明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ここのところ野暮用と連日のフィルムスキャンで、寝不足で頭が痛い。大あくびをしながらしょっちゅう意識がなくなる。 オイルプリントといっても表現方法は様々であるが、私は野島康三の人物写真。特に強烈な個性の女中さんを撮影したといわれる一連のヌード作品に一目惚れし、オイルプリント制作を目指す事になったわけであり、あれがなければ、通り過ぎていたかもしれない。ハスノハナのグループ展で、14年前に制作したセミヌード作品を見て、それを思い出した。 当初、ただでさえ知られていない技法で、自分で作った人物像を作品化してもややこしくなるに違いないと。風景やヌードも制作していたが、そのうち人形だけを被写体とするようになった。昔のピクトリアリストの誰もそんな手法をとった物はいない。それが私に満足感を与えていた。 しかし私が野島作品に魅かれたのは、被写体の個性を別にすれば、丸みのある女性の立体感やグラデーションであったろう。残念ながら、私の作る人物像はほとんど中年男であるし、粘土の質感は、スムースとはいい難い。 そんなわけで丸みを帯びた物が写ったネガをと連日向き合っていると全く眠れない。T千穂に顔を出すが、カウンターでうつらうつらしてしまう。普段酔っぱらっては私にからかわれているKさんが、私を覗き込む様にして笑っている。今意味不明なことを口走ったが、あんたと違って酔っぱらっている訳ではない。千鳥足で帰宅。5時間爆睡。生き返って再びスキャニング。皮肉なことにスキャニング作業によってフィルムの実力を再認識している。

コンビニのくじ引きは、キャンペーンの終了とともに無敗のまま終わった。ネットでサッカーのPK戦で、すべて顔面で受け止めるゴールキーパーの映像がある。強運なのか不運なのか。هو ممكن يقال علية محظوظ شاهد/ ي وأحكم !04:27周囲では作り物だろう、ともっぱらではあるが。 友人に朝出がけに、目の前でマンションの住人の飛び降り死体を見てしまった男がいる。かみさんに電話で知らせたら、宝くじを買えといわれたそうである。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ここ数日、いつかはやらなければならなかった、ポジ、ネガフィルムをスキャニング。スキャナーが届いて開ける前にコンビニでキン宮焼酎とつまみを買う。スキャニングを待つ間、酒でも飲みながらでないとやっていられない。コンビニではキャンペーンで7百円ごとにくじを引くが、これがハズレが少ないのか、必ず当たる。今日は3枚引くところ、4枚引いてしまったが、すべて当たっていた。もちろん一枚返した。もう十連勝くらいである。レジではいちいち「御目出度う御座います」といってくれるが、カップラーメンやペットボトルの水で運を消費したくないのだが。 癇癪の元になるので数台壊してから数年間、手元にないのがプリンターとスキャナーである。私は人に対して当たることなどないが、これが機械となると一変する。だいたい苛立っては無理して壊してきた。家の裏手が太平洋に面した切り立った崖だったら、頭上高く差し上げ、間違いなく太平洋に叩き落としていたであろう。少なくとも苛ついてマニュアル読みながら、毎回浮かぶのはその場面である。そもそも機械相手に「テメー」だの「この野郎!」といってる私にも問題があるが、これがどうにも押さえ難い。スキャナーが届いた日は、パソコンがスキャナーを認識してくれず、スキャニングを始めたのはすでに夕方になっていた。 写真を始めるのが遅かったのは、メカ音痴が祟ったのも理由の一つであろう。始めてみたらみたで、作る事になるとこれまたせっかちに変身する性質が災いし、暗室作業が全くあわなかった。陶芸を学んでいた頃、朝まで待てず学校に忍び込んで、ゆっくり冷まさなければならない窯をうっすら開けてしまった私である。 機械嫌いといえば腹が立つのは改札口で、入る直前に行く手を阻まれることである。料金を支払えば開くのだから問題はないが、センサーで閉まるのか駅員が操作しているのかは知らないが、機械如きがピンボールのボール扱いしやがって、と血圧が上がる。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


刺青  


T千穂にて鍋をつつきながら女刺青師の彫◯ことKさんと打ち合わせ。Kさんは若くして住み込みで修行した人で、浮世絵由来の古典的な墨を得意とする。彼女にはヌードの撮影をお願いしているのだが、きっかけは修業時代、最初は手の届くところに自分に墨を入れ、次に弟子同士で。背中には師匠の作品も入っていると聞いた。その玉石混交状態は刺青のプロならであろう、と想像したからである。しかし部分の画像を見せてもらう限り、アップでこそ現在の技術とくらべれば“習作”らしくはあるが、期待したような玉石混交的な画にはなりそうにない。自分の肌に墨を入れるのであるから、修業時代とはいえ、相当な覚悟を要したに違いない。 そうこうして、Kさんから手彫りしているところを撮って欲しいといわれた。刺青には機械彫りと手彫りがある。彼女は手彫りが好きだそうだが、時間で料金が決まる都合上、時間がかかる手彫りの機会は少ないらしい。墨を入れているところ、といえば、墨を入れられている人が必用なわけで、おかげで被写体が一人増えることになった。背中全面に、見事に彼女の作品が入った女性である。 ところでオイルプリントは、4色分解して、プレス機により転写すればカラー化が可能である。一度試みたが実に手間がかかる。また完成作に水彩絵の具で色を差したこともある。だったら刺青用顔料を直接使ったらどうだろう、と思ったが、手彫り用の顔料は公開してはならないことになっているそうである。聞いてみるものである。 彼女は蛇を2匹飼っている。連中も撮影に参加させたい、と提案すると大変喜ばれた。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




高倉健が亡くなった。晩年は年齢的に設定に違和感を感じていたが。 任侠映画の最盛期には、近所の映画館に通ったものである。特に下町の東映系映画館にありがちなことであるが、館内にはまるで今観ているスクリーンから抜け出たような客が散見されたし、中学生からすると、地元の、あまり顔を合わせたくないような連中から隠れるようにしながら、スクリーンに見入った。高倉健と並び、スクリーン上のアップの大顔面の美しさに唖然とした藤純子。共に記憶の中では、下からスクリーンを見上げたように、上がすぼまっている。顔を合わせたくない連中を意識して、座席に沈み込む様に低い姿勢で見上げたせいであろうか。私は常に前の方の席、さらに出口に近い所に座ったが、要領の悪い奴は暗がりの中で酷い目にあっていた。 三島由紀夫はヤクザ役としてはむしろ鶴田浩二を好んだようだが、『三島由紀夫へのオマージュ』を制作した時、市ヶ谷に向かう三島と楯の会のメンバーを、『昭和残侠伝』の高倉健と池辺良の道行きシーンに見立て、着流し姿で颯爽と。という場面を考えた。背景には白のコロナまで用意していたのだが、その時は時間切れで断念した。隊員の証言では、市ヶ谷に向かうコロナ車中、三島と隊員は『唐獅子牡丹』を威勢良く歌ったようである。 午後、区内某所のNさんと打ち合わせを兼ね飲酒。来年、私の手元にある、展示できるすべての作品を並べられないか、という話。どんなものであろうか。ついでにジャズ、ブルース時代の写真作品もニュープリントを並べてみるのも面白いかもしれない。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昔のフィルムをチェックしていて、色々な事を思い出して来た。発売直後に、ミノルタα7000をいただいたのだが、それまではリコーオートハーフを持っていた程度で、写真に興味は持っていなかった。自分が乱視だと気付いておらず、ピントが合わないのでオートフォーカスを、というわけである。これで個展のDMくらい自分で撮ろうと考え、友人のカメラマンに現像の基礎を教わり、増感現像等やったものである。 当時は露出と絞りの意味の違いも判らず、ポジフィルムはプロ用、ネガフィルムはアマチュア用と思い込んでいた。その頃のフィルムをガサゴソやっていたら、二冊のアルバムが出て来た。自分で現像、プリントしたモノクロームのヌードであり、乗りとしては永井荷風先生の秘蔵アルバムの如きもので、現在の私に鉄拳制裁をくわえられても致し方ないような、このカットのどこが良くてプリントした?と理解に苦しむ物もあったが、何か見つけよう、と本気でジタバタしていることだけは伝わってくる。作品の出来不出来は大事であるが、本気で取り組むかどうかはさらに大事である。 私の好きなブルースマンに、ハウンドドッグ・テイラーという人がいる。彼は生前いった。『おれが死んだら、みんなは、「たいしたプレイはできなかったけど、確かにあのサウンドは良かったなあ」って言うだろうな。』私はこの辺りを狙いたいのだが、さらに私の代わりは誰にもさせない。というのを付け足してみたい。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

HOME



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




午前中、近くを通るということで、Fさんに直接オイルプリントを取りにきていただいた。来年オイルプリントによる個展をやります。と伝えた。今の所、女性のヌードを中心とした人物像のみを考えている。そうなれば私にとって。人形を被写体としない始めての個展ということになる。長生きはするものである。 個展のDMくらい自分で撮れれば、と思っていたところに出たばかりのオートフォーカスα7000をいただいたのだが、それまではリコーオートハーフを持っていた程度で、まったく写真には興味がなかった。コンピューターにしても、自分を超アナログ人間だと思い込んでいて、蛇蝎の如くに嫌っていたのは何だったのか。最近は自分はこういう人間だ、などと言わないようにしている。転向につぐ転向でこの先も何がどうなるか判ったものではない。 私が作る人物は男性ばかりである。色々な理由があろうが、男女、形こそ似ているが、これほどかけ離れた存在を、同じような調子で、同じ土俵に並べられる気がしないのである。男の場合、私の責任が持てる範囲で、ただすっくと立たせれば画になるのだが、同じ様に女性像を作っても、そういうことじゃないだろ。とまったく届く気がしないのである。そう考えると私の場合、男性は作るもので女性は撮るものという事になりそうである。 2000年、オイルプリントの個展会場で、おかしな物が飛び回っている写真を撮ったことがある。白い物がコンパクトカメラのフラッシュが光る一瞬に、ホップしたり、尾を引いて移動している様子がネガに収まっている。この類いの物は、物凄いスピードで蠢いているので、人間の眼には見えないのかな。と思ったものである。何かをとらえようとすると、それぞれに適切な方法があるということであろう。

 

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

HOME

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




和歌山県田辺市の南方熊楠顕彰館が、熊楠が友人等と写ったガラス乾板503枚が見つかったと発表した。503枚すべてに熊楠が写っているのかは知らないが、凄い事である。熊楠を作っていなくて良かった。 人物を制作する場合、資料になる写真は、無いのなら1カットでもかまわない。無いのだから誰も知らない。思ったように作れる。一方困るのは、作った後に、見たことのない、別角度からの写真が出て来ることである。『中央公論Adagio』の制作時。創立100年を超える中央公論新社のアーカイブから毎回資料がどさりと届くと思っていたら、アーカイブなどなく、自分で資料を集めるはめになった。主に図書館を利用したが、止む終えずヤフオクで落札する場合もあった。当然揃う資料も限られるわけである。そんな時、疑問を持ったのが夏目漱石の鼻筋である。このことについては何度か書いた。 眉間からまっすぐに延びる鼻筋は、漱石のトレードマークといっても良いだろう。しかし私は写真師による修正を疑った。私が知る限り、漱石は横を向かないし。 配布直後に『江戸東京博物館』で漱石展がある。会場には私が見る事のできなかった写真があるのではないか。危険を回避するため漱石は正面を向かせた。結局、会場には驚くような写真はなかったかわりに、見事な“ワシ鼻”のデスマスクがあった。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




私の人形の制作法は、ただひたすら完成を祈る。というスタイルである。そういう意味ではオイルプリントも同様である。オイルプリントはブラシを上下してひたすら叩き、祈り、込めるもの、と考えている。田村写真ではテーブルに椅子であったが、我が家でプリントする時は正座である。私は託児所がわりに幼稚園児の頃から習字塾に通わされたが、正座で筆を使い文字を書く。あのときの心持ちに近い。ローラーでインキングすることも可能であるが、それは手技の味を印刷化してしまうに等しく、取りあえずインクを広範囲に乗せたい時を別にすれば、仕上げに用いるべきではないだろう。それでは、すくなくとも野島康三のようにはならない。ブラシによるインキングが左右に撫で擦る。としたら、祈り、込める。ということにはならなかったろう。過去のネガ、ポジフィルムから、オイルプリント向きと思われる作品を選んでいる。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

HOME



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




今年は江戸川乱歩生誕120年である。そのわりに特に盛り上がった様子はないが、来年は、何ごともなければ著作権が切れる。乱歩関連の出版が増えることであろう。 昨日、乱歩のデータをひっくり返していて、『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)のデータがでてきた。乱歩先生は私にとって実に有り難い存在で、荒唐無稽なシーンを作らせてくれた。当時、平行して何作品も作り、断念した作品もある。以前、その当時使っていたパソコンを開けたら、夜逃げした後のように、作りかけて散らかったままのデータが出て来た。それを見ると『青銅の魔人』『パノラマ島綺談』その他怪しい事を企んだ形跡があり可笑しかった。この出版社は数年前に潰れてしまったので、乱歩作品のデータは、このまま埋もれたままになる可能性がある。そこで気まぐれに、ツイッターとフェイスブックに『人間椅子」を一日かけて数カットアップしてみたが、結構喜んでもらえたようである。 女流作家佳子役は義太夫三味線の鶴澤寛也さんに御願いした。椅子は粘土で作った20数センチの物であったが、子供の頃、大友昌司のおかげで怪獣やロボットの解剖図を散々描いたのを思い出し、椅子の内部を描いたのは面白かった。男は私自身がやるつもりであったが、上手く撮影できず、友人にその座を譲ったのは実に悔やまれる。 来週、某所の人と会うので、昔世田谷文学館で開催したスライド上映にピアノと朗読のライブを再演できないか、相談してみようと思っている。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


次に  


子供の頃、頭に浮かんだイメージはどこへいってしまうのか。悩んだものである。何処かに消えてしまって惜しい、ということではなかったが、確かに在るのに。私だけはそれを知っているのに。 私が作品を制作するのは、本当に在った。と確認する行為であり“やっぱり在った”と確認すれば、大方の役割は終わったといえるだろう。そういう意味でいえば、私の頭の中に浮かんだ程度のことは可視化できるようになった。それがその程度の物か、といわれればそれまでだが、実際ほぼそのままなのである。 眼高手低という言葉があるが、手が追いついてしまった、ということなのであろうか。寺山修司はいう“どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう”  私が最初に作った人形は、幼稚園児の頃であろう。割り箸と紙で作った反対人間(地面を境にして地上の人と足で接して逆さまに存在している)を別にすれば、陶芸の専門学校時代、18の時に手捻りした素焼きの黒人人形で、それは砕けてしまっているが、未だに友人が持っている。記念に写真を撮っておこうとしたことがあるが、あまりな出来にシャッターが切れなかった。そう思うと、数十年かかって、日々、ジワリジワリと現在の状態まで変化してきたことになる。以前は、作品を前に、何処かヘンなのに、どうして良いか判らず固まってしまう。という悪夢を随分みたが、現在では見ることもない。 思えばここ20年程、美術館や画廊など、めったなことでは出かけなくなっていた。自分の中のイメージを取り出すことが全てで、他人の作品観て感心している場合ではないだろう。と考えていた。しかしここへ来て、どうやらさらなる勉強の時期が来ている気がしている。こういう漠然とした勘は私の場合、まず百発百中である。ただ何をどうするかについてまでは見えていない。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




何度か書いて来たことのくり返しになってしまうが。 オイルプリントの個展を開催し、個展に限らず、オイルプリントを知ってもらおうと、ことあるごとに出品していた頃。江戸川乱歩の本を作ることになり中断することになった。それまで人形を使い、合成を既に試みてはいたが、主な撮影法はまだ手持ちによる撮影であった。しかし人間大に見せるためには人形を常に最前に配する必用がある。毎ページそれでは本は成り立たない。そこで合成を多用することになった。続いて隔月で4年続いた都営地下鉄のフリーペーパー『中央公論Adagio』である。人物をちなんだ特集場所に配することになったが、都営地下鉄沿線に画になる場所が少なく、人物をただ立たせても表紙にならない、合成のみで対処して行くことになる。そして1カットのために人物像を制作するというスタイルになっていった。非効率も甚だしいが、頭に浮かんだイメージがそのまま画になる面白さがあった。『モダン藝術写真展』で人形を撮影した最新作を旧作のセミヌードと並べた時、もうこのヘンで良いのではないか。これ以上いくとイメージをただ弄んでしまうことになりそうだと感じた。それを瀬戸際で停めていたとしたら、オイルプリントという技法の特性ゆえであろう。グループ展前は終了後、ポーの『黒猫』などすぐ制作を始めるつもりでいたが、まず撮影したのはヌードであった。オーデイションをしたわけでなし、一般女性の服の下からは想像を上回った裸が現れたし、ポーズも粘土のようには思ったようにはならない。しばらく人物撮影に専念してみようと考えている。さらに後回しにしてきたフィルム類のチェックと整理を始めることにした。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




明治神宮前の某社を訪問する。社長の体調が悪く、変わりに応対いただいたのはご子息であったが、高校時代に見た私の作品を覚えているということで、様々な方向に話が及びながら、長居してしまった。 そこから目黒のギャラリーコスモス『PICTORIALIST鈴木啓展』へ。萩谷剛さんがおられ、作品について伺った。ほとんど『雑巾がけ』という、プリントに油絵の具を塗り、その拭い去り加減で調子を出して行く作品である。下地がモノクロプリントのせいか、ピグメント印画法のような“絵のような”プリントではない。さらに、多くがプリント時に印画紙を縦や斜めに歪ませ露光してデフォルメをおこなっている。ソフトフォーカスの“ベス単派”ではあるが、実際はソフトなレンズを使用したのではなく、アナスチグマットレンズで撮影し、部分を引き延ばしたことによるボケのようである。 懐かしさを感じる風景だが、多くの場合頬っかむりした農民や、道行く人が入っている。面白かったのが、それら小さな人物の表情は判りようがないが、判然としない分、想像が掻立てられ、会話が聴こえてくるようである。特に図録の最期に載っている『農家裏夕』は、野良仕事でも終えた2人の女性であろうか。じゃれ合いながら帰宅したところに見える。私の仕事柄にもよろうが、後ろ姿の2人のケラケラと楽しそうな声が聴こえる。これはソフトフォーカスの妙味といえるだろう。 その後、萩谷さんのご友人と3人で居酒屋へ。ご友人は元銀行員だというし、何を話して良いやら、と思っていたが、内田百間好きだそうで、漱石の話から酒から様々なことに話は及び、楽しく過ごした。 そういえば、長らくHPのトップには“ピクトリアリスト石塚公昭のHP”と表示していたが、誰にも通じないだろう、といつか消してしまった。今こそ復活させても良いかもしれない。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大正時代の写真雑誌の付箋を貼付けたページの中に、目から鱗の記事があったはず。あれからオイルプリント用に選ぶ作品が変わったのではなかったか?いや違うかもしれない。確かめれば良いのである。 本棚はガラス戸や扉が付いた物が全部で8つ。両開きの本棚が3つ並び、その上にさらに本棚が乗っている。問題なのは下の3つである。最初に入手した本箱はグリーンの遮光用カーテンが貼ってあり。もう一つはグリーンのダイヤガラスがはまっている。もう一つは飾り棚がついた物で、これにもグリーンの布を貼った。遮光用だから当然中は見えない。 以前書いたが、その前に本を積んでしまい開かずの本棚になってしまっている。つまり扉が私から本を守り、ただ厚みを足した壁と化しているわけである。どこに何があるか忘れてしまって数年経つ。とりあえず、手が届く本を処分してみたが、ぎっくり腰になりたくない。段ボール箱に詰め、着払いで送れ、という古書店に送ることにした。扉の向こうには、オイルプリント奮闘時代のノートがあるはずである。 私は当時、大正時代のピクトリアリストを倒すくらいの気持ちでやっていた。第一集団からこぼれてきた志の低い奴から一人づつ倒す。などの物語をでっち上げ、本当にこんな方法なのか?一体何をやっているんだ。と我にかえるのを避けていた。 ノートといえば岐阜の製陶工場に勤めていた時のノートもある。工場長から聞いたことを家に帰って写していた。こちらはまったく無駄になってしまったが、人が見ていない所で何をするかで決まるのだ。と様々なことに耐えていた。これらのノートはそんなことを思い出させてくれるのである。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )