明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


親仁が筍やフキを取ってきたと聞いていたので6時過ぎにK越屋で軽く飲る。 本日は天気が良いのでアダージョ次号用の背景を撮りにいこうかと思ったが、次号の特集人物が、特に街中に立たせると華がなくて画にならない。となると、風景になじませるには今回も多少の腕力が必要のようで、編集長にさる物の撮影依頼をお願いし、背景は後で撮影することにした。合成するには、すべて同じような光線具合に揃える必要がある。帰宅すると、先日K本で今拓哉さんから連休中に岩崎宏美と籍を入れると聞かされていたが、それが報道されていた。  私は飲んでも醒めるのが早い方で、早めに飲むと夜遅くにもうちょっと、ということになるのでT屋へ。知り合いの編集者から、連休中荒川か東京湾で釣りをしようと誘われているのだが、今はルアーのシーバス釣りの情報ばかりなので、私は酒でも飲んでいようと思う。というとHさん昼間、このあたりの橋の陰でスズキが沢山いて寝てる、という。6月くらいになると、ボラの子供を追ってフッコが跳ねるので、私も夜中にルアーで釣って、歩いている酔っ払いに写真を撮ってもらったことがあるが、フッコが60センチを越えるとスズキというわけで、昼間にそんなものが橋の下で寝てる?Hさんが広げた手の幅は1Mを越えていた。近所の川で、川鵜が大ウナギを飲み込んでいたといいはるHさんである。私の疑いの表情を察し、「だって昼間見たんだから」。Hさん、昼間だって飲んでるのだから、昼間だからどうした、といいたい私である。さらに向うではカピバラという大ネズミが何匹も走り回っていたという。昔食用に輸入した物が逃げて地方で繁殖しているニュースは観たことがあるが、こんな街中で?再び私を制し「だってカミサンも見たんだから」。朝5時頃起きてきて、タクシードライバーなど相手にしてる奥さんだか、しばしば一升瓶から日本酒をついで飲んでるところを見ている。まあ、何もかも疑っては与太話も弾まない。連休中、夜中に橋下のスズキでも釣ろうか、などと話していたら、赤い顔したKさんが一杯だけ飲ませてと入ってきた。Hさんと明け方大ウナギを見た、と主張するもう一人の人物である。お二人で御存分に、と退散することにした。

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グレコのレスポールタイプのギターEG-420がハードケースに入って届く。ネットオークションとはありがたいもので、捨てるくらいならということか、時に申し訳ないような価格で手に入る。  所有するのは数十年使い続けたギター1本だけで、しかも弾けば上手い。などという、潔くもシンプルなギター弾きがカッコいいにきまっているが、そうなれないなら、せめて友人との酒の肴を一本増やそうというわけである。私の世代でグレコといえば、なんといっても2年前に亡くなった成毛滋である。高中正義、角田ヒロとのフライド・エッグ時代の、EG-420を弾く成毛の姿は焼きついている。手が小さかった彼が、日本人サイズのネックを提案したそうだが、なるほど、特に手が小さいわけでもない私が持つと、手が大きい外人になったかのようである。先駆者にしてユニークな活動をした成毛滋は、是非誰かに伝記を書いてもらいたいところである。 グレコを入手したのは“15歳の頃好きだったことが人間は一番好きらしい”などと聞いたからかもしれない。  十代の終わり頃、専門学校で知り合った、現在日本各地で陶芸家となっている年上の連中は、当時私の将来は大丈夫だろうか、とよけいな心配をしてくれていたそうだが、彼らが知らなかったのは、成長過程にある彼等と会ったとき、すでに私は私として、とっくに完成してしまっていたということである。(とっくに成長が止まっていたともいう)なので何十年ぶりかに会うと、外見はともかく、中身は当時のまま現れるので、相手は数十年の間の日常の諸々を脱ぎ捨てるのに、かなりのアルコールが必要らしい。そもそも私の制作上のネタといえるものは、大半が十代の頃に得たものであり、20歳過ぎてから体験し、知ったことにあまり実のあることは無かったような気がするのである。  一枚のモノクロ写真がある。先年亡くなった、幼稚園からの付き合いの友人が高校の頃撮ったものだが、そこには彼が友人から借りてきたEG-420を、さも自分の物のような顔をして写っている私がいる。

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夕方、T屋のHさんから有楽町より電話。私が教えた新小岩のモツ焼き屋にいかないかとお誘い。前回一人で行って錦糸町のキャバレーなどハシゴをし、気がついたら6万円が消えていたらしいが、よほど気に入ったらしい。急にいわれたって、と断わる。1時間後。今度は階下に住むフリーのプロデューサーYさんから電話。「K本で飲んでるんだけど」K本なら息を止めてたっていける距離である。行くとYさん『ゲゲゲの鬼太郎』『鴨川ホルモー』の 元木克英監督、撮影の京都弁のEさんともう一人のスタッフと飲んでいる。開店前から押しかけているらしい。Yさん明日は早朝ロケらしく、いまから携帯の目覚まし音のボリュームを元木さんに大きくしてもらっている。閉店の時間となり次T屋に行こうとYさん。いやHさん今日新小岩で飲んでるからいませんよ、というがYさんかまわず「かあちゃんいるから大丈夫」行くと当然閉まっている。「オーイ」Yさん大きな声で呼ぶのはT屋の小学生の娘の名。奥さんと娘が店を開ける。なんでもありである。 同じ松竹の監督ということで小津安二郎など映画の話で盛り上がる。そうこうして3時から飲んでいたみんなが帰り、私一人がT屋の奥さんと飲んでいるとHさん帰宅。土曜にこの時刻ならべろべろのはずのHさんがシラフなのは珍しい。しばらく飲んでいたらHさん、奥さんへの誕生日プレゼントだと何か箱を渡す。嬉しそうな奥さん。昨日TVの草なぎ君の記者会見を観ながら、あの程度でこんな目にあうなら、あんたなんか死刑だよ、といってやったHさんが、私の前でほのぼのとした三文芝居。照れ臭いので私がいる間に渡したかったらしい。冗談じゃない。馬鹿々しい夫婦漫才見せられて。さっきみんなと一緒に帰れば良かったよ。

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今回まず決めたのは、背景が夜ということと、清張の髪がいくらか風に乱れ、ネクタイがなびいていることであった。こういうことは、何がどうということではなく、なんとなく浮かぶのである。本文には日比谷と清張のかかわりについて詳しく書かれているが、日比谷といって私が思いつくのは『日本の黒い霧』とかかわりの深い、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が置かれた旧第一生命ビル(現DNタワー21)である。実際行ってみると実にサッパリしたビルで、最近デザインされたといってもおかしくない。補修が行われたためか、使われた石材の質によるものか私には判らないが、経年変化が感じられないので、ここをあのマッカーサーが出入りしていたとはイメージしにくい。一方隣りにならぶ明治生命ビルは装飾的で趣もあり、画になるように思われた。明治生命ビルもGHQに接収されているので、司令部に比べれば印象は薄いものの、私としては画になるかどうかも重要である。 今までどちらかというと明るい表紙が多かったので、今回は清張ということで、サスペンス調の夜景でいこうと考えていた。ところが窓に灯りがともる時刻になると、明治生命ビルはいささかロマンチックに過ぎ、前を歩くのが清張だと思うとまるで合わなかった。マッカーサーは司令部の場所を決めるとき、何棟かのビルを見て周ったそうだが、第一生命ビルは、そう思うと皇居を見渡す位置にあり、質実剛健的イメージのマッカーサーらしい選択と思われた。記念室となった旧マッカーサー執務室は、9・11テロ以降公開していないらしい。

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先日雑記に書いた続きである。 5年ほど前某作家で、ある連作を考えた。それは制作したところで、公表は難しいものになりそうである。しかし私には、すくなくとも(生きていたら)作家本人にはウケるはずだ、という自信があった。私はそこにこだわりを持っており、亡くなっているからといって、イメージをいただく限り、オマージュの名の下に好きに作ればいいとは思っていない。乱歩作品にしても、実は常識的で世間体を考えるご本人を考え、乱歩の眉間に皺が寄らない程度を心がけた。そこに必ず乱歩独特の可笑し味がでてくるはずなのである。  発表できない作品だからといって制作欲は抑えがたく、いずれ制作を開始するのは間違いない。さらに『中央公論Adagio』の表紙を担当し、都営地下鉄駅近辺という、必ずしも画になり易いとはいえない、背景と人物の組み合わせに頭を悩ますうち、私の思い付きの範囲であれば、技術的にも大概の条件はこなせるような気になっていた。機も熟しつつあると思った先日。私が考えたことを、すでに約40年前に発想し実行した編集者がいたことを知ったのである。頭に血が上った私は“あんなこと”を考えた方に、会えるものなら直接お会いしてみたい。それは陽の目を見ることがなかった企画で謎も多く、ほとんど封印されているが如くの話なのである。幸い連絡先が判り一か八か、2日かけて書いた手紙に拙著など添えてお送りした。 数日経ち、冷静になって考えてみれば、先方からすれば、訳の判らない面倒な話であろう。一人で盛り上がってしまったなァ、と思い始めた本日夕方、なんとご本人から直接電話をいただいてしまった。引越しされ、住所が変わり荷物が転送され、礼状が遅くなっても、とお気遣いいただいてしまったのであった。私は、あの本やこの本を作られた方と今話しているのだ、と思うと上がってしまったが、連休明けに直接お会いする約束をいただいたのである。連休なぞ無ければいいのに、と思う私であった。

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携帯電話は未だ慣れない。先日、荒川のサイクリングロードで友人と待ち合わせた折、少々場所がずれていて、電話して手を振ってもらって200メートル先の友人を見つけた。こういうときは便利である。初めの1週間は、かかって来るとあわてて操作を間違え切ってしまったりしたが、さすがに電話としては使えるようになったが、カメラやメールなどの機能は使いこなせていない。メールは文字を打つのに手こずるので、母からのメールに2回返信した程度である。 母の携帯とはパソコンでメールのやり取りはしていたが、文面がチンパンジーの電報みたいだ、などと悪口をいった手前、携帯メールの打ち方が難しいとは口が裂けてもいえない。携帯からメールを寄越さない私に対し、携帯からならタダなんだからというのだが、どうせたいした話はないし電話でいいじゃないか、とかつて母と電話してると長くなるから、そんな用件はメールにしてくれ、といった私は、まったく勝手な息子である。 せっかく覚えたメールも相手はせいぜい私か、サンフランシスコの妹ぐらいであろう。ボケ防止もあるが、来月80になる母のメールにはもう少し敬意を払うべきだと、3回目の携帯メールをしてみた。結局たいしたことはいえず、チンパンジーというには少々知的だが、電報の域はでていないのであった。

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最近気分転換に、オーディオインターフェイスのアンプシュミレーターにギターをつなげて音を出している。真空管が入っていてアナログ機器のような外観だが、中身はスッカラカンである。これをパソコンにつなげて音を出すと、何種類ものアンプ、エフェクターの音を再現していて、とっかえひっかえできる。機材は何でも高かった昔を思えば夢のようである。 この齢でヘビメタ御用達、矢印形ギターのフライングVを弾いているなどというと、普通はそれなりの腕前と思われるに違いないが、まったく下手の横好きというやつである。先日、高校時代の友人で精神科の医師をやってる男からメールが着た。高校時代集まってはギターを弾いたり録音した仲である。私が笑わすつもりでフライングVを弾いているというと、彼も同じくフライングVを弾いているというので呆れたのであった。彼の自作のエレキギターはダブルネックで、その姿はビザールという形容は超えていて、どちらかというと患者が作ったのではないか?という意見もある。なにしろボディには形代(かたしろ)が封印されている始末である。そんな訳で私のとっておきの友人の一人なのである。 先日久しぶりに荒川サイクリングロードを走ったKは学生時代に酒屋のアルバイトでフェンダーのストラトキャスターを買い、それは今では息子が弾いているそうだが、それよりもう一本、我々世代には絶大な人気を誇った、今は亡き成毛滋のグレコは成毛モデルのレスポールがある。このあたりでケースから出さないと、あとは遺品として粗大ゴミがおちである。レスリー・ウエストのピッキング・ハーモニクスの弾き方を、昔私に教えたのはKだった、とせいぜい焚きつけておいた。

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古書会館の永井荷風展最終日。打ち上げがあるとのことで、ついでに搬出。今回の企画は『人魚の嘆き』という会員制バーを経営される荷風ファンの松本彩子さんが発起人となり催されたものである。私はかつて拙著に“未だ荷風ファンの女性にお目にかかったことがない”と書いたのだが。  古書会館の2階は、たいして広くはないのに来場者は1500人を数え、北海道から来た人もいるらしい。ある人物の催事で、作品や愛用品など展示されているのはファンとして嬉しいことだが、同時にオマージュ作品の展示は、後世の人たちの中にどう生きているかを知る上で面白いことだと思う。  荷風は最後、近所の大黒屋のカツ丼を吐いて死んだ。哀れで孤独な死だ、という意見が多いが、私はまったくそうは思っていない。真反対という意味でも、三島由紀夫とならんで2大男性作家の死に様、と思っている。たとえば、タンスの前にころがった子供の玩具に、家庭の幸福の一場面をみる人あれば、そこに人の哀れと人生の残酷を感じ、戦慄する人だっているのである。(私は後者である)荷風を哀れんでいるようでは、哀れなのはお前の方だ、と荷風にいわれるのがオチであろう。私には、歯磨きチューブを最後の一絞りまで絞りきったような、天晴れな人生にみえる。惜しいのは使わずに金が余ったことくらいか?   帰宅すると友人のTさんから、半年ぶりの立川談志の独演会で談志の声が聞けた、といかにも嬉しそうなメールが届いた。ここ6、7年で一番声が出ていたそうで、数年の間の絶望感がチャラだったそうである。

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最近『中央公論Adajio』の表紙を制作しているうちに、そろそろ出来るのではないかと思い始めたシリーズは、先日書いたように普通に発表できるかどうか判らない。しかし私の場合は、では止めようというふうにはならない。作りたければ作るのである。20代の頃は、そんな粘土の無駄がほとんどだったような気がする。身近な友人だけがかろうじて目撃した雑物は、とっくに廃棄処分になっている。あれはあれで、自分の中に在る何物かをとり出す訓練になっていたはずである。  そのシリーズはいつ思いついたのだろうと思ったら、数年前の、この身辺雑記がブログになる前の雑記に、すでに構想が書かれていた。HPを作ったのは、私がやっていることを人に説明するのが面倒で(特にオイルプリント)作ったのだが、当時HPは何かしら更新を続けるべきものだ、といわれて始めたこの雑記も、自身の記録として役に立った。読んでみて、何パターンか考えていた中に、すっかり忘れていた画があることが判った。そんなもの、どうやって作るんだ?という類のものであったが、さすが自分が考えただけあって、実に見てみたい画であった。

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玄関のドアが開かない。またやってしまった。外に立てかけていた自転車がドアに倒れかかっているのである。天気がいいので自転車に乗ろうと、ハンドルの調整をやっていた。前回のことがあるので気をつけてはいたが、玄関に置いた携帯が鳴り、中に入って話をしていて強風が吹き、自転車が倒れた。昔、元連れ込み宿のアパートに住んでいる友人がいたが、火事で廊下に人が倒れてドアが開かないのを避けるために内側に開いた。 前回は1階下に住むYさんにどかして貰ったが、2回目となるとバツが悪いし、最近、携帯で配信する映画のスタッフに入っている、と聞いていたので部屋にはいないだろう。そこで本日、朝の6時半まで飲んでいたT屋のHさんに電話するが、今まで通じたことがない。 食料はあるし、外に用事があるわけではないので慌てることはない。明日荷物が届くことになっているので、最悪、配達員に救出してもらえばよい。とは思ったが、何時に来るか判らないし、燃えるゴミも出したい。万が一在宅していたら、とYさんに電話してみると、やはり出先で、帰ったら救出してくれるという。そこにHさんから電話。事情を話すと、今店を開けたばかりだからと来てくれた。 最近、蕎麦でノドを塞がれるわ、自転車でドアを塞がれるわ、気をつけなければいけない。

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近所のスーパーでたまたま買った香川県産のうどんが、美味しかったので毎日食べている。以前にも書いたが、私はもともと蕎麦っ食いで、うどん好きとはいえない。子供の頃、美味いうどんを食べた記憶がないせいもあり、うどんの美味しさを理解していないといえる。しかし、そのうどんは歯ごたえと喉越しが違うような気がして、本場で手打ちを食べたらさぞかし、と想像ができた。 普段うどんなど絶対買わないのに、と思っていたのだが、その理由に気がついた。何週間か前、痛飲の果てにコンビニでざる蕎麦を買った(らしい)。目が覚め、乾燥気味の蕎麦に、中に入っているほぐすための液体をふりかけ、昨晩から着けっ放しのTVを横目で観ながら食べた。ちゃんとほぐれておらず、モソモソしているなとは思ったがそのまま飲み込んだ。どうも無理がある。ちゃんとほぐれてから食べるべきだったな、と思いながら水で流そうとしたが入っていかない。あら?と思う間にみるみる苦しくなってきた。私は今、呼吸ができていないのではないだろうか?あわてて吐き出したが、水が逆に良くなかったらしく、簡単には取れずに苦しんだ。毎年お年寄りが餅など喉につまらせ亡くなるが、年寄りががっつくなよ、などと思っていたが、吐き出す体力がなければ本当に危険である。 というわけで、あの体験が知らずのうちにうどんを手にさせたらしい。長年酸っぱいものが苦手で、酢など嫌いなはずが、深田恭子がラジオで餃子は酢だけで食べる、といったのが耳に残っていて、試したら美味しく、自分が酢嫌いでなくなっており、いつの間にか大人になっていた?と気付いたこともある。まあ、多少苦しい思いはしたが、嫌いな物が好きになる分には悪いことではない。

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先日書いた、湧きいずる黒雲。判っちゃいるけど止められない、という話だが、昨日、数十年前に、すでに私と同じことを発想した人物がいることが判った。さる事情があり陽の目を見ずに終ったのだが。その人物は伝説的といっていい編集者である。私は嬉しくなり、数十年後に、あなたと同じことを考えました、と是が非でもいってみたくなった。当時の話も聞いてみたい。幸いその人物は未だお元気であることが判り、お住まいまで判明した。私の場合は公に発表できなくてもかまわない。街角に立ち、「旦那いいモンがありますぜ」そんな方法だってある。さっそく手紙を書くことにした。TVでは松本清張生誕100年記念『駅路』をやっている。昨日、世田谷文学館『松本清張展』のレセプションだったのをすっかり忘れていた。慣れない手紙を書いていると、耳だけではストーリーが入ってこない。役所広司がハウチュといいやしないかと。

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『没後50年 永井荷風展』のために人形1点、半切サイズのモノクロプリント4点を選ぶ。人形は今年古石場文化センターに展示したばかりだが、展示会場が古書会館ということもあり、ミニチュアの和綴じの本を散らばせた、畳の上で七輪の荷風にした。展示するプリントに写っている、コートにバッグか、買い物籠に蝙蝠傘に下駄の荷風も考えたが、撮影に使用した人形を展示した方が面白いかというと、撮影した物は展示している人形とは別物で、撮影用はもっと大きいと思われがちである。これは撮影に使用した作品で、と会場に表示しておいても納得しない人が多い。タクシーで搬入。荷風の貴重な初版本の数々が展示を待って無造作におかれていた。亡くなった松本哉氏のお馴染みの挿絵は、原画で見るとなんとも味がある。 源喜堂にて横浜市美術館収蔵作品展(S62')の図録『アーティストの風貌』。東京堂書店で新刊の『“オーラな人々”』(椎根 和著 河出書房新社)を三島秘蔵写真43カットに惹かれて購入。三省堂前でTさんと待ち合わせ居酒屋で製本の話などする。こんなときは、どうしても帰りにT屋に寄ってしまう。行くと店主Hさんの27歳の長女が飲みに来ていた。近所の川で大鰻を川鵜が丸呑みしていた、といい張る酔っ払いの親父のイメージは幸いにも皆無であった。そこへ東京在住20年以上の、近所に住むインド人のビジネスマン。妙に盛り上がって12時過ぎに帰宅。

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何年も前から作ってみたいシリーズがある。ただそれは個展などでの発表はおそらく無理であろう。差し障りがある。発表もできない物は作るな、というのは私の中でもトップクラスの戒めである。子供の頃は、どこかの王様に塔に幽閉され、宿題も何もしないでいいから、ここで好きな物を作っていてよろしい、などという境遇を夢見たものだし、個展を始めた頃はプレッシャーから、親しい友人だけに見せて生きていけたら、どれだけ良いかなどと夢想したものである。発表もせず伝わらない物は存在しないと同じことである。しかしそれは世間に対してであって、私の中には確実に存在していて、こんなことは始めてはいけない、手を着けてはいけない、という理性を押しのけ、腹の底から暗雲にも似た厄介な物が、もくもくと湧いてくるのを感じるのである。先日、久しぶりに会ったO君は、出合った二十代の頃から私が相変わらずの調子なので呆れていたが、それは自動的に湧き出てくる、この黒々とした物が原因である。物心ついたころから、この暗雲に苦しめ続けられてきた私だが、同時にこんな快感をもたらす物もない。かつて友情を持って、私の暴走を止めてくれた友人達も、最近は沿道で旗を振る見物人の如しである。「アッ、お前今余計なこと想いついただろ!」とは良くいわれたものだが、相変わらず、私はそんな顔をするらしい。

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先日NHKの『知るを楽しむ』伝説になった横綱たち第一回で栃錦をやっていた。“マムシと呼ばれた正統派”私の地元の英雄である。理事長時代、立会いの乱れが問題になっており、両手を着く立会いを徹底させよう、ということだった。フィルムでも栃錦と若乃花が、立会いを指導していた。しかし栃錦は、小兵だったせいもあり、双葉山のように横綱たるもの“後の先”をとるものという意見に耳を貸さず、少しでも速く立つ方がいいのだ、という力士だったはずである。栃錦にしても若乃花にしても、時に片手さえ付かず、中腰で立っているのはYouTubeでも観れば判るだろう。千代の富士等が黙って指導されていたが、あんた等はどうだったんだ、といいたかったに違いない。それに比べれば朝青龍など、まだマシにみえる。昔両手を着いた力士に清国がいたが、滑稽なくらいの律儀さで美しかった。 今は白鵬が“後の先”を会得しつつあり、このままいくと、モンゴル人に相撲の極意を見せられることになりそうである。もちろん、何人だって構うことはない。伝説になった横綱たちは、アメリカ大統領にも会った第3回の常陸山が特に楽しみである。中央公論Adagioで、もし相撲取りを扱うとしたら常陸山はどうだろうと、進言してみたことがある。まあそのようなことあれば、せいぜい最終回の双葉山であろうが。

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