明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



動物番組を観ていると、自分を狙っている何かがいるのに、気付かないのか、捕らえられ喰われる動物がでてくる。たとえば蛇に喰われるカエルなど。 眉間にしわ寄せて苦しんだりせず、無表情でただ遠くを見ているようで、餌としての役割を覚悟して自ら喰われにいっているように見えたりする。 酒場には、シラフでは家に帰れない男達で溢れている。終電ギリギリまで粘り、家での滞在時間をできるだけ少なくしようとしているかのようである。盛り上がってはしゃぐほど、厄介なことの大きさを感じさせるが、私が夏の虫であったなら、火に入る前はあんな飲み方をするであろう。 しかし謎なのは、そういう男達が、家庭内の厄介な物の話をしていながら、そんな状態がマンザラではない、と薄笑いを浮かべていることである。謎のジャパニーズスマイルの中でも不可解さでは一番である。家にいる厄介な物といえば、殺虫剤で解決できる程度の物しかいない私としては不思議でならない。もっとも、こんなことを不思議がっているから、私の顔を見たフィリピンパブのフィリピーナに「苦労ガ足リナインジャナイ?」といわれてしまうのであろう。 恒例の花見をする予定だったSが腹を壊して中止になった。 カミさんと電話しているのを見ると“電話の向こうにいるのはパットン将軍か?”と思うSである。彼はサービス心旺盛な男なので、おそらく作り話だと思うが?家で奮闘努力をしなければならない時は、憲兵が中国娘を犯しているところを想像する。といって爆笑させてくれた。そのイメージも効力を失って久しいようであるが、奮闘努力を強いられる気配を察すると、どさくさに酒を飲んでしまい、おかげで今日は奮闘努力できません。とアピールするそうである。前回会ったときは、将軍の「奮闘努力できるの~?」の一言で、以来、まったく奮闘努力できなくなってしまったといっていた。加えて不可解なのは、そんな状態なのに、かえって開放感さえただよわせ、奮闘努力できなくて良かった、という空気さえ漂わせているころである。昔からブルース歌手は男性と決まっている。  だらだら書いていたら、よくあることであるが、強風にあおられた気球のように、書き出しと関係ないところに着地してしまった。“餌としての役割を覚悟して自ら喰われにいっているように見える動物”の話をしようと思っていたのだが。

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昨夜、プロジェクターで『ウッドストック』を観ようとT屋のHさんより電話。FさんとYさんが、昨年亡くなったロック好きのMさんを偲ぼうということで、作業を中断して向かった。 Fさんと以前同じマンションにいたYさん。このかつてのK本の常連二人は、知っている知識を口に出さずにいられないタイプでずっと喋りっぱなし。冗談を無視して観ていると「ここ笑うところ」。やかましくてとても歴史的ロックのドキュメンタリーに集中できない。そこへT千穂より一人流れてきたKさん。正月に飲み会で観たとき同様、若者が裸で川に入るシーンのみ楽しそうで、演奏シーンは無反応。12時過ぎて終了し、調べごとがあるので先に退散した。 結局徹夜になり、本日午前10時頃朝食を済ませ、ヨーカドーで買い物をしているとKさんより電話。ベロベロで何をいっているか判らない。フラフラと現れる。あれからT屋で10時までずっと飲みっぱなし。先ほど椅子から落ち、耳の後ろから出血し、ジャンパーからぶら下げた携帯、ズボンに血を滴らせている。みっともないからトイレで血を拭いて帰れといっても帰らない。通行人に振り向かれる。ここからがKさんの『貝の穴に河童が居る』の河童とそっくりなところで、昨晩なんで俺を連れて帰らなかった。と私に対して。いいがかりにも程がある。飲ませたT屋のかみさんが悪い。その他自分勝手なことばかりいっている。頭から何回血を噴き出せば気が済むのであろう。私はKさんの傷だらけの額をバンパーと呼んでいるが、怪我をしたのはバンパーから外れた危険な部分である。今のところ脳挫傷などという深刻なことにはいたってはいないが、挫傷すべき物が、中に入っていないからだ。とようやく私は気づいた。 帰ろうとしないKさんを残し帰る。 5時頃再び電話。ヨーカドーの喫煙所にいると血が止まらず、たまたま会ったT千穂の常連に病院へ連れて行ってもらったそうである。救急車で何度も世話になってる顔なじみのS病院で+5針。 T千穂に顔を出すと血痕がついたままネットを被ってまだいる。不味そうな果物の如し。さすがにウーロン茶しか飲ませてはもらえない。 体力があるわけでなく、アルコールで神経がバカになっているだけなので、酒が醒めてきて腰まで痛くなってきた、とこたつの角で頭を23針縫ったときの血痕が残った部屋に帰っていった。前回救急車に乗ったのはついこの間である。おかげで救急隊員や警官など顔なじみが増えているそうである。

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一日  


毎日記憶がなくなるまで飲む人がいる。そういう人と飲んでいると、今私と話していることも覚えていないのだろうな、と死体と話しているような虚しさを感じる。一応動いているのでゾンビが近いかもしれない。 朝目が覚めたらパソコンが着けっぱなしである。残ったマテ貝を肴に飲む前に、閉じたことは間違いないのだが。驚いたことに制作中のデータが完成しているではないか。これを完成させた奴は私とセンスが似ている。これだから寝る前に玄関の鍵はしめなければならない。犯人はいつだったか、身に覚えのないコンビニのソフトクリームを、寝ている私の頭に擦り付けていった奴であろう。

表紙を担当した某社長自伝本。もう来月十何日に発売だそうである。訊いたのに何日だったか忘れてしまった。相変わらず数字は訊いているそばから忘れる。スケジュールはかなり厳しかったようで、完成は早ければ早い方が良いという感じであった。新大阪で編集者と待ち合わせ、背景撮影は20分ほどで終わった。ちょうど商店街だったので、うどんやたこ焼きでも食べて帰ろうとしたら新大阪まで送ってくれるという。それでは駅周辺で、と思ったら切符売り場で、何時の新幹線にしますか?「えーっと。じゃあ次ので」。そのまま帰ってしまった。今になってみると、ぐずぐずしてないで、早く帰って作りなさい。とホウキで掃出されたような気がする。いやそれは考え過ぎであろう。 制作中、原稿を読ませてもらった。現在の顔と、ちょっと前の顔が別人のようにみえて、何かヒントがないか、ともう一度読んだ。特になかったので、最新の写真だけを参考にした。人物伝好きな私とはいえ、数日の間で二度読めるのだから、面白いことは間違いがない。  続いてロシアの文豪を作ることになった。 フリーペーパー『中央公論Adagio』。都営地下鉄沿線の地域にちなんだ人物を、誰々と何処そこを歩く。という趣旨で4年続いたフリーペーパーであったが、都営地下鉄が東京をまんべんなく網羅しているとはいえず、末期には特集人物決を決めることは難航した。そしてこの人物の名前があがったことがある。この人物、来日していないのである。時に頓知を働かせないと画面内に納まらない場合があったが、ついに何処も歩いていない人物が浮上した。唖然としたが幸い、どんな画にしてよいか苦しむ寸前に没になった。なんだかようやく再会する人、のような気がしている。

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昨年入手しておいた冷凍マテ貝を解凍し撮影。背景はすでに用意してあるので、どう撮影するかは決まっている。数カットで終了。とりあえず網で焼いて食す。寒い。ついでに芋焼酎。すぐ合成作業に入る。イメージとしては穴の中の河童が、ちょうど諏訪の御柱祭のようにマテ貝にしがみつく予定である。砂浜に100円ライターがただ突っ立っているようなマテ貝より面白いであろう。  鏡花は時間を微妙にずらす。今の事かと思うとさっきのことで、もうすでに済んでしまった事を、思いだしたように差し挟む。こういったことも鏡花作品のリズムに貢献しているのであろう。しかしおかげで勘違いして、人の向きから地面の様子から、何度作り直したことであろう。ビジュアル化している私としては、混乱のもとだと、時間にそって律儀に描いていたが。  昨晩、河童の三郎が長い石段を上り、ようやく境内にたどり着き「願いまっしゅ」と、かしずくあたりを作った。左のページのカットは、神社額の影から白い蝶が飛ぶ。鱗粉をまき散らすようにユラユラ飛ぶ雰囲気も出て完成した。 私は完成した、と思ったとたん未練がましく、合成データを統合せずに保存しておくのが嫌いである。普段はだらしなくノンビリしているくせに、作品制作に関することはせっかちで、完成した。と思ったら要らなくなった物はすぐ捨ててしまう。 マテ貝に焼酎の午後。おおまかなレイアウトを眺めていて、蝶が、右側のページに時間を無視して飛び込んできたらどうだろうか。と思いついた。たいした表現ではないが、1カットで完結させる写真作品とは違い、ページを開く書籍ならではのやり方があるだろう。律儀に時間に沿って描くよりも効果的なシーンが他にもあるかもしれない。 それにしてもすでに作業を昨晩終えてしまっている。“夜書いたラブレターは一晩寝てから投函せよ”である。後悔しても遅い。もう一度作りなおさなければならなくなってしまった。未練がましいことへの嫌悪というのは東京の下町育ちと無縁ではない。どうせもともと未練がましい人間に限って、そんな見栄を張るに違いないが。そんなにさっぱりしているのなら、まず部屋を片付けろ、と自分にいいたい。

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『貝の穴に河童の居る事』のマテ貝は、細長い筒のような形をした10センチほどの貝である。穫る場合は、穴の上に塩をかけると、塩分濃度の変化にビックリしたように頭を出し、そこをすかさず引っこ抜く。この作品が発表された昭和の初め頃はどうだったか判らないが、現在はアサリやハマグリのように、誰しもが知っている貝ではない。せっかくビジュアル化するのであるから登場させてみたい。すでにニョッキリ砂から顔を出しているカットは用意してある。100円ライターが砂浜に突き刺さっているようではあるが。 ところが紙面にそのカットを差し挟むスペースがない。編集者は要らないのでは、というが、細長い奇妙な形で、砂の中を上下する“穴”なのであり、それをイメージしてもらうことは悪くないだろう。 本日、改めてマテ貝を登場させるシーンを思いついた。 河童の三郎がマテ貝の隠れ家である穴に逃げ込み、そうとは知らない娘が覗き込む。実際は外から見える穴は2、3ミリ程度のもので、着物姿の娘が砂浜に這いつくばって覗き込むことはあり得ないが、覗く娘の瞳の美しさに三郎がうっとりしているところを、貝を掘り出そうとした旅館の番頭のステッキで突かれて腕を折られる。 瞳が覗き込んでいる様子はすでに作っており、三郎が半身海水に浸かりながらぼーっと見上げている所を作るつもりでいた。それをマテ貝の住処は留守でなかったことにしようと考えた。穴の中で小さく変身した三郎が、大木のようなマテ貝にしがみつきながら娘の瞳を見上げている。作中マテ貝自体は登場しないが、この奇妙な場面こそ私が作るべきであろう。思いついてしまったらもう終わりである。これは物心ついて以来患いっぱなしの持病である。そう思うと、この場面だけでなく、制作中の作品全体が病気のたまものといえなくもない。この病気を悟られないためには、「鏡花や乱歩がそう書いているんだから仕方ないでしょう」。そういいながら溜め息の一つもついて見せるしかない。

 “大荒れの台風の日。佃の渡し船の絵を描いていて、煙突の東京都のマークがどうしても描きたくて、マンホールのマークを見に行った幼稚園児の私を止められなかった母”が写経したものを深川不動に持っていくというので付き合い、その後T千穂へ。せっかくなので、まだ隙間だらけの原稿を見せた。母も顔なじみの人に出演してもらっている。「Kさんは出てこないの?」「主役の河童にホンモノ使ってどうすんだよ」。

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私の世代は妖怪、怪獣ブームの洗礼をまともに受けている。受けるには適切な年齢で適切な洗礼を受けたといえるであろう。始めて映画館で観た『キングコング対ゴジラ』はどちらがゴジラだか知らなかったが、ねだったわりに、キングコングの顔のアップで父の背中にかくれ、しばらくどこへ逃げてもキングコングと目が合ってしまう悪夢に悩まされた。生まれた時から、こんな感じだったような気がしている私にも、可愛らしい時代があった、と想い出せる数少ない記憶である。小学生になると映画館は同級生だらけ。舞台に何故だかムシロが敷いてあった。そこに寝転がって『大魔神』を観てみたら近すぎて判らなかった。妖怪映画も封切られ。まさにブームであった。先日書いた、親戚の子が遊びにきて父に連れて行ってもらった『薮の中の黒猫』も怪談映画だ、と私がねだったのは間違いがないだろう。『四谷怪談』など18禁だったのが悔しかった。 漫画でいえば、それはもう水木しげるなわけである。鬼太郎はゲゲゲより墓場のほうが好みであったが。 子供が妙な物に出くわし、「今のはきっと○○に違いない」。とかブツブツいいながら一人、細密に描かれた田舎道を歩いている場面などは無性にひかれた。 水木作品には始終、画面にモヤのような物が漂っている。異界にはあれが漂っていなくてはならない。只今神社の境内に漂わせてみたが、誰かが焚き火をしているような感じになってしまい、やり直したら今度は昔のアメリカのTV漫画の、ごちそうの香りが漂っているようで、さてどうしたもんだろう。とこれを書いている。 何度かブログに載せているので改めて載せないが、昔、靖国神社の通りを隔てた画廊で撮影した写真には、画面中に白いモヤが尾をひいて漂い、中にはホップしているものまで写っていた。カメラ内蔵のフラッシュが発光したホンの一瞬である。たまたまそんな物が現れても、あまりにもスピードが早く、人間には目視できないのではないかと思ってみたりした。

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踊りの師匠の丸髷は、鏡花の時代の挿絵をみると、ちょっと雰囲気が違う。調整してみたらぐっと良くなった。髪型は時代により様々である。櫛、笄はネットオークションで落札しておいた物がある。モニターでみても良い物だと判ったので、どうせ落ちるわけがない、とそのまま飲みにいってしまったが、帰ったら落札していた。これでお礼をいわれてはまったく申し訳ない品で、ベッコウに漆に金彩などの櫛と笄がいくつも届いた。いくつも届いたところで、たった一日の物語である。櫛はともかく、髷の中から頭を出す笄はそう取り替える物でもなさそうである。 河童の三郎は鎮守の社の姫神に、腕を折った人間どもへの仇討ちを願い出る。そこでまず用件を聞くのが柳田國男演ずる、禰宜姿の翁である。今の所、ただ突っ立っている翁しかないので、かがんで三郎の話を聞く翁を作ることにした。 娘の尻を触ろうとした三郎は、見つかりそうになりマテ貝の穴に隠れる。そうとも知らない人間が、貝を掘り出そうとしてステッキで穴を突く。翁もいうが、それで仇討ちとは道理がとおらない話である。しかし翁はあくまで三郎に愛情深く接し、一応姫神に伺ってみようということになる。 三郎はマテ貝の穴に入るくらいだから、小さい方にはいくらでも変われるが、普段の大きさは90センチ程度である。この場面はひれ伏す子犬に接する老人。そんな場面をイメージしている。私は柳田が、盟友鏡花のこの作品に対し、「河童を馬鹿にしてござる」と評していたのを知っている。それを承知で出演いただくのであるから、ここは一つ、それに見合う場面にしたいところである。

それにしてもつくづく思うが、手前勝手な理由で喜んだり腹を立てたり、三郎と身も心もそっくりな人物が近所にいる。違いをあえてあげるならば、執着箇所が尻より胸であることくらいであろう。先日の夜、飲んだ別れ際の信号待ち。何かぐずぐずいっている。要約すると、自分の置かれている状況の問題点は、女性が自分に焼きもちをやくせいだ。ということのようである。一度鎮守の杜の姫神様に相談したほうが良かろう。私はこの男の頭頂部に金ダライが直撃する様を想像していた。

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ポールリードスミスの100万円のサンタナモデルを所有するSさんは昔のサンタナを知らない。ウッドストックのDVDを観て、一瞬誰だか判らなかったようである。昔のサンタナ見るたび亡くなった草野大悟を想いだすが、かつて映画館で観た『フィルモア最后の日』などもSさんに観せてあげたいものである。昔はその旋律のエロティックさに、ギターの弦に精液が絡んだような、とかなんとかいわれていたのではなかったか。 サンタナの横尾忠則さんデザインのレコードジャケットの話をしていると。横からKさんが「アコーデイオンの?」それは横森良造だろ。Sさん「横沢?」皆までいうな。どうせひょうきん族のプロデューサーだろ。吉本に入ってからは激高する癇癪持ちに変身していたらしいが。 私は「横っていったら誰だろう?」なんて訊いた?ただヨコという音に反応しただけではないか。君等はしばしば耳から入ったものを脳みそ通さず口にするだろ。電気刺激でぴくぴくするカエルの筋肉のような連中である。 だがしかし、そこが良い。制作に没頭していると、日にちの境もなにもなくなってくるし、東西南北どちらを向いているか判らなくなる。それでもかまわないといえばそうなのだが、バカバカしいにも程があるような話をしていると、すっかり制作のことは忘れる。もちろん私も頭は創作用に温存し、そんな時は一緒になってただぴくぴくしているわけである。 本日も出だしの予定と違う結論に着地。

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先日の叔父の四十九日には、父の葬儀以来顔を合わせる親類ばかりであったが、私がすっかり太ったので気がつかない人もいた。父の亡くなった直後にタバコを止め(父が亡くなった事とは関係ないが)以来10年で10キロは増加した。それに貢献したのはタバコともう一つ、4年続いた『中央公論Adagio』であろう。隔月とはいえ、締め切りが続く仕事は、半年ほど続いた地元誌のエッセイ以外は始めてである。それまでは自分の好きな人物ばかり作ってきたが、これはそうはいかない。興味のない人もいれば大嫌いな人もいる。つまり自分の中にデータの蓄積のない人を作るわけで、多少は知ったかぶりをできるくらいに伝記や著作を読むことになる。それまで二ヶ月に一体、撮影別が余裕をもって作れるペースであったのが、さらに資料やロケ場所も自分で探さなければならない。 制作に入ると出歩かなくなる。出かけていても、今家にいたら上手くいっていたのではないか、という気分に苛まれてしまうのである。特に楽しいことは、何かが減ってしまうような気になり避ける。実際、制作が上手く進むとやっぱり今日は遊びに行かなくて良かった。とホッとするのである。もともと出不精なところに、さらに外出することがなくなる。これは私がストイックに制作に打ち込んでいる。ということではない。単に制作者としての自分に自信がないからである。今までなんとかやってきたではないか。締め切りがある仕事でも一度も間に合わなかったことはなかったろう。そういい聞かせ。あとは使える時間をつぎ込む以外、対処法がない。 ところで先日入稿をすませた某企業社長の自伝用作品である。一月ほどの制作時間の開始一日目。20分ほどで止めてしまった。何故そう思うのか根拠不明だが、もう今日はこれで良い、という気がした。今までの私には考えられないことである。翌日も1時間ほどだったろう。それがしばらく続いた。たびたび書いているが、表層の脳より多少ましな自分がどこかにおり、そうせずにいられない時は、何故そうするのか判らなくても、そちらに任せた方が結果が良い。私の場合、もう頭部が完成した。といった翌日には、いやまだだった。ということを繰り返すことは、長い間ブログやそれ以前の身辺雑記をご覧の方はご存知であろう。しかし今回一度も危機がなかったとはいえないが、後戻りはせずに終わった。これは制作者としての自分を、そろそろ信じて良い。という前兆ではないのか?調子に乗る気にはまだなれないが。

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また間が空いたブログ。数日分を。 1ヶ月、睨めっこしていた某社長の資料写真。役目も終わり片付ける。秘書の方だかに撮ってもらった実物大のポートレイト。毎日眺めていてよく夢を観なかったと思う。オフィシャルな写真でなく、身近な人の撮影なのが良かった。

3時に古石場文化センター。音楽スタジオ。Sさんと集合。今日は6時間も借りているので余裕がある。準備をしているところにYさん。昨晩送別会で、飲み過ぎ二日酔いでニコリともしない。『ゲットバック』最終回。今回はドラムを借りたが、誰も手を挙げないので私がやることになったのは40年前と同じ。以来今日が始めてである。そしてこの曲のギャロップ調のドラム。イーブンペースで叩き続けられないのも40年前と同じであった。 改めて聴いてみるとビートルズは難しい。中学生の頃は恐いもの知らずの上に何も聴いていなかった。 仕上げようなどという気はさらさら起きない。私はリードギターを担当したが、昨年からやっていてすでに飽きた。幸いベースのSさんとは、他人と絡み、響き合う合奏の味わいを感じられたのがなによりであった。ボーカルとリズムギター担当のYさんは、ギターを弾きながらでは歌えない、ということで歌に専念するが、二日酔いで声が出ず。 休憩中、次に何をやるか相談するが、例によって誰も意見をいわないので、だったら、と12小節のブルースを。テンポアップすればロックンロールになりますよ、とかなんとかいって提案。予定より私の都合にことが運びそうである。 Yさん頭痛がひどくなり帰宅。残りの2時間はSさんと音を出しながらああだこうだ。その後近所の居酒屋へ。 Sさんは本当はメタリカやマイケルシェンカーが好きなのだが眼高手低の悲しさ。論じはするが腕がともなわず提案にはいたらない。私はSさんがやるなら付き合うよ。といっているが、屏風から虎をおびき出してくれるなら、というわけである。 私は24の時に初個展をしたが、小学校の図工の先生に、若いうちは恥をかいても許されるから早く個展をやれ、といわれたのがきっかけであった。今思うと冷や汗物である。手低であることは勿論であったが眼低でもあり、なんでこんな物が作れるんだろう、と自分で不思議がっていたくらいのお目出度さであった。知ってしまって出来ないことが出てくるなら、知らないうちにやっておくべきことはあるだろう。明日できることは今日はせず。後悔するのは明後日くらいでよい。

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朝6時半ごろ茨城へ向け出発。田村写真には色見本とデータを午後出版社にバイク便で届けてもらうようお願いする。今回著者の指名ということであったが、編集者が立体を扱ったことがなくイメージがつかめないらしく、なんとなく不安が伝わってきていた。

昔は道路がひどく、父が田舎へ行くというと、車酔いの地獄が待っていた。着いてしまえば親戚の連中と遊んで楽しかったのだが。自転車や竹馬に乗れるようになったのも、ここでの夏休みの間であった。 亡くなった叔父というのは私の父と違って社交的であった。物心つく頃、叔父自作の家具調の巨大ラジオが家の床の間に収まっていた。高さは1メートル数10センチあり、幅は60センチ以上ある家具調のラジオであった。父の葬式の時、熱そうにお茶を飲んでいるのを見て、私の猫舌が父方由来であることを知った。 場所を移して会食となったが、前に座ったお二人は、小さいころ鎌をもって追いかけられた覚えがあるが、水戸の天狗党三総裁の一人の直径の子孫である。アダージョで徳川慶喜を作ったが、天狗党からすれば慶喜に見捨てられ斬首になったことになるわけで、4番目に首を切られたらしいといっていた。話を直接聞けて良かった。献杯の挨拶を急にさせられていたHちゃんは、彼が中学生、私が小学生だったろうか、父が家に遊びにきた彼に映画を見せてやろう、と近所の映画館に行き、立ち見で観たのが進藤兼人の『薮の中の黒猫』であった。太地喜和子のデビュー作で、中村吉右衛門が化かされる相手役であった。父が亡くなった時、ビールを注ぎながら映画を観にいったことを覚えているか訊いたらうなずいていた。モノクロとはいえ、私たちが始めて巨大なヌードを観た日である。忘れるはずがない。役所に勤めていると訊いているが、こういうときの挨拶は手慣れていて感心した。私など、こんな時、何をいっていいのかさっぱり判らない。 そこへ編集者よりメールが届く。さっそくデザインに入るという。喜んでくれているようで、肩の荷下りる。帰り際、今回施主の従兄弟が私のブログを見ているらしく「Kさんが気になってしょうがない」。実際会うと、そう良いものではないのだが。

帰りの電車で、ろくに寝ていない私と母はうつらうつらしてしまう。母はおそらく2時間程度しか寝ていないだろう。帰ったら寝るようにいって上野駅で別れる。帰宅後一休み。法事と締め切りが重なり疲れた。その後T千穂へ。Kさんが広くなったおでこを隠そうと、最近前髪を密かに伸ばしているが、ちょっといじったら、横山ノック、あるいはたこ八郎状になった。笑いをこらえて、さらに伸ばすべきだと薦めておいた。どんな生き物だと見学に来る人のためにも一工夫すべきであろう。 しばらくして母より電話。あのまま家に帰らず、カラオケだという。開いた口ふさがらず。

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午前中に撮影。大阪で撮影した画像に合わせてみる。背景の腹に“アホ”と書いてある着ぐるみ。権利上問題があっても、と問い合わせていたが、返事が未だにないようなので、居るのと居ない二種を用意しておいた。色見本のことで麻布十番の田村写真に行くと、ユーチューブでアイルランドの12、3歳のちびっ子バンドの映像が流れている。これがやたらと達者。『ヤードバーズ』や初期ストーンズのようなブリティッシュR&B。まわりでは地元の父兄が盛り上がっている。親のレコードを聴いて育ったのであろう。『The Strypes』といってその数年後にはすっかりパワーアップ。“オジサンも君達みたいなことをしてみたいんだよ”4月には日本に来るというではないか。みんな可愛いくて、かつてのベイシティローラーズみたいなことにならないだろうか。こっちはあんなバンドとちがって内容が渋い。 2パターンのうち1パターんが完成した時点で、明日2つ一緒に入稿ということに。 夜、田村写真に色見本用のデータを、データ送信サービスから送ろうとすると、最近メールを受信していないので、ファイル送信が無効になっているという。ならば、麻布十番まで持って行こうとすると、母からYシャツがないと連絡。明日は父方の叔父の四十九日である。冠婚葬祭しか用のない白いYシャツだが、実家にあるはずなのにない、という。あわててあちこち歩いて購入。それから麻布十番の田村写真に向かうがとっくに営業は終わっているのでポストに入れて実家へ。早朝からの制作の疲れでおそらく目を閉じて2、3秒後には寝ていたであろう。

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頭部ができてしまえば、バランスだけ確認しておけば何も参考にすることなく一気に作る。今回は脚は写らないので面倒な靴まで作らない。こういうところは被写体の制作者と撮影者が同一ならではである。他の人に撮影してもらう場合は、こうはいかない。 編集者の意向で社長が偉そうに見えないように、ということで、さりげなく立たせようと思っていたが、配置するシミュレーションとして、軍服姿の森鴎外をあてがっていた。この鴎外が棒立ちで飛び切りムスっと不機嫌そうである。その影響があったのかどうか、若干動きを付けたくなりポーズを変更した。 写るところしか作らないということは締め切りがある場合、おおいに助かるわけだが、反面そのまま展示できる状態の作品が残らない。肝心の頭を引っこ抜いて、たとえ将軍様の胴体だろうと、どうにもしようがないので捨ててしまう。

銀座の伊東屋に絵の具を買いに行き、山野楽器でドラムのステイックを買う。今回3人でやっているビートルズの『ゲットバック』だが、他の2人が遠慮がちで、私が黙っていると何をやるか決まらない。Yさんがビートルズをやりたいのは判っていたので、中学生の時演奏した覚えがあって提案したのだが、改めて聴いてみたら、細やかな工夫をしていて難しく、あの頃は何も聴いていなかったことが判った。当時私はベースを担当していたが、メンバーはやはり3人で、誰もやろうとしないので、ドラムまでやることになった。歴史は繰り返され、数十年ぶりに私がまたやることになった。当時リードギターのNが映画で観たリンゴスターと私の叩き方が違う、というので喧嘩になったのを想いだした。「だったらお前やれよ」。馬鹿々しいことほど想い出は楽しい。Nが数年前に亡くなったのが残念でならない。

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一日  


窓から見える景色が黄色い埃だかなにかに覆われて煙って見える。 先日の大阪での背景の撮影は滞在時間は1時間くらいだったろう。せっかくだからたこ焼きでも食べてくれば良かったのに、と皆にいわれた。撮影した商店街では嗅いだことのない食べ物の匂いがしていた。 帰ってから撮影したカットをチェックし続け、本日ようやく1カットに絞った。写って良いものとそうでないものがある。フレーム内をうろちょろしていた呼び込みの着ぐるみ。キャラクターの権利問題さえ生じなければ大阪っぽいので使いたいと編集者に伝える。駄目ならはずすまでのことである。それにしてもこの着ぐるみ。Kさんに檄似である。なにしろ腹に“アホ”と書いてある。関東関西地域は問わず、アホな生き物はこういう形状になるのが自然界の決まりごとらしい。 背景は決まった。頭部が完成したので後は全身を制作し、撮影してビルの前に立たせるだけである。と一応簡単にいっておく。

『貝の穴に河童~』。女顔のミミズクは杉の木に泊まる。ところが杉だと思ったら違っていたことがあった。先日レイアウトを出演者に披露しながらついでに訊いてみたら、私が最初に杉のつもりで撮影した木も、この枝は杉ではない、といわれてしまった。枝の生え方が違うという。あれだけ時間をかけ、ムード満点にしたのに。しかしイシナギなどという、一般人はめったに目にすることがない魚を、こだわって東北からわざわざ取り寄せて使った。杉の木ごときでどうする。

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T千穂にてSさんと次々回練習する曲について話す。Sさんはヘビメタ好きで、とくにメタリカが好きである。先日ネットのニュースで、アメリカ軍が中東だかの捕虜に対し、メタリカを聴かせるらしく、メタリカがそういう使い方はやめるよういった。というのを見て笑ってしまった。「どうりでSさん精神力が強いはずだ」。「そうですか?」。どちらかというと冗談が通じないタイプである。“誰が精神力の強い奴と酒なんか飲むかよ”。  私としてはごく単純に、12小節のブルースやロックン・ロールがやれさえすれば良いのだが、Sさんはヘビメタだし、Yさんはフォークかビートルズで、二人ともブルースやロックン・ロールを知らない。そこで私としては今の所「あなた達の好きな曲でいいよ」。と物わかりの良い年上を演じている。1曲目はビートルズ好きのYさんが遠慮しているのを察し『ゲット・バック』を提案した。時間をかけて、こちら側に二人を連れてくるためには焦ってはいけない。どうぞと譲っていれば、いずれ石塚さんの好きな曲を、ということになるであろう。 ダチョウ倶楽部を見ていれば判る。 Sさんがマイケル・シェンカーというギタリストについて熱く語る。私は白黒のフライングVを弾いていたことしか知らない。「Sさんが弾けるならいいよ」。「無理です」。このギタリストは昔UFOというバンドにいたらしい。私は中学生の時ヒットしたUFOの『カモン・エブリバディ』というシングルレコードを持っていたというと、リアルタイムだったんですかと驚いている。彼には歴史上のことらしい。そういえば正月に『ウッドストック』のDVDを観せた時、ザ・フーの『サマータイム・ブルース』に反応していたが、どちらも1960年に21歳で事故で亡くなったロックン・ローラー、エディ・コクランのヒット曲である。急に目を輝かせたSさんはカモン・エブリバディが入っているCDを持ってくるので聴いてくれという。飛んで火に入る、とはこのことである。思いの外早い展開である。Sさんは歪んだ大きな音さえ出させておけば満足のようである。御し易しとみた。私に見合うヘタクソな中年を集めるのは大変である。なだめたりすかしたりしながら焦らずいこう。

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