明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



一週間前のクリスマスに、今後に影響する大きな命題となるであろう、人像表現の極意と思える〝頂相は形の上で表せるようなものではなく無相である“ という一文を得た。この中にお宝が入っていることは判るが、私の力では蓋を開けることは容易ではない。何しろ人物を形の上で表そうと40年である。考えるな感じろで行く他に策はない。 これもつい先日知ったが〝 心外無物“すべての現象は、それを認識する人間の心の現れであり、心とは別に存在するものではないということ。だそうだが、私の創作の原点は、幼い頃思った、頭に浮かんだ物はどこへ行ってしまうのか、確かに在るのに。それを取り出し可視化して、やっぱり在った。と確認することである。その過程において長い間〝人間も草木同様自然物。肝心な物はあらかじめ備わっており、外側にレンズを向けず眉間に当てる念写が理想“といっていた。そう考えると、行き当たりばったりと思っていたのは私だけで、現在のモチーフに至ることは決まっていたのだ、と改めて思う大晦日である。



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数ある人像、ヒトガタ表現の中で、禅宗の頂相彫刻が究極の物だ、とつい最近思い至った。迫真のリアリズム表現など西洋彫刻、人形、フィギュアなどいくらでもあるが、私が何故そう思うのか、までは理解していなかった。それが間をおかずして、そこまで至ったのなら、いっそのこと、とばかりにクリスマスに目にした一文〝頂相は形の上で表せるようなものではなく無相である“ これこそが、数ある人像表現との違いを端的に表していることだけは一目で判った。策はすでにある。恐ろしく時間を要するものの、筋書きがあるかのように、導かれていくことが体験済みの〝考えるな感じろ“である。 蘭渓道隆の斜め45度を向いた国宝の肖像画はもっとも実像に近いと考えている。それを立体化し、正面向かせ、さらに人間大に拡大すれば、没後七百数十年。誰も正面から相対したことのない蘭渓道隆と対せるのではないか?これが最新の、考えずに感じた結果であり、まずはそれで良いのだ。



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昨晩の救急車騒ぎから一夜明け、蘭渓道隆の仕上げに戻る。酒を飲んだり美味い物を食うより、また他の何事かをするより、何より私の脳内に快感物質を溢れさせてくれる。幼い段階で、幸か不幸かこの物質の味を覚えてしまったので、平たくいってしまえば、もっともっとと、より快感を味わえるモチーフ、テーマを追って来た。しかしまさか七百数十年前の坊様を作ってこの気分とは思いもしなかったけれど。 そういう意味でいうと、今年一年も楽しませてくれた大谷翔平は、私は溢れる快感物質に取り憑かれた男として見ている。全てがその快楽のためにやっているから努力している自覚がないまま笑っている。より快楽を得るために身体を大きくし、休めといわれても休まず、肘にメスを入れることも躊躇しない。ストイックといわれるが、より多くの快楽を味わえるからやっているので何の不思議もない。それに比べれば酒による陶酔感など大したことないので「お酒飲んで何が楽しいんですかね?」なんて涼しい顔で、パスタに塩だけかけて食べている。



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来年1月の古石場文化センターの小津安二郎生誕百二十年紀年関連行事で販売する小さなプリントを作り、その足で母のホームへ。同居していた時、急車車のサイレンを聴くとKさんじゃないか?とよくいってたKさん連れて面会。酔っ払って頭ぶつけ、ここの病院だけで3回運び込まれている。昔生傷男と呼ばれたレスラーがいたが、シワと傷が混ざっている。喜ぶ母。今日も喋りっ放し。 恒例行事としては唯一となった工芸学校時代の友人5人との忘年会。血糖値や尿酸値が測れるという中華製スマートウォッチの数値がいい加減だ、という話しから始まった。佳境近くで先輩がなんだかおかしい、といいはじめ顔面蒼白、脂汗をかき始め、救急車を呼ぶことに。心配顔の両サイドに座る2人が脳梗塞経験者である。どこも一杯ということで都心の病院に運ばれ点滴したらしい。私も無事だったとはいえ慢性膵炎を疑われたばかりである。妙な目標が生まれたおかげで、来年は健康に気をつけない訳にはいかなくなった。



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クリスマスに目にして即座にページを閉じた〝頂相は形の上で表せるようなものではなく無相である“ という一文。長年人間を、形の上で表そうとして来た私に、とんだクリスマスプレゼントとなった。これは極意だ、といったところで、どう受け止め、どうするかは私にかかっている訳で、今まで色々あったものの、楽しくやって来たのに余計なことを知ってしまった、と後悔する可能性だって大いにある訳で、身分不相応な物を貰ってかえって始末に困る〝乞食が馬をもらう“という故事もある。 頂相の傑作といわれる国宝の蘭渓道隆の肖像画を参考に坐禅像を作った私に、この暮れも押し迫ったタイミングで「我が没年齢を超える前に、せめてここまでは来い。」といわれたかのようである。来年2月には超えてしまう。 件の乞食はというと、馬を貰って当初喜んだものの、餌代はかかるし鞍だって要る。こんな物貰うんじゃなかった、とぼやくことしきりであった。



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無相  


頂相が、単なる記録でないことが身に染みるにつれ、蘭渓道隆の制作時間が伸びてしまった。だから何も知らないうちに完成させろ、と言っただろ、というのは冗談だが。 作家シリーズでは写真を元に立体像を作って来た。そこから写真が生まれる前の、肖像画しか残されていない人物も手掛けるようになった。それには陰影のない写真の手法を始めたことにより、寒山拾得を手掛けられたのも、この手法あってこそである。寒山拾得が臨済宗に伝わる説話であったこともあり、師の迫真の姿を弟子に授けることが、禅宗でも臨済宗の特徴であることから、頂相、あるいは頂相彫刻を元に、蘭街道流と無学祖元を作ることになった。 そうするうちに、人の形を表現する数ある人像表現の中で、頂相彫刻が究極と思うに至った。私が何故そう感じるのか。その理由が、一昨日目にしたばかりの〝祖師の姿顔は本来形の上で表せるようなものではなく無相である“にあるのはたぶん間違いない。

※無相 仏教用語。 形相のないこと,姿、特徴がないこと。



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師の法を弟子に伝えるために描かれて来た肖像画、頂相。迫真のリアリズムで姿形を写して来たはずの頂相にたいし〝形の上で表せるようなものではなく無相である“を一瞥〝極意、奥義“ を感じ、思わず頁を閉じた。 活き人形の職人が、弟子に陰毛を差し出し、男女を分けてみろ、というのを名人のエピソードとして読んだ記憶があるが〝木を見てと森を見ずだと思った。衛生標本の製作ならまだしも。昔大阪まで活き人形展を観に行き、非常に面白くはあったが、私とはリアルに対する考え方が違っていた。中には木を見ていて森に達してしまったような作品もあったけれど。 件の極意は私にはほとんど禅問答だが、極意、奥義ではないか?と感じたところで、まずは令和5年の暮れとしては上出来としておく。ここからああだこうだ考えるのは得策でないことは判っている。後はそれこそ考えるな感じろで、面壁坐禅替わりに制作を続けるだけである。



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昨日届いた京都国立博物館編『日本の肖像』(中央公論社)には目次に日本肖像画の諸問題そのニ(頂相)があったので、これを読むのを楽しみにしていた。しかし冒頭のある禅師の著した『禅林象器箋』の頂相の項にあるという〝祖師の姿顔は本来形の上で表せるようなものではなく無相である“  この一文を目にし、これはマズイ!すぐ閉じた。 検索すると『無相とは仏教における用語の一つで、形や特徴がないこと。対義語は有相(うそう)』とあった。人物の形や特徴にひたすらこだわって来た私には、まさに禅問答に等しい。 リアリズムを謳った、見せ物に供された生き人形職人の作った作品には、どこか木を見て森を見ず的な所が感じられるが、少なくとも私は頂相彫刻に感じたことがない。その理由が〝形の上で表せるようなものではなく無相である“に在るのではないか。 頂相彫刻が、人像表現の究極と思うに至った私は、いきなり目にした〝極意“に思わず頁を閉じてしまったのだろう。



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京都国立博物館編中央公論社『日本の肖像』が届く。眺めていて、今の私に至るための人物名鑑など3選を。 1  小学3年の私が図書室の、伝記、偉人伝の類を休み時間にも読み耽っているので、産休代替教員でお世話になった田中◯子(お名前は失念)先生は、転校に際し、ポケットマネーで『世界偉人伝』を内緒で下さった。1人1ページ。イラストは線描だったが、ちゃんと由来ある絵が使われていて、葛飾北斎を作る際、何種かある自画像から、迷わずこれに載っていた北斎を元にした。陶淵明も李白も見分けが付かない原因にもなった。 2 その2、3年後、中井英夫編纂の百科事典が来て、別巻の東洋美術の頂相彫刻を飽きずに眺めた。 3 高校の時、ブルースブーム到来。ミュージックマガジン別冊『ブルースの全て』を入手し、初めて見る、ジャズミュージシャンとは明らかに趣きの異なるブルースミュージシャンに釘付けとなった。 82年架空のブルースミュージシャンによる初個展『ブルースする人形展』によりスタート。



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無学祖元と、その喉元に剣を向ける蒙古兵は着彩を残すのみ。雲水姿の一休宗純は草鞋を履かせ、後は仕上げ。蘭渓道隆も仕上げの段階である。つまり無表情に、ただ祈り、耐えるだけの頭部の制作を終えた状態である。今年も終わろうというところで、制作を始めた当初からの、自分を焦らして制作における快感をより高めよう、という悪癖が顔を出している気がする。こういったヘキ、というものは反省したところで、そう改められるものではない。快感といってしまえばそうだが、そうすることで集中力が高まり結果は必ず良いし、そうしたくなるのは勝算あってこそである。テーブルに味の素が乗ってる近所の定食屋で熱燗を少々、暖まる。たしか今月、耳元で微かな蚊の羽音を聴いたはずだが。



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一日  


頂相(禅宗における高僧の肖像画)を弟子に与えるという習慣が、禅宗、特に臨済宗にとって肝心なことであった、と知るほど、その習慣がいつまであったのか気になる。自給自足的な禅宗では頂相を描く画僧を育てたが今は聞かないし、頂相彫刻を刻む話も聞かない、もし今でも続いているのであれば〝まことを写す“という写真に変わっているだろう。頂相彫刻も作るとしても銅像か。しかしいずれにしても、かつての頂相、頂相彫刻の役割を担える物とはとても思えない。ただ異なる物であろう。 そうこうして、資料がだいぶ集まった、その辺りについて書かれているかもしれないが、急ぐことはない。そんなことはさておいて、まずは作るべき物を作るのが先決である。



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現在の私に至るための設計図は小学3年〜4年にかけて、すでに描き上がっていたことがつくづくと実感される年の瀬となった。今年になって、設計図が描かれたと思しき鍵っ子だった頃、飽きもせず眺めた中井英夫監修の百科事典の別巻、東洋美術の頂相彫刻を、設計図に従い再び眺めている。一休宗純を作っている段階で気付くべきであったが、ただ好きでやって来たことにより自分の正体が明らかになる。良く出来た話ではあるが、それにしてもなんと長い道程であることか。 外側に目を向けずとも得られるものはある。〝心外無仏“と達磨大師が教えてくれているが、達磨大師も壁に向かって坐禅九年で手足を失い、あの姿になったことを思うと、私がエコノミークラス症候群にならないのか不思議である。慢性膵炎はセーフだったものの、皺寄せは来るだろう。来年は健康に気を付けたい。とは思うのである。



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頂相や頂相彫刻と対していて感じることは、迫真的描写で高僧の姿形を写すことに対する執念のようなものである。人像、ヒトガタには様々な物がある。愛玩用、記念像、人物とは違うが仏像など、その多くが人の願いや尊敬の念や愛情を受け入れる容積のような物を役割として持っているが、頂相彫刻においては少々異なる気がする。禅宗では仏像を拝し、経を読むこと以上に、師との精神的結びつきを重んじ、それにより弟子がある境地に達した時、卒業証明のように師の頂相が与えられ、その肖像画を、師そのものとして守って行く。そのため、迫真的に写すことに意味があり、幼い私が百科事典の西洋彫刻ではなく、頂相彫刻を飽きることなく眺め、小学四年で母にねだって読んだ『一休禅師』に載っていた一休和尚の肖像画が深く残り、未だに和尚に手を加えている有様で、私にとって、人像表現の頂点と考えるに至った理由も、そこにあるだろう。 人形は人形から、写真は写真から学ぶべきでないと考えて来たが、蘭渓道隆と無学祖元を手掛けたことにより理解したことが多く、年内に。蘭渓道隆師の没年齢を超える前に、ここに至ったのは幸いである。



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骨灰  


子供の頃、家族で縁日に行くと、もらった小遣いを使わず、帰りにシャッターを半分閉めている書店の裸電球の下で、店主や家族を待たせて本を選んだのを覚えているが、縁日でいくつも買ったのが、陶製のリアルな動物だった。シートを広げたオヤジの、骨の粉を混ぜて作ってる、というセリフが猟奇少年の私をくすぐった。後に工芸学校で、ボーンチャイナなど、磁器の原料として普通に牛の骨灰を使うことを知った。 山口県の寿円禅師像は、寺伝によると、正平九年の干魃に際し、禅師は秋芳洞に籠り雨乞いをし、満願の日に雷雨に恵まれ、禅師は天に謝し洞内で水中に身を投じたという。その亡骸の灰を混ぜて作った禅師の像を『骨灰ノ像』と呼んでいるそうで、そんな像は各地にあるようである。 素材に混ぜるといえば、大分趣きの異なる話しだが、絵の具に自身の精液を混ぜて描いたピエール・モリニエという、風変わりなアーティストもいた。



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完成間近の建長寺の開山、大覚禅師こと蘭渓道隆は、建長寺のサイトに載っている重文の座像とは別人の趣きで、私如きが違を唱えるかのようだが、実像を伝えていると判断した肖像画自体、建長寺の収蔵物であるから問題はない。肖像画以外はおそらく死後の制作であり、レントゲンなどの調査結果も踏まえてのことでもある。 出来ればこれを人間大、もしくはそれ以上のサイズに拡大してみたい。立像で50センチ前後の像を作る私には、写真が拡大するためのツールとなった。私自身がそれを一番見てみたい。 はるか昔、私が写真を始めておらず、仕事でスタジオでカメラマンに撮られるのを見ながら、人形ではなく、もっと人間として撮って欲しいと腹の中で思うことが多々あった。その頃裸電球の真下で、作業台の手回しろくろの上の人形を、見上げるように作っていた。人間を見下ろすことはあまりない。 人間大、あるいはそれ以上に拡大された視線と目が合った時、そこまで作った覚えがない、という奇妙な感じは、作者だけのものである。



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