モチーフはもちろん『蛸と海女』だが、解せなかったのが北斎の蛸の面相である。横山ノックの蛸踊りではないが、口を突き出した蛸の八ちゃん的イメージは、誰がいつ始めたのだろうか。あの口は配水管で、口は脚の付け根にクチバシがある。届いた蛸をぬめりを取るため塩で揉んでいて気がついた。北斎の蛸は帽子をかぶったような下に目があり、口があるが、あれは人間で言えばうなじあたりで、排水管を口に見立てるため、眼を後ろにもって来て顔にしているのであった。そうとわかれば私も、といきたいところであったが、そこが写真である。実際の部品では、どう考えてもああ面白くはならない。突き出した排水管が口でなければ有名な春画『蛸と海女』は成り立たない訳である。 半分凍った状態でT千穂に持っていき、脚二本を焼いてもらい後はしゃぶしゃぶにして北斎の身体役のじいさんとI夫妻と成仏させた。夜中の苦闘を思うと戦友を食したような気分が少々。


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瀬戸内海より活け締めされた蛸届く。つまり昨日まで生きていた。蛸はフリーペーパーの表紙で、円谷英二を制作したおり、権利の問題で怪獣を使うわけにもいかない。円谷はゴジラ以前、巨大な蛸が東京を襲う、という構想を抱いていたことから蛸を使った。最初に塩や糠でぬめりを取らなければならない。前回、最初こそこれが新鮮な蛸の香りか、と思っていたが、勝どき橋を襲う想定でポーズをとらせ、恨めしげな眼を見ながら撮影するうち、香りが臭みへと変じ、撮影後直に刺身で食すつもりが、食欲なくなり、すぐに茹で、それでも食べる気にならず、しばらく冷凍庫に入れたままであった。同じ轍を踏まぬよう明日には食す予定である。 “独身者の部屋はノックしないで開けるな”というが、私の撮影現場も、できれば完成を待った方が懸命であろう。友人から正月蛸を食べる気がしなくなった、とメール。撮影現場見たらもっと食べる気がなくなるだろう。 毎年恒例の風涛社の忘年会へ行くつもりが、蛸にかまけて欠席。

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人物はフンドシも露に凌辱されんとするところ、必死に抵抗している訳だが、フンドシを露にすることばかり考えていて、とけた帯がなかった。これは粘土でなく布にしよう。 ここまで来ると、おおよその方がどんな場面を私が作ろうとしているかお分かりになったことであろう。海産物に凌辱されている。なんて作品はあれしかない。それに触発された作品は同時代はもとより、世界中に数々あるが(私もすでに制作した)それらの作品と違うところといえば、私の場合、作家、文士シリーズ同様、本人が主役を務めることである。また、私の作品が写真であるがどうかの判断はお任せするとして、あくまでカメラで撮影することであろう。 明日は新鮮な海産物が到着しだい撮影する。まったくいかにも私の思い付きそうなことだ、と年の瀬に。もう実在した人物は作らない、といった舌の根も乾かないうちに始めてしまったのは、ひとえにこの場面を思い付いてしまったからなのであった。

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粘土で着物部分を制作しながら、モニター上でああだこうだやっていると、いっそのこと背景なしでも良いのではないか、と思い始めた。日本画にあるように、フラットな無地の背景でも、被写体に陰影がなければ収まってくれる。 絵では普通でも、同じことを写真でやろうとすると、それこそ見も蓋もないようなことになってしまい、ダイレクトに過ぎてしまう場合が多い。それに加えて日頃“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”“感心されるくらいなら呆れられたい”などとここででほざいているが、生臭い海産物が画面の半分を占める。背景なしくらいで丁度良い気がしてきた。 もっともその後物足りなくなれば、背景を加えれば良い。寺山修司はいっている。『書き換えのきかない過去などない』。この間のグループ展の会期中に、作品を二度差し替えた私である。東京の下町育ちの私は、小学生の低学年の頃から「男は諦めが肝心」。などと見栄をはっていたが、とんだ嘘っぱちで、諦めの良い奴はそんなこといわない。

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虚実の配分。背景を作るか実写か。これは自作を撮影始めた当初からの問題であった。何しろ黒人のミュージシャンがテーマであったからである。床や壁や地面まで作った。 それはともかく。いずれ手掛ける予定である『寒山じっ得図』 の背景は、以前であったら直ちにどこかで撮影してきて人形を配するところであるが、例えば禅画、あるいは曽我しょう白の背景の奇岩ぶり❓を見ると、ただの背景ではなく、重要な要素であることが解る。となれば、背景も自分で作った方が、という気がしないでもないが、ここのところ浮世絵、日本画に傾倒しているものの、私が使うのは筆でなく粘土及び、それを定着させる写真である。であれば背景は実写で、となるが、例えば庭を竹箒で掃き掃除でもしている場面ならともかく、遠景まで入れるとなればどうするのか。新しいことを試みれば、問題も新たになるわけである。 簡単に作った身体に着物を着せることにする。 (只今タブレットで書いており、漢字が変換されず)

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それにしても何が哀しくて、モニターに映るパンツ一丁で股を拡げたじいさんを見ながら作らなければならないのか。それは、私がそんな画を思い付いたからである。私が悪い。着物の部分は粘土で作るので、簡単にではあるが、股を拡げたじいさんと同じポーズの物を作りそこに着物を着せることになる。来週には海産物との共演を果たす予定であるが、実は背景がまだ決まっていない。画家へのオマージュ作品であるが、鏑木清方野円朝作品のように、構図を全く同じにするつもりはないものの、似たような雰囲気にはしたい。その場合、実写にするか、作り物にするか、未だ決めかねている。このままフィニッシュを迎えたいところであるが、それによっては完成が年明けになってしまう可能性もある。今回はいつも以上に、作り物と実物が混在しているので、虚実の配分で悩むこととなった。

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『タウン誌深川』はすでに入稿済みであったが、写真がどうも薄っぺらい。まだ間に合うというので、内容に則して撮り直した。 新作は重いのと、乾燥を早めるため、背中を開き粘土を掻き出した。乾燥を続ける。 撮影専用の二体目の制作にかかる。すでにピンチに陥ってる感じで撮影したパンツ一丁の爺さんは、そのままでは使えないので大分修整を加えた。手足をバラバラにし、組み立て直した。それに会わせてアルミ線を曲げ、粘土を乗せて行く。といっても胴体手足は爺さんを使うので、必要なのは着物の部分である。両足をあられもなく広げているのでフンドシも作らないとならないだろう。作っていながら実に馬鹿々しいが、こういう時こそ私は燃えてしまうのである。私の代わりは誰にもさせない。他の誰がこんなことをするか?と自分に突っ込む私。週末か週明けにも共演させる海産物を注文することになりそうである。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP





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2体目の芯を作る。実は最初に浮んだのは、寝姿であるこちらであった。寝ているといっても穏やかな状態ではなく、どちらかというと寝転ばされている、に近い。鏑木清方作の『三遊亭円朝像へのオマージュ』に続いてのオマージュ作品といって良いだろう。ただ円朝は構図をそのまま拝借しただけであったし、円朝ではなく清方作品へのオマージュであったが、今回は画家自身へのオマージュとなる予定である。 手足のモデルに起用した爺は、すでに方々の飲み屋の女の子にその人物になるのだ、といいふらしているらしい。『貝の穴に河童の居る事』には、女の尻を触ろうとして怪我をする哀れな河童に優しい眼差しを向ける翁役に柳田國男を使った。その手足もその爺さんを起用したのだが、河童は爺さんがモデルだろう、と周囲に思われ実に迷惑している。確かに河童は作中で翁に、お前等一族は昔からそれで怪我をする、と諌められると、人間も河童も口に出さないだけで一緒だ、という。一方の爺も、「いわないだけでみんな女(おなご)が好きなの!」という口癖に、河童と同じこといっていやがる、と苦笑したものである。 身長160センチを180センチにサイズアップしている上に艶消しのために肌色の白粉を塗ってある。老人班も消えてしまって、案外若々しくなってしまった。完成の暁には写真を持ち歩き、飲み屋で見せびらかして回るのは目に見えてる。パンツ一丁で協力してもらっていうのもなんだが、少々ムカつく。画家は老人なのでリアルに老人斑だらけにするか決めかねているのだが、老人斑を加えない場合は「白粉とデジタルで染みを消すの大変だったよ」。老人斑だらけにする場合は、手足伸ばしただけで他は一切無加工。と横でいってやる。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

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