明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



充電が切れた携帯が見つからない。おそらく母からは何度も電話があったはずだが。パソコンのプリンターに次いで相性が悪いのは携帯電話である。プリンターの時は崖下に放り捨てることを想像して耐えたが、何台目だったろう、癇癪起して素手で壊せる部分はぶっ壊してやった。以来何年も使っていない。 背中の彫物の女郎蜘蛛だけで3日目。蜘蛛の巣の処理に手間がかかった。作家シリーズの最初期は人形とカメラを手持ちで15分の1秒、例えば金沢へ鏡花の首一つに、すげ替え用の胴体2つあれば、数十カットものにして帰ってきたのが今では夢のようである。どんどん面倒なことになってきている。こうしないと思ったようにならないのだからしかたがない。明け方までやって後は女郎蜘蛛に女郎の首を着けるだけである。ただここに谷崎がいなければならないだろうか?という気がちょっとしている。

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

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三島由起夫の背中に唐獅子牡丹を描いてくれた彫Sによると、江戸時代の彫物は墨と赤だけだったという。女郎蜘蛛が彫物のモチーフにいつごろからなったかは判らないが、女郎蜘蛛といえば黄色が妖しさの象徴であろう。ホントのことなどどうでも良いといっている私だが、上手いウソをつくにはホントのことを混ぜるのがコツである。密かにウソをつくのではない。私の場合ほとんどウソ八百なので、あくまで密かにホントのことを混ぜる。黄色抜きの女郎蜘蛛に。 蜘蛛といえば、蜘蛛と蟹は構造からみて親戚ではないか。つまり食べたら美味い蜘蛛がどこかに存在するのではないか、と子供の頃から思っていた。以前ブログでそのことを書いたら、友人がタイだかベトナムの市場で観た気がする、と教えてくれた。ところが先日ユーチューブを観ていたら、宮川 大輔がタランチュラの素揚げを食べていた。タランチュラは毛だらけの大型で007などでも登場したが、実際は人間が死ぬ程の毒はないらしい。宮川大介は匂いはカニ、味はカニ以上といっていた。

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

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昨日の続きだが、中学生の時に乱歩とともにはまった谷崎であったが、作家シリーズの最初の個展で発表後はあまり作品化していない。初期の作品は総じて小さく、特に谷崎の場合女性のヌードに配することしか考えていなかったので小さい。そして『』の明治座案の他には、当時日本橋に工房を構えられていた辻村ジュサブローさんの工房を訪ねる谷崎というのも考えた。つまり人形が人形町の人形作家を、という訳である。人形作家の先達であるジュサブローさんに対して今思うと大胆なことを考えたものであるが、それ以前NHKの番組でジュサブローさんが作品化している乱歩の『押絵と旅する男』について語るというシーンがあり、それは私が作った乱歩に、ジュサブローさんが乱歩として語りかけるという趣向で、残念ながらカットされてしまったのだが、VTRをもらえていたなら大変な記念になっていただろう。つまり面識があり、その時有り難いお言葉をも頂戴していたからこそであったが。最終的に鶴澤寛也さんの三味線を谷崎が聴き入るというシーンに決めた。初期の谷崎は人と共演するにはデイテール不足で大きく作り直した。その二代目谷崎は以後作品化はしていない。そこで『刺青』をやってみようと考えた。三島に唐獅子牡丹を描いてもらった女彫物師も女郎蜘蛛が入っていたが、腰の側面あたりだったし、他の彫物もあってそれを消すのは大変、と新たに制作しているのだが、例によって蜘蛛の巣だらけにしてしまい、これはやり過ぎと減らした。あまり密に入れずに空間の肉感を生かしたい。

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

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細雪  


そろそろジタバタしてもしかたがない所に差し掛かっている。そんな時に限ってジタバタしたくなるものである。人は十五歳の時に好きだった物は一生好きなんだそうだが、正確にいうともうちょっと若かったかもしれないが、夢中だったのが大人向け江戸川乱歩と谷崎潤一郎だった。谷崎は、というと大映のいわゆる“谷崎もの”から入った。教科書にも名前が載っている文豪であるから授業中も教科書に隠して読んだものである。未だに一番好きなのが『春琴抄』。『瘋癲老人日記』もお気に入りであった。中学生も老人も、様々な意味で不自由なことには変わりがない。逆にまったく興味がなかったのが『細雪』であった。細雪といえば、交通局発行のフリーペーパー『中央公論アダージョ』で人形町と谷崎という特集が決まった。調べると明治座で『細雪』が上演されるのを知り、これは宣伝にもなるからひょっとして、と出演者の高橋恵子、賀来千賀子、紺野美紗子、藤谷美紀の元に陣中見舞いに訪れた原作者が4人の間に挟まる。というのを提案してみた。なにしろ私が交渉する訳ではないので駄目元である。まだ稽古が始まるかどうだったか、キラビヤかな“完全武装”ならベスト、駄目なら稽古場でも構わなかったが、女優はそうはいかない。時期的にまだ“武装”して4人が集う機会がない、との営業からの答えであった。それでも広告は取れたのではなかったか。 ところで上手く行かなかったら何事もなかったかのようにスルーするのが当ブログの厳格なルールなのだが、世間が連休に入るというのにあろうことか、女郎蜘蛛の絵を書いている私なのであった。 

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

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田村写真にて『乱歩と黒蜥蜴』『赤い煙突』『火焔太鼓 』『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”其の弐』を受け取る。某女流写真家と作画に関しての足し引き算について話したことがある。彼女は引いていくそうだが、私はどうしても足すことしかできず、見る人に企みの生々しさに辟易とさせてしまうのではないか、なんて江戸川乱歩みたいなことを心配するのだが、なにしろそれがやりたくてやっているので引くことはない。そんなところが和紙によって中和され、胃もたれが防げるのではないか? 田村写真から目と鼻の麻布十番ギャラリーへ。工芸学校の先輩である染織家石原実さん参加のループ展『アートジュエリー展 2018-春-』。以前拝見したのはストールだったが今回は革を染めたアクセサリー類。芸域の広さにはいつも驚いている。次に椎根和さんの写真展「対馬の磐座、磐境」閉廊時間ギリギリでお邪魔したにも係らず、作品一点一点についてお話いただいた。日本という国は深い。『平凡パンチの三島由紀夫』の著者には『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”』三島由紀夫を見ていただいた。そこから歩いて南青山のビリケンギャラリーへ。若い連中のグループ展の準備中。作品の値付けについて話し合っていた。私はビリケンの斜向いにあったギャラリーで初個展をしたが、自分で値段がつけられず、初日に欲しいという人が現れオーナーが◯円くらい?といって決まったのを思い出した。出不精の私が一日に4カ所回るなんて有り得ない一日。

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

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田村写真の田村さんから『黒蜥蜴』が良い感じにできたと連絡が着て、見に行きたくてしょうがないが、まだ脚が痛いので明日には取りに行きたい。
この辺りで現在プリント済み作品を眺めてみる。
《陰影無し》昭和残侠伝“唐獅子牡丹”其の一 三島由紀夫/昭和残侠伝“唐獅子牡丹”其の二 三島由紀夫/永井荷風独居図/猫と夏目漱石/鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ/月に兔 泉鏡花/赤富士 葛飾北斎/蛸と画狂人葛飾北斎/医科学校の森林太郎(鷗外)/牡丹灯籠1/牡丹灯籠2/猛虎図 
《陰影有り》つげ義春作ゲンセンカン主人より『ゲンセンカンの女』/怪人二十面相/乱歩と黒蜥蜴/乱歩と怪人二十面相/寄席の三遊亭円朝/『火焔太鼓』古今亭志ん生/金閣寺炎上/円谷な女/ヌードⅠ/ヌードⅡ/蛸と女/『汝の安航を祈る』三島由紀夫作“船の挨拶”より/三島由紀夫作“潮騒”より海女の居る風景/渡辺温『赤い煙突』より
やはり趣味も意見も合わないグループ展の出品作一覧の如しである。そもそも作品タイトルが写真展の様相を呈していないではないか。 こう見ると旧来の陰影有りが多い。となると陰影のない『猛虎図』は外さず、陰影有りから減らすべきであろう。私にしてはあっさりしている灯台風景『船の挨拶』『ヌード1』『ヌードⅡ』あたりか。タコが登場する作品が3点あるというのもいかがなものか。宮沢賢治は保留中。陰影なしのジャン・コクトーは撮影が難しくて今のところ未完成。出品から外した未プリント作品。渡辺温作『影』より。


『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

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一年  


自分自身でも理由が判らないのだが、私は何故か郵便局が嫌いである。DMの発送などでしかたなく行く訳だが、そんなこともあってグズグズして明日辺りから宛名書きでもしようという状態で、嫌いな物は嫌いなのである。最近はコンビにで重さを計ってくれなくなったようで郵便局に行くことになる。 今回のDMは蛸に絡まれた北斎であるし、まして写真に見えないだろうから、たとえば過去に展示でもしていれば別だが、北斎を文学館に送ってもしょうがないだろう。もうちょっと考えれば良かったかもしれないが、去年の私が驚くとしたらこれだろうと選んだ。100パーセントの人が絵の個展だと思うだろう。何もここまで絵みたいにならなくても、と内心思ったこともあったくらいである。撮影したものだと能書きは書いておいたが、人の思い込みはこのくらいでは覆されないのを良く知っている。 しかも、これは人形作って、とつい言ってしまうが、『蛸と画狂人葛飾北斎』は定年後のトラックドライバーや、常にうちはブラックですからが口癖のその後輩の現役ドライバーを裸にしたり着物を着せたりして撮影したので、私が造形したのは頭部だけであった、と気が付いたが、ややこしいので余計なことはいわないでおいた。 今回の手法は急に思い付いたように見えて俯瞰で眺めてみると、長い期間をかけ、順序を経てこうなった。と思う。私の中では最突端の作品展になるだろう。第一作が完成して丁度一年の本日。



深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)4月23日(休)

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

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どうも疲れが抜けない。大分樂にはなっているが、ここ数日何をしたわけでもないのに脚が痛いし。麻布十番の田村写真に行けば、古今亭志ん生と黒蜥蜴と三島由紀夫がすでに待ってるというのに。 出品作が足りないという状況は避けられているので、今日は制作はしないことにした。個展会場を考えると、展示出来ない作品も出てきそうである。その場合、人形を被写体とした作品を優先するとして、犠牲になる筆頭は人形でも人間でも風景でもない『猛虎図』であろう。寒山拾得をいずれ手掛けたい、ならば虎に乗った豊干もいずれ、と考えていて、実物の虎を見たことがない当時の絵師達の描いた虎の味を出すために猫を撮影して、わずかに虎の部品を貼付け、虎にしたが、寒山拾得や豊干があればこそであって、ただ虎が一匹、唐突にあっては違和感あり過ぎである。ついでに龍を作って『龍虎図』に、と脱線、暴走しそうになったのを、なんとか思いとどまった。私も大人になったものである。幸い猛虎図は思いのほか完成が早かった。店先にタケノコが出回るのを待って完成とした。常に“こんなことにこれほど時間をかけてしまって”という気分に苛まれている。しかしせめて自分の持っている時間を目一杯使うことしかやれることはない。 出品予定の作品を頭の中で並べ換えている。

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

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個展などの前に数年前までやっていた、寝床に本を並べて寝心地を悪くして睡眠時間を削る、なんてことはもうしないが、少々疲れが出てきた。 昨年の今頃、三遊亭円朝第一作、陰影をなくした一作目が完成した。掛け軸をイメージした縦長の背景。1作目が出来てもこれで行こう、というまでには至らなかった。続けようと思ったのは二作目の『鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ』ができ、プリントしに行こうという所に田村写真の田村さんから手漉き和紙が合いそうだという連絡が着て、プリントしてもらったのを見た時であった。5月12日。たまたま来月の個展の初日で一年である。 これは実在の人物を作るのは止めよう、と思った原因となった。清方の円朝像は肖像画の傑作と言われているが、私が迷わされたのが、残された円朝の写真と違っていたからで、子供の頃から円朝を慕っていた清方が、円朝没後随分経って、自分の中の円朝を描いたと言われている。私にはこれができない。写真作品としては様々でっち上げるが、肖像写真が残されている以上、造形的に勝手なイメージを加えるということは、やってはいけないと考えている。そう思うと、作りたい人が浮ばなくなった時期に清方の円朝像により、創作するということについて考えさせられた。

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

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一日  


明日土曜日からの深川江戸資料館の特別展『目で見る落語の世界』に三遊亭円朝と古今亭志ん生の2体を出品する。世間では落語ブームと聞くが、来年NHKでビート武が志ん生をやるらしい。かみさん役は志ん生の孫の池波志乃。昔昼ドラで中村賀津夫が志ん生をやったが、実に秀逸で、志ん生調の話っぷりが未だに耳に残っているくらいである。かみさんはやはり池波志乃。あの当時はさすが祖母、父馬生、叔父志ん朝系の顔をしている、特に鼻が、と思ったものなのだが、最近はちょっと薄れている。青木画廊の個展にも円朝とともに火焔太鼓を背負った志ん生を手漉き和紙で見てみたいので出品することにした。私にはあれ以上の志ん生はできない。考えてみると、最初の作品の出来がそうなると、それで終わってしまうことになる。
かつてのピクトリアリズム(絵画主義)は、あくまで絵画的あるいは絵画調であるが、最近の作品は私が見ても絵に見える、画材はなんですか、と聞かれるのも無理はない。写真美術館にはDMを画廊から届けていただいたが、学芸員の方宛に、とのことであった。「念のために写真展だと強調しておきます」。これは写真展じゃないじゃないか、なんでウチに、というのを避けようというお気遣いである。お手間を取らす。 

深川江戸資料館 特別展『目で見る落語の世界』4月21日(土)〜5月6日(日)4月23日(休)三遊亭円朝、古今亭志ん生像出品

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昭和残侠伝“唐獅子牡丹その弐”の改良版完成。三島の陰影をなくし、顔をこちらに向けた。背後の4人衆も微調整。三島は彫物など入れていなかったはずだ、という方には意味が判らないだろう。死ぬ1週間前まで撮影していた篠山紀信撮影の『男の死』(未刊)はすべて三島自身が着想した死に様を撮影した写真集だが、ヤクザ者の死というのもあった、と聞く。三島の趣味からすれば当然であろう。二人の彫物師に連絡を取ったが、直接会った話は伝わって来ないので、やりたいことをやり尽くした三島もそれだけはかなわず、「学習院の生徒の父兄が刺青いれるわけにはいかないでしょう」というのを聞いたのは澁澤龍彦だったろう。私もこれで気が収まった。 今回三島をこちらに顔を向けられたのも、被写体が手元にあるからで、今後、実在した人物に関しては公開していただける場所ならともかく、手元に置いておくことにした。二年前に展示出来る作品をできるだけ出品した深川江戸資料館の個展以来考えていた。 立体を作って撮影する良い所は一度作ってしまえば360度どこからでも撮れる所で、またあらゆる写真、時には子供時代の写真さえ参考にするので、特定の写真作品の著作権に触れることもなく、あの写真だな、ということも避けられる。本物ではないけれども三島の次はジャン・コクトーを撮ろう、なんていってるのは地球上で私だけであろう。



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スポーツなどで、人の成したことについて励まされた、とよく聞くがどうも私にはよく判らない。がんばったのは本人であって、お茶の間でセンベイ齧りながら乗っかって感動してるんじゃない、と。励まされはしないが、大谷の活躍には確かに心躍るものがある。子供の頃、一度後楽園の1塁側で巨人阪神戦を観た。バッキーが投げていた。その頃は現在のように巌のように動かない私と違って落ち着きがない子供で、多動症一歩手前で耐えられなかった。相撲も立ち会いまでの時間が我慢出来ず、興味をもったのはようやく中学生になってからである。 日本の田舎野球に興味がない私は、野茂の大リーグ挑戦でようやく感心がわいた。アメリカ人の子供が野茂のピッチングフォームを真似しているのを見てジンと来た。ユーチューブでイチローのレーザービームも繰り返し見た。 大谷のフォームはそんな私が見ても美しいし、軽々とボールが飛んで行くのが驚きである。初ホームランのサイレント・トリートメントも確かに可愛らしく、くり返し見た。 仕事柄ことさら面白く見えるのは、193センチの体格に、頭が小さいせいもあろうが、確かにマンガの主人公のようである。並みいるメジャーリーガーがバランスの悪いチンチクリン見え、脚が短い奴も案外多いではないか。終戦直後のマッカーサーと天皇陛下の並んだ有名な写真を思うと、なんとも感慨深いのであった。

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三島由紀夫の撮影の準備。深川江戸資料館に長辺170センチのプリントで展示した作品を改良する予定。背中で唐獅子牡丹が泣いている三島由起夫の背景に『昭和残侠伝』の池辺良ならぬ番傘に着流しの男4人。もちろん、かつての4人に見立てているわけだが、実はこのモチーフは交通局発行のフリーペーパーでどさくさに紛れて敢行した。中央公論というところがミソでもあった。 『唐獅子牡丹』は東映のヤクザ映画のポスターが頭にあった。三島には陰影も艶もある。しかし題名や出演者が書かれているから映画のポスターは成り立つわけで、それがなければ平面の背景に陰影がある主人公では、一歩間違えばスーパーのチラシである。この時はせっかく自分で作った立体作品から、肝腎な陰影を自ら排除するなどという“暴挙”に出るとは思いもよらずに満足していたが、ここに至ってはせめて主役から陰影を取り除き完成させたい。そして協力していただいた背景の方々にも報いたい。撮影時は、自分の背中の彫物も撮ってくれ、と片肌脱ぎ出すのを止めるのに往生した。また私物の“道具”を持って行く、というのもなんとか止めてもらった。というのは真っ赤なウソであるけれども。


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CNNニュースでシリアで救出される少女が毎回同じだ、という。助け出してる大人がなかなかの役者である。特殊メイクで傷口まで作っている。伝えるためにはどんな卑怯な手でも使うぜ。それではまるで私と同じである。 私はついこの間まで、まことを写すという意味である写真という言葉を嫌いつづけてきた。制作上ではホントのことなどどうだって良い、と思っていたし、まことなどとはかかわりあいたくなく、画面上からできるだけ排除したいと思って来た。写真がなんの証拠にもならなくなってしまえ、と。ところがいざ使っている画材はなんですか?と訊かれるような作品を作るようになり、自分で見ても絵にしか見えない。となると今度は、いえこれ写真なんですよ。と写真だ写真だいい出すという。大谷に対する米国マスコミなみの掌返しである。つまり私がいいたいのは、これは撮影時に陰影が出ないように撮影して、ただ配しただけであり、ことさら“絵画に見せるための”加工はしていない、ということである。むしろ光と影でごまかすことができず、造形の段階で勝負は決まってしまう。 初めて一年のことで私の写真に対する変節ぶりがあからさまで、赤面する準備もできていないくらいである。 私はフィギュア制作の方々とは作り方が違っていて、頭部に90パーセント以上重きを置いていて、その後の身体の造形さらには写真制作も、頭部を生かすためにやっており、私の求めているリアル感さえでていれば良く、むしろ必要以上に出してはいけないと思っており、よって身体は粘土感丸出しである。肝心なところにピントがあっていれば以外をぼかして肝心な部分を強調したい。しかし実はこのあたりの嘘丸出しのところが絵画的に見えることに拍車をかけている。これは結果に対してそうなんだな、と思ったのでまったく想定外のことであった。自分が考え出したことは企まずとも、自分に都合が良くなっている、というのが面白くはある。

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壊れたパソコンから30年通った居酒屋の画像データを取り出した。写真の欠点は無い物は撮れないことである。主人公である女将さんが亡くなってしまい名物もなくなり店も変わってしまった。主人公さえ健在なら名物も店もいらないよ、と思いながら数々の写真を眺めた。モニターで実物大にして店にいる気分で飲むというのも良いな、これは名案と思ったが、開始早々モニター観ながら泣きそうになり止めた。いや間に合わず。 最近某写真家の過去の所業が問題になっているようである。私は写真を始めたのが遅かった。写真の主役はあくまで被写体だと考えるのだが、撮らせてもらっているのに写真家はなんだか偉そうに見えるのが奇妙に見えた。私の場合は実在した人物を作るので、その人物は充分尊敬している。たとえ亡くなっていても、作品を観てもらって本人にウケることを想定しているくらいである。家族がご健在であれば当然それも気になる。しかし作ってしまえば作者としては単なる物である。今後実在した人物を作らなくなれば、もうすべて自分であるから“誰のせいでもありゃしない。みんなオイラが悪いのさ”ということになる。被写体を敬い、気を使う必要もなくなるという寸法である。いうこと聞かなきゃ首をすげ換えるだけである。

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