明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日久しぶりに会った幼馴みは、昨年ころ鬱だった、という。真面目というのは万病の元とはいわないまでも、鬱の元ではあるだろう、知っている限り、そこはかとなく、こうあらねばならぬ、という何某かを皆抱えているように見える。いや、それは当然の話であって、むしろそれをまったく持たずに生きようという方が難しいことかもしれない。 私はというと先日のブログでバラしてしまったが、何が出来ない、苦手だ、不得手だ、という時、その後に(その代わり人形は作れる)というのがくっついていて。正確にいうと、その代わりというより“そのおかけ”と思い込んでいるので、自分を卑下しているようで、その実は笑っている、という、内緒にすべき演技プランをバラしてしまった。最も、読者数を考えると、影響ないだろうし、そもそも一般人には、それがどうした、という事柄であり、何故そんな事で笑っていられる。という話であろう。だからこそ私も内緒にしていた。欠点がすべて自分の利点に駆り出されている、と思い込んでいるお目出度い人間が、鬱になることは無さそうである。かつて植木等が笑いながら歌い演じた男と目出度さは変わらないかもしれない。私の世代は怪獣映画と2本立てで、必ずあの常に躁状態の奇妙なサラリーマンか、いつまでも大学に居残り続ける男を観ることになった。 寒山拾得は、芭蕉庵が完成するまでは、何もせず金魚をただ眺めるだけに留める。わずかな光量の星を観る時に、ピントの外れた目の端っこで観る方が見えるという。金魚を観ていれば、芭蕉庵が完成する頃には概要が見えているだろう。なんて何の確証もないのにいってるのも、お目出度いせいであろう。 

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本日は田村正和のカメラを壊してしまった、いやそんなことはしていない、と目が覚めた。いつもより悩む時間が短くて助かった。 当初、芭蕉庵をおんぼろの東屋をイメージしていたが、周囲の門弟、タニマチがいたわけであるし、サロンのように芭蕉をしたった人達が集ったようなので、私や多部未華子のような暮らしぶりではなく、きちんとしていたであろう。門弟の中には女房に命じて、師匠宅を掃除に行かせた、なんてのもいたかもしれない。 芭蕉は酒を飲んだらしいし、門人その他と区会を催した。茶碗が十個たかいくつか置いていたらしい。それを英一蝶、だったか誰だったか、に聞いたニ、三代目かの市川團十郎が書き残している。十個かどうかはともかく、ある程度の人数を招き入れていたことは間違いはない。門弟が師匠のために、米を蓄えた大きなひようたんというのは絵的には面白いのだが、いかにも入れなさいと、目立つところにぶら下げておくのは変だろう。 三遊亭圓朝を旧知の鏑木清方が思い出しながら描いた、肖像画の傑作は、何事か企んだ表情に見え、私が見落としている圓朝がいるのではないか、と読めるだけの物を探して読んだが、師匠に裏切られても見捨てず、弟子も守るような人物で、あの表情は、芸に対する表情だあったのだ、と最終的に納得した。ただ、よく聞く話だが、身内である倅の出来が悪くて勘当している。 考えてみると、肝心な芭蕉像はすでにあるのだから、芭蕉の人となりについてはともかく置いておいて、明日は土台となる合板をと柱だけでも入手したいと考えている。

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芭蕉庵は当初の予定よりサイズダウンしたことにより、古池まで作ることができそうである。思ったイメージで作れるのかは、まだ判らないが、作ったことがない物は常にこんな調子であり、お馴染みであって、どうということはない。東屋などを建てている映像など観ているが、実際と違い、屋根は後回しにするべきであろう。 さっそく金魚飼育が役にたった。庵と芭蕉の樹、古池を独立して作り、現場の状況に合わせレイアウトを変えられるようにするつもりだが、その間を鑑賞魚用の砂、小石、各種で埋めようと考えた。池は樹脂を使おうと考えているが、庵をちょっとでも高くして、周囲を砂で埋めて隠せば、池を少しでも地面より低く見せられる。催事により、設置場所を変える場合にも状況に合わせてレイアウトを変えればよい。砂の掃除は必要となるけれども。我が家の水槽は砂を使っていないが、入れようか、と各種の砂を見ていたところであった。掃除を考えて、入れるのは止めたが。 これで、寒山拾得制作に向け、金魚を眺め暮らす、という自分でも良く判らない奇策に対しての罪悪感がちょっと減った。こういう屁理屈を重ね、二年後の個展会場では、始めからこうなることを計算して金魚を眺めていたのだ、計画通りである。という顔をする予定である。 新潮社の森鷗外作品の朗読CDの中の『寒山拾得』を聴きながら水槽を眺めた。金魚により役割が決まっているので目で追いながら聴く、これは想像以上に面白い試みである。勝手に泳ぎ回る寒山や拾得を眺めながら、朗読に合わせて、想像力でこちらが脳内に物語を描いて行く。私という特殊な想像力による変換装置をお貸しできない以上、あまり他人様にはお勧めしない鑑賞方法だが。

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一日  


午前中、昨日の幼馴染みの金魚に対するアドバイスを思い出していた。できれば違う種類の金魚を混泳させるべきではない、と。ほとんどがオランダ獅子頭系の中にいる虎柄の朱文金のことをいっている。そこで寒山拾得のことを説明し、虎役は別の種類にしたいのだ、というとうなずいていた。小学校の時、学芸会で、私の企画立案した寸劇に何度となく付き合った友人は、さすがになんだそれは?などとは一言もいわない。本日の入道雲が金魚の頭の肉瘤に見える。 何度もやってしまうのだが、ポケットに札を入れたまま洗濯してしまい、いつものようにレンジで乾かしたのだが、火花が散って発火、万札が焦げた。こんなことは初めてである。全焼ではないので、広げずそのまま銀行に持って行くと、日本銀行の審査が必要という。書類に色々書き込む「たぶん3枚だと…。」その後江東文化センターに行き、芭蕉記念館の担当者と待ち合わせる。本日講座を開いておられる日本歌人クラブ会長の藤原龍一郎さんを担当者にご紹介することが出来た。私の以前の住まいの真ん前の小学校の御出身で江東区在住、芭蕉サミットその他、お力を貸して頂けるのではないか、と以前から話していた。担当はアイデアマンであるので、さっそく色々企画を思い付いていたようで何よりであった。 その後、居酒屋にて芭蕉庵の打ち合わせ。簡単な図面に具体的なサイズを書き込んである。高さはおよそ70センチ。ようやく決まった。難航したのは、当初私の芭蕉像を中に設置しようと考えたせいで、そのままでは家から出ないくらいのサイズとなるところであった。 芭蕉庵にはひようたんが備えられてあったという。門弟達が師匠のために米をもちより入れて置いたらしい。そういった身の回りに関する情報をできるだけ集めるようお願いしておいた。 帰りのタクシーで、そういえば一万円札はキラキラしている部分がある。インクに金属が含まれていて発火したのかもしれない。何度もレンチンしたのに今まで発火しなかったのは、私のポケットにキラキラした札が入っていなかったせいだろう。運が良かった、ということにしておいた。

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3時半に錦糸町で幼馴染みのYと待ち合わせる。数年前に、10年以上ぶりに、たまたま会ってお茶を飲んで以来である。考えてみたら、錦糸町駅ビルの熱帯売り場は、小中学校の頃、二人で散々通った。坂崎幸之助がラジオでやはりここに通った話をしていた。昭和三十年代、馴染みのない、バターを炒めた洋食の香りがホームを直撃していたのを思い出す。駅ビル内の店に。彼には興味がなかろう、と作家シリーズに転向して以来、個展の知らせもほとんどせず、本を出したことも知らないくらいである。二年前の金魚坂での室生犀星の個展『我が肌に魚まつわれり』のチラシを渡す。昨年引っ越しした話を手短にしてさっそく金魚の話である。小学校の病気の金魚の水槽に、ビタミン不足と聞き齧ってレモンを絞った彼が、らんちゆうの愛好会の審査員にまでなっていたとは、というと彼はレモンの件は憶えていなかった。 朝撮影してきた金魚の映像を見せると、どんな金魚をみせられるか、と思っていたら、悪くはない、といわれて嬉しかった。専門家的には尾びれの形が、とか、ここのラインが、と様々あるようだが、そんなことは私は知らない。彼は椎間板ヘルニアで水替えができなくなり、十年前に金魚は止めており、趣味としてはボディビルのジムに通っていた。金魚の形にこだわることから、自らの肉体の形にこだわることに転向した、ということになるが、それもコロナ禍により最近止めたという。だったら金魚に戻れよ、と。私は見た目はともかく、中身は昔のまんま現れ、旧友をしばしば戸惑わせてしまうのであった。

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被写体から陰影を廃するという最初の試みは正確にいうと『鏑木清方作三遊亭圓朝像へのオマージュ』ではなくバストアップの圓朝の周囲にヒトダマが浮かんでいる作品であるが、手がけるまで時間がかかった。一月くらい、頭の中で圓朝がずっとこちらを見てたのを憶えているが、当時のブログには、あの頃の葛藤が書かれているはずので、我が大リーグボール3号の完成の流れをいずれ読み直してみたいが、憶えているのは、ヒトダマのことである。寄席や、映画で使われたような、真綿に焼酎を浸ませて火を点けたようないわゆる”焼酎鬼火“あんなダサイ物は絶対に撮りたくない。結局、半紙に墨汁で筆描きした物を反転し、重ねて使った。以降、蠟燭の灯りも筆描きとなる。後で考えてみると、陰影を排除するということは、艶や、光の反射にも制限がかかる。よつて実に合理的な手法なのであった。円谷英二同様、火と水には苦労する。 手塚治虫のジェット、ロケット噴射は蠟燭の灯のようである。蠟燭の火を撮影してみたが、出力不足は否めず。噴射を強めた。寒山拾得でも焚き火あたりが、登場しそうである。それはまた筆描きするとして、問題は水である。陰影がないということは、艶もなければ反射もなく、また空気感もなくはないが難しく、いいずれにせよ四元素には工夫が必要となる。



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幼稚園の頃からの幼馴染みのYと、小学4年で同じクラスになり、彼の影響で熱帯魚を始めた。中学の飼育部で、予算を多く撮り過ぎ、非難の的になり、その風向きを変えようと、熱帯魚の丸呑みショーを企画し、見事に失敗して、涙目の部長を残し二人逃げた話しは書いた。江戸川の金魚の 養殖場に入ってしまって叱られたり。彼とは随分会っていないが、熱帯魚かららんちゆうに転向したという話をかすかに憶えていた。彼は地元で美容院を経営しており、美容学校時代は友達のよしみでパーマ他随分実験台になった。店の名前は私が考えたので、検索して店に電話をしてみたが、このご時世、早仕舞いだそうで、何度かかけて、今日ようやく通じた。引っ越ししたことや、お互いの近況、親のこと、話すことは山々あれど、そんなことよりまずは金魚である。 彼は椎間板ヘルニアのせいで水替えができなくなり、十年前に止めたという。数年前にたまたまあった時は、私が金魚に興味がなかったので、らんちゆうを止めた話は出なかった。 彼はらんちゆうの愛好会に入っていたことは知っていたが、実は優勝を果たし、しまいには審査員もやっていたそうである。ユーチューブによると、一般の愛好家のように、店で市販の金魚を飼って育てるというレベルではないことは知っていたので、教室の金魚が病気になり、ビタミン不足だと知り、家からレモンを持ってきて水槽に絞ったYが、と感慨深かった。近いうちに会って金魚の他、学芸会や飼育部、その他で、我々のしでかしてきた様々について語り合うことにした。

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幼稚園の頃からの幼馴染みのYと、小学4年で同じクラスになり、彼の影響で熱帯魚を始めた。中学の飼育部で、予算を多く撮り過ぎ、非難の的になり、その風向きを変えようと、熱帯魚の丸呑みショーを企画し、見事に失敗して、涙目の部長を残し二人逃げた話しは書いた。江戸川の金魚の 養殖場に入ってしまって叱られたり。彼とは随分会っていないが、熱帯魚からんちゆうに転向したという話をかすかに憶えていた。彼は地元で美容院を経営しており、美容学校時代は友達のよしみでパーマ他随分実験台になった。店の名前は私が考えたので、検索して店に電話をしてみたが、このご時世、早仕舞いだそうで、何度かかけて、今日ようやく通じた。引っ越ししたことや、お互いの近況、親のこと、話すことは山々あれど、そんなことよりまずは金魚である。 彼は椎間板ヘルニアのせいで水替えができなくなり、十年前に止めたという。数年前にたまたまあった時は、私が金魚に興味がなかったので、らんちゆうを止めた話は出なかった。 彼はらんちゆうの愛好会に入っていたことは知っていたが、実は優勝を果たし、しまいには審査員もやっていたそうである。ユーチューブによると、一般の愛好家のように、店で市販の金魚を飼って育てるというレベルではないことは知っていたので、教室の金魚が病気になり、ビタミン不足だと知り、家からレモンを持ってきて水槽に絞ったYが、と感慨深かった。近いうちに会って金魚の他、学芸会や飼育部、その他で、我々のしでかしてきた様々について語り合うことにした。

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ペットにたいして飼い主は、何でも可愛らしく見えるらしい。そういわれても私には大体、普通の犬や猫にしか見えない。しかしウチの金魚に限れば、わざわさ不細工だから、という理由で選んでしまった寒山こと桜東錦を別にすれば、間違いなく可愛い。暗い部屋でライトを点けて眺めていると唖然とするくらいである。生き物が発する色彩は格別である。 女子中高生などは寄ると触るとカワイイを連発しているが、以前、泉鏡花原作”貝の穴に河童の居る事“をビジュアル化して出版した際、間違ってもカワイイとは言わせないよう、心がけた。女性がカワイイと発音するとき、副音声でオイシソウと聞こえてしまうのは、高校を卒業し、入学した工芸学校で、すぐに親睦を兼ねた合宿があり、キャンプファイアーを囲んで酔っぱらつて皆で寝てしまった。夜中に目が覚めると満点の星空、3人の可愛らしい先輩が肩を寄せ合い語らっている。この前までいた男子校とは雲泥の世界である、うっとりしていると、3人の彼女らの、誰君は柔らかそう、誰君は筋ばってるから煮込んだ方が良い、と男子を喰う話が聞こえて来た。 可愛いいから、と新入りのオランダ獅子頭を拾得に昇格させ、拾得を寒山に、不細工で選んだ寒山をベランダに、と考えてしまったが、水替えして眺めていて、やはり同じ桜東錦同士、寒山と拾得とすることにした。新入りのことはまた後日。最終的に、この六十センチ水槽には、寒山と拾得、豊干と豊干の乗る虎、くらいにしたいところである。 絵巻調に描く予定だが、せっかく時間経過を表すには絶好のフォーマットである。頭痛に苛ま苛まれる閭丘胤のところに旅の僧、豊干が訪ねて来て、最後、寒山と拾得が笑いながら何処かへ行ってしまうところまで、寒山詩集の序に描かれたストーリーをそのまま描いてみるのも面白いかもしれない。

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寒山拾得図という物は昔からモチーフにされて来た。中国は寒山寺の拓本が土産物として売られ続け、日本でも旧家には良く床の間にぶら下がっていたものらしい。大昔からある画題、モチーフでも特に寒山拾得を、と考えたのは、二人の謎の表情がポイントとなっていたからであろう。寒山拾得図は星の数ほど描かれ続けてきたが、玉石混交、いくら見事に背景が描かれていようと、二人の表情に魅力がとぼしければ、興醒めである。この画題は寒山と拾得の表情こそが肝心であるり、そこに惹かれたのであろう。考えてみると、風景画といわれても、誰だったか、街に橋がある作品と、槐多木炭画くらいしかとっさには浮かばないのである。花鳥風月自体にそれほど興味がない。かつてジャズマンを作っていたころ、顔を引き立たせるために、いやいや楽器を作っていたが、今回中国の山深い岩山など作るのも、ひとえに寒山と拾得の表情のためだけである。楽器と違ってカタログや実物を写す訳ではないので面白いだろう。岩肌は、高橋幸宏さんのアルバムEGOのレコードジャケットで、経験済みである。そのずっと前だったか、村山槐多で『尿する僧』のオマージュ『尿する槐多』を作った。突き立った岩のてっぺんで放物線を描く。当時はデジタルのデの字もなかったから、後ろからチューブにつないだ注射器です放尿させた。足下の芝かなんかをむしって粘土制の岩に貼り付けた。現場での馬鹿馬鹿しさは大変な物であったが、ファインダーの中、あるいは出来上がりのプリントさえイメージ通りならば、馬鹿馬鹿しい方が楽しい。


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私のように閉じこもって制作していると、傍から見ればぐうたらしているように見えるだろう。よってうっすらとした罪悪感とともに生きている。正月やお盆、その他連休などは、罪悪感にさいなまれないですむので、その間はすがすがしく社会人と一緒に休まずに、制作しているのが常である。つまり、余り大きい声では言えないが、そういう意味では家に居ることが推奨されるコロナ禍の昨今は、案外気が楽である。 役にも立たず必要ともされない物を制作し続ける、というのはそうしたものである。そんなことは知ったことか、といえれば良いが生まれた時から、薄いガス室のような空気を吸いながら生きている。あまり嬉しそうな顔は危険である。頭の中に浮かんだ物を取り出すことだけに集中し、世間的にどうだ、などまったく考えないで生きるというのは、まさに極道者というそしりは免れないが、しかし極道者にも、ルールという物があって、幸いにも私には居ないが、例えば妻や子のために頑張ろう、なんていうのは、絶対やってはいけないことである。そんな不純な動機で制作した物を他人様に披露するなんて失礼千万なことである。あくまで、止むににやまれず、そうするしかないから作った物だけを披露するのが、私の仕事であり、渡世であろう。 ブログでは常々披露しているが、何かのきっかけで、とか、何か理由があり、とかではなく、生まれてからずっとこの調子であるから、社会人の中に紛れて生きるにはどうしたら良いか、私だって多少は学んでいる。あるかどうか判らない能力を全力でかき集め、寝床を寝心地悪くして睡眠時間を削って制作し発表する。その様を見て呆れかえる人あるも良し、またたまには、作品を家に持って帰り、家族にバレないよう、タンスの奥に隠しておこう、なんて人が居れば、こんな有難いことはない。 本日も金魚を眺めながら、寒山拾得を制作するために、普通に励んだら絶対失敗するし、打開策は生まれないだろう。と一人ごちるのであった。例によって傍から見れば、怠け者が言い訳しているようにしか見えないであろう。

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