明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


友人のSと久しぶりに会い、大手門から皇居のお堀周辺を歩く。Sとは20年ぶり位に、将門の首塚を見学。20年前は小雨そぼ降る中、ワンカップを供えた、切羽詰まった表情の男が、どうみても呪いの願掛けをしていた。この塚は、どかそうとすると事故が起こり、周りのオフィスもお尻を向けないような配置になっているそうだが、Sによると、同じような話があった羽田の鳥居は、とっくにどかされたらしく、近所の惨殺事件があったマンションの部屋も、昔と違ってすぐ埋まるそうである。  歌舞伎座も最終日というので寄ってみると、大変な混雑である。25日に配布された『中央公論Adagio九代目團十郎と東銀座を歩く』を持っている人がいても良さそうだが、1人も見かけない。せっかくなので、アダージョを入れて、歌舞伎座と一緒に撮ろうと思い、人ごみをかき分け、東銀座駅の改札に取りにいったが、何処にもない。改札の駅員室で聞いてみると、置くところがないので置いてません、と部屋の奥から持ってきた。九代目を助六にしたのは、当代團十郎が最後に助六をやる、ということも加味していたのである。今日、ここに置いてなくてどうする!25日以降、東銀座で手にした人には、歌舞伎座の思い出と共に記念になったはずである。毎号人物と特集駅の組み合わせで苦しんでいるのだから、せめて特集駅には置いて欲しいものである。  蕎麦屋で一休みすると、入れ違いに左團次と福助。前から行ってみようと思っていた近所の歌舞伎専門の古書店『木挽堂』に寄るが、人がすれ違うのも大変な店で、数人客がいると中に入れず。おそらく知らないだろうと、店主にアダージョを差上げて帰る。 松竹にある大谷図書館で『舞台之團十郎』を見る。制作中は穴の開くほど見たが、すでに懐かしい。深川図書館収蔵の物と明らかに紙質が違う。よってコロタイプ印刷の調子も微妙に違う。  そろそろ飲みに行こう、とSの知ってる店に向かう。煮しめたような店で、氷の入らない正調のホッピー。ただし亀甲宮は少なめ。程よいところでSの奥さんから電話。こんな時、奥さんからの電話にでている彼の姿を見ると、電話の向うはパットン将軍か?と思うのだが、私のブログを見た奥さんに「パットン将軍てなに?」と聞かれるそうである。確かナイチンゲールと並び称された人物だったと記憶しています。

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私がどうしようかと、例えば雑記で悩んだ場合、そうしてしまう可能性が大きい。 ネットで模造刀を注文してしまった。アダージョ次号は侍だが、制作の参考にするため、場合によっては合成しても良いだろう。良いと思えばどんな手でも使う私である。先日書いたように、円月殺法、諸羽流正眼崩し、などと1人でやっている姿を想像して躊躇していたのだが、昭和30年代前半に生まれた身としては、無理もないことである。子供達の間では、覆面やマントに拳銃のヒーローが全盛であったが、同時に、後に大川橋蔵でなく山城新吾だったと知ってガッカリした白馬童子など、時代劇ヒーローも存在していた。私が始めてファンになった女性アイドルは本間千代子だが、それもアニメ『少年忍者風のフジ丸』のコーナーで、戸隠流忍者、初見良昭の聞き手をしていた「忍術千一夜」が大きいだろう。私はこんな時のために1人暮らしをしているわけではないが、刀が届いたら、ひとしきり振り回すことになってもそれは仕方がないことである。 しかし還暦あたりの人たちになると、チャンバラに関しての思い入れのレベルが違う。某コクトー財団日本側代表のFさんからは、子供の頃観た新国劇は国定忠治の話を散々聞かされてるし、嵐寛寿郎の迫真の殺陣の話など、その話は何度も聴いてます、とはとてもいえない盛り上がり方である。 「昨日の次郎長観た?俺もうちょっとで石松助けにいくとこだったよ」。というタクシー“夜勤明け”Tさんなど、それはもう大変である。『週間 江戸』が書店にならぶ日は、酔っ払っていても書店の開くのを待って切り上げる。  刀が届いた後の私の行動について一切書くつもりはないが、一応幼馴染だけには到着を知らせるつもりでいる。全員独り者であることはいうまでもない。

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抽選  


HP開設10周年記念のささやかなプリントプレゼントだが、正解者は7人であった。これなら抽選など必要なく2Lサイズのプリントは漏れなくお送りすることができる。お1人A4のプリントは、4番目にメールをいただいた方にお送りすることに。 先日の土曜日、屋上で野点などと、酔狂なことをした日である。お茶を買いに行く前にT屋に顔を出すと、夜勤明けのタクシー運転手Tさんは、すでに泥酔状態であった。抽選などと説明してもしょうがないので、帰り際「Tさん、1から7の中で、好きな数字はなに?」即座に「4」。こんな状態でも、何か面白いことをいおうとするのがTさんのエライところだが、博打の場合は、何がどうしたといっていたが、ロレツが回らずオチにまで至らず。江戸の歴史好きで、團十郎について、色々話しあったTさんにも、すでに2Lのプリントを差上げている。A4プリントは、今のところ舞台俳優の今 拓哉さんに差上げただけで、あとは今週中に、市川團十郎、海老蔵の親子お二人にもお送りしようと考えている。私の制作した“劇聖”を所有している舞台人は出世する、という都市伝説が起きはしないだろうか。特に海老蔵丈は、九代目の資料を探索中、九代目の資料を収集している噂を耳にした。噂どおりの研究熱心である。周知のように、やんちゃさも持ち合わせているようであるから、成田屋に荒事味がより強調されていくかもしれない。

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浄瑠璃:竹本駒之助(人間国宝)三味線:鶴澤寛也 対談:三浦しをん×矢内賢二 矢内賢二は『明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎』でサントリー学芸賞。最近読んだばかりである。九代目團十郎を作り、返す刀で五代目菊五郎まで作りたくなった。私には毒な本であった。 義太夫は、ただ聴いていても私にはストーリーさえ判らない。配られた台本を見ながら聴いていたが、だからといって判るものでもなく、せっかくのライブなので、音楽として聴く。竹本駒之助の声量が豊かで高音の響きが美しく、かなりの快感である。寛也さんのおかげで、義太夫三味線の響きが大分耳に馴染んできたのが判った。三味線が途中二本になり盛り上がる。 寛也さんを“黙っていれば日本人形”と評したのは三浦しをんらしいが、(※ではないらしい)実は話し声がまた素敵で、録音したいくらいなのだが、その場合フリートークでなく、朗読内容を指定したい、といったら怒られた。最近注目度も高まり、ますますご活躍のことであろう。 会場でバレエ評論の鈴木晶さんにお会いする。海外から帰国されたばかりで、これからロシアバレエについて書かれるのが楽しみである。ニジンスキーの権威に、アダージョ團十郎号を差上げる。 エッセイストの坂崎重盛さん、蕃茄さんと、ポカポカ陽気の中。早い時間ですが軽く飲りましょうと歩く。坂崎さんは締め切りが迫っているらしく、ごく軽く、といっていたはずであったが・・・。 四谷から電車で銀座に出て、坂崎さんに連れられ、新橋まではしご。2軒目の銀座のバーで、「この店で、一番安いウイスキーにレモンを絞ってソーダを」。これは、そこらに転がってる人がいっても格好が付かない。トリスが出て一同笑顔。二杯目「氷は換えずにそのままで」。氷に、一杯目のウイスキーが着いてる気がするからだそうで『ウウム。なるほど』。一杯の酒を楽しみ尽くそう、という坂崎さんに脱帽。そう思うと私など日頃、アルコールをただ腹に放りこんでいるだけである。その後、私も蕃茄さんも終始笑顔のまま、坂崎さんの後を付いていく。新橋のバーに、寛也さんから連絡があったのは、私が生まれて初めてシェリー酒を飲んでいる時であった。残念ながら約束があり私は失礼した。 飲み方はともかく、飲みすぎて様々なことに皺寄せがくるのは、坂崎さんも私と変らないようだ、と思いながら電車に乗った。

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幕末生まれの歌舞伎役者、“劇聖”といわれた九代目 市川團十郎が以前から気になっていた。顔がやたらと長く、痩せて小柄。無表情で力が抜けているように見え、“荒事”の成田屋のイメージは、残された肖像写真からは伝わりにくい。それでいて、ひとたび形を決めたならば、その磐石の構えは、比類がないように見える。 独特のたたずまいは、天才バレエダンサー、ニジンスキーの肖像写真を始めて見た時と共通の何物か、を私に感じさせた。当時の目撃談によると、小柄な身体が、まるで舞台からはみ出すような大きさに見えたという。それはニジンスキーがジャンプをすると、空中で止まって見えた、というエピソードを思い出させる。超絶的な芸の持ち主は、物理学を越えた世界を観客に見せるものらしい。  歌舞伎座の改修工事が始まれば、アダージョで歌舞伎役者を扱う機会はないだろう。世の中が丁度インフルエンザ騒動の頃、睨まれたら一年間風邪をひかないと江戸時代からいわれた、成田屋は市川團十郎を提案したのであった。 始めに考えたのは成田屋十八番の中から『暫』の扮装の九代目が、歌舞伎座の屋根の上から、大太刀を振り回し、東京をニラミ倒して、インフルエンザはもとより、不景気や陰惨な事件、その他あらゆる悪をなぎ倒そうか、という場面であった。しかし、初代 團十郎が編み出したという隈取は、何処の誰だか判らなくなりそうだし、私には、あのような顔には見えないが、浅草公園には、九代目の『暫』の銅像がすでにある。それならば、と文明開化期の團十郎というイメージで、浮世絵師、豊原國周が描いたような、黒紋付に山高帽の九代目を考えた。これは伝統ある歌舞伎の約束事に触れないで済む、という、制作上の利点もあった。  見得の時に、目を寄せるのは歌舞伎の特徴ある表現の一つだが、相当数残された写真を見ても、九代目が“睨”んでいる写真は一枚も無い。人づてに当代の團十郎丈の「当時は写真を撮るのに時間がかかったため、にらみをしている写真がないのだろう、にらみの目は少しの間しかしていられないもの」というご意見を伺った。そして最終的には、坪内逍遥の九代目の目は実際は写真とは全く違う、という“挑発”に乗る形で、表情を作ってしまった。私は、常に本人に見せて、ウケるつもりで制作しているが、前述の絵師、豊原國周が、目を強調した絵を描いて九代目の逆鱗に触れ、出入り禁止になったエピソードを知っており、長時間かけて完成させた表情を、締め切りが迫る中、決心して変えてしまった翌日、私のヒゲに白髪が2本現れていた。そしてこんな顔に変えると、『勧進帳』の弁慶、もしくは『助六』にするしかない。 九代目は晩年、化粧が ごく控えめだったことは、モノクロ写真から伺えるが、工夫したことといえば、白粉との比較で白目が黄色く見えるため、白目を初めから黄色く塗っておいたことだろうか。背景は歌舞伎座だが、今号配布後、数日で改修工事が始まることになる。

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一日  


先日来、外で抹茶を飲もうと思いながら、寒かったりして、ようやく門前仲町の石崎園でお茶を買う。猫舌のせいで、私はお茶を飲む習慣がない。コーヒーがまた駄目で、すきっ腹にコーヒーなど一日胃がもたれる。ミルクを沢山入れればなんとかという有様だが、今まで一番飲んだのが冷たい麦茶ではないだろうか。  石崎園で、とにかくなんで良いから、まず甘いものを、といわれたので、きんつばと豆菓子を買い、階下に住む映像プロデューサーのYさんを屋上に誘って、座布団を敷いて簡単な野点としゃれ込んだ。天気が良いので気分も良い。子供の頃は甘いものが嫌いで、とくにアンコが駄目であったが、それがきんつばだというのだから、随分長生きしたようである。先月の花見のくさやパーティーでは、Yさんがしきり役のくせに、くさや嫌いで、給食に嫌いな物が出た小学生のように、こんなウ○コ臭いもの、と盛んにいっていたが、そういえば、子供の頃私はきんつばは、ウサギ屋のオバサンのツバが入ってるに決まってる、などといっていた。  途中から、T屋のHさんも屋上に顔を出し合流。酒呑みが三人晴天の下、抹茶にきんつばとは愉快である。愉快ではあるが、次に何を話せばいいか、お互い目が泳いでいる。ポットのお湯がなくなりお開き。 そのままK本に行くというYさんとHさんだが、私は制作に戻っていると、YさんからK本の最高齢の猫オシマが亡くなったと電話。だいぶ弱っており、餌を食べさせるのも大変だったのは知っていた。行ってみるとオシマはダンボールの中でタオルをかけられ眠っており、すでに硬くなっていた。 女将さんを含め泣いた後の顔をした常連も。初めて来た客にはおかしな光景であったろう。席に着いて飲み始めればいつもどおりだが、それでもなんだか違っていた。閉店ギリギリまで飲んで、帰りにオシマの顔をもう一度見て帰る。酔っ払ったGさんは、再び涙を溢れさせていた。

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アダージョ6月配布号の人物は、調べていくうち、最初のイメーから変ってきた。イメージが変れば、背景も変るし、ポーズも変る。表情にしても、シチュエーションを想定して作るわけだから影響もあるだろう。
これは25日配布号で散々悩まされたことだが、カメラのシャッタースピードが遅い時代、つまり被写体がしばらくジッとしていなければならない時代は、自然な表情を写すのは難しかった。自分ができるだけジッと動かずにいられる表情で、固まっていたわけである。 制作を開始している人物も、それがたまたま日本の行く末を見つめているかのように見える。そのため例によって、各地の銅像も概ねその調子である。しかし私には、スタジオの壁に掲げられた印を、写真師の指定どおりに、早く終わらないかと見つめているだけのように見える。天窓からの光の反射が壁に映っているところをみると、ちょっと眩しかったかもしれない。自動的に、遠くを見つめる表情になる。 不自由な百年以上前の古典レンズを、撮ったり撮られたりしながらレンズテストをした経験があると、そう簡単に鵜呑みにはできない。そもそも、写真師の思惑や、被写体のこう見られたいという思いを、そのまま真に受けているようではしょうがないのである。もちろん写真に写っていない部分は、残された文章や評伝その他をを読んでイメージしていくわけである。イメージを変更するなら今のうちであろう。

※アダージョ25日配布号、特集人物クイズは、本日24時をもって締め切りとさせていたきます。

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午後、小津安二郎像を、古石場文化センターに届ける。帽子も首も、胴体と接着してあるので、運ぶのは楽である。少々時間に遅れてしまったし、3回角を曲がれば着いてしまうので、フランス人がパンを小脇に挟んで街を行くように持っていくことにした。途中、幼稚園児の集団が、妙な物を見る目で見ている。『お前等、これからもっと妙な物見るんだぜ。この程度で、そんな顔するんじゃない』。普段気配を消して、目立たないよう街に溶け込んでいるつもりでいるが、すでに子供のいる焼き鳥のK越屋の娘が、あの人子供の頃から、あのまんまだけど誰?といっていたと聞くと、本人が思っている程ではないらしい。TVの途中○車の旅から、よほどネタが無いのか、今まで3回もオファーが来たが、妙なもの作っている街のヘンな人が狙いだろうが、そうはいかない。  この小津像は以前、松竹の現役監督のところへ行く可能性もあって、話として面白いと思ったが、文化センターなら誰にでも見てもらえるのが、なんといっても嬉しい。公益財団法人への移行認定を受けて、『公益財団法人江東区文化コミュニティ財団』となったそうだが、設置の数日後に検査があるそうで、購入するものに関しては、備品だろうがなんだろうが、そういうものらしい。
夜、12時近くに、コンビに行こうとしたら、上空が不気味に赤く染まっている。何かが起きそうな不穏な雰囲気というのは、何故かワクワクする。

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一日  


小津安二郎像を水曜日に、古石場文化センターに納めるので、帽子を被せている。帽子は当然作ってあるが、帽子を被っているのと、そうでないバージョンを撮影する為に、着脱できるようにしてある。しかし帽子も粘土で作る都合上、布製のように、ぴったり頭にフィットさせるわけにいかず、よほど薄く作ったとしても、どうしても大きめになる。特に小津の場合、汗止めを兼ねた、薄くてぺらぺらの生地の帽子なので、なおさらである。 撮影ではそれなりに写っても、今後ずっと展示されるとなれば、大きくて硬い帽子を被っているのは、少々違和感がある。そこで担当の方に、展示では帽子を被せないか、もしくは被せるなら、その場合、脱がせることはできないですが、と相談したところ、被っている方を選択された、というわけである。
HP開設10周年記念の25日配布号、特集人物当てクイズだが、K本の常連で、とっくに答えを知ってる人からも、応募して良いかと聞かれ、まあいいか、と思う程の応募数であったが、そろそろハズした答えも混じりながら、メールをいただいている。ご意見をいただけるのも嬉しい。 23日以後、T屋で朝から泥酔状態のタクシー運転手のTさんに、数字を選んでもらうことにしているが、日大射撃部出身で、地獄の鬼も4人までなら倒せるというTさん、「石塚さんよ、だったらそこの壁に紙張っといてさ、俺が鉄砲で撃つってのは、どう?」というのではないか、と予想している。皿に描かれた絵を、マグロの刺身だと思って箸でつっつくくらい酔っていても、番号くらい選ぶことはできるだろう。 

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実家に、読みかけの本、制作用の資料など持込み、寝床に寝転がったまま、しばらく過ごす。本を読みながらTVドラマ、ついでにネットで検索していて母に呆れられる。子供の頃は、本を読みながらTVを観て、さらに絵を描いたものである。親には観てない物は消せといわれたが、テレビは観たいは読みたい本も我慢できないし、今描きたい絵もある。
母が、身体にいいから、これを毎日飲め、と錠剤が入った瓶を差し出した。“またか”。母はこの類の物が大好きである。先に自分が飲んでみて、効いたのならまだしもである。何処かの医者に勧められたようだが、なんでこうも簡単に信じるのであろう。「その先生、昔、秋葉原デパートの前に立ってなかった?」。私は子供の頃、何度も母が、あそこで面白おかしい売り文句に、調理器具を買わされるのを見ている。 錠剤は持って帰っただけで、飲まずに済ませた物もあるが、勧めた本人が続いていないのだから話にならない。今回はいつもに増して熱心なので持って帰ることにしたが、それにしても、美容、健康関連の製品の瓶は、なぜ蓋がプラスチックの金メッキなのであろうか。これがそもそも私には怪しく見えるのである。

『中央公論Adagio』25日配布号の特集人物が判った方の中から、抽選でA4サイズか127mm×178mmのプリントを差上げます。
http://www.kimiaki.net/adagio-9d.htm
件名をDの件としたメールをお送りください。締め切り23日。送付先は改めて伺います。

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お茶  


先日、実家近くの陶芸家の先輩のお宅にお邪魔し、抹茶をいただいた。Dの掛け軸を持ってきていたので掛けてもらう。私は極度の猫舌なので、泡立てられた薄茶は丁度良い。子供の頃嫌いだった和菓子、特にアンコは、40過ぎて病院で検査をして、不本意な“高得点”を獲得し、冗談じゃない、とムカついて、たまたま口にして以来、美味しさが判ってしまっている。下手に検査などするものではない。 簡単なお茶道具でも買って、ということは昔から考えていて、鉄瓶で沸かしたお湯でいれたお茶が、甘く感じるのも知っていた。  七代目の松本幸四郎によれば、日本で数人目だという鼻の奇病で亡くなったらしい、歌舞伎役者、十三代守田勘弥の掛け軸を、ちょっと大きすぎるし、字はともかく絵は下手糞だな、と眺めていて、急に電気が走って、陶芸家の友人が焼いた茶碗など引っ張り出してきた。どうせなら野点籠とお湯の入ったポットを持って、どこか外でいただいて見たい。自転車で1人出かけて景色を眺めていても、煙草を止めてしまって間が持たないと思っていたところである。まず、同じマンションに住むフリーの映像プロデューサーのYさんを屋上に呼び出し、一服といきたい。別に腹に針を打たせろ、というのではないので構わないであろう。

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ここのところ、花見をしたり読もうと思って溜まっていた、制作には関係のない本を読んでいたが、ロケ場所探しを特集場所を中心に、インターネットで検索しながら始めた。人物像の制作から撮影、合成までやらなければならないので、背景場所を探すために、何度も足を運ぶわけにも行かず、凡そのイメージは固めておきたい。アダージョは原則として、都営地下鉄沿線が背景になるわけだが、これから制作に入る人物Rは、現在の東京に馴染むような人物ではない。何しろ侍である。だったら、侍が合いそうな屋敷でも探して、その前に立たせて撮れば不自然ではないだろう、ということになるが、それはただ不自然でないだけで、面白くも可笑しくもない。フリーペーパーの表紙は、たとえ騙して?でも、なんだこれは、と手にしてもらう役割がある、と私は勝手に解釈している。そもそも表紙の主人公は50センチ前後の作り物である。自然も不自然もあったものではない。本当の所は、本文を読んでもらえれば良い。  今月25日配布のDは、露光時間の長い当時の写真技術では、とらえることのできなかった表情を想像で作ってみたが、この人物Rもほぼ同時代人で、有名な肖像写真も、長時間露光ゆえのポーズと表情である。外交が天窓から入るスタジオで、被写体の視線の先には、写真師が付けた印があり、見つめる印も、写真師に上から何番目、などと指定されていたはずである。外で撮られた写真もあるが、さすがに室内に比べ、ポーズは砕けてはいるが、表情はやはり硬い。長時間維持することのできない笑顔では、光に溢れた屋外であってもブレてしまうだろう。私も百年以上前のレンズで肖像を撮影した経験があるが、シャッターは茶筒の蓋、時には手のひらで「ダルマさんがころんだ」もしくは「インディアンのフンドシ」と唱えてはパカッと塞いだが、被写体が一瞬余所見をしようものなら、黒目が移動したおかげで、白目の無い、黒目で満たされた、不気味な肖像ができあがる。 幕末の侍がムスッとしているのは、侍だからなのか、長時間露光だからなのか、おそらく両方なのだろうが、当時の時代背景など、様々な要素を考慮しなければならない。私の家に、戦時中の葬式の記念写真がある。誰もが無表情で泣いている人などいない。名誉の戦死、ということなのか、当時はそうしたものなのであろう。見慣れた時代劇の侍にくらべて、幕末の本物は、いささかだらしなく見えるのは、時代劇のようにきっちり着てしまうと、刀を抜いて立ち回りなど、実戦には不向きだと聞いたことがある。Rはできれば、現在の高速度シャッター向けの雰囲気にしたい。実際は、何年でも表情を保って、じっとしているのだが。

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フランス人の血が入っている、と里見がいっている15世市村羽左衛門は、どれだけスターだったかは知らないが、ブロマイドを見ると、顔が大きいほうが舞台映えすると聞く割に顔が小さく、そういえばフランスの血が混ざっているかな、というハンサムぶりで、手足も長い。古書店のブロマイドの山の中から、厚化粧で判別が難しい歌舞伎役者の中でも、簡単に見つかる。 池波正太郎が小僧時代、三越で買い物をしている羽左衛門を見かけ、熱烈なファンだったので、手帳にサインを頼んだら、色紙にサインを書いてさしあげるからあさって来られる?天下の名優は、二日後時間通り表れ、色紙と共に歌舞伎座の入場券を二枚手渡し、「じゃ、さようなら。これからも、ごひいきに」といって立ち去ったという。池波は、その一言は、有形無形に現在の私の生きざまをささえていてくれるといっても過言ではない。といっている。あまりにもカッコのいい、羽左衛門のエピソードは、こう書いていても泣きそうになるくらいで、おかげで酒を飲んでいる時など、友人に話したいのに、危なっかしくて話せたことがない。  母の実家は、聖路加病院の近く、佃の渡しの船着場のごく近くであったが、角の叔父の家をはさんで隣が銭湯であった。某有名役者の奥さんが良く来ていたというのだが、それはお妾さんのほうだろう、いや違う、ということになり、パソコンをはさんでひとしきり話した。 改修工事が迫っている歌舞伎座の前は、携帯で写真を撮る観光客が殺到している。築地で外国人観光客のマナーが問題になっているが、ここでも、晴海通りの中央分離帯から撮影していたりするから呆れる。ついでに轢かれちめぇ。 そういえば子供の頃、歌舞伎座の前を裸足で走ったことがある。何か母に怒られることをしでかしたのであろう。こんな時、靴が脱げようと逃げたほうが良く、いや靴が脱げたのが、かえって好都合で、人通りの手前、母は何も怒ってはいない、という顔をするに決まっていた。長嶋はフルスイングの空振りをしたあと、ヘルメットが落ちるように、大き目のヘルメットをかぶっていた、と聞いたことがあるが、ああいう場合の私も、わざと靴を脱いだのではないか、と疑っている。もちろん目立って、怒られにくくするためである。 

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NHK教育に中村吉右衛門がでていて、初代の吉右衛門の話をしていた。思い出して箱の中をごそごそやって、初代の直筆サインが入った写真を引っ張り出す。達筆とはいえず、何か色々書いてあるが、全く判らない。確か初代の娘が嫁ぐ時に、男の子を二人産んで、一人は吉右衛門にする、といったのではなかったか。新藤兼人の『藪の中の黒猫』(68’)を映画館で観たのは、小学生の時であった。兄貴の染五郎に較べて不細工で、などと思っていたものだが、今ではよっぽど良い。  その頃、歌舞伎界の大名跡だとも知らず、海老蔵ってヘンな名前、と思ったのを覚えているが、松本幸四郎の『王様のレストラン』『のだめカンタービレ』を観たあとK本に行き、たまたま女将さんが海老蔵の話をしていたが、なんかヘンだな、と思ったら、当代の團十郎のことを、まだ海老蔵、といっているようであった。いや、ひょっとして十一代目團十郎の“海老さま”かもしれない。女将さんのことだから、それも有得る。私にしたところで、未だに幸四郎を染五郎、勘三郎を、勘九郎といってしまいそうになるし。  幕末から明治に生まれた役者の芸談というのはやたら面白く、七代目松本幸四郎の『藝談一世一代』(昭和二十八年)を読んだばかりだが、それも入っていたが、探していた七代目市川中車の『中車芸話』が入っている日本の芸談(九藝出版)シリーズが届いた。昔の雑誌を見ると太閤記の光秀の、中車の独特のポートレイトが気になっていて、八百蔵時代の色紙も入手済みである。それにしても、昔の役者の構えの良さといったらなく、気になるポートレイトがあると、つい買ってしまうが、入手しやすい割りに印刷ではなく、プリントであるところが嬉しい。歌舞伎など判らなくとも、物のバランスが多少判れば違いが判る。有名無名係わらず面白いが、やはり有名な役者に限って、その分構えが磐石だったりする。

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一日  


無事入稿も終わり、午前中、借りていた資料を図書館に返す前にT屋による。いつものTさんとKさん。Tさんは午前9時半にすでに泥酔状態である。寝てるか飲むか食べてる以外、つねに作りっぱなしでいると、K本やT屋に顔を出すのが楽しみなのだが、特に午前中のT屋のぬるさは格別で、それはタクシー運転手のTさんが作る空気のせいである。10センチあまりの首に一ヶ月以上取り組んでいると、今日は止めちゃおうか、と考えることしばしばである。「そんなに朝青龍いじめちゃ駄目だよ。あいつは下手したら大統領になるよ。そしたらまた攻めて来るかもしれない。今度は天気予報見て、台風が来ないときに来るって」。ロレツも怪しく相変わらずである。  古石場図書館に本を返却し、帰宅後、永井荷風『断腸亭日乗』を読む。制作の参考資料ばかり読むのもいいが、たまには何も考えず、ひたすら読みたい。こんな時『断腸亭日乗』は良い。何とかという端末で本を読むことになるのなら、まずこれを入れてみたい。読書中、常に映像が頭に浮かび続ける私としては、丁度良い感じなのである。

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