明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



本に載せる文章の最終チェックをする。プロの文筆家ではないので、多少もたついていても構わないのではないかと考えているが、ヘンな癖もあり、句読点などいい加減なので、気をつけなければならない。 以前、地元のタウン誌に連載したエッセイに手直しもしている。乱歩の話では、探偵団ゴッコで、我々の作った落とし穴は地元の子供達に恐れられていて、絶対触りたくない物を入れたと書いたが、あまりな話ではあるし、何を入れたかは書かないでおいた。タウン誌にはふさわしくないと遠慮したわけだが、今回は具体的に書いておいた。被害者は間違いなく泣いたし、その感触を生涯忘れる事はできないはずである。我々探偵団のリーダーは、人を不快な気分にさせる事については、非凡な才能を持っていた。今は何をしているか知らないが、はっきり言って知りたくはない。

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葬儀  


出版の延期は、スケジュールを空けておけという、伯母の仕業ではないかと言うと、母も、あの我ままな姉さんならやりかねない。そのくらいの力はあるという。「だろーっ」と私。伯父から何度も聞かされていたが、納棺のとき、女学校時代の伯母はたいそうモテたそうで、伯父もそのおかげで、上級生に大事されたと、しみじみと話していた。たしかに、そんな面影はあったが、あのような力の持ち主では、いかがなものであろう。いちおう骨になり、骨壷の蓋が閉じられたのを、この眼で確認しておいた。 孫の二人は、以前、江戸川乱歩で、小林少年とポケット小僧に使おうと思っていたら、竹の子のように背が伸び、小さいほうのポケット小僧ですら180センチを越えてしまった。しかも、あれほど煙草を嫌がっていた連中が、失礼してなどと言いながら、外で煙草を吸っていやがる。もっとも、私の彼等頃と比べれば、いずれも素直な好青年に見えてしまうのはしかたがない。帰宅後、煮込み屋K本へ。今日は躾のなってない中年女性客のせいで女将さん激怒。気に入らない客にはそっぽを向いてるので判りやすいが、そういう連中に限って、嫌われていることに気が付かないことになっている。


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作品集の発売が、2月下旬から3月に変更になった。と言っても10日ほど締め切りが伸びただけである。集中力が多少切れたが、今回はほとんどが、すでに制作した作品なので、だいたい揃っている。 正月に会ったばかりの伯母が急死した。問題は礼服である。タバコを止めて太ったおかげで服が入らないのは判っている。しかたがないので急遽買いにいく。とりあえずなんでも良いと思ったが、値段によって黒の濃さが違うと聞いたことがある。聞いていたせいか、なるほど随分違うものである。サイズが無いとの事で、残念ながら自動的に少々黒が濃いほうに。 タバコを止めてしばらく経つが、最近、喫茶店や飲み屋でタバコの臭いが服に付くのが急に判り出した。それが先月、帰りの2駅くらい臭っているのに気付いたが、今は家に戻っても臭っている。タバコが抜けるのに応じているのだろうが、今になって、やっとこのレベルになったという事であろう。今更ではあるが、喫煙者は、タバコがどれだけ臭いかは判らないものである。くさやが始めから食べ物の人間からすると、これを臭いと言われてもなあと思うのと同じであろう。 出版が延びたのは、自分の葬儀のため、伯母の仕業ではないかという気がしてきた。そのくらいのことは、あの伯母なら可能である。シミジミと送ってくることにしよう。

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常連  


最近かどの煮込み屋、K本へ行っては、猫の写真を撮っている。早い時間だと店内を猫が我が物顔である。先日常連席のMさんからフレッド・マクダウェルのアーフリー盤を借りた。知り合って随分になるが、こんなにブルース好きだとは知らなかった。いきなり超シブなCDを差し出されて驚く。東京人でもよけいなことを言わない人は、ホントに言わない。かくいう私も、焼き鳥屋、K越屋では20年以上通って、挨拶と注文しかしなかった。向こうもよけいな事は詮索しないし。昼間フラフラしているので、怪しんでいるのは判っているが、オヤジの顔を見ると、とても人形作ってますなんてことは言う気にはなれないし、言ったらよけい怪しくなるので、結局黙って飲んで帰っていたわけである。さいきん仲良くなってみると、よく20年、話もせずにいたよと、お互い笑っている。 K本で最近、良く見かける作業着の男、やたら馴れ々しく調子が良い。誰彼となく話しかけ、話に入ってくる。可哀相に、下町ではもっとも嫌われるタイプの一つだとだということが判っていない。常連客など、話しかけられても無視して男を通り抜けて向こうを見ている。あんまりではある。深川などは、なにより距離感覚が必要である。通いながら、目礼する程度から始め、2、3事話す頃には、逆に話しかけられることもあるだろう。やり方によっては、20年話しかけられないことも可能である。

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夢野久作を作るにあたり入手した『九州帝國大學醫學部寫眞帖』(昭和六年の卒業アルバム)は、久作がドグラ・マグラ執筆中の物だけに、書くに当たって取材したり、モデルにしたり、出版記念祝賀会に招待した教授などが、直筆サイン入りで貼り付けてあるのだが、14年後に起こる、悪夢のような米軍捕虜生体解剖事件にかかわった教授までいる。しかし昭和六年といえば、この捕虜の生体解剖を母校に持ちかけた、そもそもの発案者、後の軍医見習士官が卒業した年なのである。この男は終戦間際に焼夷弾の直撃を受け、右足切断手術の後、破傷風により死んだらしい。享年41歳。上坂冬子の『生体解剖事件』では仮名になっていた。どうにか本名は調べたが、アルバムの中にない。実に残念だと思っていたのだが、昭和六年の九州帝国大学一覧、「三月学士試験合格」の欄に「(元藤田)小森拓 佐賀」とあった。この男だったか。名前が換わっていたのである。 生きて裁判の場に引っ張り出されていたら、事件はさらに広がっていたに違いなく、死んでホッとした連中もいたはずである。731部隊関係者と違い、こちらの関係者は、占領軍側に医学的成果を何ももたらさなかったため、戦犯としての扱いも違っていたようである。

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念のため現テレビ東京に聞いてみると、古くて記録がないという。これはやはり『真夜中デイト』だな、とネットで検索してみると、2件だけヒット。残念ながら『麻世の真夜中デイト』らしい。となると私の経歴から永遠に抹殺の可能性が大きいが、ただ私は中学時代、テニス部だったと言って相手が笑わなかった場合、だったらバレー部にも所属していたぞと、追い討ちをかけたくなる性分である。面白いからまずHPには載せることにしよう。 パソコンのプリンターなど当分、顔も見たくないと思っていたが、テキストの修正その他、やはり必要である。腹立たしいがしかたがない。3台目を買いに行く。ヨドバシの錦糸町店に行き、エプソン製に決める。画質は落ちるが、貴様なんぞで、写真をナニしてどうするという気はサラサラない。値段は1万しなかった。これなら次、何かあったら直ちに容赦しない。躊躇することなく、燃えるゴミで捨てられるほど破壊してやる。

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デザイナーから、プロフィールにはできるだけ載せたほうがと言われている。そうは言ってもと整理しているが、中には意図的に外していた物もある。たとえばTV初出演。82年、東京12CH。オールナイトフジもまだ始まってない頃の深夜番組である。なぜ載せていないかというと、タイトルが『真夜中デイト』だからである。もしかしたら麻世の~が上についたかもしれない。(司会・川崎麻世)渋谷で黒人のシリーズを展示していて、ディレクターが観に来たのだが、私は絶対出演しないが、人形だけならと言っておいた。 スタジオに行くと、まだ始まっていない番組なのに、第一回を観たという視聴者からすでにハガキが着ていた。(2本撮り)映っているところ以外は、随分雑然としているものだなと思いながら、パンジー?他アイドルや扇ひろ子のいかにも12CH調演歌の収録を観ていた。さんざん待たされ、いざ人形の出番となると、私にも出て欲しいと言う。私は出ないと言ったではないかと抗議したが、深夜のスタジオ内、成り行きを見つめる疲れた顔の大勢のスタッフの中、私一人が我がままを言っているような空気にされてしまい、しかたなく。芸能人じゃあるまいし、同じ事を何度も言うなどまっぴらである。一回で終わらせることを条件に出演したのであった。探せばビデオもあるだろう。この歳になると、『真夜中デイト』くらいは別に恥ずかしくない。ただし、麻世の~は付かなかった事にしておこう。

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一日  


角の煮込み屋には、すでに常連が。 昨日は『ゲゲゲの鬼太郎』などの、映画関係者が集まっていて機会が無かったので、新作のプリントを見せる。常連には、人形を作っている頃から首をポケットに入れて見せていた。そのせいもあり、よけいウケた。この人物は、ここでウケないようでは脈はない。 それは良かったが、どうも寒気がする。熱中すると、気がついたら身体が冷え切っているということがあり、今日も気がつくのが若干遅れた感じである。風邪はだいたいこのパターンでひく。大事をとって早めに切り上げ寝る。いつもは辛い麻婆豆腐で切り抜けるが、食欲がないので使えず。しかし切り上げ時がよかったか、大事にはいたらなそうである。

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2月に発刊予定の作品集は60Pほどのもので、今まで制作してきた作家シリーズから一人、1、2点づつ選んでいるのだが、そうはいっても新作も何点か加えるので、撮影もしなければならない。 午後、デザイナーの北村さん、Tさんと神田にて打ち合わせ。北村さんが考えてくれた仮タイトルなどの説明、イメージカットの追加注文。詩を解さない私にたいして、スケッチを交えて雰囲気を伝えてくれる。雑談となり、三島の話になる。どこが好きかと訊かれ、ジャイアンツに行きたかった清原が、ジャイアンツのコーチに、ユニフォームをちょっと着させてくれと頼み一人泣いたという話を聞き、少し好きになったという話をしようとした。つまり内容はともかく、男の本気に打たれるのだと言おうとしたわけだが、話そうとして、図体のデカイ男がロッカー室あたりで泣いているところをイメージしただけでウルッときて慌てた。野球など興味がない私である。だいたいよりによって、なんで清原なのだ。

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列車事故の場合、轢断死体などというが、バラバラの場合は、あいかわらずバラバラであって、他の表現はないのだろうか。 乱歩の『白昼夢』では、初めて観た横尾忠則の挿絵に始まって、だいたい切断された首が絵になっている。私も子供の頃からそう思い込んでいたが、拙著の中で、白昼夢を制作した後で、首は切り離していないことに気付いた。後書きでは、知っててそうしたことにしておいたが、知っていたら店先のトルソのシーンなど、グロテスク過ぎて、作品化しなかったであろう。私はいちおう常識人という演技プランにもとづいて行動している。 マンションの屋上で三島を撮っていたら、見る々陽が陰って途中で断念。もういい加減、私は撮りたい。しかし、マンションの住人や管理人に見られたら、常識人には見えないことであろう。悪事が露見した場合のプランは乏しく、ひたすら林家三平調である。

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今日も三島を撮影せず。どうも撮り惜しみしているようである。散々苦労させられたので、そう簡単に楽しんでやらないと、私はどこかで考えているようである。 夕方、本郷3丁目でデザイナーの北村さんと打ち合わせ。しかし例によって、打ち合わせという飲み会である。後半はほとんど脱線。しかし、いつも後半のおかげで打ち合わせ内容が濃くなる。 帰宅すると、朝日新聞の編集者から、この写真は誰が、どうやって撮ったのかと、あちこちで聞かれたというメール。あの撮影は、そばで見ていた人が一番、完成図が浮かばないであろう。以前、依頼された仕事の時のこと、撮影開始早々、ファインダーをのぞく端っこで、依頼者の顔を見てしまった。その顔はグエッっと言ったとしたら、丁度そんな感じであった。以来、撮影中は、できるだけ依頼者の顔を見ないようにしている。

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一日  


三島は着彩も終わり撮影しようと思ったが、気持ちが入らず明日にすることに。作品集の類は昨今、まったく売れないそうである。文章を載せた文芸書の体裁にしないとならないという、営業的な問題があるらしい。かといって、誰かに書いてもらうほどの余裕はないので、すべて自分で書かなければならない。駄文だと判っていながら書くのは複雑なものがある。そもそも頭にロクなものが浮かばないから、手を動かすハメに陥っているのである。 朝日新聞の荷風2回目を観たというメールをもらったので、とりあえず観たいと近所の販売所に行く。中にいた青年に夕刊下さいというと、困った顔をしている。横にる女性と共に、日本語が判らないらしい。他の連中は配達に出かけているのだろう。とにかく欲しいと伝えていると、青年「コレ、アゲマス」と差し出す。実に太っ腹である。有り難くいただく。明日は買いに来ますと通じないのは承知で言っておいた。隅田川沿いの荷風は、撮影前夜に作った長ネギが効いていた。

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先ごろ亡くなった青島幸男は、どうも、とんでもなく近所に住んでいたようである。そういえばK越屋の親父さんが前を通ったと言っていた。青島といえば昭和30年代生まれにとって、黒人に対するジェームス・ブラウンに匹敵する影響力のあった天才である。こんな事なら一回くらい”見”たかった。都知事時代はさすがの青島も、狭い所育ちで気を使いの、東京生まれの欠点が出てしまったか。その点、現親バカ都知事は、よほど広いところで育ったらしく、思ったことを口に出さずにいられないタイプのバカである。三島由紀夫に向って小さいと面と向って言ってしまうし、こういう人間は、狭いところでは絶対生まれないものである。周りの空気が読めない事、はなはだしいが、こういうのを盆を読めない盆暗と言う。実はアメリカ育ちではないのか?ツラを見てるだけで腹が立ってくるのは、子供の頃、母がタンスに隠した『スパルタ入門』を母より先に読んでしまって以来である。そう言い出すと裕次郎にしたって、坊ちゃん臭くて良いと思ったことが一度もない。大根だし。さらに石原軍団(軍団がまたムカつくが)は全員虫唾が走る。新年早々石原のことなんて思い浮かべるもんではない。

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朝日新聞よりバイク便で夕刊が届く。文化面 立松和平/森見登美彦『私の貧乏物語』先日撮影した浅草の永井荷風がなかなかインパクトある大きさで載っていた。何故か荷風はどこへ持って行っても似合うし、たいしてリアルに作っていないのに、リアルに写るのが不思議である。以降、写真は小さくなるが、何もなければ9,10、11日に掲載の予定。 Sより焼き鳥屋、K越屋に行きたいと言われていたので、Tさんと三人で深川不動近くの屋台でハシゴしたあと顔を出す。営業日でないのに、相変わらず人が集まっている。Sは飲んで寝なくなった代わりに、その分泥酔するようになった。せっかく電車がある間に店を出たのに、一人店に戻っていった。パットン将軍のように怖い奥さんが旅行に出かけているせいであろう。こうなったら、道路に寝てようと、なんだろうと、こいつはいつも捨てて帰ることにしている。この雑記でも何度捨てて帰ったことか。いい加減、酒の飲み方を覚えられないというのは困った事である。

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元日  


2日くらいはと思ったが、やはり手持ち無沙汰になり、作りかけの人形を取りに帰る。ついでにメールなどチェックしていると、近所の焼き鳥屋K越屋のオヤジから、すっかり盛り上がった様子で電話。今日はさすがに母と正月をと思ったが、この手の誘惑にめっぽう弱いタチなので寄らせて貰う。途中で、息子夫婦等とすれ違う。親父が待ってますから行ってやってと言われる。 様々な年代の女性に囲まれ上機嫌のオヤジ。御馳走になってばかりではと、作りかけの人形を披露し、ご機嫌を伺う。ちょっと寄るつもりが退出のタイミングの下手さ今年も相変わらずで、結局最後の一人に。良い気分で実家に帰る。

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