明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

NUDE  


今回、かつて制作した半裸のヌードのオイルプリントが、搬入当日に画廊に届き感慨深かった。野島康三を知り、この技法で本当にあの濃厚な味が出るものか、と繰り返していた当時を思い出す。野島の濃厚さは、技法や印象的なモデルの選択を含め、野島独自の物であった。よって2、3の作家を別にすれば、ピクトリアリズムや古典技法だからといって心惹かれることはあまりない。暗部から明部にわたるインクによる階調。オイルによるヌードは独特である。  私が撮影したことのあるヌードは一人デッサンのモデルをやっていた人を除けば素人である。自らの美しさを見つけていないところが良い。知り合いに女性の刺青師がいる。以前から撮らせてもらいたいと思っていた。訊くところによると修行時代、まず手の届くところに自分で墨を入れ、次に弟子同士で。背中には師匠の八重垣姫が入っている。という。この玉石混交なところはプロの刺青師ならではないか。そう思い、最初期の、自ら入れた墨の画像を送ってもらった。私が陶芸家を目指していた頃、面相筆で線描の練習をしたのを思い出した。しかし考えてみれば当然であるが、皿や茶碗に描くのとは違う。自らに墨を入れるのであるから、アップでみれば現在の力量とは比較にならないものの、遠めに見れば稚拙感は薄い。携帯でやりとりしていて、発想は別なものの、お互い同じ事を考えた。彼女は機械ではなく、手彫りしているところを撮って欲しいという。つまりこれは二体のヌードによる構成になることを意味している。 ところでこんなことを書いていたら、なんだか鼻の奥でキナ臭い匂いがし始めた。我が家には、かつて転写によるオイルのカラー化実験のために入手した(内田洋行製)版画用プレス機がある。色分解ではなく、多色刷り木版のように、墨の各色を転写したらどうか。さらに手彫りと機械彫りでは使用する顔料は違うそうだが、実際に使用する刺青用顔料を使用したりして。当然退色には強い。またまた御冗談を?私。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

『モダン藝術写真展』9月15日(月)~10月7日(火)

http://t.co/lc05lwVaiM

※世田谷文学館にて展示中10月5日まで

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某地方誌の表紙に、エドガー・アラン・ポーのオイルプリントが使われることになった。印刷による再現が難しいので、普通にカラーである原版から、とも思ったが、『龍之介地獄変』小沢章友著(新潮社)以来、オイルプリントが表紙に使われる稀少性を選んだ。 “創刊兼終刊号”の横に江戸川乱歩生誕120年と書いてある。そういえば、来年15年は江戸川乱歩、谷崎潤一郎の著作権が切れる。ブームになるのであろうか。 人は15歳の時に好きだった物は一生好きだと訊いた。となれば私にとってこの二人がまさにそうである。私の場合、すでに故人の作家でも、本人に見せウケたい、という妄想の元に制作している。なので江戸川乱歩は、実は常識人で、『盲獣』など自作のグロテスクさに嫌気がさしたりする人物だったので、ことさらグロテスクにせず、どこかユーモラスに描いた。しかし没後50年ともなれば、少々無茶してもかまわないかもしれない。ただ、ここがイラストなどと違うところであるが、どうしても表現が直接的になってしまう。私の河童の三郎など、未だに『気持ち悪い』。という声を聞く。作者の泉鏡花が、超が付く潔癖症で、だからこそ安全な原稿用紙の中、想像力を駆使し、自分の大嫌いなべとべと生臭い妖怪を描いたわけである。あれで良いのだ。

30日は夕方以降在廊

オイルプリント制作法

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オイルプリントを再開し、この期に及んで“写真”というはた迷惑な用語から、決別の時が近い、と考えている。写真だろうが版画だろうが印刷だろうがガリ版だろうがプリントである。デジタル時代になり、データの加工は出来るし簡単に失われてしまう。“確たる物”でなくなってしまった。確たる物でないもので真を写す。ということになってしまった訳である。特に何に対していっている訳ではないが、ザマアミロ。という気分である。よってここへ来て、私がかつてイメージした、デジタルと修験者の技のようなアナログな技術を合流させた、人形も人間も、ウソもホントもどうでも良い世界。にようやく違和感はなくなったと感じている。 萩谷剛さんが日本酒を抱えて来廊。昔萩谷さんが編集されていた『クラシックカメラ選科』に、泉鏡花のオイルプリントとともに一文を書かせていただいたことがある。この時は、まだデジタル化がこれほど急速に進むと思っていなかったが、今読むと、内心良い時代が来つつある、と予感しながらもいいたいことを遠慮しているのが判り可笑しい。 そのさらに数年前、ここに同年代と思われる三人の読者投稿があり、そこに作例として写っていたのが田村写真の田村さんである。私が穴の開くほど見ていたおかげで、ある場所で私が田村さんを“発見”した。「ベンチに座っていた方じゃないですか?」。その田村さんも、今では湿版写真の普及に忙しい。 オイルプリントの試作を一人繰り返していた私には、話す相手がいない。もう一人の投稿者Iさんの勤める中古カメラ店にオイルの習作を持って会いにいった。「いつか写真用品店じゃなく、薬品問屋に通って作品を作る人が現れると思った」。といわれた。

オイルプリント制作法

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当ブログは実際より20パーセントほど爽やかに書いている。 今回出品しているエドガー・アラン・ポーの制作は難航した。今までを考えても1,2を争う難航ぶりであろう。その間に今回のグループ展の話が持ち上がった。 オイルプリントを休止していた間も、今まで制作してきたネガやデジタルデータはすべてオイルプリント化が可能である、という前提でいたので、オイルプリントを出品するのであれば、その中から選べば良かったが、ポーはオイルプリント向きであろう、と勢いで決めてしまった。10年ぶりのプリントであり、さらに夏にプリントするのも初めてという不安もあり、制作を急ぎたかったが、こればかりはどうにもならない。結局ギリギリまで制作したおかげでインクが乾かず、大事な一作を駄目にした。 ということで、今回お知らせの送付がほとんどできなかったし、メールを送ろうにも、度重なるPC、携帯の不調により、それもままならず。というわけで会期も後半に突入している本日。長々と失礼に対する言い訳を連ねてしまった。 廊主が勉強熱心で各技法の理解度日々アップ。かつて廊主にオイルプリントを、会期終了まで解らない々といわれ続けたことを思うと実に心強い。明日日曜日は、作家3人在廊の予定です。この機会には、遠慮なく各作家に質問して下さい。

オイルプリント制作法

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今回写真の古典技法のグループ展に参加してみて、改めて考えているのがまことを写すという意味の“写真”という言葉である。私は事あるごとに、しつこいくらいに、蛇蝎の如くに嫌いだ、といってきた。迷惑しているといっても良い。写真だと思うから顔料インクで印画されたオイルプリントが不思議に見えてしまう。という実害?もある。もともと様々な技法があったことが知られつつある昨今、それがデジタルの反作用だとしても良いことである。 ツイッターの自己紹介に『額にレンズを当てる“念写”が理想だが、そんな能力はないので、しかたなく4、50センチの人物像を作り、作品を制作』と書いたが本音である。私が陶芸の専門学校に通っていた頃、写真にはまったく興味がなく、何も知らない私は、カメラマン志望の友人と喧嘩するたび「あの娘はお前が可愛くしたわけじゃないだろ、このかっぱらい野郎!」などといっていた。現在被写体を自分で作る労苦を強いられているのは、この時に吐いた暴言が祟っているのであろう。 私の創作行為は自分の中のイメージを可視化し、やっぱりあったな、と確認したいという欲求から始まっている。子供の頃、頭の中に浮かんだ物は確実に在るのに、それは何処へ行ってしまうんだろう。と首をかしげていた。自分の外側にではなく、額にレンズを向けたい。 真など一切写したくもなく、係わりたくもない私が到達したのが被写体を作り制作したオイルプリントである。そう思うと、私自身のまことは写っているといえば写っている。よって念写にはすでに成功している。といえるのかもしれない。

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赤坂で個展開催中の専門学校時代の旧友に会う。 碓井君は年上だが、高校出たての3人は、一つ上は君。それ以外はさんにしようと話し合った。君は敬称のつもりでいたが、西の方では目下に使うもののようである。7、8歳も年上の同級生までいたのでとまどった。 学校にはデッサン経験者と未経験者がいて、碓井君は経験者で別格で上手かった。私はというと、芸術学部がある大学の付属高校で、彫刻科に進むつもりが学科試験だけでなく、デッサンの試験があると知ったのは3年の進路指導の時であった。 後年、女子美の学長になる若きT先生は生徒の出来により扱いが違った。私が質問しているのに私を見ようともせず、碓井君に答える始末である。学校には定期的に皆の前で自作を説明し、批評を受ける合評会があった。その時碓井君にいわれた。「お前もうちょっと見せ方考えろよ」。以前、サンディエゴ写真美術館の館長に作品を見てもらう機会があった。私の作品にユニークを連発してくれたのは良かったが、もっと見せ方を考えなさい。といわれて碓井君を思い出した。未だに画廊の飾りつけさえおぼつかない。  彼は美大で非常勤講師も勤めるが、3・11以降学生が一変し、出席率98%と真面目になったそうである。出品作は、タイの大学で教えた頃得たイメージを形にした作品である。昔からかっちりとした物を作る人であったが、そこに暖か味が加わっていた。 「よく俺たち生きてきたよな」。ほっぺたをつねると一応痛くはあるね。

《 碓井直弘 陶磁展 》 マンゴーの見る夢
9月23日(秋分の日)~27日(土)
ギャラリーカフェ「ジャローナ」

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85歳の母がやってきた。先のことを考えると、もはや来るな、という気もおきない。杖突いて一人で飛行機で広島まで行ってきたから鵜の木などどうということはないのだが。もっとも、かけてきた携帯からは「多摩川行きは何番線です?」という声が聞こえていたから、迷うぐらいなら、そこらの人を捕まえ訊いてしまえ、というわけである。車で道に迷っても人に尋ねようとしなかった父に対して、亡くなって随分になるのに未だにいっている。私の人見知りの成分は父由来のものであろう。 会場では目を離すと、私も知らない来場者となにやら話しているから気が気ではない。私のブログを御覧の方がいて、母が錦糸町のバス停で財布を忘れたことを覚えておられていて弱った。 母に対して皆さんに元気ですね。といわれるたび、その後に『親不孝な息子のせいで死んでいられないのだろう』という台詞が私には確かに聴こえている。つい自分から“親を長生きさせたかったら親孝行が一番いけません”といってしまうのであった。 白石ちえこさんが母の写真を撮って送ってくれたが、私には母をこうは撮れないというポートレイトで、またこれを遺影にする、というだろう。どうも意識してレンズから視線をそらせていそうなところがなんとも。ではあったが。

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雑巾がけで参加している白石ちえこさんとは、私が黒人ばかり作っていた頃会っている。あの頃、何度会ったか覚えていないが、2000年の私のオイルプリントの個展には来てくれたそうである。白石さんはまだ写真をやっていなかった。それが今、写真の古典技法のグループ展で作品を並べている。出会いのきっかけとなるギター製作の遠藤雅美さんと、画廊の近くで三人で飲んでいることが不思議であった。 昔TVの番組で、まったく縁もゆかりもなく、住まいも遠く離れた二人が知人を通じ、何人でたどり着くか、という実験をやっていたが、わずかな人数、十人かからなかったと記憶している。 高校を卒業し、陶芸の専門学校に入った私だが、夏休み、親睦をかね長野で合宿があった。一人先に帰るという先輩を送ろうと松本駅に行った。電車待ちの間ぶらぶらし、戻ったらその先輩と高校の同級であったYが、大学の友人とヒッチハイクの途中だと、ベンチで話していた。 一年後、私のアパートで沖縄の友人と、彼の実家に遊びに行く相談している所へYが遊びに来た。当然昨年の偶然の出来事で盛り上がった。彼は今年もヒッチハイクだという。翌日、空席待ちの飛行機の半額チケットで沖縄に向かうつもりがお盆の時期、とても無理。そこで京都経由で九州からフェリーでということになり、京都で一泊した。といっても駅構内で野宿である。朝、駅員に起こされ外へ出たら、Yがシートを広げ、ザックをゴソゴソやっていた。 Yとヒッチハイクをした大学の友人は、後に私が某シャッターメーカーのTVCFの仕事をし、人形アニメーションの製作現場に立ち会っていたら、社員でそこにいた。

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エドガー・ポーを制作中、世界中にあると思われる立体作品を検索したが、私の出る幕はない、と思わせられる作品にはお目にかからなかった。唯一、政治家やスポーツ選手などの巨大なモニュメントを手がける彫刻家の作品はさすが、と思わされたが、写真とソックリ。という粋からはみ出しているところは見受けられなかった。 不可解なのが、世界初の推理小説である『モルグ街の殺人』でオランウータンを使った作品が見つからないことである。200年もの間、どういうことであろうか。(未だに探索中)  昨日、HPの三島のページを久しぶりに見て、ある友人が友情を持ってこれは止めておけ、と忠告してくれた意味を改めて噛み締めた。それには二つの理由があったろう。実際、複数の画廊に断られた理由でもあったが、オカシナ団体のオカシナ人物が現れるのではないか。もう一つは男が死んでいる画を誰が買うか、ということであろう。結果、友人の杞憂は半分外れ、半分大当たりすることになったわけである。 しかし以来、オランウータンぐらいではまったく動じず、『大鴉』の背景の撮影場所が、嵐の晩の設定が、電灯と外光がでたらめに混ざった明るい部屋であった。(詳細は避けるが、条件の良い時にに改めて。という場所ではない) 気落ちして当然なはずが、友人と平然と昼食に焼肉を食べている自分が不思議であったが、結果、暖炉の灯に照らされる部屋が完成した。三島のおかげで“腕力及び胆力アップ”がなされたことは間違いがない。

※ 明日は在廊しております

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溜まった洗濯をしていて寝てしまい、出かけるのが遅れる。暇つぶしになろうかとサインに失敗した『貝の穴に河童の居る事』(風涛社)を持っていった。出版は一昨年だと思い込み、人にもいってしまうが昨年であった。どうも、知らないうちに時間が経ってしまい、恥ずかしいことになるので、ちょっと多めに思い込む癖が付いているのかもしれない。 会場に着いたのが3時過ぎ。すぐに『貝の穴』に出演してくれた親子が来場。好色な河童が海辺に旅行に来た娘の尻に触ろうとしてケガをするところから始まる。その尻の持ち主が結婚するので本日は衣装合わせで両親と出かけたついでに寄ってくれた。お母さんも踊りの師匠役で出てもらっている。旅館の番頭さんも来てくれるだろうし、世田谷文学館は遠くて行かない、といっているタクシーの運転手も、こちらには来てくれるであろう。 その後、歌人の藤原龍一郎さんがお出でに。住まいの向かいの小学校のご出身だそうである。プロレス関連のお話もちらっと。すれ違いばかりでようやくお会いできた。 先日海外の写真展に招かれ、ロールスロイスにレッドカーペット待遇を受けたという権平太一さん見える。私がオイルプリントを始めたきっかけの野島康三は海外では大変な人気だそうである。三島も人気があるようなので、放りっぱなしだったページを作ってみた。久しぶりに眺めたが、最近は自分の頭に浮かんだ画は必ず可視化しているが、今見ると、どうやって作ったか判らない作品もある。

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朝メールをチェックしていると、私が何かを依頼され、そして断ったらしいメールが着ていた。まったく身に覚えがない。昨晩けっこう呑んでいたが、 そこまで訳が判らなくなることはないはずだが。しかし文面を読むと、そうとしか思えない。メールで改めて伺うと、実は送っていただいた美味しい液体の入った瓶と一緒に書類が添えられていたそうである。しかし箱には何も入っていない。それでもお引き受けすることにし、事なきを得た。 本日も一日鵜の木。オイルプリントはモニターで見たのとは随分違うといっていただけるが、表面の独特の艶は、スキャンしようと撮影しようと無理であろう。こればかりは実際に見ていただかないとならない。 終了間際、旧知のO君来る。3年ぶりか。駅近くの店で旧交を温める。この歳になると、体調の話になるのは仕方がないが、O君の周りでは癌が多発しているという。そんな話を別の人と話したばかりである。原発は事故云々以前に、放射能を発散しているという話がリアルに感じる。 帰宅すると玄関に瓶が包まれていた破れた包装紙が放りだされている。内側にちゃんと書類が貼りついていた。それはそうだ。入っているとしたらここであろう。包装紙の、まるでDNAの解析で、126年ぶりに犯人が特定された、切り裂きジャックの被害者の下着のような有様に、一人赤面す。

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ジャズ・ブルースシリーズから作家シリーズに転向し、最初に作ったのが澁澤龍彦である。何しろたくましい黒人から急に転向したので、何度脚を切断し、粘土をそぎ落としたろうか。おっかなびっくり作ったので非常に小さい、と思い込んでいたが、妖精のように、様々な場所に配するつもりもあってことさら小さく作ったのを思い出した。当時は合成などやっていなかった。雑誌のインタビューで、パソコンについてぼろくそいったのを、未だに覚えている人につっこまれる。 二人目は乱歩か谷崎であった。乱歩の第一作は黄金仮面を持たせ、二作目が気球にぶら下がった乱歩である。 作家シリーズに転向したのは、初めてジャズシリーズを撮影し展示したときに、実写と間違えた編集者がいたことがきっかけである。そんなつもりで作ったわけではない。そこで人形でないと作れない作品を、と始めたので、書斎にいたり、いくらでもある作家像にしたくなかった。それで作ったのが『帝都上空』である。老人である乱歩がピストル持って気球にぶら下がるわけがない。だがしかし。これでも実写だと思う人がいた。これはもうしかたがない。 97年。作家シリーズの一回目の個展は、御遺族に許可をいただきタイトルを『夜の夢こそまこと』にした。8年後の処女出版も同じく。そして17年後にようやくオイルプリントになった。

オイルプリントインキング映像↓

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『モダン藝術写真展』9月15日(月)~10月7日(火)《土曜日曜祝は在廊しています》

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オイルプリントの独学について何度か書いたが、教えてくれる人がいたならともかく、廃れまくって跡形もない技法であった。91年頃ならまだ戦前のブロムオイリストの生き残りがいたはずだが、探しようがない。 程なく当時の文献データから自己流にはみ出し始めた。階調を得る為、シャドー、中間、ハイライトと三種のネガを作り、それぞれインキングを施し転写することにより階調が得られることを知ったが、私にはそういう作業が向いていない。目の前のことだけにしか責任が持てないタチなのである。昔目指した陶芸の世界も、ロクロを回しながら乾燥中の作品のことを気にし、窯の温度を気にし、全体的に作業を進めるが、それがまったく向いていなかった。(ついでにいえば暗室作業がまた向いていない)そこで私はゼラチンの厚みを厚くし、一回で階調をより多く出そうと考えた。 先日も書いたが、後に既成の印画紙を使うブロムオイリストの映像をネットで見て、豚毛のような硬い毛質の大きなブラシを逆手に持ち、ドカドカ画面を叩いているのを見て驚いた。私の方法ではゼラチンがダメージを受け、とてもできない。人形制作もそうだが、比較参考にするものがないせいで、いつのまにか私なりの方法になってしまう。 この映像は、出品中のプリントのインキング映像だが、ゼラチン紙が水を含んで膨張し、レリーフ状になっている様子が判っていただけるだろう。柔らかいブラシを使用し、特に仕上げの段階で、触れるか触れないか、というブラシの使い方をしている。この映像では判りにくいが、あれで画質が微妙に、しかしぐっとアップするところが醍醐味である。 これを写真というか版画というか、どう解釈するかはあなた次第です?ついでに被写体は粘土ですけど。 写真というまことを写す。という言葉を嫌い、まことなどと一切かかわりたくない。と画面から排除することにファイト燃やしてたらこうなりました。

インキング映像↓

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エドガー・アラン・ポーは世界中でフィギュアはもちろんのこと、マグカップやTシャツ、縫ぐるみまで売られている。こんな作家は世界中に他にはいないだろう。これは皮肉なことに、歳若い妻に先立たれた1年後、別な女性にプロポーズし、禁酒を条件に受け入れられたのに関らず、飲酒がバレて破談。自らも1年後に亡くなる頃撮られた、陰鬱なポートレイトのたまもの?であろう。目の下の陰にもかかわらず、ボリス・カーロフのフランケンシュタインよろしく、黒々と盛大なクマが描かれたポートレイトが流布されるに至った。 会場には乱歩はともかく、ポーをご存知の方はあまりお出ででないようである。今回も参考にさせていただいた、ポーを訳されている金原瑞人さんのポーの新訳がまもなく出るそうで楽しみである。 会場のある鵜の木には、たぶん私のために急遽用意された焼き鳥屋がある。そこでたらふくやっつけたのに、帰宅するとポストにTさんより築地鳥藤のチキンカツ。乱歩の生誕地、名張より中相作さんから“名張の隠れ酒”『乱歩誕生』をいただいてしまっていた。こうなったら致し方ない。先のことは私のせいではないといいたい。

『モダン藝術写真展』9月15日(月)~10月7日(火)

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今回、私も十数年見ていなかった2000年制作のプリントを展示している。見ていると、当時の気分が蘇ってくる。 そういえば、と思い出したのがこの翌年。編集部から有名な芥川龍之介の写真のスキャンデータが送られてきたものを、オイルプリント化した物である。 ついでにこの頃、時にブラシの毛がへばりついてしまう、アナログにも程があるオイルプリントを、某カメラ雑誌のトンチキ編集者に、「こういうものはコンピューターでできるから」。といわれたことまで思い出した。 昔、仕事で使ったポジフィルムを失くされ、悶着があった某企業の男。「二度とウチの仕事があると思うなよ」。と陰でいっていたそうである。(本当に来なかったが)当人はサーフボードを頭にぶつけて死んでしまった。件の編集者がちょっと心配である。

DMを持って、休廊日に来る方が必ずいるものである。月・火・土・日 12:00-19:00 水・金 15:00-22:00 Close:木曜日ということなので、お間違えないよう。私は明日17日は在廊しています。

『モダン藝術写真展』9月15日(月)~10月7日(火)

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