明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



野暮用があり、お茶の水を母と歩く。私の記憶では幼稚園以来という気がしている。医科歯科大学が見える。あの病院は歯の治療の時、泣きわめく子供を縛るロープを用意してある。少なくとも昭和30年代。私は看護婦に椅子に縛り付けられた。 近所に、軍医上がりだという歯科医がいた。記憶の中には、断末魔の叫び声を上げるシルエットに、ノミをあてがいハンマーを振るう人物の姿がある。後年、母に確かめると実際の話であった。シルエットの人物は母だったのではないか?そんなこともあり、デパートに連れて行くなどと、幼稚園の先生と結託した母に騙され、医科歯科大に通ったわけである。唯一の楽しみは、帰りに構内のミルクスタンドで、牛乳瓶に入った乳酸飲料を飲むことであった。ホームで電車を待つ間、下を流れる神田川で、フンドシ姿の小父さんが行水をしていたのを総武線の車中から見たと言うと、母も覚えていた。 そんな諸々のせいだろうか、私には雨の御茶ノ水ほど哀しく感ずる景色はない。

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一日  


中央公論adagio創刊号は乱歩である。赤い空を背景に、満月と浅草は稜雲閣を配し、乱歩がカッコよく見えるように制作した。私はこの老人像は、何故か常にそれをテーマにしている。きっと好きなのであろう。 近所の古石場図書館に行き、向田邦子について書かれている本を借りる。著者の文章のリズムが生理にあわず閉口したが、電車に揺られて読んでいるうち収まった。 世田谷文学館の『向田邦子 果敢なる生涯』を観にいく。ここへ来るのは昨年の乱歩の朗読ライブ以来である。受付は看護婦役でスライド出演してもらった女性であった。礼を言う。あの時は、撮影の合間にも、たびたび外の灰皿の前で、タバコを吸っていた。もう少しで禁煙も一年に達する。 会場内のパネルを見ていると、ホームドラマ好きの両親のおかげで、向田ドラマを随分初期から観ていたことを知った。向田が“勝負服”と呼んだ服が展示されており、“大きさが”判った。イメージしていたより小柄であった。いちおう空気を吸ったので、レセプションの前に帰宅する。

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ある人から『Objectglass12』を、若いアメリカ人の写真家にあげたら、凝視すること30分。無言でした。とメールをいただいた。どういう理由で無言だったのかは書かれていなかったが、30分とはいえ、アメリカ人が黙っていたのだから、良い話であろう。 焼き鳥屋のK越屋に行き、親仁さんと今日はサンマある?とかなんとか話していると、通りの向かい側から手招きする工務店のSさん。先日花見に誘われた72の年寄りである。昨日は、ウチじゃ呑まないからと上等な焼酎を持って八幡様の骨董市に誘われた。この調子だと日曜ごとに誘われるのではないか・・・。 何かと思えば、選挙事務所行って呑もうという。「タダで呑めるよ」「ヤダよそんなのー」「判ったよ、後で行くから待ってて」というわけでK越屋で飲んでいるとSさん戻ってくる。いいの飲んでも?明日検査でしょ。だから家にある焼酎をくれたに違いない。「K越屋の親父には焼酎あげた事いわないでよ」。検査結果によって、店に来なくなることをK越屋の親父に「すーぐビビリやがって。臆病な野郎だぜ」とからかわれるからであろう。 先日の八幡様で、ほんとに骨董好きなのは判っていたが、「いくら言ってもバアサンに棄てられちゃうんだよな」ロレツが廻らない説明によると、親父さんの趣味は子供時代を懐かしんでの古民具に限るようである。70過ぎの爺さんが子供時代を懐かしんで買ってくるガラクタを、婆さんに棄てられない方法などあるはずがない。


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24日から世田谷文学館で向田邦子展が始まるが、没後25年だそうである。亡くなった当時ワイドショーで、旅行先の台湾で、たまたま旅行者のビデオに写っていた向田邦子の映像を繰り返し見た覚えがある。私はテレビでは『大根の花』から、随分お世話になったが、文章はまったくといって良いほど読んだことが無い。以前も書いたが、女流作家は、パール・バックの『大地』以外には、思いつかない私である。もっとも内容はカケラも記憶に無いが。(今思い出したが中学の時に読んだ『フランケンシュタイン』はシェリー夫人ではなかったか?) 資料として短編など読んでみると、なるほど引き込まれ止まらなくなる。どんなポーズにしようかと考えるが、猫を抱かせるのがよさそうである。飼っていたのはタイ産のコラットとかいう猫。煮込み屋のK本に行き、数回来ただけで、常連のような顔をする無粋なサラリーマンに、カリカリしている女将さんの足元でじゃれる猫を見ながら「オマエとはちょっと毛並みが違うらしいぜ」。編集者に調べてもらうと、そう簡単にはお目にかかれない猫らしい。

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『Objectglass12』は我が偏愛する、と言うしかないランナップであるが、単に誰にも頼まれずに作っていたら、こうなったということである。依頼されて作ったのは、12人の中に入っていないが、最後のページの宮武外骨だけである。 そう思うと、仕事(制作料が派生する)で実在の人物を作った事は実に少ない。BBキングに柳ジョージに高橋幸宏、宮武外骨のたった4人である。(某企業会長の御母堂はあったが。某日8最後の願い参照) 一つには私の高額な制作料が問題かと思われるが、話があったのがこの4回しかないので、おそらく違うような気がする。というわけで、5人目は向田邦子なのであった。

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近所のスーパーで亀戸大根を売っていた。群馬産であったが、珍しいので買う。ついでに道端で売っていた野蕗とエシャレットも。 大根の葉っぱは、捨ててしまう人が多いようだが、私は大好きなのである。むかし岐阜の製陶工場に勤めていた頃、昼食は工場長と一緒に、奥さんの作ってくれた物をいただいていたが、辞める時に、何が一番美味しかったかと聞かれ、みず菜をゴマ油で炒め物だったと言ったら、他にもっと美味しい物があっただろうにと、ガッカリされてしまった。私はそれまで、みず菜を見たことも食べたこともなかったのである。東京に帰ってきて、思い出しては、代用として大根の葉っぱを炒めて食べたものである。亀戸大根は、浅漬けや、下ろしてたいそう美味しかったが、葉っぱがまた格別であった。

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午後、京橋の中央公論新社を色見本を届けがてら見学。ここからなら、丁度よい散歩コース。歩いて帰る。到着というところで、同じマンションに住むYさんが、煮込みのK本に入るのが見えた。 元パロル社の鈴木さんと会うことなったが、8時過ぎるというので、深川に来てもらうと遅くなる。それなら本郷に行くとよけいな事を言ってしまった。K本でちょっと飲んで、一休みして本郷に向えば良いと考えたが、案の定そうはいかず、普段なら、駐車場はさんだ我が家で、あとは寝るだけという状態まで飲んでしまった。ヘロヘロの状態のまま、本郷三丁目に向う。待ち合わせの喫茶店に入ると、デザイナーの北村さんがいた。今日は箒にまたがっていなかったが、神田に行った折、偶然鈴木さんと会ったらしい。私はまだ『Objectglass12』が書店に並んでいるのを見ていないが、三省堂に10冊あったという。 『乱歩 夜の夢こそまこと』の3人が、3人だけで顔をあわせるのは久しぶりである。前にも書いたが、私がチームを組む機会は少ないので、私にとって珍しい人たちなのである。愉快に過ごす。 終電ぎりぎりで大江戸線に乗り、門前仲町に着き、よせばいいのにまた一杯。もっとも検査の結果肝臓に問題は無く、例によって二日酔いもしないので、よす必要は、何もないのである。

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魔法  


ある歌人の方から拙著『ObjectGlass12』に対し、「見飽きない魔法の一巻」という過分なお葉書きを頂戴した。実に嬉しくありがたい。 飽きないといえば、音楽でいうと、私には唯一ジャズのチャーリー・パーカーがある。飽きない理由はこの世のものではないからだ、というのが、私なりの結論である。それしか理由が思いつかないのでしかたがない。 子供の頃、漫画雑誌を隅から隅まで、あのいかがわしい、子供だましの広告まで読んでしまい、読むたび記憶が無くなれば、大人になるまで、この1冊でいいのに、と溜息をついたものだが、飽きないためには、それこそ魔法が必要である。前著『乱歩 夜の夢こそまこと』で私の作品に編集者やデザイナーという他人の手が加わり、私本人が見飽きない物ができた。そこで今作も、ひき続きデザインは北村武士さんにお願いしたわけだが、前作の経験から、北村さんが何を言っているのか理解できなくても、お任せしていたら、前述のご意見をいただけるような本ができていた。昨日も北村さんにお会いしたばかりだが、箒にまたがって、こんな似合う人は、まずいない。

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午後、洗濯でもしようと思っているところへ近所の工務店のオヤジさん。「花見行かない?船に乗ろうよ」今年最後の花見は、72歳の老人と二人ということになった。ウチのマンションは川べりにあり、ずっと桜並木が続いている。桜がふりそそぐ中、露天でビールを飲んで、船着場へ。この時期限定、和船で20分間の遊覧である。 以前、某作家が、カヌーに乗って隅田川から東京湾へという番組を見ていたら、目の下の川を通っていった。どうみても、ウチのマンションの屋上から撮ったとしかみえなかったが、その間中、臭い々と言っていたのを覚えている。四万十川でも下っていればいいだろと思ったものだが、今は、臭くなくなっている。けっこう改善されるものだと感心したのであった。川面から桜並木を見上げて気持ちがよい。途中すれ違った船上の新内流しは、昔を再現したものらしい。柳家三亀松が川並時代に、この川で筏に乗ったのは間違いないだろう。

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実家でもらってくるキクラゲは、茹でるとたいそう立派である。そこで思いついたのが、皮をむいた骨付きの鶏肉をザク切りにし、野菜とキクラゲとともに煮るという鍋である。ココナツミルクなどで煮ると雰囲気が出るだろう。 私の友人には、気が小さいくせに、物事に動じない風な見栄をはる下町っ子が多い。そこで、今日は珍しい鍋を食わすからとウチに誘う。フルーツ・バットっていうフルーツしか食べないコウモリの鍋だと蓋を取る。顔色を変えたのを気取られないように「それは知ってるけど、翼は食わないだろ?」キクラゲを見て、そいつは言うだろう。「昔はな。最近は食うんだよ。リンゴの皮と同じで、ここに栄養があるんだそうだ」箸でキクラゲをちょっとつまむ(キクラゲとバレ無い程度に)「ほら食べやすいように毛は焼いてあるんだよ。観光客には人気だそうだぜ。」 肝心な事は、鍋の蓋を取る前に、彼が空腹であることを確認しておくことである。以前、昼飯遅くて、今は腹減ってないんだ、と逃げられた苦い?経験があるからである。

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昨日は葛飾は新小岩の実家に泊まり、そこから神田の彷徨社に稲垣足穂のプリントを届ける。先日、南陀楼綾繁さんと副編集長の皆川さんの対談を聞き、一度彷徨社の様子を覗いてみたかったのである。ドアを開けると彷書月刊の発送の日だったようで、8人くらいの人で立錐の余地がない。皆川さんは、うずたかく積まれた本に囲まれ、爆撃機の銃座内の砲手がごとき状態であった。取り込み中ゆえ早々に辞する。 Sと待ち合わせていた地元深川、K本に。少々遅れると、すでにSは顔が赤い。生のウコンを齧ってきたから大丈夫だという。カメハメハ大王の末裔で、母はエリザベス女王の双子の妹という金髪の日本人詐欺師、クヒオ大佐の話で飲む。荷物を家に置いて、次の店にと思ったら、鍵を実家に忘れてきていた。良い店を知ってるとSが言うのでタクシーで再び新小岩へ。 地元といっても18で出たので、酒場などほとんど知らない。Sに連れられていった店は、もつ焼きの煙がジェットのように噴出していて、これは大当たりの店であった。もつ焼きは美味いわ、ムードは満点だわで言う事なし。話も盛り上がった。いつものように、Sの奥さんから電話。電話の向こうにいるのはパットン将軍か?ということで、最後に私の知ってるロンメル将軍の話をしたりしてお開き。セパレーターを外してペアを一緒にした魚が心配だったが面倒になり、実家にもう一泊。

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ひさしぶりにO君に会う。花見の予定だったが、そんな天候ではないので、とりあえずK本に行く。ここのところ連日飲んでいるが、二日酔いをまったくしない体質なので、どうということはない。(正確にいうと20数年前に一度だけある)ここの焼酎は効くから注意するようにと言って始める。昨日のTさんはホッピーを半分ずつジョッキに入れて飲んでいたが、他所の店と同じつもりでそれをやると、とんでもないことになる。案の定、早々に引き上げていった。 O君とは25の時からの付き合いなので、彼にも何度か撮影に付き合ってもらった。鏡花の撮影のとき崖下までおりて撮影していて、ぎりぎりまで粘って暗くなり、大雨に降られ、帰りが大変なことになった。(そういえばTさんとは、同じ場所でニジンスキーの牧神を撮影したのであった) 『Objectglass』を見せながら、この猫は、この席から撮ったのだなどと言っているうち、O君の顔が赤くなってきたので、もう少し“焼酎の薄い”店に移動することにする。なにしろ彼は、階段を踏み外したように、突然酔いがまわるのである。へろへろのO君に、長いこと同じこと続けてるよなあ、と呆れたような感心したような顔で言われる。20代からの友人に言われるとそんな気もする。

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日常  


花見をしたり、本の発送をしているうち、雑記が数日、間が空いてしまった。原因は自宅で飼ってる熱帯魚のフラワーホーンが、紆余曲折を経て、ようやく産卵。と喜び勇んで書いたにもかかわらず、私の勘違いで、単にコケだったというお粗末な結末なのであった。せっかく書いたのに。いや、せっかくと言う程のこともない話を、長々と書いた自分にウンザリだが、魚はというと、今にも産卵というような行動を続けており、生まれたら、書いた雑記に多少の変更を加えればいいではないかと、そのままにしておいたら数日経ってしまったのである。もともとたいしたことが起こらない日常からすれば、魚の産卵など大した話である。いいのかこんなことで。

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