明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



某研究会のメルマガで、アダージョ今号が50名様読者プレゼントになっていた。この研究会は憂○忌を運営しているそうである。 私はもちろん、リスペクトして制作しているつもりであるが、男はそもそも、悲しくも可笑しい存在である、というのが私の基本的考えである。男にしか解からない男の可笑味もあるから、特に女性ファンは、こんな方ではない、という人も少なからずいるであろう。 三島はボクシングを習いたての頃、現都知事とスパーリングをしたことがあるそうである。なにしろリズム感はないし、それしかまだ習っていないので、ストレートパンチしか出せず、すべてかわされたらしい。おそらく三島はいったに違いない。「君は俺のパンチが一つも当たらなかったと他所でいうんだろうなァ」。いったから私も知っているのである。 周りのファンはさておき、御本人にはウケたいというのが、私のかなわぬ願望である。現役の一流格闘家、山本キッド選手に、後ろに控えてもらったことは喜んでもらえたであろう。もし気に入ってもらえないとしたら、自慢の胸毛と筋肉の量だが、筋肉は、裸の撮影というときに、ボディビルダーがそうするように、パンプアップ(短時間に筋肉を酷使して膨らます)させているから、普段はあんなものであろう。胸毛に関しては、だとしたら、申し訳ありません、というしかない。

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以前にも書いたが、私が手がけた作家シリーズは、実は高校生頃までにイメージしたものが大半で、あとは二十歳過ぎが少々である。小学生の頃は、読書中、何も聞こえないくらい集中し、一方、TVと本を読みながら絵を描いたりして、どれか一つにしろと怒られたものである。今はとてもそんな芸当はできないので、人生の残り時間を考えると、ミステリーなど読んでいたらまったく危険であり、何も作る気がなくなったら、ゆっくり読もうとあえて読まないでいる。 最近は、もっぱら資料としての読書ばかりだが、それはそれで満更ではない。子供の頃から好きなものばかり読み、嫌いなことに目を背けて生きていたら、どうしたって拙著『Objectglass12』のようなラインナップにならざるを得ない。というわけで、仕事でなければ一生読むことはなかったろう作家に接することも、最近は楽しくなってきている。これから制作に入る、私がかつて蛇蝎のごとく嫌った男も、頼むから誰か私に無理やり読ませて、私一人ではどうすることもできない(何しろ嫌いなのであるから)制作創造の快楽を与えてくれと、思っていたのである。 そうこうして新潮社より、装幀画を担当した『われらが歌う時』上下巻 リチャード・パワーズ著が届く。翻訳物を読んだのは何年振りだったであろう。作中人物とはいえ、黒人を作ったのも10数年ぶりである。自分ひとりで作り出す快楽には限界がある、と思う今日この頃なのである。

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やはりアダージョ11号は私の大嫌いな作家になるようである。 以前、農業新聞にも書いたし、つい先日、雑記に書いたばかりだが、食べ物というものは、食べたいから食べるのであって、必ずしも美味いから食べるわけではない。不味いから食べたくなることだってある。ならば、嫌いな人物に制作欲をそそられることだってあるだろう。しかし、数冊読んだだけで投げ出した人物を、嫌いだという理由で作るわけにはいかないが、発表できない物は作ってはならないと戒めている現在の私に、これで作る理由ができた。私は待望していた、といってよい。 友人の精神科医によると、嫌いなものには、かならず自分の要素がふくまれているそうである。かつてカメラやコンピューターを蛇蝎のように罵倒していた私である。今読んだら面白いかもしれない。それにしたってツラ見るだけでゾクゾクする。 会議後飲酒して帰宅すると、友人のKより『この前話に出た「震電」に似てる飛行機が出てくるアニメ、押井守の「スカイ・クロラ」だった。リベットがいい!』とメールが着ていた。震電というだけで時速や忍者部隊月光がでてくる年代である。


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一日  


いつの間にか寝てしまっていたが、地震のせいで目が覚め作業続行。おかげで明日入稿のはずが、本日早々にアダージョ10号用データを送った。明日は編集会議だが、できればせめて2人くらい予め決まっていると、平行して制作でき、目が慣れることなく、気分転換を図りながら制作できる。伝記、評伝の類を読んで構想する時間を考えても、効率よく制作できるのだが、前もって先の特集まで決まることはなく、2ヶ月に1度の編集会議の日に次号分だけが決まるのである。 ところで聞き及ぶところによると、11号は、どうやら私が大嫌いな作家に決まりそうである。始めに数作読んで虫唾が走り、そのスカシっぷりも気に入らず、ほとんど読んでいない。これは弱った話かというと、そんな単純なものではない。嫌いと作りたくないは、また別な話である。

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次号のアダージョの特集人物は、犬に吼えられるような奴は悪人だ、というくらいの愛犬家である。そこで友人のつてで、青山まで犬を撮りに行った。今から思うと、2号の向田邦子が抱える猫も、実物にすればよかったかもしれない。いずれ夏目漱石で、ホンモノの猫を使って『我輩は猫である』など制作してみたいものである。 撮影は吼えられることも無く、飼い主が驚くほど大人しくポーズを取ってくれたので簡単に終わり、久しぶりに近所のビリケン商会に顔を出す。ジャズや、ブルースをテーマにしていた80年代の頃は、こんなテーマでは、青山辺りでないと人が来てくれそうにないので、界わいで個展をやったものだが、最近はまったく用事が無い。ビリケン商会のMさんとは、初個展、2度目の個展が、はす向かいにあったギャラリーだった関係で、24、5からの付き合いである。ギャラリーでは、9月20日より、『あがた森魚 惑星漂流60周年展』があるそうで、顔を出したついでに私も出品することになった。あがたさんといえば、ということでタルホにしようと思う。 銀座へ行き、伊東屋で絵の具を買い、郵便局へ寄って帰ろうとしたら、肩を叩かれたのが先輩のMさん。これは奇遇ということで軽くビールを。最近亡くなった、陶芸家の先輩の死因についてなど話す。

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着彩  


人物のスーツは白に決めていたのだが、どうも一つ乗り切れず、あとは撮影するだけなのにグズグズしている。 使用している粘土が白いので着彩しないでいこうと考えていたのだが、次号が配布されるのが8月25日となると、白いスーツはどうなのだろう。私はこんなことを気にして制作したことはないのだが。 今号の三島由紀夫は、馬込といっても、ただ三島邸があるというだけで、苦肉の策で桜を背景にと、馬込の満開の桜を撮影に行ったのだが、配布が6月なので、桜はヘンという意見で没になった。季節など考えて制作したことがない私も、定期的に配布される刊行物は、こういうことがあるのか、と多少学んだわけである。桜とスーツの色は違うが、着想したのが、これから夏になる時期だったので、気を利かして白いスーツにしたつもりであったが、知人に訊いてみると、街は、もうすでに夏物のバーゲンも終わっていて、8月も終わりとなると雑誌のファッションは、秋モードだそうである。バーゲンはともかく、白は止めることにした。背景に白いオブジェがあり、白い物が二つ並ぶのも気になっていた。


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一日  


4時半に待ち合わせた蕃茄山人氏とK本へ。40キロ以上減量して雑誌に載った山人氏だが、会った瞬間は未だに戸惑う。常連席は一杯で奥の席へ。どうせならと、物置代わりになっている防空壕の上に、山人氏に座ってもらう。店の奥から素面で常連席を眺めると、実にバカバカしい話で盛り上がっている。K本には扇風機があるだけで、あとは猫が出入りしない程度に開けた戸の隙間からの風だけである。最近チューハイに、モロキュウのきゅうりを入れて、せめて目だけでも涼し気にしている。 次に久しぶりに、焼き鳥屋のK越屋へ。親仁さんは腹に何もなく、べらんめえなので、話していて面白いのだが、その分長居してしまうので忙しいときは行けない。親仁さんの話と、山人氏の学生時代の意外な話で盛り上がったが、詳しく書けない話ばかりであった。結局、本日も長い時間飲んでしまったが、明日は大銀座落語祭帰りのTさんと。

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人物像も完成し、後は撮影するだけなのだが、そう思ったら何処か緩んでしまった。こういうときは何もしないほうがよい。何かしようとしても、粘土やフィルムが無駄である。待てばかならず、織田裕二に目薬のようなときがくるものである。 昔は昼間からごろごろしている罪悪感に耐えられずに悪あがきをしたが、それはそれで自分と戦うのは無駄ではなかったが、さすがにペース配分その他、自分の中に無いものは出てこない等々、長年やっていると判ってくる。今回は余裕から来るものではなく、自分で画を考え、自分で企てたのにもかかわらず、イメージと違った画になるのではないかと、どこか躊躇しているようにも思える。もっとも、イメージと違うからといって、私の場合は、必ずしも悪いことではない。そもそもが自分で画を考え、自分で作った物を自分で撮るのである。完成後、自分で企てたのにもかかわらず、私はこんなことを考えていたのか、と人ごとのように感じるくらいで丁度よいのだが、念写を試みたら意図とちがう妙な物が写っていたらどうしよう、ということはあるのである。

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アダージョ次号用の人物佳境に入り、最後に眼鏡を作っている。 身辺雑記といっても私の飲酒の様子や、飛び降り自殺した死体を観てしまった友人の話より、できるだけ作品制作の話を書きたいと思うのだが、いかんせん制作中は面白いことなど何もなく、特に苦しんでいる時は、そこから抜け出すには、じっと耐え続けるだけで、余計書くことがない。つまり、制作上のことがでてこない時は、決まって苦しんでいるときであり、かといって、苦しまずに作れることなど、ほとんど無いので、結局飛び降り自殺した死体や、蕎麦の上に目玉焼きが乗っていた話などでお茶を濁すことになるわけである。というわけで、今回の人物も、画は比較的早く浮かんだが、肝心の人物像が難航した。

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友人と飲んで帰り、ホームレス中学生を観る。面倒見のいい人がいるものだが、それにしても、とんでもない親父である。以前、TVで超能力捜査官が、この行方不明の親父を見つけだして驚いた。 友人から、昼間、出掛けようと思ったら、9階から飛び降りて、目を開けて、血溜まりの中に仰向けになって死んでいる40代の男を見てしまったとメールが着ていた。そこには、その男と2人だけだったそうで、救急車のサイレンが近づく前に現場を後にしたらしいが、「女房に早速話したら、宝くじを買えと言われた」そうである。彼が奥さんと電話で話していると、電話の向うにいるのはパットン将軍か?といつも思うが、さすがである。

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撮影  


午前10時に、先日アダージョの背景用にロケハンした場所に再び。次号の特集人物の身長が判ったので、それを踏まえて撮影する。実在した人物の場合、そんなことも大事なのである。撮影場所は、人物がかつて住んだ邸宅なのだが、意外とその事実が知られていないので、ただそこに立たせるだけで面白いと思っていた。しかし、そこは邸内でも良く知られた場所であるし、色々なエピソードを知るにつけ、何かせずにはいられなくなった。今回、人物像制作はともかく、撮影、画像処理に関しては楽をしようと考えていたのだが、あいかわらず、普通には終われないようである。帰りに冷やし月見蕎麦を頼んだら、目玉焼きが載ってきた蕎麦屋に再び。人は必ずしも、美味しいから食べたくなるのではない。できるだけハズしそうな、ということで、鴨南蛮蕎麦を注文。案の定、思いっきり不味い。アクじみていてホントに不味い。ということで満足する。 帰宅後K本に行き、制作中の人物を初めて常連に披露する。無事ウケる。 昨日、静岡県産や岐阜県産のアユ54匹を徳島県産と値札に表示して販売し、うち42匹は養殖にもかかわらず、天然と表示していて各新聞、TVに出てしまった近所のスーパーによる。案の定、普段と何も変らず、お詫びを書いたA4の紙が一枚貼ってあった。

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アダージョ10号用人物の頭部、思った以上に難航したが、ようやくロクロ台の上に立ち上がった。2日ぶりにK本に行くと、常連席だけがズラリ6人。今日が75だかの誕生日というSさんが、私にまた採れたてのピーマンを持ってきてくれていた。目出度いといえば、死に場所を求めて出て行ったと思われた猫が、すっかり元気になって戻ってきていた。 最近、始めてくる客に、時に変った動物でも観るように眺められていた常連席も、今日は通常どおり、くだらない話に終始している。ばかばかしくて笑わずにいられないが、先日ディープサウスのようだと評された皆さんとは思えず。はたから見ると、風呂屋の湯船に横にならんで、浸かりながら話しているように見える。Sさんに○○さんどお?と訊かれ、誰のことかと思ったら、私が制作中の人物のことで、Sさんくらいの年代だと、○○さんと呼ぶのが自然なのであろう。今回は難航したおかげで、制作中の頭部を一度も披露しなかった。その後T屋により帰宅。軽く一眠りして朝まで制作。 

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昨日より制作にかかりっきりで、寝たり起きたりをくりかえして家にいると、青山はB商会のMさんが来た、らしい。それは後で聞いた話で、突然来て呼び鈴鳴らしても、私が出るわけがない。昨今は妙な勧誘が多くてうんざりしている。その後K本に行き、私が今日来てないか尋ねたそうだが、全員無言だったそうである。みんなボンヤリただ飲んでいたそうだが、「ディープサウスの旅行者になった気分で、あれじゃ殺されたっておかしくない」に大笑い。イージーライダーのピーター・フォンダが迷いこんだ村のようなイメージである。「実際は可笑しな人ばかりなんですけどねェ」というと「ピーター・フォンダをライフルで撃ったオヤジも、村じゃ良い人っていわれてるんだ」に再び大笑い。アド街に出たせいで、土曜は特に他所から来た客で満杯で、映画や朝ドラなどで流される、嘘ばっかりの下町を体験しに来るのだろう。中にはサファリパークと間違えているのでは、という連中もいる。そんなわけで、常連は狭い常連席で戦々恐々としている時だから、そんな客だと思われてしまったのかしれない。私も先日、隅田川を越えて、日本蕎麦に目玉焼きを載せた物を食べさせられたから、なれない土地というものは色々である。

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中目黒の友人のスタジオにて久しぶりのヌード撮影。私の場合、被写体はヌードが初めてという一般人がほとんどである。何回かプロのモデルを撮影したこともあるが、撮影慣れしているのが嫌なのである。ポーズをとっては、ハイ、今でしょ?という顔をされ、私はそこで撮りたくないのに、申し訳なくなり、ついシャッターを切ってしまったりして。本日もヌード撮影は始めてという女性である。いずれ私の作品の中に登場することもあるだろう。 使用したのは35ミリと、4×5インチの木製一眼レフ、グラフレックスにカール・ストラスのソフトフォーカスレンズ。おそらくストラスが1916年に、アメリカ公演中のニジンスキーを撮影した組み合わせである。

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アダージョ次号用のロケハンに某所へ。本日は編集長以下総勢5人。学芸員の説明を受けながらゴージャスな館内を回る。次号はこの場所と人物の組み合わせで充分面白いと考え、シンプルに行こうと思っていた。表紙となると、やはり出掛ける前から考えていた場所しかない。しかし学芸員さんが「ここはよく使われますから」。そういわれると私の性格上、ただで済ませたくなくなってくる。案の定、いきなりよけいなことを思いついてしまうが、私の今の技術では無理な気もする。昼食に蕎麦屋に入る。冷やし月見を注文するが、冷やし蕎麦の上に目玉焼きが乗っていた。隅田川をたまに超えると、こんな目にあう。 帰りに久しぶりに麻布十番の田村写真による。田村さん、何を嬉しそうにしているかと思ったら、両凸の単レンズ。つまり虫眼鏡レンズ状の一枚玉。最初期のレンズを入手したと、先ほどから電話をくれていたらしい。覗いてみると、なるほどカメラオブスキュラはまさにこうだっただろうという描写である。時代的に印象派の時代のレンズだが、こういう物を見るたび、印象派とは、収差の取れていない当時のレンズを覗いた描写を、ただ描いただけじゃないかと、いいたくなる。特に貢献しているのは古いレンズの色収差である。色が分離した描写を、そのまま描いちゃった。のであろう。ちなみに、私は印象派は大の苦手で、なかでもルノワールは大嫌いで、あの茫洋としたヌードなど蛇蝎の如くである。原因は学校の美術教育であろう。人に何かを嫌わせようとするなら、学校教育は実によくできたシステムである。そもそも子供に堂々と見せられる裸など、ろくなもののはずがない。 ebayで落札しておいてもらったカール・ストラス撮影の『ベン・ハー』(1925’)のスチール写真と、ハリウッドから投函されたサイン入り封筒を受け取り、隅田川の向うへ帰る。

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